第十一話:不気味の谷・ある老人の夢の続き:Ⅰ
第十一話:不気味の谷・ある老人の夢の続き:Ⅰ
沈黙。その一色に支配された重苦しい空気の中、茶色い髪をヘアバンドで無理に上げたような髪型の男が、そっと手を上げて視線を集める。
まごつくような、自信なさ気な雰囲気を纏いながらもその男ははっきりとこう言った。
「とりあえず、楽しみましょうよ」
沈黙が吹き溜まる空間に、そんな声が浮かんでくる。
「とりあえず、このゲームを心から楽しんで、それからまた考えましょうよ。ね、それで――」
どうかなと。へらりと困ったように、それで手を打ってくれというように自信なさげに笑う男に、プレイヤー達がちょっと戸惑った様子で目を伏せる。そう簡単にはいかないだろう。先程までの重たい空気に引きずられ、何人かはまだ躊躇いがちにギリーを見ている。
それでも、何人かのプレイヤーは自分の迷いを振り切るように、深呼吸をして顔を上げる。
「そうしましょう。幸い、このテストプレイの条件が良かった。25歳以上、社会的になんら今まで問題もなく、そしてお高い〝ホール〟の電気料金も払えて、稼ぎがあり、定期的に、そして確実に時間の取れる幸せ者。……でしょう?」
美人さんの、そのちょっとした皮肉をこめた羅列の仕方に何人かが苦笑して、仰る通りと言いながらぽんと自分の膝を叩く。
躊躇いがちにギリーを見ていた人達も、穏やかな表情で笑う。
「問われたなら、答えないとな。一応、ちゃんとした大人しかここにはいないんだ。正義漢ぶる奴もいないし、空気の読めない馬鹿もいない」
「真剣にやりますか。何か難易度すげー高いみたいだし。ゲーム好きしかいないんだし」
「よっしゃやるぜぇ!」
めいめいに出した結論にあんらくさんの雄叫びが続き、全員が納得した様子で再び情報を募っていく。
先程よりも勢いを増していくプレイヤー達に、纏める美人さんの方が大変そうだ。
そんなわいわいと楽しそうな集団を尻目にして、隣にぴったりとくっつくギリーへと視線を向ける。何と言ったらいいかわからないまま、それでも話しかけなければいけない気がして口を開くも、自分よりもギリーの方が精神的にも上らしい。
何かを言いかけた自分に、ギリーは短く、「いい」と言った。隣にしっかりと居座ったまま、柔らかい鼻面が寄せられる。
優しい慰めになんて答えたらいいのかわからないまま、ギリーは大丈夫だと繰り返す。
『主も、楽しもう。別に問いは投げたが、そこまで深刻に考える事ではない。私はまだ割り切れないほど知能経験が発達しているワケではないから、人や高位のAIと違い仕方がないことだと割り切れる』
「割り切れないAIも、いるってこと?」
『さてな、進み過ぎたのか。それとも驕ってしまったのか。寂しいのか、悲しいのか。寂しいという感情すら、私にはまだない。だからわからない』
「そっか……」
わからないという結論らしいギリーに頷いて、AIにも色々あるのだと知る。自分が生まれて、物心ついた時にはもう学習性AIが巷に溢れていたのだが、そんなあたりまえのものが意外な面を持っていた。というのが感慨深い。
現代でよく話題になるはずのことを、考えるきっかけなのだろうと思いつつ、ふらふらと飛んでくるルーシィに気を取られて顔を上げる。隣に立つルーさんが、静かに閉じていた瞳を開いた。ぼやくルーシィに、そっと囁くように声をかける。
『結局ルーシィちゃんの解説が……横取りされて……』
「ルーシィちゃんはどう?」
『ふぇ? なんですかルーさん。先程この話題であれほど暗く重くなれたのに、まだ続けるんですか?』
「いや、ねぇ。VR実装前生まれ……というよりかは、高性能AI開発前の生まれとしては気になってね。……ちょっといいかな?」
黙りこくったまま真剣に考えているようだったルーさんが、戻ってきたルーシィに向かって目を細め、テーブルの上への着席を求める。
自分にも椅子をすすめ、ルーさん自身も椅子に座り。次々と進んでいく情報会議をさっぱりと無視して、本当に唐突にルーシィに問う。
「高性能AIが廃された理由を、知っているかい?」
余りにも唐突な問いに、自分もルーシィも目を丸くする。別に空気が読めないわけでも無いだろうに、ルーさんが強引にその話を始める理由がわからない。
高性能AIが廃された? その理由? 何を言っているのだろう。今だって高性能AIは溢れている。それなのに、廃されたと過去形で語るルーさんが一体何を求めているのかわからない。
驚きに固まるルーシィに、ルーさんの静かな問いが再来する。
――高性能AIが廃されたのは、何故? と。怖いほど穏やかな、静かな声で。
『唐突になんですか。場にそぐいません。……それにある意味、今も高性能ですけど?』
「……ほら、はぐらかした。問いをはぐらかすってことがAIにとってどれだけ凄いことか、僕は知らないわけじゃない。そんなことが言えるほどのAIを作る必要がどこにあった? そう、そこだよ。何故AIに〝感情〟を作った。高性能AIは完成されていた。ロボット技術も進みきって、寧ろ限界っていう壁にぶち当たっていたぐらいだった」
なのに何故? 高性能AIは廃され、学習性AIに心血を注ぎ、人形に〝感情〟を作り出したのは何故? どうして?
