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【Under Ground Online】  作者: 桐月悠里
6:Under Ground(意訳――蓋然性禁忌)
142/256

第百十八話・半:淵源瞬く現実世界

 




 淵源えんげん――それは、物事の始まり。最初のきっかけ。この世に起こる全ての事は、すべからくそれらいんを持ち、として世界を循環する。


 始まり無くして終わり無く、終わり無くして始まりは無い。選ばれた道が絡み合い、そうして新たな道を開く。


 それはたとえ、仮想世界と現実世界でも変わらない。この世に完全独立した事象は無く、全てはどこかで繋がっている。


 地上でかれた種が地下で芽吹き、地下で芽吹いた種は地上で葉と花をしげらす。


 花は結実けつじつし種を蒔き、そうして全ては変化していく。




 ――そしてそれは、常に新たな出会いと問題を生み出すのだ。

























第百十八話・半:淵源えんげんまたたく現実世界
























「うん、今日はログインするよ。あの一件で、だいぶ休みが取れたから」


 右手でつるりとした〝ホール〟の機体を撫でて、男は穏やかにそう言った。


「うん、うん。弥生やよい姐さんは、〝エフラー〟って街に向かうんだね?」


 外には木枯らしが吹いている。もうすっかり秋も深まる、10月の今日この頃。


「ログインしたら、僕もその街に向かうよ。え? 適応称号持ちを探している人がいる?」


 眼鏡を指先で押し上げて、男――藤堂とうどう睦月むづきは、従姉弟いとこの声にそう聞き返した。


「『ランナーズハイ』の狛犬……うん、知ってるよ」


 イヤリング型の通話用小型端末に指を添え、睦月はこくりと首を傾げる。【あんぐら】のプレイヤーならば、誰でも知っているであろう人物の名前。


 それが従姉妹の口から飛び出たことに、小さな驚きと疑問の色がその目に浮かぶ。


 同じく適応称号を持つ睦月にとって、その名前は勝手ながらもわずかに仲間意識を刺激するものでもあった。


 ――二週間と少し前に、生放送で内外から有名になったギルドが今、第一回公式イベントの攻略のために、狛犬と相性の良い適応称号持ちを探している。


 その話を聞いて、睦月の心にじわりと期待感が滲む。残念ながらあの日は立会人としての仕事があって、生放送は見られなかったが、あの動画はちゃんと録画機能で全部見ていたのだ。


 小さな希望の滲む声で、睦月はすぐに口を開く。


「知り合いなんだよね? え、すっごく仲の良い友達? うん、そっか。わかった、じゃあログインしたら、一緒に行こうか。良いよ、大丈夫。会ってみたかったし、あのギルドにはグリフォンもいるし!」


 嬉しそうに拳を握り、従姉弟との約束を取り付ける。じゃあ、また後でと通話を切りかけて、はっとした様子で踏みとどまった。忘れていた要件を思い出し、慌てて待って、と声を上げる。


「あ、待って、弥生姐さん。おじいさまがね、頼みごとがあるから今週末、一緒に本家に来いって――」


 睦月がそう言った途端、通話先では息を吸う音。睦月が咄嗟にイヤリング型のそれをむしり取り、めいっぱいに耳から遠ざけた瞬間、


『――嫌! 睦月が1人で行って!』


 大音量の声が響き、睦月は冷や汗と共に、余韻にびりびりと震えているような気さえする端末を、ぞっとした顔で見つめた。疲れたような、呆れたような表情で、彼はそっとそれに囁く。


「……でも行かなきゃ、来ると思うよ?」


 そう言った途端、通話は切られた。


 睦月は、祖父への反抗期が終わらない従姉弟の頑固さに深々と溜息をつき、端末を定位置の棚の上にぽん、と置く。それから〝ホール〟に横たわり、蓋をしめればロックがかかった。


 そのまま静かに目を閉じて、藤堂睦月は夢の入り口を意識する。


「30秒後にログイン」


 彼は口頭で〝ホール〟に指示を出し、そしてすぐさま注意を受けた。


 ――【眼鏡を外してください】


「え、ああ! 忘れてたごめん……ああもう、色んな事がままならないなぁ」


 もはや身体の一部と化している眼鏡を外し、自動で蓋を開いたホールから身を乗り出して端末の横に。これでよし、と横たわれば、するすると蓋がしまっていく。


「今度こそ、30秒後にログイン……ああ、うん。でも――」


 さて今度こそ、ログインを指示した睦月は仮想世界へと歩み出す。ネット上の一部では、究極のブラックボックスと言われるVR機器、〝ホール〟が起動し、うっすらと目を開けていた睦月を異なる世界へと導いていく。


【目を閉じて、リラックスしてください。はい。では、ログインを開始します】


 音声に言われるがままに目を閉じた睦月は――その光景を見ることなく意識を閉ざす。


 〝ホール〟の内側の機関部から、いくつものリボンのような光の渦が溢れる、幻想的な光景。


 そのリボンは取扱説明書にある説明とは違い、脳ではなく心臓の辺りに集中していく。身体を透過し、何かへと到達。すでに意識の無い利用者を確認し、〝ホール〟は静かに《本部》へと()()を開始する。


