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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
9:Under Ground(意訳――朝駆けの徒)
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第百九十五話:旧鼠、夜を裂く




 聞いた者の耳朶(じだ)が凍るような声だった。


 どこか金属質(メタリック)に輝く黒灰色の瞳を細め、悲鳴を上げながら荒れ狂う狛犬を見据え、セリアは低く唸るように雪花に言う。


「雪花――現実リアルじゃねぇんだ、近付いて殺されんなら何度でも死んで戻れ。得意だろうが魔術師野郎は。仮想世界のゾンビアタックで発狂するほどやわじゃねぇだろ」


「……え?」


ほうけた声だしてんな! さっさと注意を引いて自傷を止めさせろ!」


 一喝――鋭い叱責と共に、セリアは涙は無くとも潤んだように見える柑子(こうじ)の瞳を睨みつける。手前テメェの目的そっちのけで狛犬と組んでんのは何のためだ――とセリアは言い、動揺から目を逸らす雪花に追い打ちをかけるように舌打ちをする。


「チッ、この腰抜けや――……やめろ泣きそうな面すんな! テメェ以外に正気に戻せるやつなんざいねーよ! なんでそこで不安になるんだテメェはよ!」


 昨日のふてぶてしさはどこに捨てて来たんだ! と叫びつつ、自分なんかが……みたいなことをごにょごにょと言いだし、顔を歪ませる雪花にセリアは唸る。


 これだから魔術師野郎はクソ雑魚メンタルでうぜぇ――と吐き捨てそうになった唇を噛みしめて、どうにか荒っぽい慰めの言葉と共に雪花を暴れる狛犬の下へと送り出した。


 泣きそうな顔で狛犬のもとへと水の精霊王を走らせる雪花を見送りながら、セリアは腰のポーチから黒い革手袋を取り出し装着する。

 ふー、と深い吐息を一つ。アシンメトリーの髪がはらりと頬にかかり、煩わしそうにそれを耳にかけてセリアは呟く。


「……トロイ、掲示板で何見た」


『狛犬があの女に何度も首を絞められ殺されていた。尾を切り落とし、首を絞めて、の繰り返しだ。見ていられない、と干渉スキルで動画を消した者がいて、俺もそこまでしか見ていない』


 動画では子犬姿だったが――とトルニトロイは青い瞳を巨獣に向ける。セリアは聞いたわりにはそっけなく、そうか、と言っただけで押し黙った。指先が閃き、検索ワードを打ち込んでめぼしい掲示板を覗き見る。


 目当ての動画を見つけて指が止まる。中身を確認したセリアの長いまつ毛が震え、いまだに統括ギルドと教会の影に隠れている榊を探して黒灰色の瞳がゆるりと動く。


 水位が上がり、もはや野次馬も扉の外には出てこない。統括ギルドも教会も、限られた土地の中で空間を確保するためにどちらも5階建てくらいの高さがある。結界によって水は弾かれ、4、5階部分に水は無い。隣接しているその狭間にも水は無く、榊はそこに隠れているのだろう。


 隠れ、窺い、隙があれば狛犬に一撃を喰らわせようとしているのだ。今はセリアが榊に注意を向けているから動く気配は無いが、適応称号クエストには時間制限がある。狛犬が落ち着くまで、大人しくしている道理もない。


 だが――小悪党が安全地帯から出てくるまで、セリアが待ってやる道理も、またないのだ。



「――トロイ、合わせろよ」


『装備品のくせに偉そうだぞ、セリア……ふん、まあいい。俺は強い子だからな。今日はお前に合わせてやってもいいぞ』


「……あっそう、ありがとうよ。まずはエリアから叩き出す――そのまま跳ね上げろ。魔法は撃つなよ、絶対に」


 トルニトロイへの指示が終わると同時に、セリアは無言でトルニトロイの背を踏み叩く。瞬間、トルニトロイは鱗を逆立て、声を震わせ、咆哮と共に夜空を駆けた。


『絶対に勝つぞ、セリア!』


「……」


 トルニトロイが意気込み高らかに叫ぶ声に、セリアは答えない。ただ手袋の裾を引き絞り、巨狼の絶叫を聞きながら――、



「――チッ」



 吐き捨てるような舌打ちだけが、夜空に響いて消えて行った。
























第百九十五話:旧鼠(きゅうそ)、夜を裂く

























 晩秋のログノート大陸、西端の海岸線。


 空には狂気を誘うように幻月が輝き、明け方は未だ遠く、ダッカスは夜の闇の中にあった。紫に滲む水平線を背景に、巨大な狼が荒れ狂い、粉々に砕かれた街は丸ごと水に沈んでいるが、不変のままのものも存在する。


