第十七話:執拗な理論
第十七話:執拗な理論
「この世界の現象は全て、論理的な説明が成されるべきである」
ニコさんが朗々と読み上げているその本のタイトルは、統括ギルドから借りてきた「あなたの知らない体力の仕組み」というものである。
ニコさんの声を聞きながら、一緒に風呂に入り、汚れを落として清潔になったことで店の中でくつろぐことを許されたギリーとアレンと一緒にテーブルに顎を乗せ、行儀悪く頭を傾ける。
「……なんか、物凄く厳粛な感じですね」
「そうですねぇ、書き出しがこんな状態では嫌な予感しかしませんねぇ」
PKプレイヤー達へのお礼参りツアーも終了し、賞金首になってしまうというハプニングがありつつも、無事に死に戻りすることなく凱旋したその後。
ここは飲食店だ、泥と血を洗い流せというごもっともなアンナさんのお言葉に従い、今はルーさんがお風呂を貸してもらっている最中である。
自分は真っ先に貸してもらい、ついでに服も借りてしまった。防御力は毛ほどもないが、見た目重視の私服のようだ。湯上りに白いパーカーを着ているため、清潔感に溢れている感じがする。
「VRでもお風呂ってあるんですね」
「あるものもありますし、ないものもありますねぇ。性交渉可能なVRにおいては無い方が珍しいですから、まあ当然なんでしょう」
確かに、完全に性交渉が目的のVRゲームも存在するのだから、お風呂くらい実装されていて当然なのだろう。VRの中でのそういった行為は現実に影響するリスクが一切なく、最近の性犯罪率低下にも一役買っているとかどうとか。
基本的には犯罪歴がある人はVRの使用を許可されることが無いため、ゲームにのめり込めばのめり込むほど、現実での犯罪は少なくなるらしい。
それでも現実における犯罪のスリルを求めて殺人をする者は減らないし、強盗なんかはむしろ近代の方が増えているくらいだ。人が人である限り、きっと根絶には繋がらないのだろう。
「びっくりするほどリアルでした」
「私も入ったことないんですけど、そんなにいいんですかぁ」
「そりゃもう」
まあ現実の犯罪率なんかどうでもよくなるほどに、妙に完成度の高いお風呂でびっくりだった。水の感触をVRで再現するのは至難の技らしいが、ここでは見事にそれを再現している。
傷をつければ血が流れるし、唯一排泄がないくらいで、リアルと大差ないのはすごいとしか言いようがない。
「ひっひっひ。まあお風呂は後で入るにしても、あんらくさん。傷治りましたかぁ?」
「あ? ああ、治ったぜ。座ってるうちにがーっとな」
「HPの方は?」
「全快だ。問題ねぇ」
「あなたの知らない体力の仕組み」を食い入るように読んでいたニコさんが、あんらくさんの答えを聞いて満足そうに頷いて本を閉じる。
「この世界は、とても興味深いですねぇ。まさしく世界と呼べるほどの完成度です」
「はぁ? それが俺の傷と何の関係があんだよ」
「――あんらく君、次入ってきなよ。妙に完成度高いよ、ここのお風呂」
怪訝な顔をして首をひねるあんらくさんに、お風呂から出てきたルーさんが声をかける。髪の濡れ具合にまで心血を注ぐ必要があるのかはさておいて、運営はこのVRに本物の異世界を形作る気でいっぱいらしい。
床に座り込んでいたあんらくさんが立ち上がり、ジジイの後なんて萌えねぇとか言いながら風呂場へと歩いて行く。
「ニコさん、その本どう?」
首にかけたタオルでがしがしと頭を拭きながら、ルーさんも座敷に腰掛ける。飲食店によくある、靴を脱いで上がるお座敷のような形のテーブルを囲み、ニコさんとルーさんと自分でその本をじっと見つめる。
「まさに知らない仕組みが書いてありました。必要性があるかと問われると、ある可能性が高いとしか言えませんねぇ」
