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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
9:Under Ground(意訳――朝駆けの徒)
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第二百九話:グリッチレス・スピードラン



第二百九話:グリッチレス・スピードラン




 轟然とした赤い竜の襲来に、にわかに港町に砂と熱波が舞い踊る。ここは南端ログノート。南の果てにつくられて、今や悪漢共の襲撃を受け、廃れにすたれた港街。

 すでに守りの銀幕は消えさった統括ギルドのすぐ目の前。蜜蜂の襲来により、無かったはずの広場ができてしまった空間に()し、炎を宿す竜――赤竜トルニトロイは短い角を振立てて嬉しげに吼え猛る。


「どうだ、セリア! お前が呼ぶから仕方が無く――」


「――Shh……」


 しかしその荒ぶりは――そっと唇に指先を当てた、セリアの静かな吐息によって(さえぎ)られることになる。

 トルニトロイの青い目に一瞬の不満。けれどすぐさまセリアの気配に強い圧を感じたのか、くるるるるる、とこもった唸りを上げつつもこうべを垂れる。


 その様を見て、猛る赤い竜の襲来に猛然と抗議の声を上げようとしていた虹色の竜もまた、同じような動きでセリアを覗き見た。そのままじりじりと後ずさり、フェルトダンパは静観の構えをとる。


 ――……朝焼けに(きら)めくログノートの中心地で、優男が竜を(はべ)らせただじっと立っている。


 黒灰色の瞳は()いでいて、その美貌は血肉で出来ているにも関わらず、どこか硬質で金属のようだった。

 先に雰囲気と吐息だけで黙らせた赤い竜は、そんな男の横顔をそっとうかがうようにのぞき見る。半月前ならば偉そうに、と。爪を振るい、腕の一つでも裂いているところだが今は違う。


 ニブルヘイムに負けて以降、トルニトロイにも様々な冒険があった。かつて砂竜に言われた通り、互いに互いを尊重することはないが、わずかな歩み寄りが始まっているのは間違いない。


 それでも調子に乗りやすい気性は相も変わらず、独断でニブルヘイムに突っ込んでいって二度目の敗北を味わったのは遠くない日の出来事だが、それゆえにトルニトロイも学習した。


 絶対に勝ちたい時はセリアと共に戦うべきだ、と。


 それは九割ほど打算による結論だったが、トルニトロイとしては快挙と褒められるべき結論だったし、実際ポムやノアにはとても偉いと褒められたものだった。


 だからこそ、トルニトロイはじっとセリアの指示を待つ。踏みならしたい足をとどめ、吐き散らしたい炎弾を呑み込んでみせる。

 それで敵に勝てるなら、そうしても良いと思えるようになっていた。都合二度の屈辱的な敗北が、トルニトロイにそう思わせた。



 そしてセリアこそが、トルニトロイのその思考を誰よりもよくわかっている。



 絆なんか必要無い――別に心からそう思っているわけではない。もう少し対話するべきじゃないか、と助言を受けたことも一度や二度ではない。ただいつも、その労力に見合うだけの情動(じょうどう)が無い。


 何かを決定的にかけ違えている。歩み寄るべき道を逆走しているような、そんな予感はいつもあった。けれど立ち止ってふり返ろうと思えるだけの()()()()がない。


 なにせ関係の始まりからして、感動的なことは一切ない間柄だ。互いに運命を感じて選んだ相手ではなく、互いが互いの言葉の真意を理解し得ない。


 わけがわからず。理解もできず。理解する気にもなれない。だからいつも――()()()()()()()()()()()()()


 だからこそ。必要な時に必要なカタチであればいいと、すでにセリアはそのようにトルニトロイを切り捨てていた。


「……」


 どこか致命的な予感のするその諦観(ていかん)を無言のままに呑み込んで。


 荒い息をようやっと落ち着かせたトロイの額に、静かにセリアの右手が伸びる。接触の予感に、風になびく草原くさはらのように竜の鱗がさざめいた。


 絶対強者の竜とて、頭は急所だ。パートナー以外に触れさせることは無く、裏を返せばそこに触れることを許すことこそが、わずかながらの信頼の証立てに他ならない。

 黒の革手袋に包まれた指先が、なだめるように堅牢な頭蓋を覆う深紅の鱗の一枚をなぞり――……トントン、と二度ほどそれを叩いて離れた。


 いでセリアは公園のベンチにでも腰掛けるような気軽さで、ひょいと低い姿勢を保っていた竜の首に腰掛ける。あまりにも自然な動作で、その様子を見ていた誰もがそれを攻撃的とは思わなかった。


 瓦礫の裏側からセリア達の様子を(うかが)っていた蜜蜂も、意図(いと)は分からずとも身構えることは無かった。わずかばかりに目を細めては開いてセリアの意図を読もうとするが、見当がつかずに待機を続けようとしたその視線の先で、深紅の竜が動き出す。