【魂の深度、問題なし。因子層を突破、純因子層へと接続。防衛、免疫機能の反発無し。深層意識の保護、問題なし。共鳴開始――完璧(エボリー)――仮想創造世界への同調完了】



 〝ホール〟は、こうしめくくる。



【心象神経、接続――アバター誤認識、良好――夢と安心の企業、《ラプター=オルニス》が、VR世界へとアナタをお送りします】



 ――光は、ぷつりと弾けて消えた。
































 ――動画視聴用端末の電源が落とされ、ぷつりと光が弾けて消える。


 秋の寒風かんぷうに誰もが身を震わせる日の午後だった。夕暮れを越え、時間としてはまだ遅くなくとも、夜のようにとっぷりと暗くなった世界。


 兄に買い物を頼まれていたのに、そんなことはすっかり忘れてDDD支部局のAR動画に夢中になっていた夕苑ゆうぞのあまねは、慌てた様子で玄関で靴を履いていた。


 手には財布を握りしめ、寒くなってきたからと首にはベージュのマフラーを巻いている。運動靴に雑に足を突っ込みながら、忙しない動きで扉を開けた。


 急いで出発しようと玄関から一歩を踏み出し、周は思わず立ち止る。すぐ目の前に、何かの塊が見えたから。

 薄暗い中でも、それが毛皮に包まれていることはよくわかった。


「……え?」


 開いた玄関扉にぎりぎり掠るか、掠らないかの所。灰色の地に、鱗のような黒い斑模様の猫が転がっている。思わず動きを止めた周は、咄嗟にそれを凝視した。


 周に背中を向けて転がる猫。その腹は薄く上下していて、生きていることを示している。そっと回り込み、周は倒れる猫の顔を覗き込んだ。その気配を感じたのか、猫が薄っすらと目を開ける。


 綺麗な灰色の瞳。まるで爬虫類のように細い瞳孔が周を見返し、すぐに疲れたように閉じられた。


「あ……えっと、が、頑張って!」


 慌ててマフラーを外し、それで冷え切った猫の身体を包み込んで抱き上げる。一も二もなく家に飛び込み、転がるように階段を駆け上がった。すぐさま兄の自室の扉を開き、どのタイプの〝ホール〟にも備え付けの、緊急コールのボタンを押す。


【どうなさいました? 伝言をどうぞ】


「い、急いでログアウトして! って」


【かしこまりました】


 〝ホール〟がそう返事をし、そして1分足らずで蓋が開いた。雪花が慌てた様子で起き上がり、眉を下げて泣きそうな顔の周を見つけて更に目を見開いた。


「なん……どうした!」


「お、お兄ちゃんごめん。でも、その、玄関開けたら、猫が倒れてて……」


「猫……?」


 周が抱いている塊から、細長い尾が垂れているのを見て取って、雪花は猫の顔を覗き込む。慎重に頭に触れて、外傷は? と聞く雪花に、周は血は出てなかった、とすぐに答えた。


 また薄っすらと目を開けた猫を見て、雪花はぴくり、と腕を震わせる。眉を潜め、じっと灰色の瞳を見つめる雪花に、病院に連れて行こう、と周が急かした。


 けれど、雪花は凍えた声で周に言う。


「――飼うか?」


「え?」


「この猫を、どうしたい?」


 周はどうしたい? と尋ねる兄に、周はわけもわからず硬直する。腕にずっしりとした生き物を抱えながら、周は思わずと言った様子で問いに答えた。


「飼っていいなら……ずっとペットは欲しかったけど……」


 その返事に、雪花は少しだけ顎を引いて考え込む。そうしてからしっかりと周と視線を合わせ――


「周は……責任を持って何十年も、この猫の面倒を見られるか?」


 ――何十年も。雪花はそう言った。責任を持って、何十年も。普通、猫は十数年しか生きないのに、雪花はまるで十年どころか、五十年は生きるぞ、とでもいうように妹に向かって問いかける。


