第九十七話:火蓋はまだ落ちていない
第九十七話:火蓋はまだ落ちていない
劇場はまだ終わらない。
「――次、黄色」
地上の『陸鮫』の絶叫を聞き届けながら。それを肯定するニブルヘイムの咆哮を聞きながら、自分はデフレ君を駆って次のターゲットに向かっていた。
黄色いワルグムは残りの6頭の中でも一番混乱していたようで、ぐるぐると迷うように飛行しながら群れから離れている。
集団行動からはずれ、群れから離れた獲物が真っ先に狙われるのは、当たり前だ。
世界警察のやつらがいくら混乱しようとも、攻略組が大自然の逆鱗に触れようとも、モンスター達がプレイヤーに敵意と憎悪を燃やそうとも――自分には関係ない。
まあ、この件が終わり、それでもまだ状況が変わらないようならモンスター側に立つのも悪くないとは思っている。
モンスターを倒すのも楽しいが、それよりも強くて数が多い方を敵にしたほうが楽しいからだ。
死んだら数年は戻らない野生モンスターとプレイヤーが争えば、いつかはプレイヤーが勝利するに決まっている。
結果が見えている方に加担するのは面白くない。ならば、モンスターの方に協力して、見えている結果をひっくり返そうとする方がまだ楽しい。
怒り狂うニブルヘイムは変わりなく。しかし、状況はさきほどまでとはがらりと違う。モンスター達の宣言、怒りの声、竜種までもがそれを肯定し、世界の行く末が見えてきている。
しかし同時に、人間の完全勝利も目に見えていた。だからこそ、プレイヤー達は簡単には慌てない。彼等が慌てているのは、別の理由からだった。
「くそっ、〝狛犬〟に飛行手段は無いんじゃなかったのか!?」
「んなこと言ってもいるじゃーん――うぇ、地上の〝トム〟が『陸鮫』に噛み殺されたって」
「お前が真っ先に狙われるかもしれないんだぞ! もっと警戒――」
「いや、白いのは最後だ」
「――ッ!」
白いワイバーンと黒いワイバーン。いや、ワルグム、とかいったか。それにまたがる2人の間に割り込みながら、黄色いワルグムの頭を掴んで振り上げる。
わざわざ白いのは最後だ、と宣言しながら、黄色いのの頭を見せつけるように持ち上げれば、世界警察の2人は黙り込んだ。
全身を厚着で覆い、顔すらも見えない男。シンプルな軽装鎧に身を包み、短いナイフをいくつも腰に下げる薄銀色の髪の男。
銀色の方が息を詰まらせながらも、何故? と勇敢にも自分に問う。視線は自分が掲げる黄色いワルグムに注がれていて、緊張した面持ちでゆっくりと息を吐き出した。
「だって貴重な免罪符だからね」
そう言い切った瞬間。薄銀色の男が腰に伸ばしていた手が閃き、ナイフをこちらに向かって投擲する。
対して、手の動きから予測していた自分も、〝頭だけ〟になった黄色いワルグムをぶん投げる。
空中でぶつかり合ったそれはどちらも弾かれ、ナイフは回転しながら。ワルグムの黄色い頭は、新鮮な血液を振りまきながら地上へと落ちていく。
薄銀色の男が、2投目に手をかけながら叫んだ。
「――良い度胸だ指名手配犯!」
自分は愛銃を抜き放ちながら、全力で返す。
「――そっちこそ良い度胸だ! 全滅するまで覚悟しとけ!」
そこに遅れて追いついたニブルヘイムが大口を開けながら迫り、白いワルグムに乗った男が、じゃあちょっと色々よろしく頼むよ! と言いながら、再び攪乱のために全力で高速飛行を指示し出す。
残る5頭のワルグムの内、誰も乗っていない3頭が白いワルグムを追い、自分と相対する薄銀色の男は、改めてナイフを握りしめながら、静かに名乗った。
「『世界警察:ユウリノ』幹部――〝ドラエフ〟だ」
「〝狛犬〟」
「君を甘く見過ぎていた。〝リリアン〟じゃ足りなかったらしい。成竜もいるのだし、全力で戦力を使い、殲滅するべきだった」
気づくの遅いんじゃない? と言おうとして、その言い方に引っかかりを覚える。その口振りだと、何か、ニブルヘイムに対してもっとちゃんとした戦力があるとでもいうような口振りで――
違和感とイヤな予感に眉をひそめる自分に、ドラエフは嫌そうに薄青の目を細めてみせる。
「その勘の良さが問題だ。けれど、今回は間に合わせない」
ドラエフの言葉が耳に届いた瞬間、また違う音も自分の背後から届いた。
振り返ってみなければ、幻聴かと思うような音。何か太く巨大なものがへし折れ、そして数拍後に上空にまで届く地響きの音。
眼前に敵がいるのも忘れ、自分は思わず振り返っていた。だって、その音に、聞き慣れた声で痛みにのたうち回る、絶叫が聞き取れたから。
それは――、
「ニブルヘイム――?」
砂竜、ニブルヘイムの絶叫。
痛みと混乱と怒りがない交ぜになり、ほぼ正気を失ったかのような叫び声がその喉から吹き上がる。
