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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
1:Under Ground(意訳――目に見えない仄暗い世界)
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第二十一話:ちっぽけな、でも初めの一歩


 


第二十一話:ちっぽけな、でも初めの一歩




「えー、ノミの駆除剤に予防薬にダニの駆除剤。寄生虫の予防薬。その他。全て5個ずつ。しめて3万フィートにまけておきますよ!」


「……」


 にっこにこのおっちゃんのいい笑顔だこと笑顔だこと。値段と相まって殺意は湧くわ、その揉み手に蹴りを入れたくなるわで散々である。

 第一、手持ちの金は5千フィートのみ。統括ギルドに預けてある分まで含めても、1万フィートと少ししかない。どう考えても足りない、足りるわけがない。

 ぎりぎりと不平不満を(こら)えつつ、苦渋の選択としておっちゃんに愛想笑いで提案する。


「……ツケといて、おっちゃん」


「……いくら出せる」


「お兄さん、かっこいい顔してるね!」


「おめぇ、よく臆面もなく笑顔で言い切れるな!?」


 さっきまでおっちゃんって連呼してた奴が調子よく! と言われるが、いやいや背に腹はかえられない。必要なものは必要だし、無いものは無い。

 引き攣る笑顔で無理やり笑い、ぐっと両手を組んでお願いのための低姿勢でうって出る。


「かっこいいお兄さん、お願いっ!」


「……あー。あー、あー。ちゃんと返せよぉ?」


「先に5千フィート払っとくから! お金が入ったらその都度払いに来るから!」


「返済までどれだけかける気だ!?」


 俺だって商売でやってんだぞ、というおっちゃんに拝み倒し、褒め称えてどうにか了承してもらう。リアルでもペットを飼うには非常にお金がかかるというが、まさかVRの中でまでこんなに維持費がかかるなんて思いもしなかった。


 餌代は自力調達でなんとかしてもらうにしても、薬代、メンテナンス代、他にもまだまだかかるらしい。悪夢だ。


 ペットと同じくするには語弊があるかもしれないが、5匹もいるんじゃ確かに今後のお金の工面は必須だろう。もう本当に犯罪者路線でやっていこうかと悩みつつ、おっちゃんが次々と薬の入った袋をくれるのをありがたく受け取った。


「こんなに必要なんですか……」


「少ないくらいだ。ノミは大量にわいてるなら素人さんじゃ全部は落ちねぇぞ? それに問題は卵だ。この薬はノミの成虫は駆除できるが、堅い殻に守られてる卵には大抵の薬が効かねぇからな。まぁ、地道に風呂に入れて薬つけて落とすしかねぇな」


「卵……」


 ノミの卵という響きにぞっとしつつ、大人しく教えてもらったことをメニュー欄のメモ帳にメモしていく。


「金があればトリマーみたいな奴はいるがな。高いし、探すのも大変だ。ノミは風呂の習慣で大分殺せるが、ダニはちゃんとした薬じゃなきゃくたばらねぇ。ま、頑張れや」


「トリマーですか……ダニのが危ないんですね」


「そうだな。病気とかの原因にもなるから早めの駆除が肝心だな。犬系モンスターって(くく)りはあるが、出来れば種類別に飼い方を覚えた方がいいぞ? ドルーウだろ、その顔は。それなら砂漠に住むモンスターだから、寒さには弱いとかな」


「へぇ……そっか。そういうのもあるのか」


 確かにリアルで言ったらドルーウはフェネックみたいな感じなのかもしれない。近年でもたまにペットショップで売っているらしいが、環境を整えるのに手間がかかると聞いた覚えがある。

 とにもかくにも、とりあえずは寄生虫対策にダニ対策、ノミ対策。やることが山積みだ。


 おっちゃんが言うには毛が短い方が薬の効き目が良いとのことなので、ついでに鋏も貰い受けた。そう、泣き落して貰い受けた。もうおっちゃんからしたら自分は嫌な客ナンバーワンかもしれないが、頼れるおっちゃんは頼るべきである。