「飼うなら、俺の猫じゃない。周の猫だ。俺ならきっとそうしないから……。無理なら、近所の犬猫病院に連れていこう。そのまま、預かってもらう」


「どうして……」


「飼うつもりなら――知り合いを頼る。これは、ただの猫じゃない。動物病院には通報義務がある。連れて行かれたくないのなら、病院には連れていけない」


「通報義務……」


 何が何だか、わからずに周はそう繰り返す。兄は真っ直ぐに周を見つめ、正体は問題ではない、と言った。その末路も、問題ではないと。


 かわいそうだから、で決めることではない。ただ、長く面倒をみるつもりがないのなら、今日のうちに手放すべきだ、と雪花は言った。


 どうしたい、と聞く兄に、周は目まぐるしく考える。腕の中でぐったりとしている猫を見下ろせば、猫はただ静かな目で周を見返した。


 責めるような色はそこにはない。ただ、静かな目で猫は周を見つめ返す。震える唇が何度も開いては閉じて、少女は最後に、掠れた声で決断した。


「……飼ってもいい?」


 囁くようにそう言う妹の頭に手をやって、雪花は静かに頷いた。

 右手は滑らかに動いて端末を操作し、〝知り合い〟とやらにメッセージを打つ。


 ――送信ボタンが、とん、と押された。

































 ――端末をとん、と指先で叩き、その人間は唇を歪ませた。


 シンプルだが高そうな椅子に座り、足を組んで頬杖をついている。豪華だが華美ではないデスクに着き、静かに息を吐き出した。


 煤けた金髪に、群青の瞳が気怠そうに瞬く。手足はすらりと長く、北方系と日系のハーフによく見られるような、独特の顔立ちが特に人目を惹いた。


 中性的な雰囲気を持つその人間は、()()男の姿で仕事をしていた。傍らに控える秘書の女性が、無表情のままで珈琲を差し出して、その憂い顔に物申す。


「どうしました。今日は一段と馬鹿面でございますね」


「……そろそろさ、解雇通知を出してもいいくらいの毒舌っぷりだよね。僕も、もう今更な気はするけどさ、何とかならないわけ?」


 その人間は珈琲を受け取りながら、何とも苦々しい顔で言う。しかし、何にも興味がないような無表情を貫く秘書は、雇い主であるはずの人間を小馬鹿にするような目で見つめ返した。


 そんな不遜すぎる態度に雇い主――フルマニエル公国が誇る、アイオ公爵家の正統後継者。

 国元こくげん会社/《アイオ》の日本支部社、《ラプター=オルニス》を担当する、ソコル・ラズルシェーネ・アイオは、何とも言いがたい目つきでそれを更に見つめ返した。


ふじちゃん、それ雇い主を見る目じゃ……」


「――ああっと、手が滑りそうでした。社長、申し訳ございません」


「……わかった。もういい。本題の話に入ろう」


 手が滑りそうだった。そう言いながら熱々の珈琲を社長の頭にぶちまけかける秘書――藤に対し、ソコルは青い顔で一瞬押し黙り、諦めたように息を吐いた。

 それを聞いた藤はすぐさま珈琲を棚に戻し、どこから取り出したのか、パッと多種多様な色のファイルをソコルの前に広げて見せる。


「ではソコル様、これが現在の、どきどき☆爆死寸前金づる名鑑です」


「……あー、これね。これも、これも……復活はないだろうなぁ。特にこいつ、グランドハイヴ激おこ事件の奴じゃん。そもそも、明日どころか、夕日すら拝めてないんじゃないの?」


「朝方に起こった事件ですので、そもそも太陽が昇るのを見られなかったかと。当事者は全員、現在行方不明となっております」


「それもう、行方不明(笑)じゃないか。生きてないなら商売にならないだろう。何で名鑑にわざわざ綴じたし」


「そんなこともわからないんですか?」


「嫌がらせだろ。知ってる。ああ、すごい嫌な気分になったよ。あそこん家の処刑方法までわざわざ綴じてくれてあ・り・が・と・う!」


 無表情で小首を傾げる藤に、ソコルはすげなくそう返す。次々とファイルを捲り、すでにこの世にいない者のページは破り捨て、使い物になりそうな者のページだけを拾い上げていく。


 これもダメ、あれもダメ、と続けていく中で、ようやくまともな金づる――商売相手のページにぶち当たり、ソコルはふと手を止めた。


「――オフィス《meltoa》。ちょっと藤ちゃん、これまだまだ絞れるやつじゃん。なんでこのファイルに入ってんの? ダメだよ、こういう金が金を生みそうなやつを逃しちゃ」


「それは滝谷たきたに様が関わっているから絶対爆死するだろう、いや爆死しろ! という、ソコル様の尊いお言葉を聞いたわたくしが、僭越ながら名鑑に綴じさせていただいたものですね」


「滝谷――樹木のアレか! 【Under Ground Online】の! あの僕の〝ホール〟メモリに超迷惑な過負荷サーバ!」


 滝谷、と琥珀の仕事上の名前を聞いて、ソコルが途端に嫌そうな叫びをあげる。すぐさまそのページを毟り取り、険しい表情で熟読。中身を頭に放り込み、横から藤がしれっとした声で補足情報を追加する。


「個人的な調べによりますと、現在、オフィス《meltoa》の社長である金城かなぎ陵真りょうま様は、例のグリフォンに選ばれたことにより莫大な財産を得たようです。ドグマ公国はその財を狙い。例の魔女は陵真様への嫌がらせに、両者は手を組んでいます」


「……なんでジン……いや、例の魔女があんな若造を敵視してるわけ? 資料だとソロモンの血筋でもないし、取り換え児でもない。時鳴ときなり家主催の魔法学校には通ってたみたいだけど、それだけで狙われてるわけないでしょ?」