――どうして?
VRMMORPGというゲームの中で、ルーシィの言う〝場にそぐわない〟質問が宙ぶらりんに浮かんでいる。
静かに、でも熱が篭もる声でルーさんが捲し立てるほとんどのことが唐突すぎる内容だ。まさに場にそぐわない。
でもその宙ぶらりんの問いを発したのは、他ならぬルーさんだ。彼の真剣な様子を見て、笑えるわけもないだろう。滲んでいるのは何だろうか。劣等感? それに似ている。違う、憤り? わからない。何か、色々な感情がないまぜになっているような。そんな感情がルーさんの瞳に滲んでいる。
『……何故、そんな問いを私に?』
ルーシィの声が潜められる。天真爛漫なイメージに似合わない、潜めた声。どうしたらいいかわからないまま、ただ成り行きを見守ることしかできない。
ルーさんの茶色い瞳が瞬いて、ぐっと郷愁の色が深くなる。
「道庭利幸。彼は何故、ロボットに〝感情〟を欲しがった?」
みちば、としゆき。ようやく理解でき、聞き覚えのある人名がルーさんの口から転がりでる。学習性AIの先駆者、一部の人間からその偉業をいまだ語り尽くせぬほどに語られる、一人の老人。ルーさんが高性能AI開発前生まれと言うのなら、だいたいの歳が同じはずの――はずの?
吹き荒れる疑問の中、自分にはわからないことをルーさんとルーシィが話している。ルーさんが答えを急くような必死さを滲ませて、VRの中の小さなサポート妖精――学習性AIに捲し立てる。
「彼と僕は袂を別った。彼がことの本質を見失い、新しく見つけた玩具に走り寄ったように思えたからだ。だから彼と僕の道は別たれた。そして僕は夢を諦め、彼はついに、かつての夢を放り出してまで、あれほどに欲しがった〝感情〟というものに漕ぎつけた」
学習性AI――学習し、知識や経験を取りこむ過程で如何様にもその性格を変化させる、〝感情〟の種。疑似感情のみと言われた旧型の高性能AIとは一線を画す、未知の存在。
それを作ったのが道庭利幸だ。あれほどまでに勧められた不死薬を、しかしその自身の輝かしい功績でもって拒絶を続け、そして少し前に病没した奇跡の人。
その人と、袂を別った人がいる。前埜優太、道庭利幸と共に世界で初の高性能AIの完成とVRの実現を発表し、しかしその夢はロボット法によって潰えたと言われた、その人。
唇が勝手に震え、気がつけばすでに推測は形になっていた。
「まえの……ゆうた? ですか。ルーさん」
ルーさんとルーシィの話に掠める事も出来なかった自分の声に、ルーさんがはっとしたような表情をする。
つられて自分がした発言を反芻し、そしてその重大さに気付き自分の顔から血の気が引く。
「ごめんなさい……ッ。マナー違反でした、すみませんっ」
周りに聞こえないように小声で、しかし動揺しながらルーさんへの謝罪を繰り返す。ネットにおいて本名はご法度だ。やってはいけない、一番のマナー違反。しかも相手は有名人だ。推測が正しいのなら、きっとバレたくはないだろう。
「いや、いや……ごめん狛ちゃん。急にこんな話始めた僕が悪かった。いいよ、ごめん。大丈夫」
「……ごめんなさい」
「いや、いいんだよ。年甲斐もなく苛立ちなんかに身を任せて……」
自分自身が情けない、と言うルーさんにもう一度だけ謝って、それからどうしていいかわからずに沈黙する。何がどうしたのか。どうしたんですか、と聞けたらいいが、流石に失礼だと分かっている。
ルーシィがふらふらと羽根を揺らし、迷うように自分とルーさんを交互に見る。
『理由は、わかりました。【Under Ground Online】におけるAIの半分以上は、お二方の事情を知ってますし、ルーシィも少しだけなら知ってます。理由も、お聞きになりたいんでしたら事情によってはお話します』
「……狛ちゃんどうする? どうしてか僕から聞く?」
「え゛? ええと、聞いていいんですか?」
「老人の与太話だから、若い人が聞いてくれてないと滅入る」
「え、ええ゛? わ、わかりました。人付き合いの参考にします」
「止めて。変な方向行っちゃうから止めよう。ね? ……はー、本当に。ごめんよ」
