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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
1:Under Ground(意訳――目に見えない仄暗い世界)
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第三十二話:襲い来る大自然



第三十二話:襲い来る大自然




 空は橙。空気は淀み、異臭のする森の中は妙に粘つく空気が満ちていて気持ちが悪い。“はぐれ”のドルーウの案内と共に、中規模の森に踏み込み早1時間。


「……のんちゃん。ごめんなさいは?」


『ごっめーん。道間違えちゃったぁ。ここどこだっけ……黒いの知ってる?』


『ここらは私の縄張りではない』


『あっはー、やうやう。ごめんね、あは』


「……」


 一面の草原、改め、不気味な泡でも立ちそうな灰色の沼地なう。


「期待したのが間違いだったのか……いや、ジョセフとかギリーみたいなのは貴重なのか? モンスターってのは、みんないい加減なものなのか?」


 呑気だからのんちゃん、と呼んでいるドルーウは、くるりと首を傾げてごめんなさいと自分のわき腹に鼻先を押しつける。しかし、普通の犬のサイズなら可愛らしいであろうその動作も、競走馬よりも巨大なリカオンもどきがやれば、感想は同じではない。


 顔を近づけてきたその顎をひっつかみ、両手でぎりぎりと締め上げればひゃいんひゃいんと悲鳴が響き、少しだけ溜飲を下げるも呆れのほうがまさっている。


「……狛ちゃん、大丈夫?」


「ダメですね。迷子です。本当に申し訳ありません」


「あちゃあ……やっぱりかぁ」


 異臭がし始めたあたりから覚悟はしてたけど、と言うルーさん達に頭を下げるも、はっきりいってどうしようもない。


 完全に迷子、迷子。まともな地図の入手が難しい現在、はっきりいってこんな曖昧な位置把握は無駄でしかない。

 森の名前がわかっても、細かな道はわからないのだ。頼りになる筈のモンスターはこの体たらく。まったくもって使えない。


「地図の見方があっているのなら、おそらく此処は“トート沼地”ですね。道案内はあっているといえば、あってます。これだけ危険が満載の森の中なら、待ち伏せするプレイヤーはいませんからねぇ」


「ニコさん。それって相対的に見て、待ち伏せの方がまだマシって状況じゃありません?」


『安全な道が思い出せないだけなんだよぉ? ちゃんと群生地までの道は覚えてるんだよぉ? ただぁ……』


「ただ?」


『沼地を突っ切らなきゃいけないってだけでぇ』


「のんちゃん。沼地、ダメ。危険いっぱい。人間の道じゃない」


『やっぱりぃ? やーう……でもこの沼、迂回すると結構かかるよぉ? 夜の間は嵩が増えるから、余計にかかるの』


「この沼、迂回すると結構かかるらしいです。どうします?」


「考えるしかないだろうね。打開策に1時間以上かかるようなら、素直に迂回路を選ぼう」


「俺は微妙に見えねぇんだが、なんかヤバそうだな」


「あんらく君、ほら。すごいよこの沼」


 フベさんが沼の縁に手を近づけ、淡い光が辺りを照らす。柔らかな光に照らされた沼の色は灰色で、生臭いような異臭がした。

 湖と見紛う規模で広がる灰色の沼。森の中にぽっかりと穴をあけているそれは“トート沼地”というらしく、エアリス近くにある有名な沼だという。


「襲い来る大自然、ですか。良いですねぇ。ドルーウ君もモンスターっぽくていいじゃないですか。ハプニングは大事ですよ」


「実際、待ち伏せは回避できたんだしね。とりあえず渡る? いや、迂回する方が早いかな」


「あ、ルーさんはフィニーちゃんに掴まって渡れるじゃないですか。あ、フィニーちゃんに順番に運んでもらったらどうですか? 自分はギリーに乗って行けますし、道案内もいますから」