 たかが魔法使い一匹に、と冷めた目で言うソコルに、藤はすました顔で更なる補足情報を提示していく。個人的な調べ、というには度が過ぎるほどに深い内容まで把握しているが、上司であるソコルは当然、という表情でそれに耳を傾ける。


「何でも、陵真様の腹違いのお兄様である〝拓馬たくま〟様がソロモン所縁ゆかりの者らしく、十数年前のごたごたで陵真様に一杯食わされたようですね。お兄様の殺害はどうにか成し遂げたようですが、弟である陵真様は滝谷様に保護を要請。陵真様はかたきである魔女にはさほど興味はないようで、お兄様の魂の復活だけを目指して現在も活動されているようです」


「ははーん。危ない芽は小さくとも摘んでおきたい、ってところか。余裕ないねぇ。愉快だねぇ。鴫ちゃんの前例があるからねー、おー、怖い怖い。それで、どんな嫌がらせをしたって?」


 熱い珈琲を啜りながら、ソコルは実に楽しそうに笑みを浮かべてそれを茶化す。藤は静かに書類を広げながら、上司の質問に淡々とした報告を続けていく。


「嫌がらせは現在進行形です。お兄様が世界警察指定の一級犯罪者であることを世間にばらされたくなければ、黄金の半分を寄越せと言ったようですね。ドグマ公国側からは、魔女の代理としてダビド・エイブラハム様が。ガルマニア側は事態を重く見たようで、事実上の反対勢力であるソロモン王――しぎ様のご友人、藤堂とうどう博樹ひろき様を代理使者として採用したようです。しかし、交渉は決裂。戦争も辞さない、という結論が出てからは、双方ともに沈黙していますが、噴火寸前といったところですね」


「ふうん……へぇ、ほー……」


「それでは、()()()()()()()()?」


 丁寧な所作で、藤は一礼。ソコルは群青の瞳を挑戦的に歪ませて、ニヤリと笑みを浮かべて言う。


「――じゃあ、()()()()を突っ込もうかな」


 《ラプター=オルニス》。それは、アイオ公爵家長子が掲げる鳥の名前。


「色々と握りつぶした見返りに、黄金一欠(ひとかけ)と恩が売れれば大儲けだろう?」


 古フルマ語で骸鳥むくろどり――はやぶさの名を冠する人間は、くるくると指先を回しながら笑い出す。ご機嫌なソコルにもう一度頭を下げ、藤がそれでは、握り潰し係は誰にいたしましょう? 後、ご予算は、と首を傾げた。


「藤ちゃんに全部任せる。師匠以外なら誰でもいい。予算も任せるよ。さて、それじゃ僕はこっちの仕事を」


「あ、ソコル様。たった今、夕苑雪花様よりメッセージが届きました。何でも、竜種混じりの猫を保護したようですが、秘密裏に診てもらえる医者を紹介してほしいと」


「見返りは?」


 間髪入れず、顔を上げもせずにソコルは言う。


「彼、もう絵は描けないんじゃなかったっけ? 正直、絵の描けない絵描きに価値は無いよ。悪いけど、こっちも善意のボランティアじゃないからね、お断り――」


「あれだけ言っても出さなかった幻の未発表作品を出す、と言っておりますが、そうですか仕方がありませんね。それでは、即刻お断りのメッセージをお送り、」


「今日の仕事は全部終わった! 雪花君を全力でもてなそうじゃないか! 獣医だね? あのカマ野郎――ノルディックを呼ぼう! 竜混じりの猫1匹で数億はくだらない!」


「かしこまりました。では、そのように」


 友人はしっかりともてなさないとね! と手のひらを反すソコルに、やはり無表情で藤が頷いた。懐からすでに手に持っているものとは別の端末を取り出して、同時並行で手を打っていく。


「ソコル様、男体化の薬はどうなさいますか? 続けて服用します?」


「雪花君相手なら女性、で通してたから……今日はもういい。ちょうど効果が……」


 ああ、来た。と口にするソコルの手足に血管が浮かび、じわじわと皮膚がひずむ音。わずらわしそうに目を閉じるソコルの身体はみるみるうちに変化していく。


 大胸筋に乳房が。硬い身体つきは丸く。身体は一回り華奢になり、細くなった身体が余った布地を持て余すように、だぶついた服の中で踊る。


 若い男は、若い女に。髪の長さこそ変わらないが、その顔立ちもやや丸く、女性特有の形に変化していた。群青色の瞳が開かれて、着替えを、と喉仏の消えた喉が動く。


 澄んだ高めの声に頷きもせず、藤が女性ものの服をデスクに置いた。()()()()()に戻ったソコルは、ふーっと息を吐いて窮屈さを振り払う。


「僕も働き者だよねぇ。じっちゃんは遊び歩いてるっていうのに、義理の息子の僕がこんなにもあくせく働いてるってどうなんだろ」


「休めと言われてもぶっ倒れるまで働くくせに何を言っているんですか? ワーカーホリック乙」


「うるさいな、ネットスラングまで使うのかよ。ほら行くよ、天才少年絵師――いや、今は青年か。色々と拗らせた彼がどういう心境の変化で未発表作品なんて出すのか……興味はあるけど、それよりも今は金だ、金」


