第六十六話:血と砂の先に
第六十六話:血と砂の先に
砂と血に塗れ、じっとりと不愉快な感触を残す掌を見る。またも血塗れ。モンスターを狩る時に、毎回こうも血に塗れると、段々とそういった感覚が麻痺しそうになってくる。
肩で荒い息をしながら口元の血を拭う雪花も、モーニングスターを杖代わりに疲労に項垂れる弥生ちゃんも、見事に砂竜モドキの血に濡れて、赤の斑になっていた。
「――雪花、怪我は?」
砂竜モドキにまともに跳ね飛ばされた雪花を心配し声をかければ、雪花は荒い呼気を整えながら、ゴーグルを額に押し上げる。
跳ね飛ばされた時に切ったのだろう。右耳の端が裂けていたし、肩には返り血ではない血が滲んでいた。
「……大丈夫。ボスこそ怪我は? 助けるどころか足手纏いで……」
「いや、二度目はきっちり助けてもらったし。追撃を防いでくれなかったら即死していたかもしれない……弥生ちゃんは、大丈夫そうだね」
「ふふん、掠り傷もないわ!」
頼もしく胸を張る弥生ちゃんは確かに掠り傷もなく、元気そうにモーニングスターを振り上げる。未だドクドクと血を零し続ける砂竜モドキの死体を見ながら深く息を吐き、アドルフの爪を布地でしっかりと覆う。
固めた布地に血が滲み、呪いの武器のようになっていたが構わないだろう。顔を上げれば死体を恐々と踏み越えながら、ドルーウのリーダーが現れる。
労ってくれと後ろから軽めの頭突きをしてくるギリーの頭を撫でながら、ドルーウの巨躯を見上げて笑って見せた。
「クエスト達成、っていうのかな」
『正直、驚いている。見事な手並みだった……感謝する、彷徨い人よ』
「一人じゃなかったからね。頼まれ事はこれで完璧だと思うけど、どうかな?」
『心よりの感謝と共に、約束の晶石を贈らせてもらう。よろしければ、用事があると言っていた砂竜への案内を請け負おう』
「ありがとう、助かるよ。泉とか、あればそれも教えてほしいかな」
『ああ、気が利かずにすまない。こちらだ――』
ドルーウの案内にギリーを撫でながら頷いて、雪花や弥生ちゃんを振り返る。2人とも何となく話の内容は察したらしく、頷いて自分と一緒にドルーウについていく。
血と砂の海を踏み越え、横穴を潜った先は小さな行き止まりの空間だった。横の岩盤に開いた穴から、さらさらと流れる透明な水――。
「――水?」
『この先の小さな横穴の先では、火の精霊と水の精霊が同居している。その為、温水がでるようになっている。他の場所にもこのような場所はいくつか存在するらしいが』
ドルーウの言葉を聞くまでも無く、弥生ちゃんが泉に駆けていって小さな手を差し入れる。ちゃぽん、と軽い音と共に湯が跳ねて、彼女は嬉しそうに温かい、と微笑んだ。
「すごく温かいこれ。狛ちゃん一緒に水浴びしない?」
「え゛? え、ああ。えーと、いやでも、そういうのは……っ!」
そういう発言がさらりと出てくるということは、弥生ちゃんは自分を女だと思っているのだろう。確かに外性器は女だが、中身まで完全にそうかと聞かれれば、そうとも言えない曖昧な立場な自分としては、心臓に悪いセリフだった。
「えー、良いじゃない」
「い、いやここそんな広くないし! 一人ずつのがいいと思うんだよ!」
歪な自分の身体を見られたくない、よりも、可愛い女の子の裸体、の方が脳裏にチラつき、全力で首を横に振ってその提案を却下する。鼻血なんてVRだから出ないと思うけど。思うけども。
自分はギリーと入るから、とそそくさとギリーの後ろに隠れれば、ギリーも心得たように身体と尾で自分を隠してくれた。
「そういうわけだから!」
「えー、洗いっこしようと思ったのに」
「あ、じゃあ俺は?」
「雪ちゃんは嫌。私まだ、緊急停止コード見たくないもの」
ばっさりと割り込んできた雪花を断り、弥生ちゃんはふん、と不満げに鼻を鳴らした。レディファーストだから、と一番を進めれば、しぶしぶ着替えの入ったリュックを雪花から受け取った。
「じゃあ、行ってくるけど……」
「はいはい、いってらっしゃい」
「ちぇー」
そう残念でもなさそうに雪花がぼやき、ようやく納得した弥生ちゃんを置いて横穴を出る。入り口は中立の立場であるギリーが塞ぎ、雪花も自分も血と砂に塗れたまま鉄錆臭い空間にぽつりと立つ。
「……」
「ボス、気になるなら覗きくらい……」
「気になってない! 別に気になってないから!」
