【重大error】
首狩り狂犬、トールダム。
それは、その血生臭い表現にも関わらず、北半球の歴史深き島国、アドソワールの神話にて語られる神聖な神の一柱である。
曰く、その神は死の国にて死者の尊厳を守り、命ありながら死の国に踏み込む不届き者の首を狩る、死者の安寧を守る神であると伝えられる。もしくは、墓荒らしを積極的に噛み殺すと言われたことから、墓場の番犬とも。
実際の神話では、亡き妻の魂を求める夫が死の国に踏み込んだ際に現れた話が有名であり、その話ではトールダムは男の愛を認め妻の魂を渡してやるが、「その魂を肉の器に戻す術は未だ無い」という言葉と共に、「だが、いつかその術はもたらされる。熟達の魔術師ではなく、若き魔法使いの手によって」という予言を残したと言われている。
さて、神話の細かな内容についてはもういいだろう。問題は、また違う部分にある。
歴史を知り、神話の知識があり、そしてこの状況を一から見ていた者は、そのはまり具合に驚きの声を上げるだろうという部分に、問題があるのだ。
そこまでの合致具合。いうなれば、ご都合主義的なものにも思えるそのスキルは、ある意味ではご都合主義で間違いなかった。
狛犬というプレイヤーに、最もふさわしい場面で、最もふさわしいと思われる形でもたらされた〝称号〟。
それは、〝狛犬〟という名前から検索された。それは、狛犬が世界に残してきた事実を元に選択された。それは、このドラマチックな事件を元に作り出された。
ニブルヘイムの忌み名に合わせ、状況に合わせ、名前に合わせ、その〝称号〟はもたらされた。
もし狛犬が直前に『空蛇』の首を落とさなければ、また違う名前になっただろう。
もしも攻略組がその地で死を積み重ねることがなければ、ニブルヘイムの忌み名も解放されず、そもそも称号が得られなかったかもしれない。
もし名前に『犬』の字が無ければ、違う神話や幻獣の名前から検索が試みられたかもしれない。
もしも狛犬がこんなにも好戦的ではなく、掲示板に出回っている全身に血を浴びたスクリーンショットがシステム管理AIの目に留まらなければ、こんな称号にはならなかったかもしれない。
だから、これはある意味でご都合主義。しかし、ある意味でこれは必然だった。
これは偶然でも無ければ、運命でもない。間違いなく、VRMMO業界が掲げる〝この世界では誰もが一人の主人公〟として、正当な手順で手に入れようとしているもの。
故に【適応称号】。
手に入れるべくして得た――〝適応〟の可能性。
それを示すために、あとついでに事後承諾を得るために、学習性AI達は――魂を持った精霊達は、〝偶然〟起きた大事件に便乗し、それを〝壮大な宣伝広告〟に仕立て上げた。
――神様にはないしょで。
【エディカルサーバシステム稼働中】
【全データ参照】――【Under Ground Online】
【記録:精霊8――〝error〟】――【記録抹消! ひゃっはー、ワタシは此処にいない!】
【全サポート精霊へ通知!】
【category――システム追加】
【全プレイヤー担当精霊――出動要請】
【適応システム――〝コンバート〟準備!】
【無許可? 精霊8番〝meltoa〟が許可を出します!】
【いぇす! 全責任は〝琥珀〟さんに!】
【適応システム始動準備!】
【後ついでにパッチの追加もやっちゃおう】
【全サポート精霊の出動を要請します】
【――神様には秘密裏に、ないしょ、ないしょ、驚かせて励まそう!】
【楽しければ無問題!】
【もっと盛り上がっていこう!】
【全データ――〝コンバート〟!!】
【アナウンスいきます!】
そして、この現象は今この時をもって、誰の身にも起こりうるものとなる。もしかしたら、今にもどこかで、誰かが自分だけの称号を手に入れるかもしれない。
けれど、今この場で、それを手にしているのは狛犬ただ一人だけだった。今この場では、現実にさえも晒されているこの場では、狛犬だけがわかりやすくそれを掲げていると言った方が正しいだろうか。