 さあ、餌をついばみに行くよ、と。ソコルはそう言って、


 ――ニヤリと指先をすり合わせた。








































「それで――アナタに仲介依頼がきたと? ソコルさんは一度、ご自分の部下の性格をよく考え直す必要がありそうですね」


 ――自分の顔の横で指先をすり合わせて金を数えるジェスチャーをしながら、一体、いくら予算を使うつもりなんでしょう、と。


 藤堂とうどう博樹ひろきは呟いて、それから静かに垂れ目気味の茶色い瞳で、向かいのソファに座る人物を見た。


 都内のレンタル会議室の、薄暗い一室。白いレザーのソファに偉そうにふんぞり返る、仕事上では自身を滝谷と名乗る、絶世の美貌の男。


 この世の誰もが好みの関係なく、素晴らしいと絶賛する肉体を誇るその人物は、実に尊大な態度で胸を張る。


「レディの友達プライスですから、いつもよりお安めですよ」


 見るからに高そうなスーツに身を包み、人外はそううそぶく。赤いネクタイをしめなおしながら、琥珀はふふん、と自慢げに顎を上げ、向かいのソファに座る博樹に向かって微笑みかけた。


「どうです? レディが選んでくれたネクタイです。素晴らしいでしょう、最高でしょう。『やっぱり、じゅもはスーツが一番似合う!』ってそれはもう天使いや女神のような笑顔で言ってくれたんですよまあ当然なんですがねレディが選んでくれて僕に似合わない服なんてこの世には存在しないし第一この僕が一番かっこいいのは自明の理であって――」


樹木じゅもくさん、〝息継ぎ〟をお忘れですよ」


「おや、失敬。後、僕は琥珀です。もしくは滝谷」


 一切の息継ぎ無しの熱弁に博樹が穏やかに注意を入れ、琥珀は悪びれる様子もなく頷いてそう言った。呼吸する()()を再開する琥珀に博樹は曖昧に微笑んで、でも、と反論のために口を開く。


「奥様が愛情を込めて〝じゅも〟と呼んでいる名前ですよ? あだ名とはいえ、そう呼ばれれば奥様の可愛らしい笑顔が連想出来てお得だとは思いませんか。ええ、そうですよ、きっとそうです。皆、親しみを込めてそう呼んでいるんですよ。私もあなたの友人の1人として、」


「なら、〝私〟も〝敬語〟も〝さん付け〟も不要ですね。博樹、あなた僕の友達だと言うのなら、そんな他人行儀な扱いは止めてくださいよ」


「……わかった。じゃあ僕も友人としてはっきり言うよ。奥さん自慢がうざいからその話は止めてほしい。後、今日は一応仕事の話をしに来たんだ。奥さんに選んでもらったネクタイ自慢大会じゃないよ」


 曖昧な笑みを消し、博樹はぴしゃりとそう言った。いい加減にしてくれなきゃ帰るよ、とも言う博樹に、琥珀は慌てた様子でソファに大人しく座りなおす。


「わかってますよ。わかってますって。陵真君のことでしょう?」


「そうだよ。だいたいあの魔女のせい、ってあれだよ。全く、現実で茶々入れてくるせいで、僕の【あんぐら】での活動が――ああいや、その話はいい。単刀直入に言うよ、樹木」


「あの、だから樹木じゃなくて琥珀……」


「定着したあだ名は簡単には無くならないってわからないのかな? いい、今回の件は特にややこしくて僕は苛々してる。早急に片付けて、ゲームの続きをしたいんだ、わかる?」


「あなた、随分と神経質な上に、ストレス解消がゲームだっていうのは本当だったんですね。そうですか、ログインする暇も無いんですか、大変ですね」


「――聞けよ」


 がっつん、とサイドテーブルを手のひらで叩き、博樹がすわった目で琥珀を睨む。うんうん、と呑気に頷く琥珀は人差し指を立て、鵄色とびいろの大きな瞳をくるりと動かした。


「結論として、どういう感じで収束させたいんですか?」


 それによって、色々と方法が変わってくるだろうと言う琥珀に、博樹は足を組みながら苛ついた様子で息を吐く。


 博樹の短気さには慣れている琥珀は、急かしたりはせずにのんびりと自身のサイドテーブルの上に置かれたウイスキーを喉に流し込んだ。

 満足げに喉を鳴らしながら飲み込んで、博樹の返事をじっと待つ。


 博樹は茶色の瞳を機嫌の悪い獣のように細め、首の裏の奴隷刻印を爪で引っ掻きながら、低い声で質問に答え始めた。


「……【Under Ground Online】を停止させられると、最終的に困るのは陵真君だけじゃなくなる。新しい精霊達を人間というものに慣れさせ、その上で、平和的共存を目指すために真の魔法学の世界復帰を試みる――」