 一応、道は忘れてないっていうんで、と提案すれば、ニコさんがそれが一番いいですかねー、とそっと手を振る。


 取り出したノートにはスクリーンショットと共に、付近の動植物の生態をメモしているらしい。近々、地域別にモンスター図鑑を作りたいと言っていたが、かなり本気な様子である。


「そうだな。飛んで行くのが一番じゃね? どーせ、沼の中にわにとかいるんだ――」


 ろ、という言葉はあんらくさんの喉に飲み込まれ、永遠に上がってはこなかった。


 轟音と共に突如上がった泥飛沫に、伸び上がる泥の塊。細長く巨大なそれが濃い鉛色であることを認識し、次にそのずらりと並んだ牙の白さに目を奪われる。

 白い牙が薄暗い中できらりと閃き、そこに引っかけられている5本の棒に呆然と目を見開く。


「ッ――あんらく君ッ!」


「るせぇ! 良いから下がれジジイ!」


 ずぶずぶと、灰色のタールのような水面に沈んでいく“それ”を少し遠目に見送って、ようやくギリーが唸り声を上げながらとびすさったのだと理解する。


 未だにこの目で見てしまったものが信じられず、慌ててあんらくさんを振り返れば、思わず貧血をおこしかけて目眩がした。


「腕が――ッ」


「テメェが一番取り乱してどーすんだよ! 指揮を執れ!」


「ッ、みんな下がって! 泥の中でだけ索敵に引っかからないようだから、沼と距離をとって各自警戒体勢! ニコさんとアンナさんは特に下がって!」


 あんらくさんの、腕が食われた。左腕の肘から先ががっつりと抉られて、そこから溢れ出す命の色。吹き出す赤色にアンナさんが冷静に対処。自分の腰ポーチから軟膏を取り出して、即座にあんらくさんの腕の断面に塗りつける。


 灰色の沼に沈む一瞬に見えた5本の棒――あんらくさんの指が、未だに目に焼きついて離れない。腕が千切れた。ぼかされて、異様に嫌悪感を抱かない断面だったことにこそ、逆に猛烈な違和感と胸焼けを覚えて喉がひきつる。


「ギリー! 狛ちゃんのこと頼んだよ!」


『それは死亡フラグって言うんだぜ、ルー』


「アレン、君も下がっ――!」


 ルーさんの発言に鋭くつっこみを入れたアレンが1歩前に出て、みんなより前に出て応戦しようとしていたルーさんの襟首を噛んで後ろに放る。


 痛みに呻きながらも獰猛に歯を剥くあんらくさんの脇に乱暴に転がされ、ルーさんが文句を言おうと顔を上げた時だった。


 巨大、巨大な顎。濃い鉛色の外皮は泥にまみれてのことなのか、それとも地色のものなのか。


 泥色の中で、異様なほど光る白。赤い口腔を直視してしまい、生物としての本能が悲鳴を上げて逃げようとする。手足が震えるのを責められない。食われる恐怖は、生き物が持つ最も根源的な恐怖だと知る。


 勢いよく水面を突き破って現れた巨大な顎が、大きく開かれたまま静止する。一瞬の停滞。妙な静寂を間に挟み、大きく息を吸うような風音に硬直する。


 ――ゴォァアアアアアアアアア!!


 ――オォオオオォオオ!!


 泥の中から、咆哮。


 衝撃を伴う大音響の叫び声を、躍り出たアレンの咆哮が迎え撃ち相殺そうさいする。大声と大声をぶつけ合わせただけにしては余波が酷すぎて、双方共にスキルによる“攻撃”であったのだと理解する。


 腰に吊された銃に手を伸ばそうとして、急に自分が持っている武器が、ちゃちな玩具のような錯覚に陥った。こんな小さな銃と弾で、あんな巨体にダメージを与えられるのか? いや、無理だろうという結論を弾き出した脳は意外と冷静で、即座に銃から手を放して震える喉をぐっと押さえる。