 主人を首にのせたまま、ぐうっと頭だけをそらせて天を仰いだトルニトロイ。その咽元(のどもと)が不気味にごぼりと膨らんで――次の瞬間、蜜蜂は見た。


 竜の大顎から放たれた煮え(たぎ)る溶岩が、まるで津波のように伸びあがりながら視界を覆い上げるその瞬間を。


「そっ……ンな無茶なことってあるのかなぁッ!?」


 赤い竜の瞳がひときわ強く輝いて、晴れ渡る青の虹彩に日差しのような煌めきがあったと思った時には遅かった。

 放たれたるは無差別な炎熱の津波だ。()にだけは聞いていた、セリアの奥の手の一つ。絶対強者たる竜に特有の、魔法ではない、モンスターとしてのただの特性から放たれる無慈悲かつ高威力の()()()()の無差別範囲攻撃。


 それは魔法による攻撃では無い分、セーフティーエリアにはじかれることが無い。勿論、セーフティーエリア内にいる存在にダメージは無いが、ダメージが無いことと、物理法則が働かないことはイコールではないのだ。


 この場合、質量をもった炎熱――溶岩は、このままいけば統括ギルドの壁を焼き溶かし、下手をすれば炎の津波に流されて中にいる一般人たちがセーフティーエリア外に押し出される可能性だってある。

 そうなれば流れ弾によって死に戻りの可能性が出てくる以上、普通の神経なら〝正義の味方〟としてとれる手段ではない。


 だから蜜蜂もそれはないと踏んでいたし、きちんと()()も立てていた。それこそ、わざわざ統括ギルドの目の前に陣取っていたのはそのためだ。

 蜜蜂の計算通り、建物を覆っていた絶対防御の銀幕はタイムアップによって消え去り、中にいる一般人を気遣わざるを得ない世界警察(ヴァルカン)は、彼らを少しでも危険に晒すような攻撃手段はとれないはずだった。


 だからこそ、蜜蜂は統括ギルドを背にして瓦礫の影に身を隠していたのだ。万が一にも竜や物理的な範囲攻撃を仕掛けようにも、その範囲から容易に逃れられるように。

 もとより範囲攻撃に弱いのは幻覚スキルなどの誤魔化し系スキルの宿命だ。なので他プレイヤーよりも対策は考えていた。いたはず。それなのに――、


 予想が外れて焦る気持ちを抱えたまま、しかし蜜蜂の肉体は冷静さのもとに動いていた。溶岩の範囲外への退避はこの距離では不可能。唯一の逃げ道は統括ギルドの中――すなわち、セーフティーエリアだ。


 滑るように後退し、蜜蜂はためらいもなく刃の(つか)で統括ギルドの窓ガラスを叩き割る。そのまま逃げるエビのように、後ろ向きで窓から統括ギルドの中に滑り込んだ蜜蜂は、迫りくる溶岩の津波に備えて身構え……同じように熱波が来るとパニックになりかけていた一般人たちと共に、見事な肩透かしを食らうことになる。


 衝突の瞬間。息を呑む全員の眼前で、炎の波は統括ギルドの壁にぶち当たることもなく、ふわりと勢いを殺して滑らかな水のように建物全体を避けていった。


 統括ギルドへの被害はゼロで、それこそこの溶岩の波はただの夢幻(ゆめまぼろし)かと思いきや、それは確かに実体として存在する〝炎〟なのは間違いなかった。


 それは、周囲一帯のあらゆる〝修復の余地の無い〟ものを燃やす炎。津波のように広がっていく溶岩に、転がる瓦礫も、折れた材木も、全てが燃やし尽くされていく。


 その炎は真実、どうにも助からないものだけを灰にした。転がる瓦礫、折れ崩れた建材や調度品。半壊し、もはや崩れかけた一階部分だけしか存在しない家屋。根本から折れて転がる街路樹に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()など――監視精霊によって、もはやすでに〝実用に耐えない〟と判断された製作物と、〝復元不能〟と判断された全てが燃え尽きていた。


 統括ギルドには炎熱による傷など一つもなく、周囲一帯は見事に丸裸と化す。想定外の事態だが、蜜蜂にとっては好都合。すぐさま思考が切り替わり、次策のために頭を回しながら手にした得物を構え直す。


 うって出る? いいや飛び出した瞬間に攻撃がくる。一度逃げて建て直す? いいやこれだけ更地にされちゃ紛れることはできない。人質を取って優位に立つ? それいいかも。セリア君もセーフティーエリアにまでは突っ込んでくるまい――……脳裏に飛来する数々の選択肢。


 方針が決まった流れのまま、蜜蜂は適応称号によって支配下においた5人の男達を統括ギルドに飛び込ませ自身の背後を守らせる。

 襲い来るマグマの波が霧散して(ほう)けていた一般プレイヤーたちが、蜜蜂と突然飛び込んできたPKプレイヤーたちに対して遅れて恐怖の悲鳴を上げた。


 罵声、怒声、悲鳴に混乱の叫び声。統括ギルドで避難していた一般プレイヤーたちがパニックを起こしてドミノ倒しになるのをちらりと見て、背後は〝人形〟5体で充分と判断を下した蜜蜂は落ち着いた様子でセリアとトルニトロイの様子を窺い見る。