 高性能AIならこうはいかないが、感情を持つ学習性AIならではの取引は奥が深い。感情があるからこそ取引における幅が増える。

 ツケなどという文化は全ては信用の上に成り立つ文化で、詐欺師のような関係性では土台成り立たない行為なのだ。


「ありがたい……」


「俺は全然ありがたくないけどな。ほい、名前は?」


「〝狛犬〟です。必ず稼いで持ってきます」


「おー、利子は物でいいぞ」


「肉類、植物、鉱石、骨類どれが良いですか」


「……冗談だったんだが。じゃあまあ植物だな」


 薬屋だからな、一応。と言いながら、名前を聞きつつもメモすら取らないおっちゃんにもう一度深々と頭を下げれば、ギリーも一緒に深々と頭を下げる。


『申し訳ない……。薬になる植物なら私が知っている。必ず恩を返そう』


「……えらく礼儀正しいモンスターだな、おい」


「ギリーはストイックなんです」


「おうおう。いつか返しに来いよー」


 ありがとうございました、と何度も頭を下げながら店を出て、ギリーに乗って夜の街を歩く。路上に下げられたランプが揺れて、淡いオレンジ色の光がレンガの道を照らし上げる。


 人通りはなく、誰の声もない。おそくまでやっている店がまばらに明かりをつけているだけで、ほとんどの家の明かりは消えてしまっている。

 7番通りのレンガ道は、ランプの明かりのせいで光が届かない部分の闇はいっそう深く、どこか気持ちの悪い感触を抱く。


「……早く帰ろう」


『……? わかった』


 一段落とした声で言う自分に、きょとりと耳を動かすギリーがそう答えて早足で歩き出す。

 意識の変化。本能的に危機を察知した感覚が強制的に研ぎ澄まされる。心に浮かんだ些細な不安感が膨れ上がり、身を固くした自分にギリーが低く微かに唸り出す。


 唸り声に紛れて風の音がする。人が動くことで空気が動く。その揺らぎが音となり、契約スキルで底上げされた聴覚が優先的に、自分にとって危険な音を選び取る。


 息を詰めるのではなく、吸って、吐く。跳ねる鼓動を意識し、振り落されぬようにしっかりとギリーの肩の毛を掴む。


『――よい主だ』


 囁きと共にギリーの長い足がレンガを蹴る。バネのような筋肉を駆動し、一息に加速したその尾の先を(かす)め、鈍い色の槍が突きだされた。


 相手が攻撃に転じたその瞬間に最大限集中し、(かわ)した直後の敵の隙を討つ戦法。ルーさんが最も得意とするその戦法は、一度の経験で深くその身に染み付いていた。


 躱されたことで一瞬動きを止める女に対し、ギリーから飛び降り槍の穂先を即座に掴む。女がはっとして武器を手放した時にはもう遅く、真白いギリーの牙が女の喉をやすやすと噛み破る。


「――まだいる!」


『承知』


 血沸き、肉躍るとはよく言ったものだ。戦闘に、特に対人戦に対して傾倒しつつある自分にとって、街中での不意打ちなど安全を保ったままの戦闘訓練と変わらない。

 ダメージを受けないその〝戦闘〟は、上手く型にはめることに成功した自分が一歩リードしている。


 ニコさんからあらかじめ聞いていた情報だ。契約モンスターを狙い、武器を持ったプレイヤーが夜道を歩く契約モンスターを闇討ちする事件が頻発していると。


 闇に埋もれた路地裏から速度を生かして急襲し、一撃で首を切り落とすか、心臓を一突きにする仕留め方。犯人はまだ特定されておらず、しかしそのリーチの長さで得物の正体には当たりがつく。


「槍使いっていう予想はビンゴか」


 穂先を掴んだままだった槍を半回転させ柄を掴み直し、使えはしないもののギリーの補助をするべく身構える。毛を逆立て、二倍程の大きさに膨らんだ尾を戦旗のように揺らすギリーが、獰猛な獣そのものの声を上げる。


『主、後2人いる』


「……リスクの高さをおしても、仕留める価値が出てきたってことか」


『見くびられたものだ。引くなら今だぞ、人間共!』


 主人である自分でさえも震えあがりそうな獣の声。敵は残り2人。それも少しはダメージを受けなければ仕留められないという面倒さ。街中で契約モンスターを狙うくらいなのだから、おそらくパーティーは意図的に組んでいない。


 パーティーを組んでいるなら1人から攻撃を受けただけで残りも仕留められるが、違うのならばそれぞれの攻撃を受けにいく必要がある。

 レンガ道のど真ん中で、オレンジ色に照らされたギリーがにやりと笑うように歯を剥き出す。時間をかければかけるほど、有利になるのはこちらのほうだ。


「……」


 相手からの答えは無い。退()く気は無いようで、どちらかが食うか食われるかの争いだった。

 恐らくは槍だけではない重量武器の使い手もいるのだろう。かなり大型のイノシシの契約モンスターの首までもが切断されたという話からして、斧などのリーチと攻撃力を合わせ持った武器を持つ者もいるはずだ。