「嫌なら別に……」
いいです、と言いかけた自分を見るルーさんの目を見て、その言葉の語尾がするすると萎んでいく。寂しそうな色を滲ませるその人に、お願いしますと頭を下げる。
気を使わせたねと笑いながら、ルーシィに再びの着席を求めて茶色い瞳が閉ざされる。
「簡単に言えばね、ただの喧嘩だったんだ」
静かにそう切り出して、ルーさん――前埜優太は語り出した。歴史の教科書にも載るような大事件を、懐かしい昔話のように。
道庭利幸は動物好きで、前埜優太は花が好き。
でもどちらも夢は同じでその功績は輝かしく、2人は協力して旧式の高性能AIを作り出し、夢の完成は間近だった。
2人の夢は人のようなロボットを作る事。見た目も、動きも、受け答えも。完璧なものが出来上がる本当に一瞬前のことだった。
2人は出来栄えに満足していた。しかし当時の社会も今の社会も、人のようなロボットを受け入れることは出来なかった。
とてもすごい発明だが気味が悪いと言われ続け、その功績だけが独り歩きして、ついにはロボット法という法律まで出来て人型のそっくりなロボットを作ることは、法律で禁止されてしまうまでになってしまった。
2人は悩み、そして確かにこれは気味が悪いという結論に行き当たった。確かに成功した部分にだけ浮かれていて、そのロボットと相対する人の感情までは確認していなかった。2人はロボットに向き直り、確かに不気味だと頷いた。
何故だろうと考えて、きっと現実に肉を持って存在しているから怖いのではないかと結論づけた。不気味なのは、ロボットが現実に存在するからだと。
2人の夢は、人のようなロボットを作る事。
人々は彼等の夢が潰えたと言い放ったが、道庭はそれが現実であってもそうでなくても構わなかった。
そう、それが仮想現実――VRの中であろうと、自分が目の前に相対できるのなら、それでよかった。
しかし前埜優太は違う。自分は現実に存在して欲しかったのだ。しかしロボット法がそれを阻む。自分には妻子がいた。法を犯して捕まるわけにはいかなかったから、仕方なく自分の一番の夢を諦めて、次の一番の夢を探した。
その頃ちょうど自分の相棒が仮想現実の中で夢を叶えると聞かないものだから、仕方がないと協力して、そしてその内にまた一番の夢が出来た。
VRの中で誰も知らない、現実にない、綺麗な花でいっぱいの世界を見たいという夢。
前埜優太は花が好きだった。金にものをいわせた広い庭には、綺麗な大きな桜を中心にして、いくつもの花が植えられていた。季節ごとに満開に花が咲くように作られて、彼自慢の庭だった。
その頃、道庭はどうにも自身の夢がうまくいかないようだった。自分の一番になった夢を話し、自分はまた2人でやろうと持ちかけた。道庭はそれを喜んで受け、2人はまた共同でVR内での研究を始め、途中までは順調にやって来た。
なのに道庭は急に自分を排し始めた。旧型の高性能AIと共に、お前はもういい。ただ待っていろとだけ言い募り、怖い顔で自分をその権力で一切のVR部門から排斥した。
そして彼は自分の夢を放り出して、急に〝感情〟を持ったAIを。学習性AIを血眼で開発しだした。彼が夢を諦めたそのことにも失望した。
その後、自分は呆然とした。親友であった道庭と大喧嘩をし、殴り合いまでしてふて腐れて、VRゲームにひたはしった。自分がVRに関わる方法は、既に利用者としての方法しか存在しなかったからだ。
やがて長い年月が経った。曾孫の顔見たさにかなり早くに不死薬を煽った自分と違い、一人身の道庭は周りからどれだけ勧められても不死薬を煽らなかった。
そんな彼が病に伏し、末期の水と長年の文句を携えて彼の家を訪れた。積年の恨みは長い年月で薄れきり、一番の夢はひそかに輝きを失っていた。
誰もいない縁側で1人寝転がる友人の庭は、自分の庭以上に素敵な花で埋まっていた。桜の巨木は同じでも、色とりどりの花の全てが違う。
あれは何だと自分は問うた。しわくちゃになったちっぽけなジジイは、「お前の夢だ」と言って小さなハガキを1枚寄越した。あまりに綺麗な桜に見惚れるうち、隣にいた彼は静かに息を引き取っていた。末期の水に持ってきた、高い日本酒が無駄になるのは癪だったから、盃に注いで添えてやった。
