第百四十七話:くろくも
表示されたスキルの名前がまず強く視線を惹きつけた。名前は狼、読みは〝ルビルス〟。知識に無い狼の呼び名だが、スキル名よりも目を引いたのはその効果についての説明文だった。
【狼】――適応称号サブスキル。発動時の指定によって、段階別の〈獣化〉状態を付与するスキル。〈完全獣化〉状態時は、種族が〝狼〟に変化する。
「〈獣化〉付与……?」
段階別、と書かれたそれの条件を詳しく見るべく詳細に目を通し、正しい効果を理解していく。読めば読むほど、期待に自分の目が輝いていくのがわかった。
思うことはただ一つ――これなら別に賞金首のままでも、ギルドの皆と楽しく【あんぐら】出来るじゃないか! だ。
「雪花! やった、これならいけるよ!」
「……ボス、要石ぶん取ってきて、3億でギルドオークションにぶち込むのだけはダメだからね? 倫理的に」
「……お前が自分のことをどう思ってるのかよくわかるけど、違うから」
あ、でも確かにそういう手もあったな、という顔をしたのがいけなかったのかもしれないが、失礼なことに雪花はじとりと自分を睨む。
「じゃ、一体どんなろくでもないこと思いついたの?」
「これだよこれ、【公開指定】!」
雪花達にも見えるように、表示画面を公開指定にしてから彼等を手招きする。雪花は胡乱げに、ニブルヘイムは興味深げにそれを覗き込み、はしからはしまで全部読みこんでから、どちらも感嘆の息を吐いた。
『なるほど、これならいけますね』
「……適応称号って、実はサブスキルの方が有用なんじゃない? ボス、よかったね。これでギルドに戻れるじゃん」
「だよね、これならいける」
適応称号サブスキル――【狼】。
〈獣化〉付与スキルとは書いてあるが、その実体は、ある意味で一部のMMOで言う所の、サブアバターや、サブアカウントを得られるスキルと言ってもいいだろう。
効果は段階別〈獣化〉付与スキルで、1割、3割、10割タイプの3段階。特に目立った必殺技や能力が無い代わりに、制限時間も無く、完全に任意で発動、解除が可能な特殊パッシブスキルになるらしい。
10割で〈完全獣化〉状態となり、種族が変化。保有アビリティは全て凍結され、〝狼〟としてモンスター専用スキルのみ扱える。
《完全獣化》状態ならCategoryもモンスターに変化するため、特殊武器、覚醒武器が使用不可になる代わりに、PKによる特殊武器の奪取ルールが適用されない。
【死に戻り優先権】有。契約モンスターとの連動は凍結されるが、契約は破棄されない。プレイヤーとの契約は不可。
〝狼〟としてスキルを増やしていくことは可能だが、全てモンスター専用の条件を達成する必要がある。
最後に、最も重要な原則ルール――完全獣化した〝狼〟だけは、別アカウントとして扱われる。
問題点は、モンスター状態の時は〝狛犬〟としてのアバターは凍結され、アビリティレベルやステータスの上昇などが起きない、という点だろう。上手く並行して鍛えなければ、ランカー達のステータスとあっという間に引き離されてしまうことになる。
「よし、じゃあ早速〈獣化〉してみるか。【狼】!」
意気揚々と自分はスキルを叫び、〈完全獣化〉を指定する。すると、黒い霧のようなものが自分を包み、次の瞬間――辺りがしん……と静まり返った。
第百四十七話:それは、くろくてふわふわのもこもこ
――まず、その状況に一番最初に反応したのは雪花だった。彼は呆然とした様子で下を見て、それから何かを堪えるようにバッと口元を手で覆った。
次にモルガナ、ニブルヘイムが雪花の視線の先を辿り、ぎょっとした様子で下を見た。最後に状況をよく理解出来ていなかったギリーが、皆が見ているから、という理由で視線を下に向け――絶句した。
橙はそれを見て不思議そうに首を傾げ、狛犬の首に巻き付いていたネブラは突然の落下に飛び起きながら機嫌の悪い声を上げ、やはり橙と同じものを見て首を傾げる。