 気がつかれた時用に、小回りが利くような小物を持っている者もいるだろう。長剣もリーチがそこそこある、油断はできない。


「……ギリー、仕留められる?」


『余裕だ』


 剥きだした牙を見せつけるギリーの様子に、未だ敵は動かない。仕留められないのならばこのまま一直線に逃げるだけだが、仕留められるのならツケの代金に()てるためにも仕留めるのが一番だ。


「……来る」


 ――空気が動く。刃を振りかぶる音がして、ギリーがその音と反対の方向に大口を開け、音がした方には自分が即座に走り出す。


「取った!」


 フェイントで振り上げられただけの刃を無理に掴み、男がバランスを崩した直後。一拍遅れてギリーの吠え声が暗い街路に反響する。跳ね上がった声が隙を狙って飛び出してきた男を撃ち、動きが止まったその男が手にする武器がぎらりと光る。


 オレンジ色に照らされても、尚まだ寒気がする色合いの斧。柄の長い大振りな斧が振り上げられたままぴたりと止まり、自分から刃の端につっこんだギリーの毛皮にぱっと朱が散り、同時にレンガから砂が吹出して小さく舞う。


『……』


「はっ――――馬鹿がッ!」


 しかし【遠吠え】による硬直はほんの一瞬。長剣を持つ男を自分が抑え込んでいても、斧を振り上げた男はその動きが再開したことで、冷や汗を流しつつもギリーの首を落とすべく、斧を遠心力で後ろ斜めに振りかぶる。


 ダメージを受けるために斧の端に(かす)り、男の背後に着地したギリーの胴体を狙い澄まし、銀色の斧が振り下される。信じられないスピードと膂力。自分なんかとは天と地ほどもステータスが違うに違いない。


 現に今自分が抑え込んでいる男との力比べは圧倒的に負けている。それでもギリーがあの斧の男を仕留めるまでは、自分は絶対にこの腕を放せない。


「はっはぁ!!」


 男の雄叫びと共に、振り下された斧によってレンガが吹き飛ぶ音がして慌てて振り返る。ギリーを信じてはいるが、まさかと思い、次にその光景に愕然(がくぜん)とする。


 まさか、そんな。ギリーがやられるわけ――。


「ッ――ギリーッ!」


 上がる砂煙の向こうに真っ二つになったギリーを見て、男がどうだと言わんばかりにこちらを振り向く。


 それと同時に長剣の男が腕を思い切り振り上げて、力で負けている自分は簡単に道に吹っ飛んだ。すぐに起きあがってギリーを見れば、その変わり果てた姿に呆然とする。


 肉色の断面、白い骨、血色の内臓が湯気を上げる酷い光景。膝をついた自分を笑い、男が斧を手放して死体の回収に動いたその瞬間。


 ――――ウ゛ルゥ゛ォ゛ォオオウゥゥッッ!!


 地鳴りのような唸り声と共に、斧を置いたままの男の首がかくんと落ちる。文字通り、かくんと半分だけ。

 瞬きをする間に斑色の影がぶわりと膨れ、散っていき、7番通りの大通りが瞬く間に小規模な砂漠と化す。


 舞い散る砂がオレンジ色の街灯の明かりに反射して、輝きながらレンガの隙間より吹き上がる。細かな砂の(つぶて)に打たれ、残った男がでたらめに長剣を振りまわすも意味がない。


 再びの唸り声に、男は悲鳴を上げてこの場から逃げ出すべく走り出す。しかし、小砂漠を3歩進んで男が転ぶ。斑色の塊を見た気がするが、自分にも今の状況はよくわからない。


「ギリー!」


 ただ名を呼ぶ事しかできず、砂色に染まる視界の中でギリーの姿を探す。遺体はすでに砂に紛れ、本当にギリーがやられてしまったのか、それともギリーのスキルの効果でこんな事態になっているのかわからない。

 転んだ男に影が群がり、悲鳴が上がり、そして沈黙。


「……ギリー?」


 男に群がる斑色の影に声をかければ、さらさらとおさまっていく砂の嵐。砂煙が晴れ、浮かび上がった影は全部で5つ。その事実に安堵して、思わずかっくりと全身の力が抜ける。


