第百話:トップランカー4名様:Ⅲ
第百話:トップランカー4名様:Ⅲ
「【ボルテッド】」
彗星湖のほとり。小さな木の椅子に座り、芒色の短髪の男が右腕を天高くつきあげた。開かれた五指には小さな紫電が走り、男の唇がスペルを唱えるのと同時に膨れ上がった雷撃が空を駆け上がっていく。
「“翠の色 精霊王の影 碧竜の操る風の音色”」
巨大、且つどうみても高威力の雷撃魔術を空に撃った男は、またすぐに別の魔術の詠唱を始める。
そうしながら、眼前に開いてある掲示板と、手元のスケッチブックへと視線を交互に注ぎつつ、左手に握った鉛筆でさらさらと紙の上に目の前の光景を映していく。
男の名前は〝木馬〟。数時間前からこの彗星湖のほとりで、ここに棲むモンスターのスケッチをしながら、空いた片手で魔術の熟練度上げを延々と繰り返している男だった。
風の魔術の詠唱をしながら、水中から顔を出してこちらを見ている『陸鮫』というモンスターの子供のスケッチを続ける木馬は、また1つ、魔術を空に空撃ちする。
「【トルネード】」
まるでただの独り言のように。木馬は魔術のスペルを唱え、膨大な魔力を惜しげもなく使いその力を顕現させた。
途端に頭上の空を切り裂き、渦巻く巨大な竜巻が発生。しかし、それは何も傷つけることはなく、冷え込む空気だけを切り裂いてゆっくりと消えていく。
陸鮫の子等がぽかんとそれを見上げる様子にクスリ、と笑いながら、木馬はスケッチブックに描いたそれに小さなサインを書き入れて完成、とした。
口を半開きにして不思議そうに空を見上げる2匹の陸鮫の子供のスケッチを終え、木馬はスケッチブックを足下の草の上に置いて欠伸を1つ。
開きっぱなしの掲示板を薄く開いた横目で眺めつつ、大きく伸びをしながらずっと詠唱を続けていた口をようやく閉じる。
「……見るか?」
気がつくとじわりじわりと近づいている子犬達があまりにも可愛らしくて、木馬はスケッチブックを拾い上げてそう尋ねる。
びくり、と一瞬は水に潜る2匹だが、すぐに浮上してきて小さな足を動かし近寄ってくる様子に、木馬は思わず笑顔になった。
「ほら」
小さなその子らが怖くないように、見えやすいようにとスケッチブックを子犬達に向けてやる。2匹は自分達のスケッチを見て驚いたように目を丸くし、小さな鼻先をひくひくとうごめかせて木馬を綺麗な黒い目でじっと見つめる。
「ん、どうした? もうちょっと格好良く描くか?」
小さな子供の陸鮫は、見た目だけなら可愛らしい子狼、いや子犬だった。その口にはすでに小さいながらも鋭い牙が並んでいるが、まだその仕草も動きも幼く、可愛らしい。
そんなぬいぐるみのような2匹はじぃっと木馬を見つめて、スケッチを見て、ゆっくりと近づいてきたかと思うと、なんと陸地にその小さな前足を引っかけたではないか。どうみても陸に上ってこようとしている様子に、木馬は思わず驚きの声を上げた。
「お、おお?」
野生のモンスターの子供を観察していて、向こうからここまで接近してくるのはこれが初めてのことだ。
木馬はモンスターとか、時代考証とかを掘り下げるのが大好きな、いわゆる設定厨と言われる類の人間で、この【あんぐら】でもそのリアルさに小躍りしながら魔術の考察とか、モンスターのスケッチとかを初日からやっているが、よほどキツく言われているのかモンスターの子供たちは一様に人間を避けるものだった。
いやそれ以前に、モンスターの子供たちにはちゃんと親がいて、観察してスケッチするだけの人だと近隣モンスターの間で有名人になっている木馬でさえ、観察とスケッチは許されても、触れるなんて以ての外で、近づくのもダメという親しかいなかった。
「お、お前達、親はどうした?」
逆に木馬のほうが警戒しながらもそう言うが、子供たちはそんなことはお構いなしでぐいぐいと陸地に乗り上げ、次に木馬の座る椅子の横に1匹ずつがちょこんとお座りをする。