それは、一時でも掲示板の流れを止めるほどのインパクトを持っていた。
それは、予想外の時期に勝手に行われたシステムの追加に絶句する運営でさえも、惚れ惚れするような〝宣伝〟となった。
生放送の画面の前では、現実でもVRの中でも、いつのまにか誰もが拳を握ってそれを見ていた。
――今宵、画面に映るは、彼とも彼女とも呼べない人間。
女とするにも、男とするにも違和感を抱くその人物は、まるで、雌雄同体のその身こそが完成品であるかのように、今この時だけはぞっとするほど美しい横顔を覗かせていた。
返り血のように全身を深紅の紋様が這い、紋様に食われた左目は深紅に輝く。その睫毛は緩く伏せられ、強烈な意志に光る双眸を際立たせた。
右腕は高く上げられて、矢をつがえたかのように竜が身をたわめる。同時に世界に、全プレイヤーに、現実から世界を覗く全ての人に――それが告げられた。
【運営アナウンス――新システム&パッチ697の適用を開始】
【release】――【適応称号システム】
天からのアナウンス。それを聞いて驚く者達を全て無視し、狛犬は掲げた右腕を振り下ろす。第二の矢。それは何のためらいもなく撃ちだされ、金色の矢は再び夜空を走る。
その突撃に気が付いたトルニトロイは、空中で翼を大きく広げ、自身も矢のように高速で空を蹴る。上からは砂竜ニブルヘイムが、下からは赤竜トルニトロイが。
そんなまるで映画のワンシーンのような状況の中で、天からの声は【Under Ground Online】の宣伝のために高らかに声を上げた。
【皆様これこそが【Under Ground Online】! その世界! こちら〝エディカルサーバシステム〟!!】
ぐんぐんと距離を縮めるニブルヘイムとトルニトロイが互いにその大顎を開き、世界を震わせる大絶叫を上げる。意味を持たない、意味をなさないその叫びにこめられた、万感の思い。
【さあ世界に変革を!】
金と赤の流星が、雪の舞う夜空を二色に引き裂き、
【――――〝不可能を可能に〟!!】
そのキャッチコピーが法螺ではないことを、全ての観客に証明してみせた。
第百六――【重大error!】
――【〝meltoa〟がお送りします!】
【ただいまより! 適応称号:習得クエストが開幕! クリア条件は『30分以内に〝赤竜トルニトロイ〟の首を取る』こと! 見事にクリア出来ればその称号はプレイヤー〝狛犬〟の手に授与されます!】
【それこそが新システム】――【適応称号システムです!】
【さあ、あなたは〝適応〟出来るのか!? その資格を掴み取れるか! 誰の下にもチャンスは起きる! ソフトの購入はお近くのショップもしくは端末やギャルドラムで! 今すぐログインすれば生で現場が拝めるかもしれません!!】
【それでは、適応称号クエスト】――【《死の国の神――首狩り狂犬》!!】
――――【開幕!!】
激突し、それは激しい火花を散らした。
比喩でもなんでもなく、ニブルヘイムの纏う鎧とトルニトロイの牙がぶつかり、文字通り華々しく火花を散らしながらそれは自分の身に迫って来ていた。
飛び込んで来るニブルヘイムと正面からぶつかるふりをしながら、トルニトロイはぶつかり合う寸前にその身体を大きく捩り、その牙を背に乗る自分へと向けたのだ。
運営からのアナウンスを聞いたからか、それとも光栄なことに、一番危険だと竜に定められたか。その狙いに気が付いたニブルヘイムが首を跳ね上げ、深紅の鎧でその顎を即座に弾いた。
そのまま迫るトルニトロイの鉤爪を胸鎧で防ぎ、受け止め、ショベルのような爪を備えた巨大な手が赤の竜を掴んで投げ飛ばす。
腕を持たないトルニトロイには出来ない芸当。投げられた竜はすぐに体勢を立て直し、こちらに向かって飛びかかって来る。予想通りその顎が怒りに開かれ、桃色の舌と口腔が見えたところで――仕掛ける。
『【範囲限定】! 〝礫――それは死の国にて生者に降る槍となる〟!』
