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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
9:Under Ground(意訳――朝駆けの徒)
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第二百一話:神々は人のらしさを愛する





「【ボール】――【マジック】!!」



 ――クスクスがスキルを叫び、その手に生成した8つのボールを投げつけると同時に、狛犬は肩幅まで足を開く。


 牡牛が走り出す一瞬前に、前足で地面を引っ掻く予備動作の如く――半円を描き、水面を引っ掻く長靴(ブーツ)の先は破れ、鈍く光る黒い爪が露出した。


 そのまま水面みなもを踏みしめる爪は夜明けの陽光に輝き、ぐっと腰を落とした狛犬は深紅の瞳で敵を見る。


 身の丈を越えるほどもある長大な尾が戦旗のようにはためいて、好戦的に空を裂いた。

 笑みの形でめくれ上がった唇からは常よりも肥大化した犬歯が覗き、ピンとした立ち耳は威嚇をする肉食獣のように伏せられる。


 眼前に迫る極彩色のボールに向かって振り上げられるのは獣の腕――黒い獣毛に覆われた右手の先に筋力強化魔術である【カラムガラム】による炎が閃き、稲妻の如く振り抜かれる。


「〝火の精霊よ ともせ〟【ファイア】!」


 上がる爆音、閃く赤光しゃっこう


 短縮詠唱による火球を生み出し、激突の瞬間に爪に、掌に――炎塊を纏わせるという荒業は、耐炎の性質がある獣毛を身に纏う狛犬だからこそ出来ること。


 クッション代わりにされた魔術の炎は爆発性のボールとぶつかり、一斉に起爆。炎と食い合う砂もどきに割り込むように突き立てられた黒い獣爪は強引に因子の繋がりを断ち切って、砂の波は虹色に輝くエネルギー体を撒き散らす。


 上がる七色の蒸気の向こう――クスクスが明るい紫の瞳を見開いた。火とは正反対の属性である地属性の爆裂を、互いに相性が悪いとはいえ狛犬は真正面から叩き潰したのだ。


 逃げる考えすらはなから無く、8つのボールを叩き伏せる間もクスクスから一時たりとも目を離すことは無く。



 獣は――ゆっくりと身を沈める。



「いざ、尋常に」



 8つのボールに込められた砂魔法を完璧に相殺し、左腕を振り抜いた姿勢で狛犬は言う。膝をたわめ、五指を開き、深紅の瞳を輝かせ――、



「勝負――ッ!」



 獣が一頭、走り出した。


























第二百一話:神々は人のらしさを愛する
























 爆音、爆音――また爆音。


 水没したダッカスの上空で、様々な属性の魔法爆発と劫火ごうかが互いを食い殺さんばかりにぶつかり合っていた。


 方や、戸惑い顔の壮年の男。極彩色の燕尾服を身に纏い、空中歩行のスキルを惜しみなく使いながら宙を走り、魔石とスキルによる爆発を狛犬に向かって間断なく撃ち続けている。


 方や、ほんのりと不満そうな表情で跳ねまわる黒の獣。純白の中半袖パーカーから伸びる腕の先、両の掌は黒い獣毛に覆われていた。

 こちらも空中を移動するための魔術スキルを活用しながら、様々な属性による爆発が埋め尽くす空を行き、深紅に閃く炎の魔術を撃ちまくっている。


 魔石が、爆発するボールが、カードが――狛犬が放つ炎の魔術とぶつかり合い、ダッカスの上空には花火と見紛うような因子の欠片が飛び散っていた。


「【ガル】――【ブラスト】!!」


 轟音と共に爆発、炎上、七色に舞い散るエネルギー。そしてそれらを巨大な巻き角で吸い上げて、狛犬が再び派手に炎の魔術を叩き込む。ただしそれは――クスクスに向かってではなく、クスクスが撃ち出した魔石に向かって。


 角度を、状況を、タイミングを――どれだけ考えても、容赦なくクスクスを黒コゲにするために撃つべきだった一撃を、狛犬はわざと外して戦闘を引き延ばす。それも、どことなく不貞腐れたように唇を尖らせながら。