そうしてただ一つ残った変なハガキ1枚を、郵便に出してみれば当選した。何に? それは、
「【Under Ground Online】のテストプレイに。あのジジイは何考えてるか本当にわからない。ああ腹立つ……!」
本当に腹立つと、途中まで何コレ泣ける話かなと思いながら聞いていた自分が拍子抜けするほど、ルーさんはあっけなく道庭利幸をただムカつくジジイと評してみせる。
「あの……理由はわかんないんですか?」
「……一応、運営にそれとなくメールを送ったけど返ってこない。ふん、どーせ僕はVR部門の鼻摘み者だから絶対に返事なんて返ってこないよ、ああ腹立つ!」
「うわぁ……」
積年の恨みは薄れたのではなく、捻くれてグレるという方向に転化したらしい。ぎりぎりと、それこそ年甲斐もなく憤りを顕わにするルーさんが、とても道庭老人と近い歳だと思えない。
「で、何か知ってるよねルーシィちゃん?」
『攻略していけばわかります! 故人の想いまでは代弁できません!』
「…………」
「あの、ルーさん。一応、言ってる事は正論ですから。ルーさん? ルーさん!?」
『こ、こ、怖いです! 無表情で舌打ちしながら貧乏ゆすりするの止めてください!』
ルーシィは貧乏ゆすりと称したが、もはや貧乏ゆすりではない。苛立ちを示すように打ち付けられる靴裏の音は、幸いにして周りの喧騒に掻き消されてはいるが、これではガラの悪い兄ちゃん以外の何者でもない。
暗がりで見ると不気味な雰囲気が助長され、隣のテーブルにいた見知らぬプレイヤーが、ルーさんの舌打ちにびくりと反応して逃げていく。
「……死んでなかったら埋めるのにあのジジイ」
「犯罪ですルーさん」
そう言いつつ、どうどう、と宥める自分の前を唐突に遮って、何かひらひらしたものが降ってくる。それと共にルーさんの苛立ちを増し増ししそうな人物の声が聞こえ、マズイと思うも用件は違うらしい。
「おいおいおい、ナウでヤングじゃないジジイは何でこんな不機嫌なんだよ。情報一覧出来たぜ。勝手に作ったグループごとに1枚だ。テメェらが話聞いてないから、俺までこのグループだ。おけー?」
「おけー? てなんだ。ちゃんとした日本語使えこの野郎、大体なんで狛ちゃんとならともかくテメェなんかと組まなきゃいけないんだ。死ね、死に戻れ。1人寂しくログアウトしろ」
マシンガンのようにボロボロと罵倒を続けるルーさんをきょとんと見て、あんらくさんが右、左、右と順番に首を傾げる。仕草だけ見ればヤンキーの威嚇のようだ。
「……なんでコイツこんなに怒ってんだ?」
「色々あって……あんらくさん一緒のグループですか。よろしくお願いします」
「お? おおー、お前もスルーって覚えたか。いいぜー、よしよし。よろしくだ」
「よろしくない」
『わがままですよルーさん。話聞いてなかったんですからー』
「よろしくないっ!」
子供のように駄々をこねるルーさんを、ルーシィとギリーがよしよしと慰めていて、これはこれでシュールと写真をぱしゃり。
特に肉球に撫でられるルーさんの憮然とした顔は必見だと、あんらくさんと盛り上がりながら写真の評価をしていれば、いつのまにか終わってしまった攻略会議が本当の意味で締めくくられる。
「では! これより【Under Ground Online】、攻略するぞぉ! おー!」
おー!! と怒号のような答えが統括ギルドの壁を震わせ、驚いたサポート妖精達がぐるぐると1回転しながら苦笑する。
「おー」
と、遅れて小さな声を上げれば、話は聞いてなくともその実感がわきあがる。
現実では叶わないことを、叶えにいく。冒険リュックを背負い、行きましょうとみんなに言えば、ふて腐れていたルーさんも立ち上がる。
小さなハガキに導かれてやってきたというルーさんの問いも、攻略していけばわかるとルーシィが言ったのならそうなのだろう。
自分のささやかな希望にも、答えが出るだろうかとそっと思う。
期待と不安の手を取って、自分はそっと扉を開いた。