断章:笛吹きの悪魔
どうしてそんなことをするの? と誰かから聞かれたことがある。
それは、その行いの真の悪さを知らずとも、異様な雰囲気を敏感に察知していた級友が言ったものだったか、はたまた自らが生んだ子ながら信じられぬ、と顔を歪ませる母から言われた言葉だったか――。
「楽しいからだよ」
まあ、誰から聞かれた言葉かはどうでも良い。ただ、それを訊ねられたある少年は、何の気負いも無く笑いながらそう答えた。
生きたバッタの手足を、羽根を、その指で以て毟り取るのは――……そう、ただ楽しいからだと単純に、簡単に。
「ただ、楽しいのさ」
何が楽しい? と聞かれても少年はそう答えた。
ぴくぴくと悶える様が楽しいのだとも、取り返しのつかないものに傷をつけるのが楽しいのだとも言わなかった。
ただ、楽しい。
足を毟る――もうこの虫が、跳ねることは無い。
羽根を毟る――もうこの虫が、飛ぶことは無い。
頭を毟る――もうこの虫が、草木を齧ることは無い。
「楽しいのさ。わからないの?」
不思議そうに少年は言う。何故、この楽しさがわからないの? と。
けれど同時に、少年は自分自身でも不思議に思う。これを楽しいと言うのなら、理解出来ないの? と言うのなら、確かに何が楽しいのかを相手に伝えるべきなのに、そんな細かいことは少年自身にもわからないのだ。
「何故って……ううん」
悩む。悩み、悩んで、それでも答えは未だに出ない。
現実の世界で人を相手に、それをしようとは思わなかった。だって、人間相手じゃ楽しいよりも、面倒の方が大きいから。
それなら猫や犬、ハトならそうやって楽しむのか? と聞かれたらそれも違う。
猫でも、犬でも、もっと言うなら好きにして良いと鼠をその手に握らせられても、少年はそれをしようとは思わなかった。
でもきっと、楽しめることはわかっていた。ああ……きっと楽しいだろう。何の気兼ねも無くそんなことが出来たなら、きっと楽しいに違いない。
「でもね」
でも少年は、すり寄ってきた野良猫の背をそっと撫でた。近所の飼い犬の頭を優しく撫でて、学校で飼われている鼠に〝喜ぶだろう〟と図鑑に載っていた好物をやった。
殺すどころか、傷一つつけたことは無い。
「だってさ、可愛いよね」
何故ならそれらの手足を捩じ折って、尾を引き抜き、頭を捥ぐ楽しさよりも、可愛いと思えたそれらを慈しむ方が、最終的な〝楽しい〟は多くなるからに他ならない。
手足を捥ぐのも楽しいと思うけれど、ふわふわの毛並みを堪能した方がずっと楽しい。
悲鳴も好きだけど、ゴロゴロと喉を鳴らす甘えた声や、元気そうな吠え声を聞く方がもっと好きだ。
恨みや憎しみに濡れた瞳もたまらないが、信頼と愛情に輝く瞳の方が、少年にとっては美しく見えた。
「それに、殺してしまったら戻ってこないんだもの」
たった一度の興奮のためにそれを手放してしまうのは、少年にとっては合理的なことではなかったのだ。
手足を捥ぐのは一度しか出来ないが、背を撫でて、抱き上げて、抱きしめて――甘えた声を聞くのは何度だって出来るのだから。
――……殺して100楽しいとすれば、生かして1000楽しい方が良い。
「好きなものとは、出来るだけ長く一緒にいたいでしょ? 楽しいことは、出来るだけ多い方が良いでしょ?」
でもバッタは懐かないし、見て楽しむより捥いだ方が楽しかった。だから少年は犬猫を撫でて、虫の手足を毟り取る。
優しく毛皮を撫でた手でバッタの羽根を毟り取り、ハトに餌をやった手でセミの頭を罪悪感なくちぎり取る。
それは、善悪ではない異質な裁定。あるいはだからこそ、現実世界でその手が血に濡れることが無かった特異な思考。
そんな奇跡的なバランスで、悪心を御した少年は何の問題も無く成長していく。
頭が良く、顔が良く――深い知性に染まる薄藍の瞳は魅力的で、多くの人を惹きつけた。
静かな声は人を魅了し、分け隔ての無い優しさは、見ていて快いものだと誰もが彼を慕っていた。