 クスクスが犯したミスに付け入ることは決してなく、むしろクスクスがミスを犯すたびに狛犬は指摘するかのように小さく首を横に振る。それじゃダメだ、とでもいうように。


「ッ――先程から、何を考えているのかね!?」


 そんな状況は、かれこれ10分以上は続いていた。短くも感じるが、互いに間断なく攻撃を撃ちあう状況では非常に長い時間。

 すでに実力差ははっきりと示され、クスクスの配信する映像で状況を眺める者達も、狛犬がどれほどに戦闘スキルに優れているかは思い知っている頃だろう。


 ならば何故――犯罪抑止のために行動していると公言しているならば。犯罪に走りかけの者達の抑止が目的だというならば。


 もはやクスクスとの戦闘を引き延ばす必要などなく、数分おきに見せる致命的な隙に乗じて首を取るだけだというのに、


「何故だ! 何故、仕留めに来ない!?」


 悲鳴のような叫びと共に、壮年の男は焦りを見せる。狛犬は答えない。ただ片眉をぴんと跳ね上げて、面白くなさそうにふい、と顔を逸らすばかり。


 ねた子供のような態度に、クスクスは困惑を隠せない。狛犬が何を考えているのかわからず、ただがむしゃらに魔石を、スキルで生み出した目眩まし程度の爆弾を投げつける。


 ――実力の差を痛感しているのは、掲示板で映像を眺めている犯罪者予備軍ではない。他ならぬクスクスだ。


 狛犬がクスクスの初撃を叩き潰し、走り出した数分前。誰の目から見ても、勝負は一瞬でかたが付くと思われた。もちろん、クスクスだってそう感じていた。


 最初の一撃で狛犬にダメージを負わせ、透明化効果のある適応称号スキルを使って不意打ちをしたかったクスクスの表情には焦りの色があり、明るい紫の瞳には混乱が色濃く浮かんでいた。


 予想外の出来事に思考は止まり、正しく獣の形相で迫りくる狛犬の迫力はクスクスから次善の策を考える余裕すら奪い去った。慌てるがままに彼は後退りをし、震える指で魔石を掴んだ――ただそれだけ。


 何の魔石を掴んだのかすら自身でも定かではなく、クスクスは迫りくる獣に戦慄するばかり。

 唇がスキルを唱えようとした気はする。だが思考による指定型のスキル発動が多い〝奇術師マジシャン〟系統のスキルは混乱したままでは形にならない。


 終わりだ――早かったな。


 混乱する頭でふと思ったのは、それだけだった。いつもそうだ。不意打ち、奇襲、罠にはめて――クスクスが誰かに勝てるのは、いつだって姑息な手段で戦った時だけだった。


 それは現実世界でも、仮想世界でも。陰ながらこっそりと、誰にも見つからないように憂さを晴らすことにばかり長けていて、いつだって真正面から誰かに立ち向かえたことなどない。


 そう、いつだってそうだ――……職場で自分を悪し様に罵る同僚に、クスクスはその男の浮気現場を写真に撮り、同僚の彼女の家のポストに放り込んだことがある。風の噂で修羅場になり、同僚が彼女に振られたと聞いた時は胸がスッとした。


 だが、スッとしたのはその一瞬だけ。噂を聞いた数日後、ようやく出社してきて机に突っ伏し意気消沈している同僚の姿を見て、クスクスが抱いたのは胸の内で重くわだかまる不快感だ。


 けれど、クスクスは彼が許せなかった。彼はクスクスを〝不発弾ジゼロ〟と呼んだのだ。ソロモンの中でも最悪の悪罵の1つだとされるその呼び方で、彼はクスクスに、さっさと消えろと言い放った。


〝キメラ人間が、どうして仲間面して此処にいるんだよ――〟


 いつ暴走して周りに迷惑かけるか分からないような奴、ソロモン王もどうして雇ったんだか、と彼は言った。


 その通りだ、と思う自分が嫌だった。許せなかった。自分を罵った同僚と同じくらい、その場で曖昧に微笑むしか出来ない自分に腹が立った。


 どうして怒れない? どうしてその場でお前が間違っているんだと言ってやれない? どうして自分はいつまでも、卑怯な手段で憂さを晴らしているのだろう?