『主、問題ない。全て仕留めた』


『リーダー。まずはご主人安心させるのが先だろ』


『走った! 走ったぜー俺は!』


『ご主人大丈夫か?』


『大丈夫?』


 道の上でへたりこむ自分に擦り寄り、撫でてくれと鼻先を押しつけるギリーの背を噛んでアレンが諭す。リクは頑張ったぞと吠えているし、トトとチビは心配そうに自分の顔を覗き込む。


「よ、よ、よ……」


『よ?』


『よしよし?』


『よいこ?』


『いや違うだろ』


 てんでバラバラな解釈をして首を傾げるドルーウ達の首にかじりつき、安堵と共に思わず身体が震え出す。


「よ、かった……よかったぁぁ……」


 涙声でそうしぼり出せば、ドルーウ達は慌てたように尾を振って鼻先を擦り付けて自分を慰めようと必死になる。

 震える身体は止まらず、しかししっかりとギリーが生きていることを確認して安堵する。


 VRだから、死に戻りするから、そんな理由は全然意味を成さないのだと思い知った。


 怖かった。湯気を上げる血肉と内臓、血に濡れた白過ぎる骨。先程まで自分と会話し、その背に乗って確かにその〝命〟を感じていたはずの生き物が死んだという事実に打ちのめされた。


 プレイヤーとはまた違う、どこまでもリアルな命の断面。レンガに広がった血の赤に、どれだけ絶望に囚われたか。


 バーチャルなのだ、作り物なのだ、命など何処にもありはしないのだ。わかっている。確かにわかっている。


 しかし、自分はギリー達の差し出した〝魂の欠片〟を飲みこんだ。欠片は温かい。当たり前だ。魂の欠片が温もりを持っているなんて当たり前のことだった。


 ――魂とは、AIにとって、心なのだ。


 心が冷たいはずがない。どんなに冷酷で残酷な生き物でも、その心は生きている上で必ず何かしらの熱を持つ。柔らかく他人を温めるのか、手酷く他人を焦がすのかの違いはあれど、必ず熱を持った心がある。


 それが魂だ。この世界での、魂そのもの。


「よかったっ、よかったよぉ……」


『な、泣かないでくれ主。悪かった、言っておかなかったのは私の失態だ』


『あーあー、泣かしたよリーダー』


『……大丈夫?』


 心を、認めたも同じなのだ。


 魂の欠片を飲みこむということは、この世界において彼等の心の実在を、認めたことに他ならないのだ。

 答えはとうの昔に出ていた。欠片を飲みこんだその時こそ、自分は彼等AIの心の存在を認めていたのだ。


 誰の(たず)ねもない暗い部屋。人と関わりもしない世界。孤独に埋もれ、しかし見て見ぬふりしか出来ない弱い心。


 しかし、頼るために信じたわけではない。そんな身勝手に彼等の心を、気遣いを信じたわけではない。


「……認める。信じるよ――ギリー。信じる」


『……』


 弱いから、信じたいだけなのだと言われたくはない。


 世界は進んだのだ。回り、巡り、知識を吸って膨らみ、そして未だその肥大化は止まらない。

 AIが当たり前じゃなかった時代があった。しかし今は当たり前だ。その存在に疑問を呈する人すら少ない。


 学習性AIが当たり前じゃない時代がある。今が正にその瀬戸際だ。人々はその存在に疑問を抱き、心という曖昧なものについての正解を求めている。


 心とはなんだ。心とは何をいうのだ。そんな問いが世間を埋め尽くし、そしてやがて高い順応性に任せて馴染んでいく。


 ギリーの目と自分の目をしっかり合わせる。現実では見えない目も、この世界では全てを映すのだから――だからこそ。


「信じるよ、ギリー」


『……主』


「君の心を――自分は信じる」


 ――――認めよう君達を。学習性AIを。


 ちっぽけな世界の変革。自分の心の奥底の変化。

 自分にとっては大事な変化と一緒になって、小さな秋風が7番通りをすり抜ける。


『――これが』


 ギリーの尾が小刻みに揺れ出して、徐々に大きく振られていく。


『これが、嬉しいという感情か?』


 嬉しそうに。ひどく嬉しそうにその瞳を輝かせたギリーが目一杯に尾を振りながら自分を見上げ、()むように牙を剥く。


『ありがとう――主』


 ギリーはそう言って、初めて『嬉しさ』というものを学習したのだと。そんな小さな秘密を教えてくれた。他の5匹も戦利品を引きずって集まってきて、みんなでゆったりと歩いて帰る。


 それは月がとても綺麗だった夜の話。忘れもしない、自分の変化の、その始まりの一歩だった。


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