 自分はなんだ? 見習いとはいえ、魔術師だろう。


「――“あけの色 精霊の色 火の精霊と見紛う色”ッ」


 弱さに震える自分ではない。愉快犯ごときに怯え、うずくまる自分はここにはいない。自分は――。


「“猛火の線を繋ぎ巡らせ 力を得て炎上せよ”!」


 自分は、


「【フレイム】!!」


 魔術師、“狛犬”だ。


 ごう、と炎が吹き荒れる。朱の色をした塊が、炎より赤い口腔へと叩き込まれる寸前に、敵も素早く顎を閉じて水中に逃げおおせる。

 灰色の水面を朱が走り、炎の線が沼地に流線を描いて消える。空が赤く不気味に焼け、そんな風景の中をゆっくりと浮かんでくる巨体に誰もが息を呑む。


 背中と鼻先を水面から現して、ゆっくりと動きを止めるその生き物を注視する。ごつごつとした背中から、灰色の泥がゆるりと落ちて、その地色を露わにする。


 濃い鉛色は本来の色なのか、鼻先だけがうっすらと白い。腹にかけて続いていると思われる白色も、その巨体の圧迫感を軽減するにはまだ足りない。


 寒気がする色合いの中、恐竜のようなごつごつとした突起がぶるりと震え、泥をはね落として鼻先からは呼気が漏れる。

 閉じていても覗く白い牙、鱗に覆われた全身がじわじわと水面に浮かんでくる。7~8メートルはあるだろうか。沼の中に沈み、見えない尾の部分まで想像すれば、その全長にも予測がつく。


「大、物ですよぉ。目撃数の少なさの割に、沼地での被害が多かった理由がわかりました。水冷系モンスター、クロコダイル科――!」


 ふしゅう、という音と共に水と泥を吹き上げて、ぎょろりとした黄色い瞳がやけに正確にこちらを捉え、寿命が縮む思いで逆立つギリーの毛を掴む。


「――『陸鰐りくわに』です!」


 水冷系、クロコダイル科、『陸鰐』。道中、ぽつぽつと説明を受けたモンスター達の中でも、一際、危なげな響きを持っていたその名前。

 水辺に暮らす鰐であるにも関わらず、何故その名に陸の一文字が当てられたのか。それは――、


「陸鰐は地上での移動スピードも洒落になりません! 全員は逃げ切れないので、誰か囮の断末魔を聞きたくないのなら撃退を提案します!」


「ニコさん、それどれだけ無茶かわかって言ってる!?」


「ルーさん、有効打はありませんか!」


「物理攻撃が効くように見えるの!? あの鱗だよ!?」


 ただでさえ僕は急所への一撃必殺に特化してるせいで、盾とかと真っ向勝負するスタイルじゃないんだよ! という叫びの通り、ルーさんは剣士というアビリティの特徴としてだけではなく、真っ向からの力比べが苦手なのだ。


 力でねじ伏せるスタイルではないからこそ、木の棒という武器をまともに扱えているのだし。ルーさんにあの堅そうな鱗を突破しろ、というのは流石に無茶というものだろう。


 かといってパワータイプのあんらくさんは負傷中。いや、たとえ無傷であったとしても、あの鱗を突破できるようには思えない。

 下手に突っ込んでいって反撃されたら、それこそ一撃で死に戻りである。


「魔術は多少効くでしょうか? 効く自信はないですけど、避けたということはまだ望みがあります」


「狛ちゃん、でもそれ当たるならの話で――ッ来るよ! 散開!」


「チビ! 【遠吠え】撃って! 他の子はみんなの移動のサポートに、回避を優先して!」


『あいっ!』


『おっしゃー! こいやー、鰐ヤロー!』


「リクッ!」


『あんらく、だいじょうぶかー!? 今、助けるぜー!』


 サポートに回れと言ったにも関わらず、陸鰐に向かっていこうとしたリクを一喝。アレンの代わりにチビが向かってくる陸鰐の前に踊り出て、その小さな身体には似合わない大音量で真正面から吠えたてる。


