第百三十一話:ワンコ、帰宅拒否なう
第百三十一話:ワンコ、帰宅拒否なう
「救護班はどうする!?」
「近づけないから編成するだけ無駄! それよりも死に戻った人達の精神ケアに人を回して!」
「これから挑もうって奴は例の動画見せてから聞いてやれ! 〝本当に行くのか?〟ってな!」
「消火部隊も引き上げさせろ! フィールドにいれば殺される、どうせもう樹海は丸ごと消し炭だ!」
「白虎さんが契約解いて『銀鱗刀雷丸』を向かわせた! 【隠密】解いて逃げるなら今がチャンスだ、報告と連絡を徹底しろ!」
怒鳴り声の指示と連絡が飛び交い、〝光を称える街、エフラー〟の統括ギルドは混乱と熱気に満ちていた。
巨大なモニターには、ショッキングなシーンのいくつかは外部への配信を独断で打ち切ったものの、ゲーム内に向けては一部始終を情報提供のために朶が配信し続ける狛犬――いや、悪鬼の様子が映っている。
草原を駆け抜け、降伏の声を上げながら逃げるプレイヤーさえも狩りながら笑う、彼とも彼女ともつかない存在。
自身の契約モンスターであるドルーウに運ばせた純晶石を惜しげもなく噛み砕きながら、魔術を撃ち、魔石を砕き、驚異的な動きと迫力でプレイヤーもモンスターもその爪で引き裂く様子は、まさしく狂犬といえるだろう。
全身を血で染めて、その瞳を暗く光らせ、無表情で振り返った狛犬に殺された第2陣のプレイヤー達の中には、そのあまりの恐怖に今も教会の奥で他のプレイヤーに慰められながら震えている者がいるほどだった。
実力というレベルを超えて本能から恐怖がかきたてられる狛犬の様子は、スレッドでも話題になった。けれど、〝狂犬、荒ぶる!〟などと面白く書き立てられていたのも最初だけだ。
その異様な雰囲気を纏ったまま、狛犬は街に戻るかと思われた足を草原に向けた。
ロメオの部隊を怖がり、運が良ければ狛犬が街に帰るまでに追い打ちをかけられるだろうと踏んで離れていたPKプレイヤー達はこれに喜んだが、その喜びもほんのわずかな間だけだった。
狛犬の首にかけられた1億という値札に目が眩み、何十人ものプレイヤーが集まっていた。群れた彼等は互いにライバルでもあり、同時に緩やかな仲間意識も持っていた。
数は力だ。敵は狛犬たった1人。何を恐れる必要があろう、と思ったが――、それはとんだ思い違いだったと思い知った。
犬は犬でも、狂犬の首にかけられた値札。赤竜トルニトロイをもってして、死臭のする狼、と呼ばれたそれの本当の意味を、彼等は忘れてしまっていたのだ。
――して、総数がいくらになるか数えるのも面倒なほどのプレイヤーの群れは、狂犬1匹の爪と魔術の前に敗れ去った。
彼等は考えるべきだった。想像してみるべきだったのだ。……血に酔いしれ、笑いながら人外じみた動きで竜爪を振るう存在が迫ってきたら、どんな心持になるのかを。
恐怖に足が竦むことも、VRなのだからあるのだと知るべきだった。
「チアノーゼさん、レベックを乗せた『銀鱗刀雷丸』、狛犬に接近! 狛犬は適応称号スキルを発動し、迎え撃つ気です!」
「今なら狂犬にあの虎と馬鹿野郎が倒されても驚きませんよ! さっさと近隣プレイヤーに避難勧告! ノアさん、この責任は取って下さるんでしょうね!」
「すまないがこれはこちらも予想外のことで、責任うんぬんは知らん! 明らかに様子がおかしい――回収」
「回収作業はそちらの負担で、勝手にやってください!」
私たちは狛犬の強制ログアウト時間まで後数時間、セーフティーエリアから出ませんからね! とチアノーゼがノアに向かって叫び返した。
ノアもそれには黙り込み、それもそうだな! と自棄になった様子で吐き捨てる。青褪めた表情でモニターを見る木馬は言葉を失っていて、呆然と荒ぶる弟子の姿を見つめていた。