「……まさか、ポーションとか回復薬系に関わる事?」
「そうですね。仕組みを理解していないと、ここぞという時に手痛いしっぺ返しをくらうことになるかもしれません」
アンナさんが出してくれた紅茶を飲みながら黙り込むニコさんを、だらしなくテーブルに顎を乗せたまま見上げれば、ちりんちりんと音がして誰かが店内に入ってきた。
振り返ってみれば先程見たウルフカットの白い髪――フベさんがそっと微笑んで、こんばんはと頭を下げる。
「お話があるんですが、この場をお借りしてもよろしいですか?」
カウンターの向こうで仕込みをしているアンナさんにそう伺い、静かに頷かれてフベさんがにこりと微笑みながらこちらに向かって歩いてくる。
靴を脱がずに一礼し、情報交換を致しませんかとすらりと切り出した。
「フベと申します。お話としては、統括ギルドで本を借り、ポーションを作ってみたんですが、どうも効果がわからなくてですね」
「……テメェ、フベ。そんな得体の知れねぇもん俺に渡したのか」
まるでカラスの行水。あっというまに血と泥を洗い流して風呂から出てきたあんらくさんが、フベさんの一言を聞きつけて低く唸る。
「あんらく君はVRでも丈夫そうだから」
「ふざけんな」
「とりあえずお話があるから後でね?」
「……相変わらずのクソ野郎め」
珍しく自分からあんらくさんが白旗を上げ、濡れたタオルを被ったままどっかりと自分の隣に腰掛ける。髪から水が滴り落ち、シャツが濡れていくので仕方なくタオルでがしがしと拭いてあげれば、文句は出ないからまあ良いのだろう。
「良いですね、家族団欒みたいで。混ぜてください」
「はいはい。ほらどうぞ」
掘り炬燵を模したテーブルに座る自分達を見て、途端に羨ましそうな顔をしたフベさんが素直に自分も混ぜろと要求し、全く退く気配がないあんらくさんを見てルーさんが席をずらす。
ニコさん、ルーさん、フベさんの順で並ぶ向こう側を眺めつつ、あんらくさんの髪を拭く役をギリーに任せて少しだけ位置をずらしていく。
こちら側はアレン、自分、ギリー、あんらくさんの順だ。ギリーの肉球で器用に髪を拭いてもらっているあんらくさんが低く唸り、なんの話だと切り出せば、フベさんが笑いを噛み殺しながら話を始める。
「ポーションを作ったんです。統括ギルドで本を借りて」
「はああ? テメェのアビリティは?」
「〝見習い精霊術師〟だよ? 忘れちゃったのあんらく君」
「あんで精霊術師がポーション作ってんだよ」
「興味だよ。結果としては作れたような、そうでないような。皆さん気づいていると思いますけど、【Under Ground Online】って基本はアイテム名が表示されないんですよね。だから液体としか表示されなくてちょっと困ってるところで」
「それって普通じゃないんですか?」
「現実ではそんなチェック機能ないけれど、普通のRPGでそれがないのは致命傷ですね。だって自分が今何を手にしているのか表示されないんですから」
アイテム欄は存在しているが、そのアイテム欄に表示されるのは統括ギルドでもらった袋の中に入っている物と、直接手に持っている物、抱えている物のみで、しかも表記が『ライン草』なら『草』としか表示されないのだとか。
途端に嫌そうな顔で頷くルーさんは心当たりがあるようで、にこやかに微笑むフベさんに問いかける。
「……あ、やっぱりバグじゃないんだ、それ。統括ギルドで聞いてみた?」
「勿論。答えてくれましたよ。この世界では全てが現実的であることが望ましいので、おおまかな分類しか表示されませんと。仕方がないので鑑定系のスキルはあるのか聞いてみたら、なんと」
「なんと?」
「なんとなんと。鑑定系のスキルを持っている人は、図鑑を常に携帯しているのと同じだと言うんです」
「……なんだって?」