タマはギリーの背の上からそれを覗き込み、何もわかっていない様子でこう叫んだ。
「ふわふわの、もっこもこがいるにゃー!」
ふわふわのもっこもこ。
そう、皆の視線の先には、黒くてふわふわのもこもこがいた。頭にはちょこんとした濃い灰色の巻き角が生え、大きな三角耳が斜めに突き出し、絶妙な丸みを見せる頭は角の重さにふらついている。
小さな鼻は丸っこく、黒いつぶらな瞳が不思議そうに瞬いた。ぺたん、と座り込む姿は愛らしく、ぽてっとした胴体は癖のある長毛で覆われている。尻尾は身体のわりに妙に大きく、そしてその全身は――びっくりするほど小さかった。
まるで羊の角が生えたぬいぐるみのような子犬に、雪花がついに我慢しきれずに手を伸ばす。
「ちょっ――これもう凶器だろ! すっごい可愛い、すっっごい小さい!」
言いながらそのふわふわのもこもこ――in狛犬、の子犬らしきものを抱き上げた雪花は、そこで更なる事実に戦慄した。
「――もっさん、ボス、ボスが……!」
『……なんだ』
「――片 手 に 乗 る !!」
『…………』
だからどうした、と言いたげなモルガナは、心底冷たい目で雪花を見た。これが美少年か美少女の話ならば、雪花よりもテンションを上げるモルガナだが、彼は小動物には全く興味を示さない。
『どれだけ小さくとも愛らしくともどうでもよいし、第一、中身は悪鬼――』
「何かぷるぷる震えてる! 子猫みたいに! 何この可愛い生き物!」
『聞け雪花! そいつは狂犬だぞ! 可愛いのは今だけなのだぞ!!』
スクショ撮ってスレに晒さなきゃ! とか言い出す雪花に、モルガナは、貴様見た目さえ良ければいいのか! と騒ぎ立てる。
喜々として片手に乗る自身の雇い主のスクショを撮りまくる雪花の横では、耳を伏せて困惑しきったギリーが子竜達にどうどうどう、と宥められていた。
背中に2匹の子竜を乗せ、その子竜にぽふぽふと背中を撫でられるギリーは、恐る恐ると言った様子で自身の主に鼻先を近づける。
『あ、主……?』
すると、狛犬は〝狼〟初期スキル――【魔獣語】でこう言った。
「――きゃふっ!」
(やべぇ、これ目も良く見えない!)
「――」
「あふっ! ――ぷしゅんっ」
(アビリティレベル1って子犬からかよ! うわ、鼻かゆい――)
「――――ヤバい、もっさんどうしよう。俺、萌え死にそう」
『そうか、死ね』
短い前足で必死になって鼻先をこする子犬の姿に雪花が胸を押さえてそう言えば、モルガナから鋭く冷たい一言が飛ぶ。
ニブルヘイムはこの姿じゃ触れませんね、と言いながらいつのまにか人に化け、角の重さにふらふらしている頭を愉快そうに指で突っついた。
当然、子犬の中身は狛犬なので、子犬は威嚇の声を上げながらばしばし、とニブルヘイムの指を叩く……が、アビリティ――種族レベル1の、正真正銘の子犬である狛犬のパンチなど、竜には綿で叩かれたようなものである。
「なふっ!? あふっ! あぁーふっ!」
(誰だ突っついてんのは!? ふざけんな、これすごい重いんだぞ! 小さいからってなめてんじゃねーぞ!)
「ふっ、はははは! 魔術と筋力の無い狛犬なんて怖くありませんね! 良い感じじゃないですか、こんなぬいぐるみみたいなのが狛犬だなんて誰も思いませんよ。貴方、このまま新大陸解放まではログインしないって宣伝して、雪花君の契約モンスターってことにしたらどうですか?」
「ナイス、ニブルヘイム! そうしようよボス、ね、そうしよ! 大丈夫鍛えてアビリティレベル上げれば成長するって!」
「……きゅふっ。……あっふ」
(……それでいいけど。……ニブルヘイム、お前戻ったら覚悟しとけよ)
「あーはいはい。雪花君、それでいいって言ってますよー」
「よっし。ボス、ポーズとって。一番いい角度を頼む」
「なぁーふっ! あふっ、あーっふっ!」
(雪花、お前もなに喜んでんだ! 焼くぞ、お前ら絶対に燃やすからな!)