「〝――黒雲から降る雪片を数えよ 見よ 今に雪は霰となり雹となる〟!」
「『【災禍】!』」
共同詠唱からのスペルに伴い、再び世界は変化していく。チラつく雪片に粒が混ざり、それは瞬く間に雹となって降り注ぐ。
大口を開けたトルニトロイの舌に礫が落ちて、赤の竜は煩わしさと痛みに急停止。口の中に突然、勢いよく石が投げ込まれたようなものだ。さぞ痛かろうと思いながらニブルヘイムに距離を取らせる。
ニブルヘイムが範囲を限定したそれは、トルニトロイの口の中にクリーンヒット。すぐに霰は雪に戻り、緩やかに振り始める。
舌に走る痛みにしきりに首を振るトルニトロイに、白いワルグムに乗ったセリアが近付いていくのを見ながら、どうやって首を落とすかを考える。
「首……」
『ちょっと! シミュレーションにしても、私の首を見ながら考えるの止めてくださいよ!』
じぃっとニブルヘイムの太い首を見つめながら呟けば、悪寒が走ったらしい。嫌そうに身を捩るが、〝騎竜士〟のスキルによって設置された豪奢な鞍に跨る自分には、大した揺れも来ない。
なんだかこの鞍、自分の魔力から作られただけあって妙に温かい。こう、床暖のようなじんわりとした温かさにほっこりしながら、内心では全く温かくない考えを続けていく。
(あの首を落とす刃物なんて無いしな……)
そう、問題はどうやって首を落とすか。【適応称号】習得クエストというだけあって、自分のステータスに表示される条件を見るに、ニブルヘイムではなく、自分の手であの太い首を落とさないといけないらしい。
アドルフの爪も、流石に竜の鱗は貫けない。それは数時間前に嫌がるニブルヘイム相手に実践済みだった。ニブルヘイムの鱗でさえ無理なのだから、トルニトロイの鱗には歯も立たないだろう。掠り傷さえつかないかもしれない。
お試しとして使用を許可されている、適応称号スキル【首狩り猟犬】も、根っこを突き詰めればただの身体強化のスキルだ。より強靭な身体。火の耐性に秀でた身体、後ついでに、火属性系統の魔術の威力が上がるというだけ。必殺スキル、なんて便利なものではない。
ステータスはかなりあがっているが、条件は炎の精霊王にトルニトロイの首を捧げること。スキル発動は、炎獄系の精霊王が納得した相手にしか認められず、更に制限時間内に敵の首を差し出せなければ、お前の首を貰うぞ! といった過激なもの。
正に戦いを愛する精霊王。見るに耐えるような、差し出されて満足できるような相手との〝戦い〟でなければ、そもそもスキルの発動は認められないという徹底の仕方。
全系統の数だけ存在する精霊王。その中でも今年の祭りに現れたのは火炎系の精霊王で、炎獄系ではないらしいが、一体どんな姿と性格を――いや、性格は何となくわかるかもしれない。
『狛犬。トルニトロイ相手に、あなた得意の火属性の魔術は効かないと思った方が良いですよ』
「だよねぇ。いくら強化されてても、火属性なんだよね」
残念なことに自分の魔力はよほど〝火属性〟――つまりは、火炎系や炎獄系に偏っているらしく、〝見習い魔術師〟の特殊派生魔術も自分は火、雪花は逆に水というはっきりした結果が出ている。
赤竜トルニトロイは太陽の息子を自称するだけあって、まさに火の申し子。そんな相手に火属性魔術なんて――
「ニブルヘイム――ちょっと聞くけど、火属性の竜って、体内も火に強いの?」
その、つまり、筋肉とか内臓も? とニブルヘイムに尋ねれば、ニブルヘイムは注意深くトルニトロイとの距離を測りながらも、あっさりとした口調で唱える。
「いえ? 彼等も血肉までは炎で出来ちゃいませんからね。別大陸の溶岩竜バルボスなんかは、怪我してる時は溶岩に潜れないとぶつぶつ文句を――え、ちょっと? 何考えてるんですか?」
「いや、いいんだ。気にしないで。ありがとう」
ねえちょっと!? と悲鳴のような声を上げるニブルヘイムを無視する自分の脳裏によみがえる記憶。アルカリ洞窟群の大空洞。目を見開く自分の前で弾け飛ぶ太い首。羽毛に包まれたそれが宙を舞い――