「つまり、自分でその図鑑――分厚い本が出てくるらしいですよ――を開いて、探して、特徴を見て、判断するそうです」
でもやっぱり現実と一緒で似たような毒草とかあるらしいですから、間違えた時は推して知るべし、ってやつですねとフベさんが笑えば、ルーさんが呆然とした様子で放心している。
「……そのアイテムの正確性は、使ってみなきゃわからないと?」
「特に動植物に多いようですね。鉱石系はギルドの機器で判別してくれますが、それ以外は自力で何とかするしかないようです。生産職も右往左往してますよ。医者系アビリティはあまりの複雑さに匙を投げている状態です」
ポーションの作り方が複雑怪奇なんだとか、と言いつつも、作ってみた本人からすればそうでもないらしい。
「確かに複雑ですが、現実ほどシビアではありません。あくまでもゲームの中の例としては複雑怪奇というだけで、薬草は同時に毒草でもあるといった当たり前のことに準拠しているだけです」
後は体力等の仕組みの原理を理解すれば、大丈夫でしょうとフベさんが言い、同時にそのことについて話をしに来たのだと言う。
「この世界において基本的に不可能なことは存在しません。アビリティは確かに資格、才能ですし、スキルは能力としての立ち位置を持ちますが、しかしアビリティもスキルもなくともポーションは作れます」
「……ちなみにそれどうやって作るの」
「後で教えましょうか。その前に体力についてです。私の目的は情報の共有です」
その点については良いですか? とフベさんが問えば、ニコさんがいいでしょうと頷いて話は決まる。
「では、その本を最初に読んだ貴女の意見は? 私が借りる前に貸し出しがあったと言われてしまいまして、知りたいんですよ。どうしても」
統括ギルドの貸し出し本は、どうやら数に制限があるらしい。そんな部分までリアルじゃなくてもと思いつつ、みんなでニコさんを見ればニコさんはにんまりと笑みを作る。
「〝この世界の現象は全て、論理的な説明が成されるべきである〟」
「――――〝この世界の人間は、肉体という入れ物の中身である魂を、出口に蓋をすることで留めているのである。そして、その出口に施された蓋が体力であり、濃い魔力の塊であるという。体力とは心臓を動かすのに必要な魂を保護する最も濃い魔力であり、そして、その濃い魔力は肉体がダメージを受けるとそれを修復しようとする性質があり、傷口を治す力があるという。そのため、時間経過と共に傷が自然と癒え、同時に体力が回復する。そのため、ダメージを受ければ受けるほど濃い魔力はその修復のために、蓋の役目を放棄して、蓋が無くなった魂がそのまま肉体から飛び出してしまう。これがこの世界の死という原理である〟」
一呼吸を入れながらも続けて長い冒頭をそらんじたニコさんに、元気のいいルーシィの声が即座に響く。
『つまり、魂についてお話をした時に出てきた、心臓を動かしている最も濃い魔力そのものが体力なんです!』
「いや、わかりにくいよ」
間髪入れずにルーさんのつっこみが入り、ルーシィの説明では荒すぎると指摘する。
「つまりは、肉体=瓶みたいなものなんでしょ? 瓶の中に魂ってものを入れて、蓋が体力」
『……そうとも言います。でもちょっと違います。魂と肉体と魔力と体力は密接に繋がっていて、その関係性を語らずして一部分だけ抜粋してもちんぷんかんぷんだと思いますよ』
「そうなの?」
『うーん、一から説明していいですか?』
はいはい、どうぞ。とみんなが頷き、ルーシィがいつものポーズと共に胸を張る。その小さなサポート妖精の口から飛び出た説明は、信じがたい程にくだらなく、また妙な情熱を感じる「設定」だった。
全てを聞き終えたルーさんが、思案顔で要点を噛み砕き、纏めていく。