 結局、その同僚は他にも問題行動が多く、他の同僚の進言で他の部署に飛ばされた。


 だが、クスクスの心は晴れない。こんなこと、もう何度目だろう? あの同僚が初めてではない。いつも、どこの部署に行っても必ずああいうことを言うやからがいる。


 気にすることはないと言ってくれる人の方が多いのは分かっている。けれど、言われた言葉は消えてくれない。〝キメラ人間〟――〝不発弾ジゼロ〟――〝厄介者〟――どの罵倒も、いつだってクスクスに付きまとう。


 どんよりとした気持ちを吐き出しきれず、仕事が無い時はしつこいほどに幹部談話室に居座った。ひたすらに酒を飲んでうなだれて、同僚の件でついに溢れてしまった黒い感情を持て余していた。


 そんな時だ。古い友人に、ゲームをしないかと誘われたのは。


 久しぶりに会った友人は何だか妙に嬉しそうで、〝ハイエナのレジナルド〟だの、〝禁忌の者〟だの、談話室にひそひそと渦巻く彼への罵倒など、まるで耳に入っていないようだった。


〝コルヴァ――ねえ、君。君って優しすぎるんだよ。そんなに塞ぎ込むくらいなら、何か新しいことを始めた方が良いだろう。どうだい? 一緒にゲームでもしてみないかい?〟


 相も変わらず寒気がするような色の瞳でそう言われ、クスクスは獅子(コルヴァ)という名を持て余すばかりだった現実世界から目を背け、仮想世界に飛び込むことを決めたのだ。


 特定AR店舗(ギャルドラム)のコードを渡され、口利きするからと言われて家に帰った翌日。どうせなら悪役をやってみようと決心したのは、購入した〝ホール〟をぼんやりと眺めている時だった。


 鈍く光るベージュの機体を眺めながら、密やかにそう誓った。


 胸につかえた虚しさが、仮想世界で倫理を無視して好き勝手に行動することで消えてくれるかもしれないと……そんな馬鹿みたいなことを考えて。


 ( ´艸`)(クスクス)などという、誰を笑っているのかわからないような名前までをもたずさえて――。



「――ッ、獲物をいたぶるのが尋常な勝負だとでも言うつもりか!?」


 延々と決着をつけない狛犬に、まるで嘲笑われているような気がしてクスクスは握り拳と共に絶叫を上げる。


 ただひたすらに、馬鹿にされている気がした――まるで、自身の無力さを押し付けられているような。お前はそんな程度の人間だと思い知らされているような気がして――、


 此処に……仮想世界に潜り込んだ理由をまざまざと思い出し、クスクスは決定打を打ち込んでこない狛犬に向かって混沌とした感情を発露する。


「勝負はついている、そうだろう! それを何故、どうして……っ!」


 正直に言えば、クスクスは狛犬に恨みなどない。謳害の件にも関係は無いし、樹海がどうなろうと知ったことではない。


 ただ、羨ましくは思っていた。いつも陰ながら、焦がれるように狛犬や白虎、他の指定ランカー達の活躍を見ていた。ああ、自分もあんな風に、どんな敵にも真正面から挑んでいける勇気があったならどんなによかっただろうかと。


 だから今日、クスクスはダッカスまでふらふらとやって来たのだ。が炎に誘われてやってくるように。自分が憧れる人物の一人が、すぐ近くにいると知って。


 セリアが自殺と言ったのも、言い得て妙だとクスクスは思っていた。


 別に……狛犬の窮地を見て笑ってやろうと思っていたわけではない。いくら悪役をやろうと決心したとはいえ、狛犬が酷い目にあっているのを見ていい気味だと思えるほどには性根は捻じれていなかった。


 だからクスクスは、ダッカスの外れでただ状況を眺めているだけだった。悲鳴を上げながら首筋を叩きつける狛犬を哀れには思ったが、助けようとは思わなかった。


 榊のことだってそうだ。クスクスは榊の考えに共感などしていないし、それにクスクスの目から見たら榊など本当にお嬢さん――小さな子供と同じ存在だ。


 思い通りにならないことに駄々をこねる子供の癇癪を、手助けするつもりもなかった。

 ただクスクスは悪役ロールプレイ中なのだから、彼女がやろうとしていることだけは手伝ってやるべきだと思ったのだ。


 クスクスは常々思っていた。【Under Ground Online】は、十分にディストピアになれる可能性を持ったVRMMOだと。榊の行動を誘導し、更に自身が煽り立てれば導火線に火は着くと考えた。