 【遠吠え】の効果によって硬直した隙をつき、チビとトトが2頭で攪乱。身体の小ささを生かした立ち回りで、絶妙に陸鰐を苛立たせる。


「リクはあんらくさん! アレンはニコさんとアンナさんを連れて逃げて! ルーさん、フィニーちゃんは!?」


「ダメだ! 怖がって降りてこない!」


『じゃじゃーん、ルーシィちゃんの到着だよー……って、何ですか!? 『陸鰐』って、こんなの勝ち目ないじゃないですか!』


「ルーシィ、なんて間の悪い子!」


『主、弱点は目だ』


「よし、『デザートウルフ』で――! って当たるか! 銃のスキルだってまだ判明してないってのに!」


『目を潰せば逃げきれる可能性がある。でなければ囮が数人必要だ』


 逃げる為だけの活動って虚しい、とか思いつつ、でもギリーの言うことは間違っていない。先程の速度で森の中を走れるというのだから、ギリー達に乗っていても逃げきれる自信がない。


 もう、これだけ巨大な鰐となると、仕留めるとかの次元ではない。どうしたら逃げきれるのか、寧ろ一番遭遇しないように気をつけるべき存在だったんじゃないかと思う。


「それもこれも、のんちゃん! 責任分は手伝いなさい!」


『やぁう、良いけどぉ。流石に陸鰐こわーい』


「木の上でぷるぷる震えてんな! そろそろ折れるから降りてきなさい!」


 その巨体でそんな小さな木に登るんじゃない! と一喝し、軽やかな身のこなしで降りてきたのんちゃんの使い道を考える。ダメだ、使える気がしない。


「直球で聞こう! 何が出来る!?」


『えへへー、いろいろぉ』


「具体的に! 何か陸鰐に効きそうなものは!?」


『うぅーん、湿気が多すぎるからアレはダメ。これもダメ。あれ? 僕、役立たず?』


「のんちゃんの役立たず!」


『主、私が繋いでサポートする。手伝え、“はぐれ”』


『黒いの、頭いーのにリーダーシップないもんねぇ。いいよー、別にぃ』


 今の一言は余計な一言だったんじゃなかろうかと、思った時にはギリーは既に動いていた。


『――【呑砂どんさ】』


 ギリーの短い一声と共に、突如、のんちゃんの腹の下で細かな砂が溢れ出し、その巨体を呑み込んで沈めていく。それに共鳴するように、のんちゃんもぐっと肩をいからせて、大口を開けて首をたわめる。


 その様子は、さながら竜がブレスでも放つ前の動作と同じで、たわめた首の筋肉が静かな衝撃に震えている。

 さらさらと粉のような砂も震え、共振するように逆巻きだす。


『少し後に“はぐれ”が動きを止める。主、後は頑張ってくれ』


「ルーさん! ギリー達が動きを止めてくれます! 一か八か目を狙いましょう!」


「よし左目任せた!」


「ギリー!」


『承知した、主』


 心地よい声と共にギリーが頷き、陸鰐の左側に上手く回り込む。

 ふとあんらくさん達が心配になり目を向ければ、リクとアレンが対処してくれていた。未だに腕は痛むようだが、戦いに参加しようとして押し止められているらしい。


 何故、そこまでして痛みのセンサーをOFFにしないのかはわからないが、それが彼なりのポリシーなのだろうか。ならば、突然襲いかかってきた陸鰐の攻撃から、普段喧嘩の絶えないルーさんを庇ったのも、また彼なりのポリシーなのか。