そんな状態でじっと見つめられながら、木馬はふと思い出す。そういえば、もう木馬はこの巨大な彗星湖のほとりで3時間はここに座り、スケッチをしながら魔術を宙にぶっ放すお仕事を繰り返していたのだが、他の陸鮫を見ないのだ。
子犬達が現れたのはちょうど1時間前からで、2匹が木馬のスケッチ対象になってから、一度も親の姿も、それどころか同種の姿1匹も見ていないことに、木馬は遅ればせながら気がついた。
おかしい、と思うと同時に、嫌な予感が木馬の脳裏によぎった。すぐに横目に掲示板を見て確認するが、攻略組の大規模討伐は彗星湖には及んではいない。ホッと安堵を息を吐き、お留守番中なのかな、と小さな生き物を見下ろした。
巨大すぎる彗星湖には手を出さず、あくまでも不意打ちされやすい森の中だとかのモンスター達を討伐しているらしい。それにしたって過剰防衛、やりすぎだと木馬は思うが、木馬だって攻略組の考えはわからなくはないのだ。
そのやり口や規模に閉口してはいるものの、敵対しようとか、反対しようと思ったことはない。けれど、言いしれない妙な予感を感じながら、木馬はじっとこちらを見つめる子犬の視線を受け止め、今度は違う掲示板のウィンドウを開く。
「……情報はやっぱり――【全力で今後を憂うスレ】かな」
そうして数時間ぶりに開いたそれを斜め読みしていけば、話題は何故か竜爪草原で世界警察:ユウリノという団体に襲われる、〝狛犬〟の話題になっていた。
「あの人の動き、すごくいいんだよなぁ」
荒削りだが、将来有望なプレイヤースキルをもった人。木馬の〝狛犬〟への認識はそんな感じで、それは誰が投稿したのかわからない映像記録を見てからずっと思っていたことだった。
思わず素直に掲示板にそう書き込むが、掲示板の他の書き込みを見る限り、どうやらそんなほのぼのとした状況ではないらしい。
木馬からしたら、成り行きでとはいえ指名手配犯だったから狙われたんだろうなぁ、くらいにしか思っていなかったのだが、皆はもっと深刻そうにそれを話している。
トップランカーの中でも、知能派の〝轟き〟が〝死体の山〟のことを書いているのを見て、木馬は思わずどきりとして左右の小さなモンスターを見る。彼らに見られている中で、その話題に言及することが罪なことに思えて、ふと木馬の書き込みの手が止まる。
けれどすぐに、次の大ニュースが飛び込んできて、木馬はやましさも忘れて手を動かす。
ジャーナリスト魂――いや、よくわからない根性で撮影を続ける朶に思わず突っ込みをいれながら、木馬も併設して『DDD支部局』を開いた。
戦闘の参考になるかもと映像を見れば、狛犬は落下しながら片手で顔を覆っていた。まさか喜びに打ち震えているだけとも知らず、これは相当怒っているなと木馬は思う。
世界警察もちょっと強引だなぁ、と顔をしかめながらも、木馬はまだお祭り気分でスレを見ている。横に座り自分を見る子犬のことはいったんおいておきながら、彼は事の推移を見守るだけにとどまっていた。
途中、何のきまぐれかノアさんがエリンギへの制裁を終え、参戦するという書き込みにちょっとだけ驚きながら木馬は顔を上げる。
彗星湖の近くにいるというのだから、これだけ平たい場所なら見えるかなと、望遠鏡を目におしあてて辺りを見回せば――、
「あ、やっぱいた。ノアさんだ」
案の定、ずっとずっと遠くの岸辺。木馬とはずいぶんと離れた岸部に立つノアの姿が見えた。遠くからでもイケメンオーラが立ち上っているようなその美貌と立ち振る舞いをする男性は、木馬が見ている前で風のように走り始める。
宣言通り、すぐに行動したようだ。あの様子では、もうスレなんて見ていないだろう。そうスレに書き込んで、続けて陰謀劇みたいで楽しいな、と木馬は軽率にそう書き込んだ。
その時はまだ、木馬は外側からそれを見ていた。そう、これは楽しいと。まるで陰謀劇。そう、劇だ。外から見ていれば壮大で、楽しそうで、大変そうな1つの演目。