横穴から響く楽しそうな鼻歌に反応してるだけで、別にそういうのじゃないから、と必死になれば、逆に雪花は嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ははーん? 意外とボスも俺のこと笑えないわけだ?」
「いや、違う。断じて違うんだ。そりゃ確かに、いやでも、いや違うんだってば!」
ちょっと動揺してるだけなんだ。別にそう、洗いっことか想像したわけじゃないし、別にそんなこと欠片も考えてないし、思春期は女の子として育てられてたし、いや興味が無いわけじゃないんだけれども、と言い募れば、雪花はやっぱりね、みたいな顔で頷いて見せる。
「――やっぱボス、どっちでもないよね?」
「――お前、デリカシーとかないわけ?」
がっ、と襟首を掴んで軽く持ち上げれば、雪花は若干苦しそうに呻いただけで、良い笑顔で謝罪をする。
「ごめんなさい?」
「謝る気ないなお前」
「あるある、下ろしてってば。そりゃ、ボスは気にしてんのかもしれないけど、俺は気にしないし、ね?」
不意に、妙に優しそうな声色で雪花がそう嘯く。薄い橙色の瞳に映る自分が、思う以上に不安そうな表情をしているのを見てしまい、思わず掴んでいた雪花の襟首を放した。
こほん、と小さく咳き込みながら、よろめいて喉をさする雪花はおどけた笑みで肩を竦めて見せる。
「大丈夫だよ、ボス。俺はそんなことぐらいで、いなくなったりしないって」
「当たり前だ。雇ってるのに消えられてたまるか」
間髪入れずにそう返せば、雪花はきょとりと目を丸くして、それからぽつりと言う。
「――そりゃそうだ」
何もかも見透かしたように微笑む雪花にゴーレムの破片を投げつけながら遊んでいれば、鼻歌を歌いながら汚れを落とし終わった弥生ちゃんがスキップしながら現れて、すぐにその笑顔をしかめ面に変化させる。
「血生臭い! この空間自体が最悪!」
「あー、そりゃまあねぇ」
これだけ巨大なモンスターの死骸が2つもあれば、そりゃ血生臭いだろうと雪花は苦笑い。しかもどちらも首を切られ、片方は完全に千切れているのだ。それはもう出し尽くす勢いで血は溢れている。
「血は流れ切る前に採取したからいいけど、他の部分はどうする? ボス」
「そうだな……それこそ、荷車が必要じゃないか?」
「言えてる。こんな大物、道具ないと持ち運べないわよ」
荷車が必要ということは、いったんエアリスまで戻らなければいけない、ということだった。それならば、と自分と雪花は目を合わせ、同時に諦めたように息を吐いた。
「……それなら、水浴びはしない方が道中、威嚇出来ていいだろうな」
「……賛成、だけどあー、この服もうダメかな?」
「洋服の血抜き承ります、っていうNPCがいるらしいから、それに頼もう。雪花、装備に問題は無い?」
「無いよ」
「なら、このまま砂竜に御挨拶だ。そのままエアリスに戻って、荷車を持ってとんぼ返り。いいな」
「私は別に良いけど……2人ともそれでいいの?」
ものすごい血臭だけど、という弥生ちゃんのお言葉は尤もだが、ある程度高位のモンスターの血液、というのはどうやらモンスター避けになるようだし、見た目でPKプレイヤーを威圧する効果もある。
どのみち、砂竜モドキの死体を運ぶ際に汚れるならば、今汚れを落とす意味は然程ないのだ。
「掲示板が賑わっていいんじゃないか?」
「狂犬、またも血塗れ! ってタイトルで? ひゅう、やるぅボス」
「黙れ。番犬は仕事をしろ。他の個体が出てきたらまた狩らなきゃいけないんだ。邪魔なものは叩き潰す」
装備の点検を怠るな、と言いながら雪花の肩を叩き、ドルーウに視線を向ければ恭しく頭を垂れ、こちらへ、と歩き出す。
砂竜の住まう場所は洞窟の奥深く。決して短い道のりではないのだから、気を緩めてはいけないのだ。
「さっさと済ませて帰るぞ」
「そうね。ちゃんとしたお風呂入りたい」
「いぇっさー、ボス」
暗がりへと歩を進めながら、自分はホルスターから愛銃を抜き放つ。視界の端で服から滴る砂竜モドキの血が落ちていき、砂に染みて消えていった。
振り返れば背後に広がる空間に横たわる、砂竜モドキの巨躯。胴体から跳ね飛ばした頭が逆さのまま自分を射抜き、その目に小さく笑みをこぼす。
「――うん、まあ……楽しめたな」
笑みの形に歪む口元を血塗れの手で押さえ、自分は静かにドルーウの後に続いた。