第百三十七話:厄介事は雪だるま式
一部、非常に読み苦しい部分がございますが、ご容赦ください。
第百三十七話:厄介事は雪だるま式
「いいか、樹木。俺は何も見なかったことにする。だから何も言うな、語るな、説明するな」
お願いだから関わらせないでくれ、と。赤錆色の巻き髪に、銀色の瞳を持つ男はそう言った。
ソロモンの幹部として総会に椅子を持ち、義務として子供達への授業も行い、医者としても話の通じにくい組織の馬鹿野郎ども相手に仕事をし、そして今もまたソロモン王である鴫に信頼されているが故に、その男――氷室豹雅は此処にいた。
「見なかった。俺は何も見なかった。だから樹木、回れ右して、用が終わったら速やかに帰れ。俺は何も言わないから――」
「残念でしたね豹雅君、貴方は本当に運が無い。――あの子はロンダルシア家の一人っ子。一人っ子ですよ? いや大切ですよね、一人っ子ですし! 何かあったらトルカナがどんな顔をして何をするか! 勿論、遠縁とはいえ教師役もやっていて顔も知っていて、立場とか後ろ盾とかその他諸々含めて、豹雅君! 貴方が事情を全て知っていて敢えて何もしなかったとくればトルカナの大剣がどこを向くかは――ああ、それは僕にもわからないんですけどね? で、そのロンダルシア家の一人っ子がですね、兄としても慕うレジナルド・デヴァ・グランドハイヴを家庭教師として家に呼んでいたんですがね――レジナルド・デヴァ・グランドハイヴですよ? 違うレジナルドさんではなく。ええ、残念ながら同姓同名の別人はこの世に存在していないんですよ。がっかりですね、豹雅君。それでですね、ちょうど「現人神ハブと初代ソロモン王、その子供たちについて」なんていう歴学文を書かされたブランがレジナルドにそそのかされてロンダルシア家の家宝である「男神ハブの肖像」なんてものを見に行ってしまいましてね、そしたらなんと! レジナルドが後生大事に持っている「白井狛乃の写真」と「男神ハブの肖像」が驚くほどそっくりというかまあ、鎖錠遺伝子の影響で顔がまんまハブなんですがね? だということをブランが知ってしまいまして、これは大事ですよね、レジナルドの立場は吹けば飛ぶような――まあそうですね、吹いても飛ばなそうな男ですが飛ぶ時もあるじゃないですか、いいですね? 飛ぶんですよ、今回は。そんな大事に、泣けるじゃありませんか、少年は強い決意と共に大切な存在であるレジナルドを救い、また魔女の行いはロンダルシア家の者として「悪」であると言い切ったんです。それで何とか魔女ジンリーの企みを阻止するべく、まずは第一歩として亜神としての面が出てきてしまった、亜神ですよ、亜神状態。そんな状態の白井狛乃本人に面会して、とりあえず話をして何とかしてきなさいとぶん投げてから、見張り役の目は僕が誤魔化そうと思って来てみたらなんと豹雅君が居たものだからこれは良いと思って、誤魔化さずにブランがあの家に入るところを見てもらったというわけなんですよ!」
「――死ね樹木!!」
この間、止める隙さえも無く早口できっかり1分16秒。
息継ぎ無しの、人外であることを惜しみなく利用したノンブレス話法でもって知り合いを厄介事に巻き込むことに成功した樹木は、満面の笑みでその罵倒を受け止めた。
鈍い金髪をさらりと揺らし、ふふん、と胸を張った樹木はどや顔でこう言い切る。
「口も堅く、義理堅い自分の性質を恨むんですね! 誠実さを地で行くから、いつもこういうことに巻き込まれるんですよ!」
「そんな誠実な俺を死ぬほど厄介そうなことに巻き込んで、お前は何を誇らしげにしているんだ! おい聞け、この樹木! 少しは申し訳なさそうな顔が出来ないのか!?」
罪悪感の欠片も無い樹木はどや顔のまま笑い、見事に巻き込まれた豹雅がその胸倉を掴んで揺さぶれば――、
「あ~れ~」
「――」
樹木のふざけた態度に、ぶちり、と何かが切れる音がして、豹雅が一本背負いの要領で樹木をぶん投げる。けれどそこは人外中の人外。重力を完無視してふわりと着地し、樹木はぽん、と豹雅の肩に両手を置いてこう言った。
「と、いうわけで。僕は魔女の攻撃対象になっている他の家の様子を見に行ってきますから、もしも魔女の飼い犬――悪魔とかその他が来たら、ブランと狛乃のことをよろしく頼みますよ」
言いたいことだけを勝手に言い、指パッチンと共に樹木はかき消える。後には長身の男一人が残されて、秋の夜風に吹かれながら、がっくりと肩を落として手で顔を覆うばかり。