何処へ行っても人気者。生まれ持った魔力の多さも相まって、その異質さを親に見ぬかれ、全寮制の魔法学校にぶち込まれても、誰もが彼を良い人だと思い込んだ。
「……でもさ、人間って可愛くないんだよね」
いいや――たった一人だけ、彼の異質さに気が付いた者がいた。
同級生の中でも変わり者とされ、追跡同好会などというよくわからない部活を作り、それを同好会では無く部にしたい! と息巻いて勧誘活動で走り回っていたその男は、級友のほとんど全員に声をかけたくせに、その少年にだけは声をかけなかった。
「びっくりしたよぉ。まさか、あんなにあっさり見抜かれるなんて」
当然だが、何故? と。彼が訊ねるまでも無く、彼を慕う者達がその男に理由を聞いた。どうして彼を誘わないの? と。きっと快く協力してくれるのに、と。
「あはぁ……でも、そいつは――……陵真はこう言ったんだ」
〝だって、蜂谷君って毛皮や鱗の無い生き物って好きじゃないでしょ? 追跡部って、人を追うんだから。危なくって誘えないよ〟
その場にいたほとんどの者が、陵真の返事の意味が分からず首を傾げた。何が危ないのだろう? と不思議そうな顔をした。
けれど、その場にいた何人かはすぐさま青褪め、凍り付いた――陵真が言ったその言葉に、彼が――蜂谷が――蜜蜂が、照れたような顔で「あはぁ……わかるんだ?」と、のっぺりとした声で返したから。
「たまに気に入るような人間もいるんだけど、どうしても可愛く思えないことの方が多いんだよねぇ」
ある意味では彼は意志が強く、カッとなって人を傷つけることも無いが、その理由の根本は善悪から来る是非ではない。
ただ単純に、面倒くさい。楽しさよりも面倒が多い。だから人は殺さない。
現実で人を殺せば、何をしてもぬぐい切れない憎悪が残る。殺されて当然の悪党相手でも恨みは等しい。何故なら、彼らは死ねば二度とこの世に戻れないから。
だが、死んで蘇る魔術師も同じこと。死なないゾンビを相手に喧嘩を売る気は無いし、蜜蜂はソロモンでの仕事も意識して人を殺すような依頼は避けている。
憎悪は嫌いだ。蜜蜂にとって、憎しみはネバつくタールのようなもので、怒りとは夏に吹く爽やかな突風のようなものだった。
人の怒りは心地よく、憎悪は酷く鬱陶しい。
あるいはほんの少しは、蜜蜂にも倫理という名の信条がある。混じり気なく人の身でありながら、歪な信念に身を浸す異常者でもある。
蜜蜂は人に心底恨まれるようなことや、人をどん底まで苦しめるようなことは、〝してはいけないこと〟だと思っている。
人を精神的に追い詰めることも、どちらかといえば好きではない。矛盾と紙一重の主張ながら、蜜蜂が好きなのは捥いだりちぎったりすることで、相手を不当に貶めたり、嘆き、絶望する様に興奮するわけでもない。
第一、そんなことが好きならば虫の手足を捥いだりはしないのだ。
虫はいつだって声も上げず、感情の色さえ見えず、絶望するとしても人には決して理解しえないものでしかないのだから。
――そんな蜜蜂の歪んだ信念を、理解できないと母は言った。友にも、何人かに同じように吐き捨てられた。
異常者――と。そう沙汰を下されながらも現実では、蜜蜂は虫以外の生き物に無体を働いたことはなく、むしろ捨て猫や傷ついた野鳥、命がけで無茶をする級友のフォローなど、助けた命の方が多い始末。
悪辣な嗜好の魂を持ちながら、矛盾しているように見える善行を重ねる蜜蜂を友の一人はこう評した。
――〝善悪によって判断する者よりも、よほど悪いことをしない。本当に性質が悪い。とりあえず君は、クラスメイトを眺めて、妄想の中で捥いだりちぎったりしてみるのを止めるべきだ……絶対に実行に移さないとしても、だ〟と。
「そう言われた時は、流石にグッときたねぇ……クラスメイトで妄想してたことも反省したよ」
人から真に恨まれてはいけない。人をどん底まで苦しめてはいけない。
蜜蜂が唯一掲げるそのルールが、結局のところ何を意味しているのかといえば簡単だ。
