第百四十八話:別アカの受難
何だかんだで時間が経ち、謳害も散った午後11時半近く。VR世界での時間も後30分で終わりを迎え、誰もが強制ログアウト後に、システムごと凍結される一日の終わりしな。
ある者は安全なセーフティーエリアの中で冒険の成果を確かめ、ある者はエリア外でも安全な隠れ家で楽しく鍋を用意する。
野生のモンスター達でさえもこの一時は寝床に戻り、夜に狩りをする者達は意気揚々と巣穴を出て、システム凍結までのわずかな時間を楽しんでいる。
――そんな中、何故か自分は〝迷宮都市、アルバレー〟。その入り口で、短い手足と丸い腹を持て余し、空しく地面に突っ伏すはめになっていた。
「きゅふっ……きゃふっ……あふぅ」
(さむい……じゃりじゃりする……つらい)
右を向けば迷宮の入り口である地下への大階段が。左を向けばこれまた別の迷宮の入り口があり、前を向けば巨大な壁。角のせいでふらつく頭を身体ごと捩じって後ろに向ければ、そこには真っ暗な大海原がある。
のろのろと頭を上げれば頭上に黄色い塊が見えるが、まるで近視の視界のようにぼやける世界では、それが本当に月なのかどうかすらもわからない。
腹の下には夜露に湿った砂浜と砂利。水を弾かない柔な毛皮が湿気に濡れて、地肌にまでじっとりとした不快感が忍び寄る。開いたステータスには空腹の二文字。
〝狛犬〟の時と比べると物凄い勢いでぎゅんぎゅんと空腹メーターが減っていくのを見て、自分は思わず遠い目をしながら、こんなことになった経緯に思いをはせた――。
第百四十八話:別アカの受難
――それは、全員でニブルヘイムの手の上に乗り込み、〝迷宮都市、アルバレー〟から30分かけて〝光を称える街、エフラー〟に辿り着いた時のことだった。
契約モンスターではないニブルヘイムはセーフティーエリア内には入れないため、砂竜は街の少し手前の草地に舞い降りた。
モルガナとその背に陣取るタマ。ギリーの背の上には小さくなった自分に興味津々のネブラと橙。
雪花は自分を腕の中に抱え込み、出会って以来、見たことが無いくらいにご機嫌な様子でニブルヘイムの手のひらの上から降り立った。
雪花は意気揚々と我らが『ランナーズハイ』の拠点であるツリーハウスを目指し、足早に街の中――つまり、セーフティーエリアに踏み込んだのだ。
まるでスキップしそうな……あ、いや、スキップしていたかもしれない。まあ野郎がどう歩いていたかなどはどうでもよく、重要なのは結構な速さで歩いていた、という部分と――、
「きゃいんっ!」
(痛い!)
「――え?」
――誰もが、未契約のモンスターはセーフティーエリアに入れないという、当たり前のことを忘れていたということだ。
「ッ、ボス!」
『あ゛ーッ!』
雪花が素通りできた壁にぶち当たり、自分はその衝撃に悲鳴を上げながら雪花の腕から転がり落ちた。
受けた衝撃はそう、ちょうど1週間前に〝魔術師〟と〝拳闘士〟のペアと戦った時、【デミット】で作られた鋼の盾に鼻から勢いよく激突させられたことがあったが、正直それとそっくりだった。
点滅する視界の端ではHPが減ったことで自動的にステータスが表示され、自分はその時、HPゲージが半分以下になっているのを見た。
そしてそのまま落下して、雪花が慌てて腕を伸ばしたものの、自分は受け身も取れずに背中から落ちたのだ。いや、まあ子犬に受け身が取れるわけないんだけど。
背中から落ちた衝撃は大きく、当然のように落下ダメージがあった。それはセーフティーエリアという壁に無防備にぶち当たり、ただでさえ減っていたHPにトドメをさした。
『あああ、雪花の馬鹿! 主が、主が!!』
仰向けに地面に転がり、衝撃に息を詰まらせ、痛みに手足を突っ張って痙攣する子犬はさも哀れだっただろう。最期に、ギリーが悲鳴混じりに雪花を詰っていた声が聞こえたのも当然だ。
ああ、そうだ。正直に言おう。たった二撃、それもちょっとした不注意であっという間に死に戻りました。
見る見るうちに視界は暗転し、その後よくわからない荒野に飛ばされたので、恐らくあれがモンスターの一時死に戻り場所、〝聖地シャルトン〟なのだろう。聖地、というわりには全体的に暗く、ずいぶんと重い景色だった。
けれどそこにいたのは本当に一瞬のことで、自分はすぐに〝【死に戻り優先権】が行使されます〟というアナウンスと共に再び真っ暗闇に放り込まれることになった。
ぼんやりと周囲が見えるようになった時には、見覚えのある光景。ぼやけた視界でもよくわかる、〝迷宮都市、アルバレー〟――その入り口にべちょりと放り出されていた、というわけである。
「……きゅふっ。あーっふ!」
(……マジかよ。よりにもよって壁の中か!)