「――つまり、肉体を動かしているものは相互に関係していて、簡略な説明が難しいっていうのが結論かな?」
「そうなりますね。だから心臓が止まらなくとも魔力の流れがストップすれば、死んでないのに身体が動かなくなる、なんていう状況が生まれるんです」
「何そのややこしいサイクル。それ理解してないと、まさかまともにポーションとか作れないって話? フベ君」
話としては筋が通っているのだが、一発で理解しろと言われると確かに少し悩むだろう。だが意外と図解して理解してしまえば簡単な話であり、そういうことかと納得ではある。
話の内容を理解した途端に嫌そうな顔をするルーさんに、苦笑を返しながらフベさんが頬をかく。
「そうですね。正しく言うなら、使うにも知識が必要です。自分の体質を理解しないまま薬を服用する馬鹿はいないでしょう?」
「……」
まさか運営がそこまで要求してくるとは、といった気分だ。一気に違う意味で重くなる空気の中、アンナさんが無表情のまま全員にお茶を出してくれる。
「水分……軽視しがちだけど、ステータス上重要」
「あ、ありがとアンナさん」
「そういやぁ、水分だの空腹だのってのがあったな。ステータス下がるんだろ、あれ」
「どこまでもしがらみが追ってきますね」
「こんなゲーム初めてだよ。何だろうこのやるせない感じ。賞金首とか……ていうか賞金首って何、ゲームだよねここ? 魂ってなに。いや、魂があるのはわかるよ? でもそれに対して明確な理論を引っ張ってくる意味ってなんなの」
「賞金首に関しては調べましたよぉ、大丈夫です。全て解決できます」
「え、解決できちゃうの」
「出来ます。かかっている賞金額の100倍を払えば全ての罪は帳消しですぅ」
含み笑いをするニコさんに、フベさんが興味深そうに口元に手を当てて呟いた。
「……裏金ですか。奥が深い」
「深いじゃないよ。たまったもんじゃないよ、こっちは」
完全な死が無いこの世界において、罪の全ては金によって償わされるのだという。つまり、損害を与えた分にかなり増し増しで賠償しなければいけないということである。
「ちなみにかかってる金額は……?」
「あんらく君が10万フィート、ルーさんが8万フィート、狛さんが5万フィートですよ」
「無理だ。払えない」
フベさんが言った金額を聞き、即座に脳内で電卓を叩いたらしいルーさんが1人分も払えないよ、と放心したまま囁く。
どうやら稼ぎと必要な金額が、どう考えても釣り合わなかったらしい。青い顔でぶんぶん首を横に振るルーさんに、にこやかにフベさんが追い打ちをかける。
「因みに、賞金首の方が死に戻りすると教会から出る際にお金を取られるらしいんです。他にも、統括ギルドに登録されている正式な賞金首の方はPKでも賞金が貰えるのか、生け捕りじゃないと貰えないのかがはっきり書かれているそうですよ」
「……ちなみにフベ君、僕等は?」
「勿論PKでも貰えるようです。ですが、生け捕りだろうがPKだろうが、〝始まりの街、エアリス〟の中にいる限り安全です。街の中でのPKは出来ませんし、生け捕りの条件である魔封じの枷の使用も禁止されています」
「魔封じの枷?」
「文字通り、魔力の流れをせき止める道具らしいです。魔力が0になってもこの世界の身体は何の影響も受けませんが、流れが停滞することで動かなくなるらしいんです」
魔力が巡っていなければ身体は動かない。完全に動けない状態にしなければ生け捕りにしたとは認められず、元気なまま引っ張ってきても意味がないらしい。
お高い値段の魔封じの枷は売られていても、セーフティーエリア外でのみ使用が可能なことから、エアリスにいる限りは安全だという。
