第六十七話:砂竜〝ニブルヘイム〟
第六十七話:砂竜〝ニブルヘイム〟
ドルーウのリーダーよりも、砂竜モドキよりも大きな身体。見上げる程、という表現では足りないほど巨大な竜は、正に西洋のドラゴンと呼べるような姿形をしていた。
コウモリのような翼、さざめく鱗に覆われた砂色の全身。鈍い白色の爪はショベルのように奇妙な形をしていて、金色の瞳がじっとこちらを見下ろしている。
牙は犬歯が口外に突き出していて、大小様々な大きさの角が生えている。全体的に、磨き上げれば金色に光りそうなのだが、全てが砂に塗れて地味な色合いになっていた。
「……」
牙の合間からは、爬虫類に似合わない蒸気のような熱を孕んだ息が漏れる。鞭のようにしなる細身の尾が、全てを威圧するように緩やかに揺れ――。
『――本当に頼みます』
酷く低姿勢な声色で、砂竜がざざぁ、と頭を下げた。
「――もう一度言ってみろ」
思わず自分の喉から通常よりも低い声が漏れ、びくりと砂竜がその巨体を震わせる。見下ろしていた瞳がわたわたと更に高度を下げ、自分を見上げる程の位置に頭が来る。
すると自然と熱い吐息が熱波となって自分に押し寄せ、熱い、と怒れば慌てて頭を上げるという繰り返し。
「さっきも言ったけど熱いんだよ、熱いの。分かる? お前の息は炎と一緒なの、焼き殺したいのか低姿勢なのかはっきりしろ、お前を焼いてやろうかこの――〝熔魔の色 赤竜の色〟」
「ボス! すとっぷ、すとーっぷ! ブラストは不味い! こんな狭い空間でブラストはいけない!」
「狭いのはこのボケが鎮座ましましてるからだろうが……っ」
空間としては広いのだが、狭いと感じるのは目の前の砂竜のせいだと叫べば、びくりと身を縮める目の前のドラゴン。
何故こんな状況になっているかといえば、全て目の前のデカブツのせいである。最初はまだよかったのだ。ドルーウの案内で砂竜の根城までやって来た、までは問題などどこにもなかった。
まだ砂竜もドラゴンの威厳とやらを持っていたし、自分達も畏怖を込めてその巨体を見上げたものだった。だがしかしだ。
「要するに、育児放棄よね? これって」
人差し指を立て、さらりと弥生ちゃんが言い放った言葉に、表情が分かりにくい筈の爬虫類の顔が歪む。ぎくぅ、といった感じに口を開け閉めする砂竜は、本当にすみませんでも無理なんです、勘弁してください、お願いしますと繰り返すばかり。
『この通り、色々融通しますんで。本当にお願いしますよ! 僕は独り身でしてこれは何かの手違……』
「独り身のところに卵ってくるの? ギリー」
『いや、いつの時代でも、どこの世界でも、過ちが無ければ何も生まれない』
「だそうだけど?」
『――すみません、すごい美形だったんですよ。それで僕もくらっときちゃって。いやまさか一晩でそんな……』
えへへ、と人間臭い仕草で頭を掻く砂竜――ニブルヘイムと名乗った雄の竜は、どうやら半年ほど前、一夜の過ちとやらを犯したらしい。
モンスター同士でも、生殖器はないものの、いちゃいちゃとくっついて一晩過ごせば卵が出来るらしく、美形の竜とやらにうつつを抜かしたニブルヘイムに、半年後になってから一夜限りだと思った彼女が現れ、貴方の子よ、と渡されてとんずらされたらしい。
「で、過ちの結晶に困ったからどうにかしよう。あ、そうだ。竜の卵もってる彷徨い人いるじゃん、既に卵を持っているなら一個も二個も変わらないから、押し付けちゃおーって?」
『いや、兄弟っていたほうが良いと思うんですよ。一匹も二匹も変わりませんって、ほらちょっと騒がしくて大変な――ぁあ! ごめんなさい、すみません!』