たとえどんな理由があったとしても、魂に傷をつけてはいけない――それこそが、蜜蜂の、蜂谷の守るべき信念だった。
だからこそ蜜蜂は、現実世界で人を害さない。たとえ愛せなかったとしても。人を殺すことが悪いことだと思っていなくとも。
「……反省して、我慢した。別にそこまで無理なく我慢できたさ」
――……何かを捥いだり、ちぎったりするのは大好きだ。でも、人間と虫以外の生き物は愛でる方がもっと好きだ。ちぎるよりも可愛がりたいし、恨まれるよりも愛されたい。
「でもさぁ、仮想世界なら……何の問題も無くなっちゃったんだよね」
人間の方は正直、愛でるよりもちぎるほうが好きだと思う。慕われるよりも捥いでみたいし、信頼されるよりちぎってみたい。でも、誰かの心を傷つけたいわけじゃない。
それらの欲求、願望、不満――全てを解決したのが、何を隠そう仮想世界だ。
現実とは違い、命の重みが間違いなく軽い世界。死は〝死〟では無く、ただの状態異常に近い混沌の坩堝。
人を捥いで、ちぎって、痛めつけても――殺しても。
そこに発生する憎悪など、ちょっと気を使って相手さえ選べば、現実世界とは比べ物にならない程度の小さなものでしかない。
所詮は仮想。所詮はゲーム。仮想の罪は現実になることもなく、蜜蜂にとって【Under Ground Online】は最高の遊び場となった。
正規サービスが始まると共にゲームを始め、持ち前の人たらしのスキルでPKギルドのメンバーを集め、生来の戦闘センスでのし上がった。
【Under Ground Online】において、アバターは本物の肉体のように滑らかに動く。動き始めの頃こそ現実の肉体に追いついていなかったが、それもいつしか解消された。
ギルドメンバーの名前も覚えた。だが、仮想世界で好き放題に遊ぶために集めただけの彼らは、蜜蜂にとって可愛くはない。だから、その精神性を気にかけてやる必要も感じていなかった。
メンバーの意識が、徐々に徐々に。少しずつ。歪んでいくのはわかっていた。気が付いていた。
蜜蜂は強い。蜜蜂の策も強い。
蜜蜂が率いるギルドにいて、蜜蜂が言う通りに動いていれば、彼らは負け無しで活動出来た。
通常のPKプレイヤーが体験するような、やったらやられることもあるという、当たり前の教訓すら学ぶことなく増長した。
【Under Ground Online】において――あまりにも悪質なPKプレイヤーは、痛覚をオフに出来ない裏設定が存在する。その上、運営は公には明言していないが、恐らく悪質さに比例して痛覚の反映率は高くなる傾向にある。
普通ならばどんなPKプレイヤーも何処かで誰かに反撃を喰らい、そして裏設定のせいで酷く痛い目にあって思い知るはずのシステムの中。
蜜蜂が率いるギルドのメンバーは、誰一人として反撃を喰らって痛い思いをしたことがなかった。
彼らは指先ひとつ、傷ついたことはない。自身は痛みから解放され、他者にだけそれを強いる日々。
下卑た笑いと共に、メンバーは日に日に悪辣になっていく。それを横目に見ながら、薄っすらとは問題を感じつつも蜜蜂は無視を決め込んでいた。
所詮は仮想世界での出来事だからと、甘く見ていた。初めて手に入れた制限のない楽しさを、まだ味わっていたかった。ようやく手に入れたそれが、どうにも名残惜しくて、続けていたくて――。
だが誰もが蜜蜂のように、仮想世界での経験と、現実の自分を切り離せるわけではないことも知っていた。
……知っていた――つもりだった。
「ある日ねぇ……ギルドメンバーの一人が俺にだけね、こっそりこう言ったんだ」
〝ギルドを抜けたい。このままでは人を殺してしまう〟
何処で、とは言わなかった。だが蜜蜂はメンバーが言いたいことを正確に理解した。
仮想世界の中で散々人を殺しておいて、などとは言わなかったし、思わなかった。
段々と頭がおかしくなっていくメンバーの中でも、一番マトモな人物だった。悪役プレイをしてみたいからと、そういった軽い理由で蜜蜂のギルドに加入した者だった。