「ひっひ、ちなみにですねぇ。この街の中でだけ適用される法律――条令みたいなものです――が存在するんですが、それを破って通報されると街中でNPCの自警団に捕まって、罪を犯した分だけお金を持っていかれます」
「……また金かよ」
吐き捨てるように言うあんらくさんに、リアルの税金の徴収よりも厳しいとニコさんは言う。
「すごいですよぉ。悪人に人権は不問とばかりに毟られますから。持っているお金を取られ、足りなければ身に着けている防具も武器もその場で売られ、アイテムも売られ、初期装備の状態になってまだ足りなければ……」
「……足りなければ?」
「足りるまで、手にしたアイテム、武器、防具、お金、全てがお金の代わりに没収されるんです。天引きみたいに。水でさえも消えた時はびっくりしましたぁ」
ああ、いるんだ。身を持って検証しちゃった奴、とみんなの目にそっと同情の色が浮かぶ。誰が検証したのかは言及しませんというフベさんに、みんなが静かに同意を込めて頷いた。
「じゃあ街中でルールを破るのはよろしくない、ってことか。でも法律ってどこに?」
「統括ギルドで借りられますよぉ。ですが職員さんの言うことを信じるならば、街の中だけに適用される法律は、リアルとそう変わらないから、モラルをもって行動していれば特に問題ないそうですぅ」
「なるほど、まあそんなに気にする必要はないか。それよりも問題なのは賞金首だよ。どうなってんの全く」
「先程も言った通りに、全ては金で解決されます。PKされた場合はそのまま罪が帳消しに、生け捕りの場合は賞金額の10倍のお金を毟られてぽいされるらしいです」
黙り込んだルーさんを笑いながら、あんらくさんがお茶をぐいと飲み干す。フベさんは気の毒そうな顔をしてはいるが、面白がっているのが見て取れるほど肩を震わせて笑い声を噛み殺している。
他にも、ニコさんによれば、統括ギルドに登録されている賞金首をPKしてもPK経験としてカウントされず、また別途のカウントが存在するんだとか。
逆に言えば登録されていなければどんなに悪質な犯罪者もPKすればPKとしてカウントされ、登録が遅ければ自分が逆に賞金首となるということで。
「今まさにそんな状態ですよね」
「……狛ちゃん、本当にごめんね」
「いえ。楽しかったですし、巻き込まれたというよりは首を突っ込んだが正しいので」
別に流されて巻き込まれたつもりはない。積極的に作戦には加担したし、後悔もしていない。なによりこれはゲームであるのだから、こんなシステムも悪くないと思えるくらいには、実際の戦闘は自分の性に合っていた。
あんらくさん程ではないが、自分も戦闘が好きなのだ。戦う理由が出来た事は、そう落ち込むようなことでもない。
「……ならいいんだけど」
一番落ち込んでいるルーさんを逆に慰めつつ、話を本題に戻そうと提案すればフベさんが居住まいを正し、1冊の本をテーブルの上に滑らせる。
「統括ギルド推薦書籍、「膨大なるポーション研究:その1」です」
「いやいやいや、膨大過ぎるから。まさかこれ1冊全部必要なの!?」
もうRPGの常識とか運営は捨てちゃったの、とか叫ぶルーさんを尻目に、フベさんは落ち着いたようすで本を1ページめくってみせる。
そっとみんなで覗き込んでみれば、「1:ライン草を使用したポーションについて」との記載があり、その後に続く細かな文字に一斉に眉をひそめる。
「ポーションの作り方は一辺倒じゃありません。今の所ライン草は薬草であるという話が広まっていますが、事実ですが真実ではありません。ポーションはレア度などは何も関係なく、ただその製法と材料によってのみ効果が変わり、そして使ってみなければ回復量の基準すらわからないという無茶ぶりです」
一応、同じ材料で同じ手順を踏んだポーションは誤差はあるが、回復量の平均は一緒らしいですとフベさんが言い、ニコさんは含み笑いを途中で引っ込め、引きつった顔で黙り込む。