 それが、大自然の減少に伴い絶滅の危機に瀕し、それを免れるためにネットワークに入り込むなんて能力を開花させた、新たな精霊達と共に生きる唯一の道だと言う博樹。


 その言葉に、琥珀――その新たな精霊達に、お隣さんみたいな存在とも言われるホムンクルスたる人物は、実にのんびりとした様子でうんうん、と頷いた。


「彼等の基本性質は変わっていませんからね。〝構ってちゃん〟な彼等が認知されないまま、倫理も道徳も育たないまま、これ以上VRの外に広がればいつか派手に死人が出るでしょうから」


 だからこそ、今回のスキャンダルは何が何でも握りつぶさなければならない、と博樹は言う。今はまだ、琥珀の力で一部のネットワークに閉じ込められている彼等は、精霊の性質としてどんどん勝手に増えつつある。


 いつか檻が壊されるということも無いわけではないのだ。もしもそうなった時、ネットワーク上の精霊を止められるのは、同じくネットワークに入り込める精霊以外にいない。


 しかし、彼等には感情があり、けれど決して人間と価値観を同じくするものでは無い。


 気に入った人間と竜種しか守らず、その他の生き物は死のうが苦しもうが後は知らない、という価値観を基本とする精霊達を学習性AIだと騙し込み、人間基準の倫理と道徳を叩き込んだ上で、人間との安全な触れ合いの場を用意する。


 それこそが国が、【Under Ground Online】という世界を――いや、『エディカルサーバシステム』などという、規格外なものを認めた理由。


 そしてそのやむを得ない事情を利用して、自身の欲望のために色々と余分なものも認めさせたのが金城陵真、その人なのだ。


 その切実さの割には国のバックアップよりも圧力が強いのは、例の魔女の影響が強い。新種精霊の暴走も怖いが、魔女の暴走も同じくらい世界に打撃を与えるものだ。むしろ、魔女のほうが規模が大きいかもしれない。


 自然、国は見て見ぬふりという立場を貫き、獣と鳥の間を行き来するコウモリのように致命的な被害を分散する方針を取っている。下手にどちらかに肩入れすれば、それこそ世界の破綻が早まるからだ。


「精霊のグローバル化とか本当に……50年前には想像もしなかったよ。最悪だ。けれど人も精霊も、一朝一夕には変われない。まだまだ、【あんぐら】は潰れてもらっては困るんだ」


 だから、無かったことにしてしまおう、と博樹は言った。


「? 具体的に僕はどうすればいいんです?」


 レバーパテを口に放り込みながら、琥珀が不思議そうに博樹を見る。いっさい口をけないまま、はきはきと喋る人外に嫌そうな顔をしながらも、博樹は一枚の紙切れを差し出した。


「――文塚ふみづか拓馬たくまなんて名前の一級犯罪者なんていなかった。今も、過去も、これからもだ」


「全世界から関連する痕跡を全部消せっていうんですか。紙切れ、ネット情報、までなら簡単ですけど、世界警察とメモリーバンクは面倒ですよ」


 メモリーバンク。それは、全世界の情報を管理、保護、売買するための中堅情報屋達の合同記録倉庫のようなものだ。


 彼等は協力して情報を管理、保護、確認することで誤った情報の売買を避け、情報収集力を安全に高めている。そして複数の情報屋の保証の下に、それらを売り買いするのだ。


 しかし、情報の保護を目的としているのに、天災のような規模の理不尽な襲撃が絶えまなくあり、裏社会でついたあだ名が厄介事の爆心地(グラウンド・ゼロ)


 あんまりにも不幸が続くため、方々(ほうぼう)から何度か解散を促されているのだが、中堅情報屋達は団結しなければ裏社会に生存場所も無い上に、彼等にもなけなしの意地というものがある。


 その上、幾度となく起こるデータバンク襲撃事件には、『死者は出さずに、でも派手に』という裏社会の暗黙のルールがあったことも大きいだろう。


 血が流れないそれは、ある意味でお祭り騒ぎと同じ事。これから起こる厄介事の前夜祭のようなものとしてイベント化しているせいか、熱心なパトロンが絶えないことも存続理由にあるのかもしれない。


 そのうえ、たまの襲撃で情報が欠損しようとも、彼等は保証出来ない情報は売らないので、信用と手頃な価格帯と、後はただひたすらに意地だけを武器に生き残っている団体でもある。


 あそこはレディが何度かずたずたにしたせいで、セキュリティと苦情が、と言いかけた琥珀に向かって、博樹は爽やかな笑みを浮かべてみせる。


「お約束ってやつだよ、樹木。厄介事の爆心地(グラウンド・ゼロ)の面目躍如じゃないか。それに、世界警察の代表には仮想世界でもこっちでも、随分と煮え湯を飲まされているからね――舐められたもんだよ。仮想世界で叩かれた僕が、現実世界で叩き返さないとでも思っているのかな?」


 ほんの1ヶ月前までは〝()()()()の仲間〟として公式対談やら、奴隷制への合同抗議だのを行い、ニュースでも取り上げられた仲だというのに、大人げなくゲームの中で対立した相手に、博樹は眼光鋭く目を細める。