「……試し撃ちで、当たったらラッキー」


 わからない。全くもってわからないが、今はみんなで生き残るのが目的だ。

 サイ・ホルスターから銃を引き抜く。『三十六式オートマチック:デザートウルフ』は手によく馴染み、吸い付くような手触りでもって自分の大きな手に収まる。


 昔はこの手も嫌いだった。女のはずだったのに、女でもあり、男でもあると言われた空虚な理不尽。

 生理が来ないからと行った病院で、両性だと告げられた時の現実味の無さ。どっちつかずが自分なのだと、納得するまでのあの虚しさ。


 悲しかったわけでもない、辛かったわけでもない。ただ事実だけがふわふわと揺れて、虚しさだけが募っていた頃。

 そんな頃は嫌いだったこの女にしては大きな手も、今では少しだけ好きになれている。


『主、止まるか?』


「いや、スキルが出るかどうかの確認だから、動いてていい」


 段々と慣れてしまった騎乗の感覚。片手で掴まるだけで安定するようになったそれは、戦いの場にてその真価を発揮する。

 落ち着いて深呼吸。安全装置を外してゆっくりと構え、照準を合わせて狙い撃つ。


 パン、と軽いような重いような音がして、かつりと尾の一部に当たるも全くダメージにはなっていない。

 撃たれたことにすら気付かない程度の威力しかないことに愕然とするも、すぐにぴりっと頭に刺激が走って気をとりなおす。


「きたっ……!」


 新しいスキルを習得しました、と表示が出て、逸る気持ちでそれをタップ。

 一覧に目を通し、どのように使いこなせるかを考える。ルーさんが無言のまま、目を細めて木の棒をすっと構えたのを合図に、のんちゃんが動き出す。


 その震えが止まり、ぶわりと毛を逆立ててぴたりと静止。ぎりぎりと筋肉が軋む音がして、ギリーがもう少しだと伝えてくれる。

 銃を構えて緊張に固まる中、そういえばフベさんはどこに行ったのだと顔を上げれば、後ろの木の影からひょっこりと銀髪が飛び出した。


「そろそろですかね?」


「……フベさん、今までどこにいたんですか?」


「避難ですよ。僕は知能派なんで、基本動かないんです。真正面から行ったら避けきれないじゃないですか」


「インドア魔王なんですか。性格の悪い方の悪の親玉なんですね」


「そうですね。イメージはそんな感じで。椅子にふんぞり返って言葉1つでマッチョを葬るんです。素敵ですよ」


「手伝ってくださいよ」


「……いいでしょう。切り札は切れませんが、お手伝いはしますよ。そうですね……のんちゃんは乗せてくれるんですか?」


「多分、無理でしょうね。ギリーに乗ってください。……ギリー」


『承知した』


 チビとトトで陸鰐の気を引くのも限界だ。疲れが目立ってきているし、これ以上時間をかければ逆にやられてしまうだろう。

 のんちゃんもまだ少しかかるというし、今のうちに一撃を入れた後を考えなければいけないのだ。


 フベさんを引っ張り上げてその背に乗せつつ、ギリーが陸鰐の尾をすれすれでかわしてみせる。大きく揺られながらも小さく拍手をしたフベさんが、にやりと笑って陸鰐を見る。


「急所に一撃叩き込んだ隙に逃げるんでしょう?」


「勿論です。勝ち目がありません」


「なら、急所に一撃入れた後には物凄い勢いで暴れるでしょうから、僕が抑えてみせましょう。手負いの獣に殺されたくはないでしょう?」


「そんなことができるなら最初からやってくださいよ」


「抑えるといっても一瞬ですよ。タイミングが合わなければ、追いつかれてバッサリです。意味、わかりますね?」


「……一瞬を重ねてやっと、って意味ですか」


「その通り。さあ構えて、準備ができたみたいですよ」


『主、“はぐれ”が動く――!』


「チビ、トト! 下がってそのまま逃げて!」


 チビとトトが即座に下がり、邪魔をするものがいなくなった陸鰐が、獲物を探して頭をもたげる。

 視線は巡り、1点で止まる。砂の海に埋もれた巨大なドルーウ。その巨体だとて、陸鰐と比べれば半分にも満たない大きさだが、最も危険な獲物として陸鰐はのんちゃんに牙を向ける。