 〝塩の街、ダッカス〟の教会と統括ギルド。セーフティーエリアに守られて、その2つの建物は崩れることも無く健在だった。

 方や、無骨な砦に似る石作りの統括ギルド。方や、破壊とは無縁ゆえに華奢で美しい、死に戻りのためのケット・シー教会。


 そのどちらもが、この世界では不変のもの。ゆえに、たとえダッカスの全域が水没しようとも、この2つの建物だけは沈まない。それに、


「此処なら、誰も手出しできないってね……運営もアホだろ、街中で戦闘できるぶっとんだゲームのくせに、なんで街中に教会なんざおくかねぇ」


 退屈そうに――統括ギルドの影で榊は言う。教会の飾り屋根の上に陣取り、一つにまとめた黒髪の先端をくるくると指に巻きつけながら、彼女はただ待っていた。


 雪花が狛犬を宥めようと近付いて――死に戻る瞬間を。


 制限時間など、榊にとってはさしたる問題では無かった。課題達成など二の次だ。一番の目的は、狛犬に更なる打撃を与えること。この状況下で呪いを発動できれば、間違いなく狛犬を更なる恐慌に叩き込むことができる自信が榊にはある。


 ゆえに、邪魔者が消えるのを榊は待っているのだ。制限時間など、たっぷりと使えばいい。最後に勝てば問題ない。まだまだ焦る必要など無く、もはや敵は雪花と水の精霊王のみ。そのどちらもが榊よりもスピードで劣る者達だ。


 〝魔法使い〟である榊には空中移動のための【アーグワ】や【クローディング】が無詠唱で使え、更に適応称号スキルの効果のおかげで、ストックしている魔力の分だけ移動魔法に消費する魔力にも困らない。


 それに、先ほどは少しばかり焦ったが、セリアは望んで此処に来たわけではないこともわかっている。どうせ、トルニトロイあたりが勝手に連れて来たのだろう。情に薄く、面倒事を嫌う男だと有名なセリアがこれ以上、自身を追い回すことなどあり得ないと榊は踏んでいた。


 それを証明するかのように、セリアはあの後、積極的に榊を追ってはこなかった。ただトルニトロイの背の上で、冷たい目で狛犬を眺めていただけだ。

 雪花と二言三言、何かを話してはいたようだが、榊はその時点でセリアへの警戒を止めていた。


 今はただ、雪花を見ている。水の精霊王に乗り、自身の爪で首筋を掻き毟る狛犬に雪花が近付き、何事かを必死に叫んでいるが、狛犬は止まらない。

 馬鹿なやつ、と榊が呟けば、巨獣のものとは別の咆哮がダッカスの街に響き渡る。トルニトロイの声――ということは、動かないセリアに憤っている声だろう、と榊は笑う。


 あの男がこんなことくらいで動くはずが無い――それが榊の出した結論だ。『世界警察ヴァルカン』においてセリアとは、冷徹で、仲間意識が薄く、だがやたらめったら強い男として有名だった。


 あの薄ら寒い化物じみた大ボスが、セリア君はねぇ、()()だから。愛情も侮蔑も少し極端なんだよねぇ、と呟いていた通り、セリアという男は周囲の全てを見下しているような男だ。旧鼠とやらが何の比喩なのかは榊にはわからなかったが、大ボスが言った極端な侮蔑になら、確かに覚えがあった。


「クッ……トルニトロイも馬鹿だよなぁ」


 あんな奴、連れてくるだけ自由に動けなくなるだろうに、と榊は思う。セリアはトルニトロイが勝手に動くことを良しとしないだろう。トルニトロイが吼えているのが良い証明だ。どうせ帰るぞと言われトルニトロイがキレたのだろうが、竜爪草原での一件以来、セリアは更に強力な服従スキルを習得している。


