第百三十八話:青い鳥のドッペル
第百三十八話:青い鳥のドッペル
「弁明は聞かない。樹木、責任を取れ」
赤毛の男の宣言に、自分以外の、この場にいる誰もが頷いた。
庭先での出来事から、自分が落ち着くまで数十分。時間をかけて待っていてくれたブランと、氷室豹雅と名乗った赤毛の男は、我が家の客間に自分と同じように座っている。
ゴーグルをつけ、視力を――すでにこれが偽りの視力だとは分かっているが、それでも自分を騙して取り戻した〝目〟で、かつてない人数の客で埋まった空間を見る。
ブランも氷室さんもどう見ても人外なので違和感しかないが、更に違和感をかき立てる存在がいるのであまり気にならなくなってきている。全員の目の前には、ブランが我が家の台所で淹れた玄米茶が湯気を立てていた。
香ばしい匂いをゆっくりと吸い込んで、まだ動悸が止まない胸を押さえる。ブランが心配そうに視線を向けてくるので、ぎこちなくだが微笑んだ。
先程までの対応とはかなり違和感があるかもしれないが、素面の自分にはあんな鷹揚な態度は無理だ。
第一、記憶もある、別人格でもない。けれど、あれはしこたま酒を飲んだ酔っぱらいのような状態で、素面に戻れば何故あんなに気が大きくなっていたのか、首を傾げる類の〝違い〟だ。
確かに言うことは変わらないだろう、〝自分は自分だ〟。けれど、けれどもだ。酔っぱらった自分を別人格とは言わないだろうが、いつもと違うということもあるだろう……と、自分は思うのだが、周りから見るとまるで別人だと言うのである。
確かに、こうコロコロと変わるというのは何か身体にも負担があるらしく、先程から動悸が止まらないが、それだけが理由でもないと思う。
恐々と顔を上げ、他の2人に習って琥珀さん――もとい、氷室さん曰く〝樹木〟を見る。彼もまたルーシィやブランの言うことを信じるのならば人外、しかも何やら珍しい存在であるという。
何がすごいのかは自分にはわからないが、特例中の特例である、意思を持ったホムンクルス。至高の錬金術師でもあると自称する彼は実に尊大な態度で椅子に座っていて、責任を取れと言う氷室さんの言葉にもどこ吹く風の様子だった。
「責任も何も、僕のせいじゃありませんし」
生ける彫刻の美が口を開き、耳に心地よい低音がそのセリフを彩る。彼はむしろ責められるべきは僕じゃない、とでも言うように、すい、と鵄色の瞳を玄関の方へと向けた。
「大抵のことは魔女ジンリーが全ての元凶であり、僕はその企みを防ごうとする者にいつも助力してきた功労者ですよ? 第一、僕が守るのが下手なのは周知の事実じゃないですか」
――僕はね、何でも出来るんだ、なんて豪語するのは子供が出来てから止めたんです。
そう言い捨てて、彼はぷい、と刺々しい銀色の視線から顔を背けた。そのまま沈黙する彼を睨むのは諦めて、銀の瞳はこちらに向けられる。
一瞬だけ、ためらうようにその銀が曇り、氷室さんはそれから、重々しい吐息と共に何故自身が我が家の庭先にいたのかを語り始めた――。
全てを教えてくださいと言った自分に、氷室さんはいくらかぼかして話をしてくれたが、その度に茶々を入れてくる琥珀さんのおかげで、魔法関連総合結社だというソロモン、それを纏める王の話、自分がその血縁でもあり、手違いで起こった禁忌の結果に生まれたことも全て完璧に聞いてしまった。
それこそ、自分が望んだ通りに何から何まで。
叔父がそのソロモンの幹部をやっているとか、かつては父も錬金術を習った錬金術師だったとか、ソロモン王や、彼女が手配した人達によって常に我が家は守られているのだとか。
氷室さんがものすごい目で琥珀さんを見ているが、彼は彼で悪びれた様子も無く、下手に知らないと悲劇の元になりますよ、と言って涼しい顔でお茶を啜る。
「僕はね、長年生きてきていつも思うんですよ。〝知らない方が幸せだろう〟、〝知ったら辛い思いをする〟、〝時が来るまでは、まだ教えるべきではない〟とか言って当事者達に隠された情報のせいで、どれだけの悲劇が巻き起こされたか――」
創作物でもよくそういう展開ありますけど、実に無駄だと思いません? ねえ狛乃さん、などと言われ、与えられた情報の整理だけで精いっぱいの自分は辛うじて頷くばかりだ。
とりあえず今は紙に書いて纏める作業で大忙しな自分を見て、彼は満足そうに何度も頷いた。
琥珀さんはブランにお茶のおかわりを要求しながら、当事者であるからこそ、望んだからには全てを知っておくべきだとそう語る。
「知っていれば起こらなかった悲劇なんて掃いて捨てるほどあります。教えないこと――それは、善意や優しさを装った自己満足と欺瞞に他ならない。時が来るまでは? 時が来た時には、もう全てが手遅れになる寸前だということを人はもっと考えておくべきです」
どうせどれだけ遠ざけても、起こるべきことはいつか起こる。ならば、それが悲劇にならないために、無知で無いことは必要なことだと。
涙ながらにどうしてもっと早く言ってくれなかった! と叫ばせるようなことを避けたいのならば、言えなかったのだ、などと言っていないで、とっとと全てを語ってしまえ。
「――――」
そう言い切り、人外中の人外は自分に全てを教えてくれた。いや、知った全てをふまえるならば、自分もまた人ではないのだから人外、と呼ぶのもおかしな話かもしれない。