 ガチガチと牙を噛み鳴らし、穏やかさをかなぐり捨てたのんちゃんは凶悪な顔で舌を出す。

 荒い呼吸と共に牙を剥いて、砂を振動させながら陸鰐と視線を合わせ、彼は吐き捨てるようにこう言った。


『やーう、煩いんだよ爬虫類』


 ガチリ、ともう一度。牙を噛み鳴らす音と共に、のんちゃんが埋もれていた砂の海が動き出す。

 大量の砂が細かく震え、のんちゃんの笑声と共に陸鰐を呑み込んでいくのは壮観だが、こちらとて余裕はない。新たに手に入れたスキルの1つ。それのスペルを指でなぞり、そっとステータスを消して前を見る。


 いつでも駆け出せるように足を踏ん張るギリーの上で、両手で銃を構えて左目を狙う。

 次々と溢れていく砂に埋もれ、その動きを鈍くしていく陸鰐の左目は、巨体に似合わない小ささだ。普通にやれば当たらない。そんなに距離が離れているわけではないが、動かない的だとしても、今の自分に当てられるとは思わない。


「……【ピープサイト】」


 スペルを唱え、スキルを発動。

 赤いもやが円を描き、右目の部分にだけ輪を作る。左目を瞑って覗きこめば、銃口が向けられたその先がはっきりと浮かび上がる。

 目の位置と銃の向きはバラバラだが、ライフルのスコープを覗いたようにはっきりと弾道が予測できる。


 単純な照準だけでは精度が劣るという部分を補うための、補助照準スキルだが、劇的なものではない代わりに安定感がしっかりとある。

 着弾予測地点が光るわけでも、弱点を示すわけでもないが、円で囲むだけで随分と狙いやすくなるものだ。


 ぐぐぐ、と抵抗する陸鰐の動きが、緩やかに止まっていく。

 慌てながらも照準を合わせるが、砂に埋もれて止められたというよりかは、どこか違和感を覚える動き。まるで、飛び上がる前に膝をたわめる準備のような――。


「――ッ、ルーさん! 下がって!」


 嫌な予感は、大体当たる。動きが止まった陸鰐に一撃を入れんと、構えたルーさんに叫ぶと同時に、その巨躯がバネのように砂の海から跳ね上がる。


 巨大な鰐とは思えぬほどの跳躍力。尾を使い、全身をくねらせて、空に向かって跳び上がって砂の塊から脱出した陸鰐に、全員がぽかんと目を丸くする。


 砂が瀑布(ばくふ)のように落ちていく中、その紗幕しゃまくを隔てて背筋がぞくりと冷える感覚。

 その巨体が砂のカーテンに紛れて消えて、次の瞬間にはフベさんに警告する間もなくギリーが即座に飛び退いた。


 地面の揺れと共にそれなりの太さの木がめきめきと食い千切られ、ひきつる声を振り絞って指示を飛ばす。


「のんちゃん、ルーさんくわえて走って! ニコさん達を誘導して避難!」


『やぅ、らじゃー』


 ぎりぎりで振り落とされなかったフベさんと共に身を固くし、一瞬前まで自分達がいた部分を見て青ざめる。

 見てない、見てない。抉れた地面なんて見てないし、こっちをガン見している鰐も見えない。


 のんちゃんに指示をしてルーさんを避難させたはいいが、自分達が囮になる気は毛頭ない。

 しかし、全員が逃げ切るには自分とフベさんの協力は必須だし、今背を向けて逃げ出せば、確実に自分達かニコさん達、どちらかがその大顎の餌食えじきになる。


 最初はルーさんが目を潰してもいいと思っていたのだが、先程の動きを見て完全に考えを改めた。

 あれでは接近して目を潰したところで、次の瞬間にはミンチになるのは確実だろう。


 ならば、この場で唯一まともな飛び道具を持っている自分がやるべきだ。

 近付けば死ぬ、と思って対処するべきものと判断。それほどまでに陸鰐というモンスターは驚異であり、まともな戦闘になるほど自分達のレベルも高くない。


 ジグザグに逃げるギリーにしがみつきつつ、命の危機に晒されているフベさんと共に溜息を1つ。

 目に付く場所にいるただ1つの獲物、つまり自分達をめがけ、陸鰐は大口を開けながら容赦なく迫り来る。もはや怖さを通り越して、妙にハイな気分になってきたのだから面白い。