 いま統括ギルドにいるそれなりの戦闘力を持ったプレイヤーは世界警察(ヴァルカン)の副支部長である〝pon〟と、守りに長けた〝月影〟くらいのもので、それでもスキルが使えない状態で格闘戦闘だけでやり合うのなら負けることなどありえないと蜜蜂は思っていた。


 だからこそ、彼は油断していたのだ。絶対安全な領域で、のんびりと次の作戦を考える暇があると、とんだ思い違いをしていた。

 けれども、もはやそんな時間は無いのだと考えを改めるべきだったのだ。〝討伐はタイムアタックが一番〟だと――セリアが、彼自身がそう明言していたのだから。


 さきほどの溶岩の波で、何が燃えて消えたのか。セリアの()()に何が増えたのか。思い出すべき脅威の存在に気がつけなかったから。



「…………みぃぃ――っっつばちぃぃぃ!!!」



 5人の男に守らせていたはずの背後から。絶叫のような男の獅子吼(ししく)を聞いて、蜜蜂の濃藍色の瞳が見開かれる。


 ――ログノートを占拠してより、何度も聞いた怒鳴り声。


 実直、真面目、正義感……と世界警察(ヴァルカン)でも有名な正義の男。ここ、ログノート支部を任されて、一度は蜜蜂を死に戻りさせたものの……。

 多勢に無勢で返り討ちにあい、手足を捥がれて傷口だけを治されて、自主的に死に戻りも出来ずに道端に転がされていた――……支部長〝アイノザ〟。


 メインアビリティ――〝上級拳闘士(プロ・ウォリアー)〟。スキル無しの格闘戦闘ならばテストプレイヤー内でも一位二位を争う実力者が。


「死に――晒せぇぇ!!!」


 淡い藤色の瞳をかっ開きながら、驚愕に固まる大男の顎に渾身のアッパーカットを叩き込む。


 勿論、セーフティーエリア内にダメージという概念は無い。いくら勢いがあろうとも。いくらアイノザの筋力と瞬発力がケタ外れていたとしても、その一撃に驚きの殺意が込められていたとしても……蜜蜂の体力(HP)が減ることはない。


 けれども。ダメージが無いことと、物理法則が働かないことは――イコールではない。


 アイノザ渾身のかち上げにより、2メートル越えの巨体は統括ギルドの窓から勢いよく宙に飛んだ。視界すら回る慣性に振り回されながらも、セリアとトルニトロイによる攻撃を警戒してすぐさま5人の〝人形〟を呼び寄せる。


 空中ではいい的になるだけだと――すぐさま〝人形〟に自身を掴ませ、強引に着地。〝人形〟をいつでも盾にできるようにしながら、蜜蜂は迷わずセリアに向かって走り出していた。


 もはや隠れる場所も無く、アイノザが復活した今。今度はこちらが多勢に無勢。この状況で出来ることと言えば、統括ギルドを飛び出してくるだろうアイノザに追いつかれる前に、セリアの首をはねるしか道は無かった。


 見れば、トルニトロイは先程の大魔法の反動か制約かはわからないが、その巨大な頭を地に近づけ、荒い息を吐きながら伏せたままだった。竜が動けないのならば、まだ勝機はある。


 もはや完全勝利は叶わないだろうが、それでも世界警察(ヴァルカン)の名声を地に落とすことは不可能ではない。しかし、本来ならばもっと違う戦い方をしたかった。そんな想いを抱いて疾走する蜜蜂の頬に、不意に雨粒がぶつかり跳ねる。


 それはおもむろに降りだした俄雨(にわかあめ)。ぽつ、ぽつ、ぽつと地を穿ち、小雨の降る中、目指すセリアの唇がぶつぶつと何かを呟いていた。


「【雨、雨、雨――(すい)の雨】」


 魔法の雨か――すぐさまそう悟った蜜蜂だが、見つめる先のセリアは哀れみさえ浮かべて迫る蜜蜂を眺めていた。その表情を見て、感傷を孕んだ蜜蜂の逡巡(しゅんじゅん)は終わる。

 悠長に雨など降らさず、幻影スキルさえ意に介さない竜の炎で焼き払わなかった――その油断こそが悪手だと。思い知らせてやろうと、突撃のための最後の一歩を踏み出した。


 大男の右足が地を踏み砕く。膝が曲がり、頑健(がんけん)な筋肉が軋みを上げ、肉食獣のように全身がたわむ。そしてほんの一瞬後には、セリアの頭は胴体と泣き別れることになる――。

 

「……?」


 しかし跳躍の一瞬前に、蜜蜂は生来の直感で危険を嗅ぎ分けていた。敵の首が取れるビジョンがどうしても浮かび上がらず、わずかに迷ったが直感の方を信じて蜜蜂はすぐさま右手を伸ばす。


 伸ばした腕の先には、適応称号によって支配下にある哀れな犠牲者が一人。若い男の背中側の服を鷲掴み、大男が異常な膂力(りょりょく)で傘のように自身の真上に掲げた瞬間。


「――【落雷(ショット)】」


 初めに閃光が。それから遅れて、腹の底に響くゴロゴロゴロという重低音が響きわたり――。



 蜜蜂の意識は、そこで途切れた。




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