「ライン草と他の薬草の組み合わせだけでも膨大です。しかも、分量を間違えると一気に毒薬になりそうなんですよね。どうやら高い効果を期待される薬草であればあるほど、毒性も強く匙加減が難しくなる傾向にあるようです」
この様子だと、検証はしていないが飲み過ぎは身体に良くない気がするんです、と続け、その発言にみんなの不安が一斉にかき立てられる。
おかしい。流石にゲーム初心者の自分でも、これはゲームの範疇を超えている気がする。
「薬と毒は紙一重って言うし……ここまでリアルで薬物中毒がないほうがおかしいよね。あれ? いや、RPG的にはそう考える方がおかしいのか? いやでも……」
暗い顔をしてルーさんが自分の考えをぼそぼそ呟き、周りも深い溜息と共に「膨大なるポーション研究:その1」を悩ましげに見つめだす。
その1というからには2も3もありそうなところが、【Under Ground Online】の怖いところだ。
「と、いうわけで。ポーションの作り方としては様々な作り方があり、恐らくその過程によって効果も違います。粉にするも、生でどうにかするのも、煮るのも、何でもレシピは書いてありますが、その結果と材料の組み合わせは書いてありません」
しかも、フベさんが言うには書籍を読み込んだ限り、材料の組み合わせによって最適な加工法が違うようで、それこそ組み合わせは無限大だという。
しかしながら、みんながひっかかったのはそこではない。ルーさんが恐る恐る手を上げて、フベさんに質問をくりだした。
「え、材料の組み合わせって全部書いてあるんじゃないの?」
「基本はポーションがどのような仕組みで体力を回復しているのかが詳しく書かれていまして、他にも材料になる植物その他の効能が事細かに書かれているという感じです」
「レシピが書いてあるって……」
「植物その他を服用できる形にする大体の術は書かれていますが、特定の組み合わせに言及したレシピは残念ながら載っていません。簡単なヒントは書いてありますが、自信を持てないほどに曖昧な記述でして」
「それでよく仕組みを理解すれば何とかなるとか言えるね!?」
無理だろそれ。無茶だよ、無理だよ、無謀だよ、とルーさんが呻き、あんらくさんは貰った試作品ポーション(黒)を揺らしながらじっと見つめる。
もうこれ毒薬だろう、という目付きでフベさんを睨むあんらくさんに、そっと微笑んで目を逸らすフベさん。中々の強者だ。
「研究あるのみです。はっきり言って攻略に体力回復の術がないのは詰みが見えます。そのため、攻略組でも最優先でポーションその他の研究をするように言われたんですが、今回のニコニコさんの件で私のギルドは攻略組とは縁を切りました。今後はギルド単独で活動する予定です」
お力になれず申し訳ありませんでした、と頭を下げるフベさんに、ニコさんは含み笑いでもってそれに答える。
「ひっひっ、ご冗談を。フベさんはしっかり暗躍してたじゃないですかぁ、ユアに耐久度を落としたグラディウスをお渡しになったの、貴方ですよねぇ?」
え、という声がおもむろに響く。確かにメッセージであんらくさんがユアのグラディウスを噛み砕いた勇姿は伝えたが、なるほどあのグラディウスは耐久が落ちていたからあんらくさんでも噛み砕けたのか。
「やっぱりかフベ、この野郎」
ポーションを揺らしていたあんらくさんが低く唸り、フベさんが困ったように頬をかく。
ギリーが場の空気など関係なく、お菓子の皿に頭を突っ込んでいるのが可愛い。アレンに目立っていると声をかけられ、ギリーがはっとした様子で辺りを見回すからそっと見ていないふりをするも、気付かれてしまい照れ隠しに足を甘噛みされる。