どうすんだよこれ! と叫ぶも、哀れな子犬の嘆きを聞いてくれる者はいなかった。
当然だ。だって自分のせいで謳害がおき、謳害のせいで攻略部隊の最前線は今や体制を立て直すのに必死。後30分で凍結されるとわかっているのに〝迷宮都市、アルバレー〟に来るはずもない。
モンスター達も此処がイベント会場だからなのか、それとも迷宮そのものを恐れているのか、はたまた縄張りの関係でもあるのかチラリとも姿を現さなかった。
「なーふ、なーっふ!?」
(嘘だろ、掲示板書き込みも出来ないの!?)
これはどうにか現状を伝え、急いで迎えに来てもらわねば、とメニュー画面を立ち上げて、そこにある掲示板へのリンクが凍結されているのを発見。
当然のようにメッセも凍結されているが、そもそもプレイヤーとの契約不可である自分がセーフティーエリアに入れるようになることは未来永劫無い。いや、塩祭りの時は入れるかもしれないが、どうせ問答無用で凍結されているから関係ない。
「……きゅっ」
(……マジかよ)
運営から、モンスターはメッセも使えないし、掲示板に書き込みも出来ないよ☆ と暗に言われている気がする。他にも子犬だからか空腹になるのがものすごく早い。動くのも一苦労。ステータスはHPとMP以外は軒並み1桁代ときている。
それと角。そう角!
「ぐぁぁあーーっふ!!」
(ああもう角がくそ重い!!)
小さい角、と雪花は言ったが、この身体にとっては小さくとも密度が高くて重すぎる。子犬の頭に金属の塊アクセサリーをつけているようなものだ。
頭を持ち上げて普通に立っているのが辛いからと顎を地面につければ、それはそれで和毛がじっとりと湿ってきて、ふとステータスに警告が現れる。
――お前、そろそろ〈凍死〉するぞ、と。
「……」
ずっと雪花が抱いていたから〈凍死〉しなかったのだと気が付いたのは、その警告を見た時だった。
「きゃっふ、きゅーん! ひゅーんん!!」
(雪花、雪花ー! ウザいとか言ってごめん助けにきてーー!!)
死に戻りした5分後にまた死に戻りそうな状況に、思わずプライドが木端微塵になるような叫びをあげた瞬間。自分はあることに気が付いて口を閉じた。そうだ、此処に人が来ないとわかっているのなら、一度〝狛犬〟に戻ればいい。
新たな希望に角の重さも忘れ、自分はがばっと頭を上げる。慌てて短い手足でメニュー画面を起動させ――、
〝※アカウントの切り替えは〝狼〟のレベルが10以上から。一度切り替えたら2日(48時間)の間はアカウントの切り替え機能は凍結されます〟
「あ……あーっふ!!」
(そ……そういうことは先に言えよぉお!!)
――こんな便利なスキルが自由に使えるわけないだろ、という運営からの厳しい現実を突き付けられたのだった。