とりあえず煙草でも吸って落ち着こう、と男の手が懐に伸び、細巻き煙草を指に挟んで抜き出した瞬間。豹雅の指先にびりっと、ソロモン王が張った結界をすり抜ける者があったことを知らせる感覚がして、銀色の瞳がわずかに見開かれる。
「……なんで今日なんだッ」
どうして今日の今なんだ、と言いかけて、すぐさま豹雅の脳裏に一つの答えが鮮やかに浮かび上がる。
問題――「どうして今日なの?」。
解答――「ブランが家に入ったから」。
男の指が細巻き煙草をへし折って、唇が怒りに戦慄き、絶望を訴える呻き声がその喉からあふれ出す。
「詰めが甘すぎるぞ樹木……」
なんで何の対策もしない、と思うが、豹雅君に見てもらおうと思って、と言っていた樹木の言葉を思い出し、豹雅は更にがっくりと肩を落とす。
豹雅を巻き込むために隠さなかったから、敵にもばっちり見られていた、ということだ。詰めの甘さは樹木にはよくあることで、あの男は自分があまりにも強すぎるせいか、何かを守ることに関しては三流以下の能力しかない。
「……」
そもそも、深く考えることをしないのがいけない、と心の内で文句を言いながらも、豹雅は顔を上げて注意深く周囲を探る。へし折った細巻き煙草はポケットへ。長い足は緩やかに動き、護衛対象の家の敷地の中へと移動する。
庭の中で新しい煙草を取り出し、ゆっくりと火をつけて煙を吸い込む。甘苦い煙を吐き出しながら、豹雅は灰色のトレンチコートから黒く光るリボルバーを取り出した。
道路でそれはご法度だが、ソロモン王である鴫の結界の内側ならば――つまりは、白井家の庭でならば、どんな音も現象も外からはわからない。勿論、玄関さえ開けなければ中からも。
完全に閉じられた舞台の上、豹雅は死んだ魚のような目で無造作に立ち、宙に向かってそれをぶっ放す。
「あー、噛ませ犬に告げる。今、すごく機嫌が悪い。速やかに帰らないなら――」
そこまで言って、豹雅が怪訝な顔つきで玄関扉を振り返った。白井家の庭では、どんな音も現象も外からはわからない。勿論、玄関さえ開けなければ中からも。
――そう、玄関さえ、開けなければ。
「――恨むぞ樹木」
ばたばた、と玄関に向かって走り寄る足音が2つ。1つは無言で玄関へと走っていて、1つはこんな叫びを上げながらそれを追いかけている。
『ちょっ、落ち着いて下さい狛乃さん! 大丈夫ですから、とりあえず僕、確かに吸血鬼ですけど取って食ったりしませんから! ダメですよ、この時間から外に出ちゃ!』
リボルバーをしまい、両手で顔を覆う豹雅。諦めムードの彼の心情など誰もが無視して、状況は更にいちだんと悪い方向へと加速の一途を辿っていく。
止める間もなく玄関扉は開け放たれ、中からは盲目者用のゴーグルを装着した狛乃が部屋着のまま、その後ろからは赤い瞳に細い瞳孔、青いシャツがトレードマークのブラン少年がつんのめるように庭に出た。
狛乃は庭に出た瞬間、見慣れぬ男が庭に立っていることにまず硬直。ブランは逆にその腰に抱き付き、外に出すまいと押さえようとしながら、見知った顔を見つけてその赤い瞳を見開いた。
「怠慢先生!」
「俺がお前たちにどう思われてるかがよくわかった」
どうしてここに! と、知られちゃまずい! という2つの感情に責められ、ブランの瞳が気まずそうに泳ぐ。
狛乃は銀色の瞳なんてどう見ても人外、という結論に達したようで、慌てた様子で出ない声を上げながら下がろうとするが、侵入者がこんなチャンスを見逃すはずも無かった。
なん巴なんだかよくわからないような状況で、豹雅の視線の先で侵入者というより侵入物――黒い蛇を模した影が狛乃とブランに迫り、狛乃がゴーグル越しにそれを知覚した瞬間。
「――出ていけ!」
誰がそれを防ぐよりも早く。
その喉からそんな叫び声が上がると同時に、蛇の形をした影は跡形も無く深紅の炎に焼き尽くされ――庭のどこかからも炎が上がり、それは小さな悲鳴と共に消えていった。
そのままゴーグルを毟り取り、抱いた怒りのままに豹雅にも視線を向ける狛乃の頬に火傷の痕が無いことを見て取って、ブランがその腰に抱き付いたまま大きな声で狛乃に言う。
「狛乃さん――〝ホール〟の電源抜きましたか!?」
「――やばい抜いてない!」
と、反射のように狛乃が答え、まるで憑き物が落ちたかのように狛乃の身体は脱力する。頬の火傷は元に戻り、ゴーグルを手にしたまま見えない世界に座り込み、出ない声に喉を押さえて狛乃は玄関先にへたり込む。
ブランは手伝ってください! と豹雅に叫び、豹雅は何とも言えない表情でブランと共に血の気が引いてしまっている狛乃を家に引きずり戻し、
「……樹木を呼べ」
一番の元凶と思われる者を呼び出せと、ブランにそう言ったのだった。