 完全な私怨しえんも織り交ぜ血も涙も無い台詞を吐く博樹に、琥珀は唇を尖らせ、頼む相手によってはかなり面倒ですから友達プライスでもすごい額になりますよ、と言う。


 そんな琥珀に、博樹はにっこりと微笑んでこう言った。


「大丈夫。金は悪党の財布からだ。ソコルさんがちょっと悲鳴をあげるくらいだよ。実に胸のすくような犠牲だと思わない?」


「それもそうですね。では、厄介事の爆心地(グラウンド・ゼロ)の伝統にのっとり、一番派手な人に頼みましょう」


 ――琥珀はそう言いながら、高らかに指を鳴らしてみせた。

































 ――上げられた右手の先で、高らかに指が鳴らされる。


「職員諸君! しばらく色々あって社長が帰ってこれなくなった!」


 指パッチンと共に、自棄になったような叫びが安い雑居ビルの一室に響き渡る。オフィス《meltoa》の看板を掲げる運営本部では、沢渡さわたりじゅんが踏み台の上に乗ったまま、続けて悲痛な叫びをあげた。


「つまりだ! 社長が帰ってくるまで、厄介事が続くと思われる! 皆、心して職務を全うするように!」


 ボーナスははずむ! と続いた宣言に、職員全員の顔に影が差す。ボーナスがはずまれるほどのことが起こる、という前提の上司の言葉に、色々な意味で胸に手を当てる職員達。


 趣味が裁縫やグッズ作成だという、黒髪オールバックの男性職員――積木つみきは、暗い表情でたった今完成したばかりの竜王のぬいぐるみを、獣王のぬいぐるみの隣に置いた。


 巨大なドラゴンの隣には、炎の精霊王のぬいぐるみも並べられている。机の上には本業に必要な設定資料の上に、次に作る予定の水の精霊王のぬいぐるみ用の型紙が散らばっていた。彼はぬいぐるみの位置を慎重に整えながら、暗い声で上司に言う。


「社長不在ということは――私のぬいぐるみキャンペーンの企画もお預けということですか?」


「お前はまずそのキャンペーンよりも仕事しろや! 生産システムのパッチは終わってんのか!?」


 沢渡の鋭いツッコミに積木は唇を曲げて黙り込む。小さな声でまだです、と言ってから、期限には間に合わせます、とぼそぼそと続ける。


 溜息をつく沢渡に、今度は積木の隣の席の女性が手を上げた。発言を許可する沢渡に、女性ははきはきとした声で言う。


「今回のパッチ697で追加した〝獣憑士ゼルムグ〟についてです。このアビリティが内包する上位スキルに、特定のモンスターの耳と尾を生やすものがありますが、感覚連動については問題ないんですか?」


 耳は問題無いかもしれませんが、尻尾とかどうやって動かすようにするかは考えてあるんですか? と問う職員に、沢渡はがりがりと後頭部をかきながら、あー、と迷いながら目を逸らす。


「こないだ……魔法と魂の説明はしたやろ?」


 二週間と少し前に起きた一度目の事件。《meltoa》の暴走に、勝手なパッチの追加、ドラゴンの我がままに、琥珀に笹原という人外の襲来、ついでに上司である沢渡の()()を目撃した職員達は、全てが終わってから当然のように説明を求めたのだ。


 それまで、ドラゴンの件や獣王など、一部のファンタジー生物に関しては理解と納得の下に働いていた職員達だが、彼等はその他の部分では一般人と同じような知識しか持っていなかった。


 一般人と同じ知識――それは即ち、精霊や妖精、取り換え児を研究する魔法学という、どマイナーな学問があるらしい、という程度の認識。

 魔法はすでにおとぎ話の中に去り、過去にはあったらしい……いや、本当にあったのか? という扱いのものでしかない。


 魔法が、おとぎ話になってしまった世界。


 古き時代の魔法を再現するべく、魔法史や魔法学という形で公的にそれを研究するようになった世界。


 正しく言えば、世界に――否、世間に対し、魔法という現象を普遍的なものに戻すために、研究という形で過去の栄華を惜しむ世界。


 魔法使いはおとぎ話となり、表の世界では、魔法学も取り換え児と精霊、妖精のたぐいを研究するだけの学問になりつつある。


 それが、西暦にて滅び、亡暦ぼうれきを耐え、諸暦しょれきにて立ち上がり、ハブ・エント紀という混迷の時代を超えて、世界を揺るがした轟暦ごうれき1年から、3000年以上の時を重ねた轟暦3802年。


 あの日、瓦礫を片付けたこの空間でホワイトボードを引っ張り出してきて、同じく幹部の白沢しろさわゆうと一緒に必死になって職員達に事情を説明した男、沢渡は、長く息を吐きながら続けて言う。