『ああ、ちゃんと主だ。よかった……』
狛犬の【魔獣語】での暴言にギリーは安心したように息をつき、子竜達は何かご主人小さくなったね、と鳴き交わす。
雪花はスクショを撮りまくり、一番情報が良く回るスレ――通称ランカースレと呼ばれる『全力で今後を憂うスレ』へとスクショを貼り、高速で文字を打ちこんだ。
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507:【name:〝雪花〟】
ボスが新大陸行けるようになるまでログインしないって言うんで、〝迷宮都市、アルバレー〟で見つけた天使を代わりにボスと呼ぶことにした。というわけで、今日からこの子がウチのボスだから! みんなよろしく!
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狛犬を片手に抱えたまま、雪花は猛烈な勢いで寄せられるコメントに返事を書いていく。ギリーは中身が変わってないなら別に良いのか、ニブルヘイムと今日の寝床の相談を始め、狛犬はどうにかアビリティレベルを上げようと、メニュー画面に目を凝らしていた。
その様子も雪花はすかさずスクショを撮り、狛犬はそれに気が付かずにぎゅっと目を細めてメニュー画面に向かって短い前足を振り上げている。
指がないせいで反応が悪いのか、読み込みの悪いシステムにぎーっと不満げな声を上げるたび、にやつく雪花に後ろからモルガナが蹴りを入れるが、案外可愛いもの好きな雪花は全く動じなかった。
「ボス、適応称号最高だね! いやマジで可愛い!」
「きゅっ、わふっ」
(雪花がキモい、ウザい)
普段のちょいドライ傭兵キャラはどこにいった、と狛犬が言うが、幸か不幸か雪花には【魔獣語】はわからない。
それこそまるで雪花の妹である周がふーちゃん相手にきゃあきゃあ言うのとまったく同じ様子で、雪花は心底嬉しそうに子犬姿の狛犬の頭を撫でている。
「狛犬。今日の残り時間も後わずかですし、〝迷宮都市、アルバレー〟の統括ギルドを目指すより、〝光を称える街、エフラー〟の拠点に戻った方が良いんじゃないですか?」
「きゃふっ。あふっ!」
(そうする。この状態すごい疲れるから。ああ、こんなことなら最初から確認しとくんだった!)
完全に無駄足だよチクショウ! と吠える狛犬だが、ニブルヘイムはそうでもないでしょう、と言いながら人化を解いた。
『此処まで来なければ水の精霊王から雪花君へのプレゼントもありませんでしたし、それにエフラーで〈獣化〉するのは不可能だったでしょう』
大量の〝分析官〟に〝識術師〟が索敵、看破スキルを目一杯に発動している中で〈獣化〉すれば辿られるし、第一、エフラーで拾ったというのは不自然過ぎますから、とニブルヘイムは静かに言う。
『けれど、迷宮の中で拾ったと言えば信憑性もあるでしょう。何せ、中には妙なモンスターが山ほどいますからね』
「うー! なっふ!」
(いいなー! 〝狼〟状態で戦おうと思ってたのに、これじゃ歩くだけでも大ごとだよ!)
もっとかっこいいのを想像してたのに、と吠える狛犬を抱え込み、雪花が満面の笑みで立ち上がる。じゃ、戻ろうか! とご機嫌な雪花に、不満一杯で半眼の子犬in狛犬が唸るのは止まらない。
「ほら、そう唸らないでボス……あ」
けれども、いい子だからさー、と余計に狛犬の苛立ちを煽る台詞を吐きながら、雪花は途中で妙案を思いついて狛犬の耳に唇を寄せ、小さな声でこんな悪い考えを吹き込んだ。
「――……可愛くしてたらイケメンの膝も、美女の胸も堪能し放題だよ」
「――」
その考えに、ぴたりと大人しくなった狛犬が何を思ったかは誰の目にも明らかだったが、一応、誰も何も言わなかった。
そしてその日、ほぼとんぼ返りで、表向きは狛犬不在のまま、狛犬一派は無事にエフラーの拠点に戻ったのだ。
モルガナ曰く、天使(笑)を連れて。