そんな混乱の中、唐突にノアとチアノーゼ、木馬の背中に澄んだ声がかけられる。
「ノア!」
統括ギルドの扉が開き、血生臭い風と共にブランカが現れた。真っ白なパーカーに包まれた細腕は血に染まり、同じく赤く染まった純白の巨体を統括ギルドに引っ張り込む。
「ゆっくりだ、でも急げ!」
デラッジも後ろから顔を出し、狐型テイムモンスターに指示を出して純白の巨体――肩口を裂かれた一角獣、モルガナを運び込むのを手伝った。
息も絶え絶えな一角獣は血走った目でいななき、それでも人の言葉で愚痴を吐く。
『狛犬め――あやつ、ギリギリ致命傷にならない傷を……』
いっそすっぱりやってくれたら楽を出来たのに、と呻くモルガナに、ノアとチアノーゼが駆け寄った。
チアノーゼはすぐさまスキルを展開、〝研究者〟の派生アビリティが持つスキルはモルガナの傷を瞬く間に結晶因子で塞ぎ、彼女は自身の服が血で汚れるのも構わずにモルガナの身体に付いた砂や小さな泥をさっと拭う。
「誰か! 痛み止めスキル持ちはいませんか!」
「あ、俺がそうです! 皆さん、少し離れて――〝巡るもの 止まるもの その道を阻むもの〟【鎮痛】!」
チアノーゼに呼ばれ、すぐさま駆け寄って来た青年がスキルを発動。〝医師〟系アビリティが持つ基礎的な痛み止めスキルは淡い光と共にモルガナの痛覚を遮断し、痛みに呻いていた一角獣はようやく安堵の息を吐く。
『助かった――出来ればどちらも女子が良かったが、男子でもこの際構わん。礼を言おう』
「これだけ減らず口が叩ければ問題なさそうですね……忙しい中、ありがとうございます」
「はい、それではお大事に!」
青年にお礼を言い、チアノーゼが半眼でモルガナを見おろした。その隣で意外そうにチアノーゼを見つめるノアの視線に気が付いて、彼女は不愉快そうに顎を引く。
「……なんですか?」
「意外だったもので……ともかく、こちらからも礼を。助かりました、ありがとうございます」
「目の前に怪我をした人かモンスターがいれば助けるのは、私が所属する『世界警察』では、一応は当たり前のことです」
あくどい団体だと思われがちですが、治安維持と慈善活動を目的としているのも本当の事ですからと言い、チアノーゼは【あんぐら】において初心者PKを強く抑制する団体としての矜持を語る。
黙って頷くノアに続き、ブランカも礼を言い、続けてデラッジが前に出てきてふん、と生意気に鼻を鳴らした。
「やあチアノーゼ。『世界警察』を名乗るくせに、どうして虎女なんかの代理幹部なんてやってるわけ?」
そこら辺の矜持は無いの? と肩を竦めるデラッジに、チアノーゼは口元を引きつらせながら静かに返す。
「主に、いえ、全面的にアナタの家出のせいです。アナタが好き勝手にやらかした分を、私の尊い労働時間を使って補填しているんですよ」
「デラッジ、こんな時に馬鹿みたいに喧嘩を売ってるんじゃない。チアノーゼさん経由で『銀鱗刀雷丸』を貸し出してもらったんだから、白虎さんに対する暴言もやめるんだ」
あれは彼女の契約モンスターだぞ、とノアに注意され、デラッジは子供のように頬を膨らませる。
「どうせ、対外向けに何か対策をうたなきゃいけなかったのはあっちも同じだ。一番リスクの少ない札を切って、自分は出てこない奴のことなんて――ああ、わかったよ! 悪かったね! 謝ればいいんでしょ謝れば!」
虎女って言ってごめんなさいってね! と、最後に吐き捨て、デラッジはぷいと顔をそむけてしまった。ノアは溜息と共に苦い表情でチアノーゼに謝罪し、チアノーゼも苦労が多そうですね、と同情的にそれを受け入れる。
「それで、どうするの?」
あれをどうやって回収するの、と言外に滲ませて、少しだけ和んだ空気にブランカが切り込んだ。その発言に誰もが一瞬黙り込み、明らかに様子のおかしい狛犬に思いをはせる。