 だが考えて、行動した結果がこれだ――。


 ああ、何という惨めで哀れな結末だろう。自業自得といえばそうかもしれない。けれどこんな仕打ちはあんまりだ、と。


 沈黙し、何も答えることは無い狛犬の様子に、クスクスがいっそ自害でもしてしまおうかと悩んだ次の瞬間。


「……やっぱり戦うのは止めて、お話をしませんか?」


 誰もが耳を疑うような狛犬の発言が、水没するダッカスの街に響いたのだった。






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 ――初めに感じたのは、小さな違和感だった。


 せっかく気を使ったのに、何故か怒った様子のゴミが爆発性のボールをぶん投げてきて、自分が正面からそれを打ち消し、良い感じに派手な開幕となった直後。


 正々堂々と戦おうと、わくわくしながら走り出したその先で、空中に浮かぶ見えない足場に立ち尽くすゴミの瞳に、微かな怯えのような色が浮かんだ時。


 朝焼けに反射する明るい紫の瞳。フクロウのような真ん丸なそれの奥に潜むのは、迷子の子供のような不安定な光だった。


 その光の中に――白と朱色と紫の……派手な縦縞の燕尾服も、気障きざったらしい嫌味な喋り方も似合いそうにない、純朴そうな壮年の男性がチラついて、自分は思わず一息に首を掻っ切るつもりだった腕を引っ込めていた。


 代わりの攻撃は弱めの【フレイム】。それも直接ブチ当てるのではなく、髪の先を焦がす程度の位置で撃ってやれば、男は戸惑いながらも応戦してきた。


 怯え、立ち止り、懐の魔石に手をかけるだけで動けなかった男は、迷いながらも掴んだ魔石をこちらに投げる。勿論、当たってやる必要は無いので普通に躱した。


 その後も男は何度も魔石やスキルで生み出したボールやカードを投げつけてきたが、全て目眩まし程度の低威力のものばかり。躱せるものは躱し、それだけでは芸が無いのでいくらかは魔術で、爪で――相殺した。


 だが男の動きは隙が多く、どことなくぎこちなかった。ある程度は戦えるはずなのに、男はどこか引け腰で、リスクを恐れているのか性格なのか……威力の強いスキルや、攻撃的な魔石は撃って来なかった。


 正直に言って、がっかりだった。戦闘スキルは素人だと自分は思ったが、これは説明が難しいが彼は完璧な素人ではない。一番近いポジションは、昨日ソロモンで見た下級幹部達が彼に近いだろう。


 一般市民を相手にとか、そこらの猛獣を相手にするならなんの問題も無く倒せるが、自分の基準――すなわち師匠であるノアさん達に比べると素人みたいなレベルでしかない。


 それでも、本当の意味での有象無象よりかはマシな存在だ。戦略無しで一対一ならロメオさんと同格レベルなのだから、準備運動がてらに遊ぶ相手としては悪くない……はずだったのに、男はやはりぎこちない様子で攻撃とも呼べないスキルや魔石を投げつけてくるばかり。


 逃げ腰で、怯えきった相手を倒しても何も楽しくない上に、適応称号スキルすらお披露目されずに終わるなんてあり得ないと。自分は何だかんだ、男がミスをするたびに手加減をする羽目になっていた。


 だがそんな不毛な行為を続ける内に、感じた違和感の正体に気が付いたのは、幾度目かのぶつかり合いの時だった。


「ッ――先程から、何を考えているのかね!?」


 移動補助魔術と、ついでにゴミが空中に作り出す見えない足場を利用して、空中を跳ね回りながら魔術を撃った。もう何度目かもわからない意味のない魔石と魔術のぶつかり合いに、7色のエネルギーが空中に花を咲かせた時――男は叫んだ。


「何故だ! 何故、仕留めに来ない!?」


 まるで拷問の末に、最後の慈悲を乞うような叫びだった。早く殺してくれと、止めを刺してくれと言わんばかりの絶叫を上げて、男はよくわからない感情を浮かべている。


 それがどことなく気に入らなくて――ぷい、と顔を背ければ男は何か辛そうに息を呑み、ただがむしゃらに魔石を投げてきた。投げつけられた魔石は攻撃力などまるで無く、当たってもただ服が汚れる程度のものでしかない。