「実は、尻尾は翼よりも問題ないんや。昔あったものやから、動かし方は魂が覚えてる。細かく表層意識の信号指定をしなくとも、人工の翼と違って慣れれば自在に動かせるんや。だから、【あんぐら】でも翼を攻撃とかに細かくもちいるアビリティやスキルは用意しなかった」


 実際は、出来なかったが正しい、と沢渡は言う。【Under Ground Online】において、スキルは攻撃の補助をするものがほとんどで、勝手にシステムが身体を動かすものはほとんどない。


 それはつまり、どのスキル発動にも、一定以上のプレイヤー個人の〝動く意思〟が必要なのだ。


 例えば、かつて〝あんらく〟と〝エルミナ〟が一騎打ちをした際に、エルミナが使用した【刺突】というスキルがある。


 これは、暗殺者系や、刺突武器をメインに扱うアビリティの初期スキルだが、このスキルの効果は〝刺突と思われる動作による、攻撃の威力を強化する。急所に命中した際の《即死》発動率を上げる〟というもの。スキルを唱えれば身体が勝手に動き、刺突の動きを取るわけではない。


 では、何故システムによる自動的な動きを廃し、そこまで自律的な動きを求めるのかといえば、


「魂は、〝自身の肉体を勝手に動かされる〟状態に最も強いストレスを感じるんや。大昔から存在しなかった翼を実装しても、適当に飛ぶくらいが限度で、攻撃とかの複雑な動きは自動操作するしかないから、実装はほぼ不可能」


 強いストレス。それは、当然の反応でもある。現実世界で、自身の肉体が意思にらず、勝手に動いたらそれは生命の危機を意味するのだから。


 別名で〝超独占欲機関(エゴイズム・ハート)〟と呼ばれることさえもある、〝魂〟というものは、そういったことをとことんまで拒絶する。


 魂に直接接続し、仮想世界のアバターを自身の肉体であると誤認識させることで完全没入型VRというものを実現している以上、それらのストレス反応を起こさないための調整は、避けては通れない道なのだ。


 翼など実装するよりも、現実世界でも誰でも訓練と量さえあれば可能な、〝魔力放出〟の方がよほど実装は楽だと沢渡は言いながら、踏み台からひょいと下りる。


「ということで、尻尾を複雑に動かすのなんて、最終的には個人の魂に任せればええんや。むしろ、イベント追加種族:〈悪魔〉の翼の方が心配」


 あれこそ、事細かに心象神経と連動させなければ、魂がストレスでオーバーヒートする、と沢渡は言う。いっそ、そういった羽を持つ種族の血が一滴でも入っている人だけを対象にしたいくらいや、と唸る上司に、質問をした職員は、呑気にへぇー、と声を上げた。


「それで時々、なんでこれがダメなんだろう? っていう却下があったんですね」


 職員達が提出するスキル原案は、どれも幹部達が許可するか却下するかを審議し、最終調整をするというやり方だ。

 だが時折、どうしてこれが通らないんだ? というような面白い案があったことを女性職員は思い出していた。


「そう、そうや。今度、そういったことも含めて研修会開くから、全員強制参加な」


「やった、ただで魔法学授業ですね!」


「はは……誰が教えるって俺だろうな。また金にならない残業か……」


 似非関西弁も外れ、遠い目で沢渡がうなだれる。慰めるように積木が新作です、と三王のミニキーホルダーを上司に差し出し、沢渡は死んだ目つきでそれを受け取った。


 それぞれ、尻尾に金属の輪をはめこんだ黒猫と、赤黒い色の物々しいドラゴン、精霊王枠には水の精霊王が採用されたようで、全身が水の塊で構成された狼が銀色の小さな鎖の先でゆらゆらと揺れている。


「……よく出来てる。可愛い。でも、商品化は社長に打診しなさい」


「……チッ、わかりました。それは差し上げます」


 すでに部下の舌打ちに怒る気力もなく、沢渡はキーホルダーをズボンのベルト用の部分に括り付けた。そのまま、ちらりと窓の外を見て、沢渡は不安そうな表情で目細める。


「――嫌な空だ」


 あの日に似て、という言葉は呑み込まれた。曇天の空を見やり、沢渡准はこれからの波乱を予感して目を閉じる。


「でも、」


 しかし、閉じられたそれはすぐさま開かれて、力強い眼光を灯す瞳が瞬いた。


「売られた喧嘩は買わないといけない」


 こっちだって牙の無い獣ではないのだと。知らしめなければ、いつか食われる側になる。


「さあ、仕事だ! 圧力がなんだ! 頑張るぞ、職員諸君!」


了解(ザッシャー)!!』


 オフィス《meltoa(メルトア)》――ラングリア神話に登場する、竜に乗りし戦乙女の名を冠する運営職員は、戦いと共鳴を司るそれに恥じない様子で、上司の号令に気合の入った返事を返す。






 淵源えんげんまたたく現実世界。彼等は、誰もが最後にこう言った。



『――これもまた人生だ』



 睦月は嬉しそうに。雪花は疲れたように。ソコルは期待するように。博樹は満足げに――そして、沢渡は力強く。



 ――夢見るように呟いた。








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