亜神でもあり、魔術師でもある自分。それは教えられずとも自らの記憶が証明してくれている。問題はその先にある。
ソロモンの総会で、禁忌ではなく、禁忌になるかどうかはわからない、と保留にされた自分の立ち位置は、彼等から聞く分には随分と危うく思える。
現に、ブランはうんうんと唸りながらも仮定の話を描いては、自らでダメだ、と結末を予測して潰していっている。
氷室さんはそんなブランの話を聞きながら、ぼそりと低い声で呟いた。
「……ソロモンに籍を置き、地位と権力を固めることも1つの手だが、それはそれで魔女の思うつぼかもしれないからな」
「ですよね……変に関わらない方が……。でも、現状だと何が出来るかも……」
あーだこーだ、と彼等は言うが、目下の問題はそこではない。問題は……。
「そうですね。狛乃さんが心配する通り、目下の問題は貴方と関わりが深い人々の安全、ですよね?」
心を読んだかのような琥珀さんの発言に、氷室さんもブランも動きを止めた。そうだ、琥珀さんの言う通り、きっと魔女は自分には直接危害を加えてこない。そんなことをしても無意味だし、自分はある程度の自衛手段を持っている。
その度にああなるのは心労だが、問題ではない。魔女の狙いが自分という存在の消滅だというのならば、気にするべきは自分と関わりの深い人達の安全だ。
身の安全もそうだろうが、琥珀さんが言うには心の安全。現に、今のところ一番関わりの深い雪花には、すでに魔女の手が伸び始めているという。
詳しい事情は聞かなかったが、雪花もまた現実世界で大きな問題を抱えているらしい。けれど、さきほど様子を見て来た琥珀さんによれば、そちらには心強い存在が現れたのだとか。
「ええ、精霊竜と混血猫の、そのまた間の子ってやつですね。俗に竜猫と呼ばれる生き物です。本性を表せばそれなりの猫でしたからね、まあ魔女が強硬手段に出たら彼も何とかしようと動くでしょう」
そもそも、あの家が抱える問題は魔女がつつかなくとも、そのうち向き合い、解決しなければならない問題でしょうからしばらくは放っておいて構わないと思います、と琥珀さんが言うので、雪花のことは保留。
ルーシィやギリーに関しては、琥珀さんが構築するネットワークの内側だというので、特に急ぎの問題ではない。
後は現実世界でもやり取りするようになった弥生ちゃんだが、琥珀さんはそちらもしばらくは問題無いという。
「僕の友人の孫ですからね、そちらは僕が当人達に警告をします」
「琥珀さん、友達たくさんいるんですね」
彼の発言を聞き、ブランが感心したような声を出した。後は自分の叔父ぐらいだが、彼は魔女の性格も目論見も全てわかっていて、だからこそ接触してこないのだと氷室さんは言った。
関わりが無ければ悲しまない。自分に大した打撃も無いのに手を出すには、叔父はしぶとい上にかなり厄介な人らしい。
(……じゃあ、とりあえずは安心なのかな)
ほう、と安堵の息を吐くが、第2、第3の問題もある。まずは、完全に記憶を取り戻すこと、そして、視力と声を取り戻し、頬の火傷を取り去ること。
ぼんやりと思い出したものの、未だにそれらの原因となった恐怖の元凶は思い出せない。自分は何を恐れて目を塞ぎ、口を閉じたのか。それがわからなければ、克服も何もないのだから。
それ以外にも対処療法では魔女は諦めないだろう。向けられた矛先を砕くには、どうすればいいというのか。それもまた、問題の1つなのだ。
『どうすればいいと思います?』
合成音声でこの場に問えば、3人共に押し黙った。苦虫を噛み潰したような表情で、氷室さんがぼそりと言う。
「……そもそも、魔女はハブを取り戻すまでは諦めないだろうからな」
『魔女をハブのように封印するのは問題ですか?』
「問題……だろうな。魔女がハブのように世界を潰そう、というなら創造神も動くだろうが、今の状態では魔女を潰すほどではないのだろう」
ジンリーが魔女と呼ばれて数千年。けれど、魔女は女神と同義なのだ、と彼は言う。その上でちらりと自分を見て、氷室さんは言いにくそうにこう切り出した。
「……恨みがあるか?」
恨み――憎しみ、怒り、それらを抱き、魔女への復讐を目指すのか。遠まわしにそう聞かれた気がして、ゴーグル越しだが視線をまっすぐにそちらへ向けた。
自分の中で何かがカチリ、と動き、ごく自然に、自分の喉を使って声を紡いで答えを返す。
「機会が来た――その時に」
聞き慣れない声が耳朶に響き、そしてすぐに喉は息を詰まらせる。けれども必要なことは言った。自分の声で、自分の喉で。
それは狼の唸り声にも似た低い音。喉笛に噛みつける時が来ればそうするだろう、と。一瞬だけ怒りで恐怖を塗りつぶし、自分ははっきりとそう言った。
氷室さんはそうか、と頷き、沈黙を選ぶ。ブランは少しだけ身震いしたが、温かいお茶を飲んで小さな悪寒をやり過ごしたようだ。
魔女を仕留める機会があればそうするだろう。けれど、それは何を捨て置いてもということではない。死者のために行動するのは一番最後だ。今の自分には、今生きている大切な人達がいる。
ならば、必要なのは何だろうか。そう考えて、出た結論を自分はそっとキーボードに打ち込んだ。
『――自分は、現人神ハブの魂を探します』
機械音声の涼やかな声が、客間に静寂をもたらした。