「……当たると思います?」


「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、って言うじゃないですか」


「それもそうですね。当たるまで撃ちましょう」


 うん、それしかないな。という結論のもと、しっかりとグリップを握りしめる。めきめき、ばきばき、背後から破砕音と共に追ってくる巨大生物を振り返り、牽制のために1発撃ち込む。


「――フベさん! いくら撃っても当たる気がしません!」


「頑張ってください。ギリー君の体力が尽きる前に当てないと、仲良く一緒にお陀仏ですよ」


「魔王と心中なんて嫌です!」


「心外ですね。あ、ギリー君、来てますよすぐ後ろに」


『主、どうにか当ててくれ!』


「ギリー、左から尻尾も来てる!」


 背後から飛びかかってくると同時に、左側からその長い尾が鞭のようにしなりながら迫り来る。知能が高い大鰐とか絶対いらない、と運営を恨みつつ、勢いよく地面を蹴って右に逃げるギリーの背中にしがみつく。

 流石にこんだけがっくんがっくん揺れていれば、銃を構える余裕もない。


「フベさん役に立ってくださいよ! 魔法系でしょ!?」


「こんな汚れた空気の中だと本領発揮できないんですよ。準備はしているんですけどね、そろそろ少しはいいですかね」


「とにかく少しは牽制しないと! 狙うどころか撃てませんよ!」 


「では、“精霊術師”として1つ手品を」


 そう言いながらポケットに手を突っ込み、取り出したのは小さな宝石。小指の爪ほどの黄色の宝石を手に、フベさんが身体を捻って背後に投擲。

 真っ赤な口腔に吸い込まれていったそれを見送って、悪い笑みと共にゆっくりとした詠唱を開始する。


「“……魔力を喰らいて……精霊よ集え”」


「もっと早口でやってくださいよ!」


『あああ、相棒! “精霊術師”の詠唱は短縮詠唱がメインですが、その性質上どうしても詠唱の速度はゆっくりになってしまうんですよ!』


「なんだって!? “精霊術師”使えねぇ!」


 ていうかルーシィったら逃げてなかったのね、と嬉しくなるも、使い勝手の悪そうなアビリティに焦りが募る。

 ギリーもそろそろ限界のようで、舌を出しながら荒く息を吐く様子は見ていて可哀想なほどだ。


「ギリーっ……頑張れ!」


『……』


 声を発する余裕もないのか、無言のままギリーは必死に陸鰐の攻撃をかわしていく。


「“いかずちよ……撃て”」


 フベさんがゆっくりと唇を動かし、陸鰐にその手のひらを向け、最後のスペルと思われる言葉を呟いた。


「【ブレイク】」


 その瞬間、後ろを振り向いたことを後悔するほどの衝撃と共に、暗い森が真っ白に塗りつぶされた。

 空気が焼けそうなほどの紫電が走り、陸鰐の姿を見失う。焦げ臭いにおいが立ち込めて、ギリーが不愉快そうに唸りを上げる。


 身を捩って自分が引き起こした惨事を見据えるフベさんと、荒れ狂う陸鰐の声。その両方に戦慄するばかりの自分は、フベさんの横顔を見て一瞬で後悔した。


 陸鰐の怒号を一心に浴びて、その光に照らし上げられたフベさんの横顔は――。



 ――悪鬼の如き、凶相だった。



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