来る者拒まず、去る者追わず。そんなスタンスだった蜜蜂は、その申し出に〝いいよ〟と軽く了承した。その頷きに、他意は無かった。
蜜蜂からしたら、ついに限界が来たかとしか思わなかったこの脱退表明は――しかし他のメンバーからの異様な反応で問題化したのだ。
……その日は、たまたま蜜蜂のログインが遅れた日だった。ギルドを抜けたいと言ったメンバーが、他のメンバーにそのことを伝える予定の日でもあった。
解毒の街、ポルストニスで集まれるギルドメンバーを全員集め、メンバーの脱退を伝えると共に一仕事でもするか、と蜜蜂は軽く考えていた。
ソロモンの仕事が長引き、30分ばかり集合予定時刻は過ぎていたが、そんなことは今までもよくあることだった。
蜜蜂のギルドは義務の強いギルドではなく、ギルドメンバーも段々倫理が崩れていたとはいえ、明るく気さくな者が多かった。他のメンバーが集合時間に遅れることもあれば、蜜蜂自身もよく遅刻をした。
だからあの日、それがあんな大事になるとは思いもせずに、蜜蜂は鼻歌混じりでログインしたのだ。
今度は何処に襲撃をかけようかと。やっぱりメンタルが段違いに強いから、世界警察の訓練部隊にちょっかいをかけようかな、とルンルンで統括ギルドの扉を開け、集合予定の酒場に向かう、その道中。
――……蜜蜂が見たのは、涙は無くとも泣き叫びながらポルストニスの乾いた地面に転がり、集団でリンチを受けている若い男だった。
いくら蜜蜂が人間に興味が無く、可愛くないと思っていても――流石に古馴染みの仲間の顔を忘れるほど薄情な男では無い。
泣き叫び、悲鳴を上げ、恐怖に歪んだその顔は紛れも無く。つい先日、蜜蜂にギルドを抜けたいと言ったメンバーだった。
そしてその脱退希望のメンバーを、よってたかって集団でリンチしているのも、蜜蜂が良く知る顔だった。
ギルドメンバーが、脱退希望者を集団でリンチしている――そのことを脳が認識した時には、同時に彼らの声も聞こえてきていた。
〝何が人殺しだ! 自分も散々やったくせによ!〟――〝今更、自分だけ善人面しようってか!〟――〝死ね、死ね! 良い子ちゃんぶりやがって!〟
殴る蹴るを止めない彼らの声を聞いて、蜜蜂はすぐさま動いた。一瞬だけ強張った顔の筋肉を理性で歪め、悪の親玉の仮面をつけて集団リンチの真っただ中に躍り出て――。
「邪魔だよ」
――その一言と共に、リンチされていたギルドメンバーを蹴り飛ばし、細い路地の奥に叩き込んだ。
そしてすぐさまニタリと笑って、リンチしていたギルドメンバーの意識を一息に自分自身に惹きつける。
「あはぁ――ダメだよ、こういうことは俺にやらせてくんないとさぁ」
ねぇ、わかるかい? と、ほんの少しだけ殺気を滲ませ、凄んでみせれば彼らはすぐさま服従を態度に表した。蜜蜂に獲物を譲り、彼らは歪んだ笑みと共に流石はギルマスだと口々に言う。
媚びへつらうような笑みを浮かべ、羨望の眼差しで蜜蜂を見る男たちの目には期待の色が煌めいていた。
きっとギルドマスターが俺達の気持ちを代弁し、ギルドを抜けたいなどと言い出したクズに鉄槌を下すだろうという、期待の色が。
「……酒場で待ってな。少しばかり、時間をかけたいからさぁ」
意識して笑いながら、蜜蜂は彼らにそう言った。すぐさま彼らは談笑しながら酒場に向かって歩いていく。幾人かは、細い路地の奥でうずくまる男に唾を吐きかけるジェスチャーと共にこう吐き捨てた。
〝――ざまぁみろ〟
「――――」
そう吐き捨てたギルドメンバーの一人の頭を鷲掴み、そのまま叩き割りかけた右手を左手でさりげなく押しとどめ、蜜蜂はへらりと笑って歩き出す。
「あはぁ……困っちゃうよなぁ、本当にさぁ」
低く、唸るように囁いた蜜蜂の台詞に、遠巻きに見つめていた野次馬達がびくりと反応する。怯えた瞳で蜜蜂を見て、気の毒そうに路地の奥の被害者を見る。
だが、誰も路地の奥でうずくまり、縮こまる男を助けようと飛び出してくる者はいない。