出演者は大変だろうが、見ている側はわくわくするだけの――
『わんっ』
「――?」
突然、木馬の隣で子犬が鳴いた。陸鮫の声なんて聞いたことがなかったから、ああ、やっぱり犬みたいに吠えるのかと不思議に思って振り返れば、子犬はじっと木馬の開いた掲示板――いや、違う。『DDD支部局』で生放送されている映像をじっと見つめていた。
『わんっ』
また、わんと鳴いた。無視してもいいのに、木馬はそれの理由を求めて映像に視線を向ける。じっと見ていても、何に吠えたのかわからない木馬が、視線を子犬に戻そうとした瞬間だった。
『わんっ!』
一際強く、子犬が吠えた。言葉はわからなくとも、そこにこめられた強い感情を感じて、木馬の視線は映像に逆戻りする。
そこには、狛犬の戦闘風景が映っている。『鎧熊』と〝従魔士〟のタッグと向かい合う、狛犬の姿が上空からと、何故か陸地からの2画面で映されている。
そこに子犬が反応しそうなものは何も無い。戦いに興奮しているのかとも思ったが、どう聞いてもそんな声ではないし、吠えていない方の子犬は、じっとうつむいて地面を見つめている。
「どうし――あ」
その時、画面の端に灰色の毛並みが映った。木馬の目にもそれは映り、その特徴的なエラと、水掻きを持った灰色狼の姿が画面に一瞬だけチラついて、すぐに消える。
『わんっ!』
そして、子犬が吠えた。
「まさか――」
うつむく1匹の陸鮫の子。同種を見て吠える、もう1匹の陸鮫の子。もう1時間も姿を見せない親。不用心に人間に近づくモンスターの子供。手を伸ばされれば捕まってしまう距離、それを咎める親の姿は――、
「親、これか? 今のがお前達の親か?」
吠える陸鮫の子は小さく頷いて、じっとその映像を見つめている。じっと見つめ、欠片でも親が映れば、小さな吠え声を上げる。
届くわけもないのに。画面越しに呼んだって、親に声が届くわけはないのに。
思わず、木馬はスケッチブックを拾い上げた。はらりとめくれば、一日目からずっと描きためたスケッチを見ることが出来る。
親と一緒に草を食むリゼットの子。親と一緒に砂地を転がるドルーウの子。親と一緒に獲物に追いすがる、デーヴァの子。親と一緒に――
そして、ページの最後。一番新しいそのスケッチは、
「――――」
寄り添いながら空を見る、小さな水中の陸鮫の子。
あるべき親の姿はなく、いるはずの同種もなく、思えばいてもおかしくない他の兄弟の姿もなく。
たった2匹で、空を見る陸鮫の子のスケッチ。完成の証に書き添えた小さなサインを、木馬は黙って消していく。
その時、掲示板の書き込みが目に入ったのは、たまたまだった。たまたま目に入ったその書き込み。〝レベック〟が提案する、その〝支援〟に、
「【書き込み】――『彗星湖にいる。参加する、集合場所は?』」
木馬の口から、するりとそんな言葉が出た。
小さな木の椅子から立ち上がり、膝をつき、小さな陸鮫の子に目線を合わせて木馬は言った。
「おいで。お前達の親を迎えにいこう」
小さく震える身体を抱き寄せて、2匹共自分のシャツの中に入れてやる。毛はまだちょっと濡れていて、シャツが濡れたが木馬は気にもしなかった。
まるで生きるのを諦めてしまったかのように、震えるだけの小さな命を抱えて。木馬は遠く、彗星湖の向こうに広がる竜爪草原を見やる。
木馬にはわかっていた。親の片方は、すでに死んでいるであろうことも。兄弟の何匹かは、同じ末路を辿っただろうということも。腕の中の2匹が、何のためにこんなところで震えているのかも。
「生き返るって言ったって……」
木馬は一歩を踏み出しながら言う。
「それ、なんか違うだろ」
VRだからとか、ゲームだからとか、AIだからとか、死に戻りするからとか、そういうことの前に。
「――やっちゃいけないことくらい、わかれよ」