「口での説得がモルガナでもダメということは、物理で死に戻すしか――」
迷うノアがそう言った瞬間、呆然とモニターを見ていた木馬がノアに向かって悲鳴のような声を上げる。
「ノア――レベックが倒された!」
「あの役立たず、早すぎるだろう!」
モニターに映る映像の中で、赤い爪にレベックの腹が貫かれ、そのまま邪魔だとでもいうようにぶん投げられる。巨大な銀色の虎は異様に長い二股の尾を鞭のように振るい、紫電を纏わせて応戦するが、狂犬はその全てを滑らかな動きで避けていく。
時折、避けるだけではなく振られる尾を追って腕を振るい、その表面を覆う銀鱗を削り取っていく。纏う紫電は爪から噴き出す炎が相殺し、その度に小さな花火のような光が散った。
それは、【あんぐら】にいる全ての時間で培ったもの。本人が元々持っていた戦闘のセンスを土台に、ランカーと呼ばれたノア達が直接指導の下に徹底的に叩き込んだ技術の集大成。
それらは狛犬の研鑽と才能によって開花し、適応称号スキルによって圧倒的なステータスを得ることで、今や名のあるモンスターとの一騎打ちをも夢ではなくしてしまった。
「時間切れで止まるのを待つ以外、物理でダメなら説得――雪花も間の悪い奴。肝心な時にいないんだから」
デラッジがぼそりと言い、そういえばモーニングスター達は? とノアに問う。
「彼等は教会で宥め役を買って出た。どうする……どうする、誰の言葉なら聞くと思う?」
「ギリー君の言うことなら少しは聞くんじゃないの?」
『ドルーウの顔を見る限り難しいだろう。あれは恐ろしい。考え方が普段とがらりと変わってしまっている。前にもあったが、あの時は獲物は1匹だけで、周りに合わせるべき者達もいた』
だからあそこまで至らなかっただけだろう、とモルガナが床に座り込みながらブランカに言う。モルガナはそのまま鼻を鳴らし、雪花が泣き落とせば気も変わるかもしれないがな、とも呟いた。
『我はダメだ。我は……積極的に関わろうとはしなかったからな。我が狛犬をそこまで知らぬように、狛犬も我をよく知らない。そして、狛犬は深く知らぬものに愛着を抱かない』
致命傷にならない傷で留めたのも雪花の契約モンスターだから、という理由だけだとモルガナはいななき、狛犬を言葉で止めたいのならば、雪花がログインするのを待つか、ドルーウが絶えられなくなって帰ろうと言い出すのを待ってみるか、だと締めくくった。
「その、前にもあったっていうのは? いつのこと?」
『軟膏の材料を取りに行った帰りのことだ。グルアの群れを相手にナイフで仕留め、血を浴びて、雪花の静止を銃を突き付けて一蹴し、エンヴィーとやらを仕留めに行った時と目つきがよく似ている』
ブランカの質問に、すらすらとモルガナが答える。雪花でも結局止められていないではないかというブランカの疑問の目に、モルガナはこう付け足した。
『ドルーウなぞの言葉を借りるのは癪だがな――緩やかな日々の積み重ねは人の心を変えるのだ。〝それだけのこと〟があった。今ならば、狛犬は雪花の言葉を無下にはしまい』
たとえどんなに理があろうとも、人に言われたことに素直に従うタイプではないアレが、雪花に言われたことを思い起こして考えを改めたと雪花本人に言っていた。ならば、あの日と同じ結果にはなるまい、と言うモルガナの話を聞き、ノアは静かに決断を下す。
「……生放送を見た雪花がログインするのを祈りながら、被害者を増やさない方向で行こう」
最悪、どれだけ探しても狩る相手がいなければ帰らざるを得ないだろう、と言い、ノアは少しばかり青褪めた顔でモニターを見やる。
そこでは、赤に染まる狂犬と、銀の虎が踊るように戦い続けていた。