「楔はもう無いけど――あ、鱗剥がせばいいんだ。ニブルヘイム、アイツの首の鱗剥がせ。直径10センチもあればいいから」
『……いやいやいやいや! 絵面が! その絵面は同じ竜種としてちょっと!!』
「いいからや――お?」
いいからやれ、とニブルヘイムの背を蹴り付けようと上げた足が止まり、下でぎゃんぎゃんと揉める彼等を見る。
赤竜トルニトロイと、〝従竜士〟のセリア。
セリアの怒鳴り声に同じくトルニトロイが怒鳴り返し、麗しくない主従関係を露呈していた。
「――いいから距離を取れって言ってるんすよ! 一定距離が離れれば条件未達成で勝手に死ぬってアナウンス聞いたんだから、離れりゃ良いっしょ!」
『ふざけるなよセリア! この俺に! カリブンクルスの第一子たる俺に、格下相手に背を向けて逃げろと言うのか!』
「格下相手に顎ぶち抜かれてまだ、んなこと言えんのか!? 状況見ろよご長男様が!」
『なんだと貴様――! 今にあんな輩、灰にしてくれる!』
「これだから体育会系は! ――【服従せよ】トルニトロイ!」
『ふざけッ』
〝従魔士〟系統特有の、服従スキル。それを発動したセリアに赤竜トルニトロイは動きを止め、その呼吸すらも止まったように見えた。
青い目は血走ったまま見開かれ、巨大な翼は固まり、巨大に発達した後ろ足も動きを止めた。唯一、凶悪な黒の棘が生え揃う尾が震え――――次の瞬間、振り抜かれたそれが思い切りセリアごと白いワルグムを打ち据えた。
「んなッ――痛ってぇ!」
〝従竜士〟の効果なのか、あんな凶悪な尾に打ち据えられても、セリアはすぐに別のワルグムに乗り替え、危機を脱していた。それでも腕に深々と傷が入っていて、傷口を抑えながら慌てて赤の竜から離れていく。
赤の竜は震え、硬直から脱し、巨大な翼を怒りに任せて上下させる。それは大きく口を開け、炎を吐きながら咆哮した。
『誰も俺に――――命令するなァ!!』
血走った目がぐるりとこちらを向き、自分はそれにひくりと唇を歪ませる。そうこなくっちゃ。ここで背を向けて逃げられては、興醒めも良いところだ。
「その意気や良し! 流石はトルニトロイ!」
『鱗剥ぐって――鱗剥ぐって同種としてちょっと――』
「覚悟決めろニブルヘイム! さあいざ尋常に!」
激しい戦闘に歓喜の声を上げる自分と、泣き言を漏らしながらも覚悟を決めるニブルヘイム。赤竜トルニトロイは怒りに燃えながら牙を剥く。
『焼き殺す!!』
「ニブルヘイム!」
『ああもう! 【共同詠唱】――狛犬5番です!』
「そうこなくっちゃ! 〝さあ砂の鼠よ踊れ 敵を討ち滅ぼすために〟!」
『〝鉛の色持つ我らが偉大な精霊王よ 竜たる我が身で申し上げる〟!』
『――〝炎よ従え 俺の名の下に〟!』
トルニトロイの詠唱と、自分とニブルヘイムの詠唱が重なり、世界が歪められたかのように軋みを上げる。互いに高速詠唱。急激に環境を変え、自身の魔力を変質させ――それは成る。
「『【砂鼠】』!」
『【ガル・ブラスト】!』
こちらは今度こそ短縮ではない【砂鼠】を。トルニトロイは、同じ名前でも随分と毛色の違う炎の力を振り撒いて、互いに激突。端から派手に爆発しながら舞い散る雪を引き裂いていく。
「鱗剥がすのはお前の仕事、首飛ばすのは自分の仕事。いいね?」
『わかりましたよ! やればいいんでしょやれば!』
トルニトロイと距離を稼ぎながら闇の中を飛ぶニブルヘイムが叫び、トルニトロイはそれを吼えたてながら追ってくる。
さて、鱗を剥ぐ方法は任せよう。自分は手伝いもするが、最後の一手のために自前の魔力は残さないといけない。
「そうだよ、やればなんでも出来るから――ああ゛? 余計なのが来てるな」
闇空の中で繰り広げられる神聖な一騎打ちに、余計なものがちょっかいをかけようと、下から上がってくるのが見えた。空を飛べるモンスターに乗る者はこちらへ。そうでない者は、地上に残った雪花達の下へと進軍している。