「……あれぇ、白を切りとおすには厳しい雰囲気ですね。まあでも、それくらいしか出来なかったんですから、申し訳ないのは本当です」
「本当に暗躍だね。相変わらず好きだね、フベ君」
「ええ、大好きです。暗躍」
ついに恥ずかしそうに掘り炬燵の奥の方に潜り込んでしまったギリーを慰めつつも、アレンと一緒にギリーをつついて遊んでいたら、本当に出て来なくなってしまった。
ぴくりともしないギリーに慌てて謝罪を繰り返し、斜めの機嫌のままようやくひょこりと顔を出す。
「楽しそうで良いですね、私も触っても?」
話を聞かずにギリーと遊んでいた自分に身を乗り出し、フベさんがわくわくとした顔でそうたずねる。食い殺さんばかりに唸り声を上げるギリーは諦め、じっとアレンと見つめあう図はまさにシュールの一言だ。
「……」
『……肉』
長い沈黙のその後に、アレンが発した一声に厳粛な面持ちで頷いたフベさんは、そっと手を伸ばしてアレンの頭を撫でる。
どうやら食い物で釣られたらしいアレンはそのまま掘り炬燵の下をくぐってフベさんの元に行き、膝に頭を乗せて存分に撫でてもらっている。やはりドルーウは肉食らしいし、モンスターにも空腹の数値があるらしいから、今後は食糧問題も解決しなければならないだろう。
そういえば3馬鹿は大丈夫だろうか。お腹が空いたと騒いでいなければ良いなと思いつつ、フベさんにお礼を言う。
「肉とか、ありがとうございます」
「いやいや、相応の対価ですよ。良いものを用意します」
楽しそうにアレンを撫でるフベさんを、あんらくさんが冷たい目で睨みつける。ポーションの件をまだ怒っているらしく、試作品ポーション(黒)をルーさんに押し付け、こんなもん飲めるかとぼやいている。
「いや僕だってこんなの飲みたくないよ」
「そうですね。でも実験は必要なので生きるか死ぬかの時に使ってみてください。仕方がないのでこちらでは〝どどんが〟君に飲ませて試してみますから」
書籍はこのままお貸ししますから、1週間以内には統括ギルドに返しておいてくださいと言いながら、フベさんがお暇しますと立ち上がる。
アンナさんにお茶をありがとうございましたと礼をして、最後まで礼儀正しく振る舞った悪役趣味――暗躍大好きなフベさんは自分のねぐらへと帰っていった。
「収穫もありましたけど、嫌な情報ですね」
「本当に……どうしようかな。ポーション研究してみたい? 狛ちゃん」
「してみたいです!」
「……じゃ、やろうか」
何やら本を見る限り、とても楽しそうだと手を上げれば、涙目のルーさんがうんうんと頷きながら頭を撫でてくる。
しかしそのためには材料が必要だという話になり、ちょうどいいから3馬鹿達が見張ってくれているアイテムを回収しにいくこととなった。
一応、道中何があるかわからないので、自分とルーさんとあんらくさんの、掲示板曰く問題児3人組で出発する。いってきますと声をかけ、ギリーに乗って外に出れば、冴え冴えとした月が照らす街はとても静かな様相を保っていた。
人通りもまばらで、だいたいの店が閉まっている。肌寒い感じがすることから、今は秋とかそこら辺の季節なのだろうか。
「野次馬いませんね」
「あれだけ長い間話してたら流石に散るよ。そろそろログアウトの時のためのねぐらを確保しなきゃいけないだろうし」
「あ、そうか。ログアウトの時って睡眠扱いになるんですもんね」
「チッ、いたら引きずりまわす予定だったのによ」
寝る場所の確保に奔走しているんだろうというのは納得だ。街中でログアウトして睡眠状態になると、NPCによって教会に運ばれるらしく、目覚めると宿代と言わんばかりに金を請求されるらしい。
問題解決は全て金。何ともシビアな世界。
「よし、じゃあ出発!」
元気に呑気に掛け声をかけ、自分達は外に続く門を目指した。