唇を噛む。奥歯がぎりり、と軋みを上げる。薄い藍色の瞳に過るのは、己への自嘲と怒りの色だ。
何の邪魔も無く蜜蜂は路地の奥まで歩いていき、うずくまる若い男――ロージーに潜めた声でこう言った。
「ロージー……もう大丈夫だよ。まだメンバーの目があるからちょっと手荒に扱うけど、安全なところまで運ぶから……悪かったね、遅れてしまって」
蜜蜂が、ダンゴムシのように縮こまるロージーの肩に手を置けば、彼は一瞬だけビクリと震えて恐怖に満ちた顔を上げた。
「ッ……ッ、はい、はい……ッ。多分、蹴り飛ばされた時に、弱かったから、そうだろうなって――でも、俺……ッ、もし蜜蜂さんが初めからそのつもりだったら、どうしようって……思って……ッ!」
涙声で蜜蜂の腕に縋りつき、ロージーは呻くように唇を震わせてそう言った。何度も媚びるように蜜蜂の瞳を覗き込み、そこに偽りの色が見えないことを確認しては必死になって安心を求めている。
黄土色の瞳は怯えのせいで霞んでいた。同色の髪は掴まれ、引きずりまわされたのかぐしゃぐしゃに乱れていて、両の爪には地べたに這いつくばらされた証に湿った砂が詰まっている。
セーフティーエリア内での暴行だから、その身体に傷は無い。痣も無ければ、出血も、鬱血も無い。体力だって減っていないだろう。けれど、
「……」
見えない何かに――魂に傷がついていた。
「もう大丈夫だよ」
悪意によって叩きのめされ、傷も無いのにうずくまる。もはや蹴りを入れる人間もいないのに、立とうとしても立ち上がれない彼の心に――傷はあった。
「……行こう」
その日からだ。【Under Ground Online】に星の数ほどあるPKギルドの内の1つ。たかが小規模PKギルドの、ギルドマスターであった蜜蜂の名がより一層、知れ渡るようになったのは。
セーフティーエリア内で、ギルドメンバーの1人を集団で公開リンチにした事件で、イカレ野郎として有名なプレイヤー……〝蜜蜂〟として。
彼はその後、悪辣と謳われる妖精の適応称号を手に入れたことで、その悪名に拍車をかけた。
曰く、血も涙もない大男。獲物とするのは主に世界警察に所属するプレイヤーの中でも勇名を馳せたものばかりで、彼は強者との戦いに飢えている、と。
ロージー含め、総勢8名だった小規模ギルドは瞬く間に入団希望者で溢れ、蜜蜂はそれらの希望者を粛々と受け入れた。分け隔て無くメンバーを増やし、蜜蜂はただひたすらに自身のギルドを肥大化させた。
活動の場所を攻略最前線からも、始まりの街からも離れた〝南端、ログノート〟の近くにある地下竜脈に移し、大所帯となったギルドを蜜蜂は淡々と守っていた。
どこで何をしようとも――いつも浮かべていた機嫌良さげな笑みは消え、薄い藍色の瞳は氷のように凍てついていたが、古参のメンバーでさえも蜜蜂の真意には気が付かなかった。
彼らは、ただ毎日を悪で染めていた。暴虐の限りを尽くし、奪い、殺し、痛めつけた。蜜蜂は勝てる戦いにしかメンバーを連れ出さず、誰もがギルドマスターである蜜蜂を信頼し、依存し切っていた。
――そんな時だ。ギルドマスターである蜜蜂が、ふらりと天気の話でもするかのようにこう言ったのだ。
「近々――魔王が一斉に世界警察を攻撃する。便乗しようと思うから、各々準備をしておくようにねぇ。あ、そうそう。〝ライナー〟のギルドも参加するから、よろしくねぇ」
蜜蜂は日付も、場所も言わずにそう言った。ただ、準備をしておくように、とだけ。
そして運命の日の前日に、蜜蜂はやはりふらりとこう言った。「決行は、明日だ」と。やはり、天気の話でもするかのように、何でもなく。
勿論、ギルドメンバーの中で欠席するなんて間抜けはいなかった。とてつもないお祭り騒ぎになるだろうことは分かっていたのだから、全員が何としてでも参加すると表明した。
蜜蜂はただ、古参メンバーからの報告を聞いて、微笑んだだけだった。
微笑んで、こう言った。
「演奏のし甲斐があるねぇ」――と。
それだけを呟いた。