「すとーっぷ! ボス、すとっぷ! よ、良かったじゃん、竜の卵まさかの二個目だよ!?」
「問題はそこじゃない」
舌打ちと共に詠唱を開始すれば雪花の手が慌てて自分の口を塞ぎ、邪魔ばかりするんじゃないと睨めば困ったように眉を下げる。確かに竜の卵を貰えることなんて、またとない機会だろう。しかし、ただ嬉しいことだけではないのは、目の前のニブルヘイム自身がきっちり証明しているのだ。
「第一だ。大変じゃないなら、彷徨い人に押し付けたりしないだろう。曲がりなりにも自分の子なんだから」
『うっ』
「大方、ものすごく大変で面倒なんだろう。多少安心できる人間に預けたいくらいには」
『ううっ! でもでもでもっ! ギリー君が認めた人なら凄い良い人だと思うんですよ! だって絶賛してたし! きっと立派な子に育つだろうとか、必ずやランカーになるだろう、とか言われたらもう預けるしか……あ、ぶたないで。蹴らないで、いやん』
「やっぱ燃やす」
「まあまあ、狛ちゃん。ちゃんと大変でも戦力になるんだし、預かっても良いんじゃない?」
「弥生ちゃん……どれだけ大変か想像しただけでも眩暈がしそうなんだけど」
ニブルヘイムが言うにはこうだ。子竜を育てるのに必要なのは、外敵の排除にそれぞれの竜に適した餌探し、お好みの寝床作りに、言葉の教育、行動の教育、それと――。
『一番大変なのはですね。実は遊んでやる時なのです』
と、ニブルヘイムは事もなげにそう言うのだ。
「竜の遊びは人間にとっての大災害って聞いたけど? ついさっき、正にお前の口から」
『何言ってるんですか! 子竜の遊びは、竜にとっても災害級ですよ!』
「なお悪いわ」
心外です! みたいにニブルヘイムは叫ぶが、心外なのはこっちだ、と負けじと叫ぶ。弥生ちゃんは面白そうににまにましているし、雪花は自分がいつ詠唱を始めても止められるように構えている。お前は一体どっちの味方だ。
「ともかく! 一頭だけでも十分手におえないことはわかった。――自分の子供は自分で育てろ」
『そんなぁ! 良いじゃないですか、兄弟で遊ばせれば馬鹿広い空間を用意するだけで済みますよ。ね? 悪い話じゃないじゃないですか』
「餌探しも、寝床の準備も、教育も、その空間を用意するのも一苦労だ。お断りだ」
「えー、でも子竜二頭でわちゃわちゃとか萌えるじゃない! 狛ちゃんと子竜のセット見たい!」
「話ややこしくなるから、弥生ちゃんは黙ってようね?」
「何よ雪ちゃん! 想像してみなさいよ、鼻血ものでしょ!?」
「弥生ちゃんって意外とお淑やかじゃな――」
「――雪ちゃん、打撲で死にたいの?」
一瞬で側頭部にモーニングスターの棘の先端を押し当てられ、雪花が口元をひくつかせながら掠れた声で謝罪する。堅気ではない表情でモーニングスターを戻す弥生ちゃんは、一転してにっこりと自分に微笑んで見せる。
「と、いうわけで。私は引き取るのに賛成」
『そうですよ、ね、ね? 可愛いですよ? 遺伝子的にも悪くないし』
弥生ちゃんが自分の味方なのを見てとって、嬉しそうにニブルヘイムが尾を振った。長い尾が砂を巻き上げ、砂塵が自分の視界を覆う。
「……その尻尾、切り落とされたい?」
アドルフの爪を引き抜きながら笑みを浮かべれば、長くて邪魔くさい尻尾は即座に巨体の後ろに畳まれた。自分達がここを後にするまで、二度と目にすることはないだろう。せいせいしたと顎を上げれば、ニブルヘイムは諦め悪くずっと抱えていた卵を差し出した。
『改めて、お願いします』
「……」
「や、いやいやいや。俺はボスの傭兵だから、決定権とかないし……」