 もはやあの日のようにトルニトロイが勝手に動くことは無く、それゆえに榊の邪魔には――、



「――隙だらけだな」



 ――邪魔にはならない。そう思った矢先に、先ほどまで思い描いていた男が榊のすぐそばに立っていた。


 全身、黒ずくめの男だった。黒のTシャツの上からは銀縁のジャケットを羽織り、

その手にもやはり黒の革手袋。下半身は適度にだぶついた長ズボンを着用し、世界警察ヴァルカン支給の長靴ブーツの爪先は、コツコツ、と教会の屋根を叩いている。


 如何にも怠そうな態度と動き。榊は音もなく現れた男の手腕に驚くが、すぐに皮肉気な笑みを浮かべて黒ずくめの男――セリアに向かって微笑んだ。


「よーぉ、セリア! 災難だったな。どうせトルニトロイに連れてこられたんだろ?」


「……まあな。まったく、急に掴まれて夜間飛行なんざ、最悪な気分だ。おかげで八つ当たりしちまった……わりぃな」


 答えるセリアの表情は、榊と同じで皮肉気だった。彼は怠そうに黒灰色の瞳を伏せて、どっかりと榊の隣に座り込む。


「だと思った……はんっ、トルニトロイも馬鹿なやつ。第一、狛犬は1憶の賞金首だぜ。人災野郎を上手く料理してやったんだから、感謝の1つもしてほしいもんだ!」


「だな。ま、街1つ潰しちゃお前もお咎めがあるだろうケド」


 言いながら、セリアはおもむろに懐から煙草を出して火をつける。1本どうだ? と勧められ、榊も半笑いのまま受け取った。


「マジかよ……頭固いんだよな、大ボスはさ。あ、そうだ。掲示板に動画上げたんだよ、それがまた傑作でさ……!」


 煙草の煙を吐き出しながら、榊は戦果を語るようにそう言った。濃紫のうしの紋様を歪ませて、榊は悪辣に笑いながら言う。


「【魔獣語】持ちならわかると思うけどさ、助けてぇ、だの怖いよぅ、だの――ああ、特にあれが傑作だった」


「……あれ?」


 静かな声でセリアが相槌を打つ。のんびりと煙草を吸いながら、彼はただ前を見ていた。何の変哲もない統括ギルドの壁を眺めながら、セリアは榊の二の句を待つ。


「――〝地獄の門が見える〟……だってよ! 笑っちゃうよな、地獄の門だぜ!? 腹抱えて笑ったよ。どこの中二だっつの!」


 はっはははは! と榊が笑う。その時の狛犬の声色まで再現し、徹底的に貶めようと笑う榊に、それは傑作だな、とセリアも笑う。


 ただ前を向いたまま、彼は肩を揺らして笑い――それから不意に、軽い調子で榊に問う。


「ところで、人災野郎に何をするんだ?」


 笑えるオチなんだろ? と笑うセリアに誘われて、榊も自然にこう答えた。


「ああ、呪いでな。聞けよ、最高なんだ――……もう一度、呪いスキルでアイツの首を絞めてやるんだよ」


 きゅっ、と。両手で首を絞める動作と共に、榊が笑う。無邪気に――けれど、悪辣に。

 死なない程度に、けれど離れず。冷たい指で首を絞め続ける呪いなのだと榊は言い、そして、



「アイツ――これくらったら、今度こそ発狂するぜ」



 榊は心底楽しそうに。くすくすと笑いながらそう言って、セリアも同じように微笑んだ。


「よくわかったよ」


 そう言ってセリアは深く息を吸い、くわえた煙草を吐き捨てる。ぷっ、と放り出された煙草の行方を、榊が何気なく視線で追い、



「――お前が、根っからのクズだってことが」



 凍えた声を聞いたと思った瞬間に、榊は腕を掴まれて、



「俺と会ったのが、現実リアルじゃなくて良かったな」



 そんな台詞と共に、榊の視界は反転した。





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