 そこまで来て、自分もようやく頭に血が上り始めた。いつまでも児戯みたいな攻撃しかしてこないことに文句を言ってやろうと男を睨み上げ――そして、その時にふと気が付いたのだ。


 悪役ぶった声色でも隠せない、育ちゆえの上品さと――やはり悪ぶった言動でも押し潰しきれない、ひどく曖昧な善良さに。


 それは、芯の通った善ではない。あやふやで、不安定で、頼りない善性だが、彼は間違いなく〝悪辣なる者〟には見えなかった。


 先程からの戦いで、他者を本気で攻撃しようとするたびに、彼は何度も躊躇った。躊躇いは致命的な隙となり、自分がその隙を見逃してやるたびに、結局迷った指先は攻撃ではなく目眩ましの魔石を取った。


 思えば、彼はフェアリー・ホルダーとなった事件だけが知られていて、その他の行動はあまり知られていない。


 くだんの事件も、当時の掲示板での情報を思い返すに世界警察ヴァルカンに所属していたプレイヤーにも問題はあったと聞いている。


 それに逆恨みだの理不尽だのは、世界警察ヴァルカンが大々的に吹聴していた情報だ。信用できる情報ではない。


 まあ実際に頭からニシキヘビ系モンスターに丸呑みにされた職員はいたようだし、トラウマを植え付けたというそれ自体は事実らしいから、彼もやらかしたと言えばやらかしたのだろう。


 だが、目の前で自分を相手に攻撃を何度も躊躇う様子と、戦闘が始まった際、怒り心頭だった時にだけ撃ってきた高威力の攻撃スキルをかんがみるに――彼の性格は、普段は穏やかだがキレるとやり過ぎる暴走タイプ。


 他人を傷付けてよろこぶ趣味は無いが、キレてしまえば歯止めが効かない人なのだろう。

 しかもその鬱憤の晴らし方は、世界警察ヴァルカンの職員へのやり口を見るに、遠回しで姑息なもの。


 そしてその事に、彼は自分自身で深く嫌悪を感じているのが見受けられた。


 そう結論付けて思い返せば、確かに彼が自分に向かって「もう首は痛くないのかな?」と煽った直後、言ってから後悔するように唇を噛んでいた。


 自分はあの時、煽っても無駄だと理解できたから黙ったのだと思っていたが、もしかしたらそれ以上、相手を侮辱するようなことは言えなかったのかもしれない。


 つまり彼は、本当はフェアリー・ホルダーにあたいするような人間では()()ということだ。



「【ブラスト】!」


 ――十数回目の打ち消しのため、自分は魔術を撃ちながら水塊に沈むダッカスの上空を跳ね回る。ゴミ改め微妙に善良さが滲み出ているクスクスは、やはり追撃を仕掛けることもなく唇を噛みしめているばかりだった。


 正直、罪悪感とか感じなくていいから全力で戦ってほしいのだが、迷子の子供のような表情で苦悩する様子を見るに、今のままでは無茶な要求でしかないのだろう。


 ただ、このまま殺してしまうのは惜しい気がして……というか純粋に気が引けた。この人は、きっと普通の人なのだろう。普通の人らしい善性を持っていて、普通の人らしい悪性も持ち合わせているのだろう。


 普段は人を攻撃することに躊躇うが、激昂すればどれだけ卑怯な手を使ってでも相手を攻撃する。それは悪辣とかそういうものではなく、もっとありふれた人間性だ。


 そんな人間を、自分は慈しむべき立場にあるのだと亜神である魂が感じている以上、真正面から否定するような倒し方はしたくなかった。


(うん、やっぱりそうしよう)


 これ以上の撃ち合いは無意味だし、この勝負は対話で解決しよう。自分はそう結論付けて、まるで今にも自分から魔術に当たって来そうな悲愴面をしているクスクスにこう言った。


「やっぱり戦うのは止めて、お話をしませんか?」と。


「え――」


 元から丸いクスクスの目が更に丸くなり、呆然とした様子で頷いてくれたのは、それから数十秒も後の事だった。




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