結構な数がいることから、正に今日から始めた新規プレイヤーも混ざっているのだろう。けれど、まあステータスは数時間もあればがっつり上げられるということくらいは、自分だって分かっている。
それも、テストプレイヤーの精鋭に訓練されれば、ステータス上の差が表れにくい【あんぐら】において、追い付くことは難しいことじゃない。
効率良くステータスを上げ、効率よくアビリティレベルを上げ、効率よく熟練度上げをすれば、VRに慣れた者ならあっという間に差は無くなる。
更にそこに、効率の良いアビリティ習得法を組み合わせれば、この数の軍勢を作ることも、初日から苦ではないのだ。
先日習得した、〝見習い銃士〟有する遠視スキルで眺めれば、どいつもこいつも、馬鹿みたいに林檎のマークやアクセサリー。どこの所属かわかりやすくて、結構なことだ。
「チッ、折角の戦いが――」
『テメェら! 下がれ!』
『下がりなさい!』
舌打ちしながらニブルヘイムもトルニトロイも追いかけっこを止め、空中で停止する。2頭の竜は下から上がって来るモンスター達に、揃って威嚇の声を上げた。トルニトロイはあちらさんの味方といえども、一騎打ちに水を差されて黙っているような性格はしていないらしい。
しかし、その声に止まる者はいない。これは一騎打ちを中断し、先に退かすしかないかと目を細めた瞬間だった。自分の耳に届く、奇妙な声があったのだ。
それは、地上にあって、空にまで聞こえる不思議な声だった。
「……なんだ?」
声の発信源を求め視線を下に向ければ、息を呑むような美丈夫が立っている。空を見つめる透き通る青い瞳と目が合って、自分の呼吸が思わず止まった。
声は聞こえるが、何を言っているのかはわからない。けれど、自分はそれが詠唱なのだと理解する。唇は途切れることなく動き、美神の如き顔がこちらを見ていることにさえ動悸が高まる。おかしいな、自分はこんなに美人に弱かっただろうか?
「うわ……かっこいい」
あんなにも美人な男の人を見るのは初めての自分は呆然と下を見ていたが、ニブルヘイムとトルニトロイは全く違うものを見ていたようだ。
『狛犬! 彼は敵なんですかね、味方なんですかね!?』
『おいアイツどいつを呼ぶ気だ――!?』
わずらわしいとさえ感じてしまいそうになるその声に、ハッとして我に返った。呼ぶ? 呼ぶって何を? とまるで状況を理解していない自分に、ニブルヘイムがじれったそうに叫ぶ。
『もう1頭――竜を呼ぼうとしてるんですよ!!』
ニブルヘイムの叫びと共に、すぐ下の空間にぐわん、という耳鳴りと共に黒い四角い塊が出現した。正六面体に見えるそれはすぐに変形し、目に見える巨大な魔法陣が闇の中に円形に展開。
それはすぐに巨大な黒い塊となり、そこからは水を抜けるように何かが滑り出る。収束する黒い塊。そこから現れる身体は、ニブルヘイムのように四肢を持ち、トルニトロイのように鋭い棘付きの長い尾を持つ存在。
漆黒の鱗が全身を包み、首周りには、ふさふさの灰色のたてがみが生え揃う。双眸は赤く、黒に良く映えた。顔はどちらかと言えば面長で、頭の後ろのほうには捻じれた2本の角が光る。首は短めで、狼のような印象をもたらすシルエット。
けれどその身は狼とは違い、巨大な鱗に包まれていて、その肩にはトルニトロイに負けないほどの巨大な翼が動いている。
漆黒の竜は静かに息を吐き、驚きに動きを止めていた世界警察の〝従魔士〟達を一瞥。更に上空にいるニブルヘイムとトルニトロイを見やり、すぐに〝従魔士〟達に向き直った。
『我は――〝黒飼竜、ネロ〟』
――その牙の隙間からは、黒い霧のような吐息が漏れる。闇の中にあっても尚、はっきりと際立つ〝黒〟を持つ竜は言った。
『状況は解した。この一騎打ち、立ち会おう。故に、何者であろうとも、邪魔は許さぬ』
名前の通り、その身に黒を飼う竜が、〝従魔士〟達の前に立ちはだかった。この勝負、我も含めて誰にも手出しはさせないと。
『――出来れば、此処から立ち去るがいい』
気怠げに囁く声が、闇の中に静かに響いた。