じろりと無言で視線を向け、一応の確認をすれば慌てて責任は取りたくないと、雪花は全力で首を横に振る。そのままニブルヘイムを見れば、巨竜は広げた翼でさっと頭を隠した。隙間からそろりとこちらを覗く金色の目に、愛銃をつきつければ慌てて翼の影に隠れる。
「人に物を頼むときは顔を見せろ」
『顔見せたら狙い撃ちする構えじゃないですか! 陸鰐の話は噂になってるんですよ、嫌ですよ痛いのは!』
「ちっ」
舌打ちと共に仕方なく銃を下ろし、ホルスターへ。かちりと銃が仕舞われたのを音で確認し、ニブルヘイムがそっと翼をどかして顔を出す。律儀にも息を止め、鼻先を突き出してゆっくりと頭を垂れた。
『これでも一応、適当に頼んでるんじゃないんです。お願いします。陳腐な台詞かもしれないけれど……洞窟から出ない僕に代わって、世界を見せてやってください』
この翼でログノート大陸の全ては見せられても、その更に先までは行けないからと。ニブルヘイムが静かに自分に頭を下げる。
『これでも、僕には神、陵真から与えられた使命がある。このアルカリ洞窟群を取り仕切る者として、この大陸から出ることは許されないし、僕自身の魂にかけても、そんなことは許せない』
ニブルヘイムの巨大な頭にぽっかりと輝く、二対の金色の瞳が自分を見上げる。砂竜が言い募る。自身の魂にかけて、そんなことは絶対に出来ないと。
自分の抱えていた疑念は膨れ上がり、その瞳から目を逸らせない。金色に輝く、生き物の目が、自分を掴んで離さない。
「……ほんとに、学習性AIは――」
『……』
「道庭利幸の発表した通りの方法で――作られたのか?」
生き物の目だ。作り物の、AIの目なんかじゃない。
普段、盲目で誰とも会わないからこそ、自分はVRの中で誰かと話す時には、必ずその人の目を見るようにしている。その中で感じた、いや、感じ続けていた違和感が、今なにか、形になりそうな予感がしている。
「……目は口ほどに物を言う。目に、機械の目に感情が宿っているなんて、おかしい」
『……』
ニブルヘイムが目を細める。針金のような、三日月のような瞳孔が、そっと愛おしそうに細められる。
「学習性AIって何だ、道庭利幸は一体何を作り出した……?」
おかしい。機械の目に、感情が宿るものなのか。学習性AIとは、精巧に作られた人工知能の筈だ。なのに何故、その瞳に感情が宿る?
『人の子よ、今はまだその問いは胸に秘めよ』
ニブルヘイムの声が洞窟の壁に響く。先程までとはがらりと違う、厳かな声が自分の鼓膜を打つ。
『――神のみぞ知る、というものだ』
砂竜――ニブルヘイム。ぶるりとその巨躯を震わせれば全身に纏った砂が落ち、黄金色に輝く鱗が現れる。畳まれていた巨大な翼が広げられ、黄金の竜が牙を剥きだして笑う。
『僕の子を預けます、人の子よ。きっと煩わしさの中に、多くの得難き幸いがあるでしょう』
そう言い捨てて、ニブルヘイムが洞窟の中であるにも関わらず、その巨大な翼を開ききった。強引な動作に風が吹き荒れ、腕で顔を覆えば、岩や砂など障害ではないとばかりに翼の端が溶けるように岩盤に埋もれた。
『問いを発し続ける限り、きっといつかは知ることになる。真実はその時に、貴方自身の魂が決めることだ』
最後にそう言い放ち、ニブルヘイムは障害物など無いかのように翼を打ち振るい、岩盤の中に飛び去った。
塵一つ落とさずに天井に消えた黄金の竜を見送って、自分と雪花、弥生ちゃんはただ呆然と立ち尽くす。
親竜は飛び去り、何処かに消え。砂の上には、一抱えもある大きな卵だけが取り残された。