右の翼はおかしな方向にねじ曲がり、悲鳴のために空気を取り込み膨らんだ胸部からは、真っ白な骨が血にまみれてつきだしていた。
地に落とされた黄金竜は土くれと血にまみれ、茶色と赤の斑となってその金の鱗を染め上げる。
喉からは絶えず絶叫。意味を為さないそれは、絶大な痛みを訴えてひたすらに叫びを上げ続ける。
絶叫を上げる度に胸からは血が噴き出し、草原の草を赤く染めた。左腕も折れ曲がっているようで、必死に起きあがろうとするその姿は痛々しい――。
「……痛々しい?」
――あれは、ニブルヘイムは、そんな言葉が似合うような竜じゃないのに。
「――どいつだ」
どいつがやった。
自分の喉からこぼれる低い声。直感に従って見上げた先に、深紅のモンスターが浮かんでいる。
赤い鱗。いくつも生えた短い黒い角。鋭い青い瞳には、優越感と弱者をせせら笑う悪趣味な色。
鋭い牙は同じ、いや同じと表現したくない。長く太い首、翼だけの腕の無い身体。分厚く巨大な後ろ足。
黒い棘がいくつも生え揃う長い尾が、機嫌良さげに振られている。
「あれも【従属】するんだぞ、トロイ! 殺すんじゃないぞ!」
深紅の、竜。赤い赤い鱗をざわめかせる赤いドラゴンが、ドラエフに言われてあざ笑うかのように鼻から熱い蒸気を吐く。
『ご主人様よぉ、俺の名前はちゃんと言えよぉ』
赤い竜は胸郭を膨らませ、高らかに勝ち鬨の声を上げながら言う。
赤竜、トルニトロイってよ――!
名乗りを上げるトルニトロイの口から炎が溢れ、地上でのたうつニブルヘイムへと炎の渦が叩き込まれる。
絶叫のために空気をむさぼるニブルヘイムは、火の粉を含む風を吸い込み、今度は内蔵が焼かれる痛みに悲鳴を上げた。
「赤竜、トルニトロイ……」
その光景を見下ろしながら、ぽつりと呟いた自分に気がつき、ドラエフが油断の無い目でこちらを睨む。
「そうだ。〝従魔士〟派生アビリティ。俺が、〝従竜士〟のドラエ――」
「……嘘だ」
短く、何故思い浮かんだのかわからない直感に導かれ、自分はその発言を遮った。途端に、可哀想なものを見るような目でドラエフがこちらを見るが、何も自分はこの状況が嘘だ、と言ったわけじゃない。
「……理解したくないかもしれないが、これが現実だ。ニブルヘイムがああなった以上、君がどれだけ足掻こうとも……」
そう。否定しても意味は無い。事実は事実だ。覆らない。起きたことは戻らない。そんなことはわかっている。
「飛べ、ディル・フリック・レイスター」
ドラエフの言葉を無視し、デフレ君の肩を叩く。お前ならワルグムより早く飛べる、と言い添えれば、デフレ君の目の色が変わった。冠羽を逆立てて、彼はぐぅっと翼を広げる。
一瞬だけふわりと頼りなく浮き上がったかと思えば、次の瞬間、その翼に風が回り、デフレ君の叫びに呼応してそれが渦巻く。
そういえば風雲系のモンスターだとは聞いたが、こんな芸当も出来るらしい。自分も合わせて〝騎獣士〟のスキル一覧を開く。
もうこうなったら、使えるものは何でも使って、勝率を上げていくしかない。
「まずは確認だ――」
うちの子もいるわけだし、そろそろ落とし前をつけさせてもらおうと、ドラエフを無視してデフレ君の手綱を掴んだ。
直感が正しければ、この行動で判明する。
自分がドラエフではなく、白いワルグムに乗る男を見ていると遅れて気がついたドラエフが、焦りに息を呑んだ瞬間。
「【体重軽減】――【断風】――【騎獣強化:Ⅰ】」
〝騎獣士〟が持ついくつものアクティブスキル。全てが全て、人を乗せるモンスターを、それに乗る人を補助するためのスキルを重ねてかけていく。
【体重軽減】でデフレ君は本来の身軽さを。【断風】で息を詰まらせ、空気抵抗で遅くなる風の問題を軽減。【騎獣強化:Ⅰ】でデフレ君の翼にわずかながら変化が起き、膨らんだ筋肉がその全身を一回り大きくする。
――ピューーィィィイイイ!!
高らかな鷹のような声。高音のそれが宣言のように草原に、その上空に響きわたり、その翼が動く。
ドラエフが投げつけたナイフをもろともせず、風圧でたたき落としながら切るスタートダッシュ。
叩き落とされたニブルヘイムに慢心し、油断になだらかに飛ぶ白いワルグムに、デフレ君が矢のように迫る。
「まずい――〝セリア〟!」
「〝栴の色〟!」
自分は腰からアドルフのナイフを抜き出し、血に濡れてより切れ味を増した凶爪を振り上げる。ドラエフが全身を分厚い服装で覆う男の名を呼び注意を叫べば、〝セリア〟はくるりとこちらを振り返った。
その口元がにやけているのを確認して、自分は鋭く指示を出す。
「――急上昇!」
指示を出すまでもなく、【獣身一体】の効果で自分の考えを先取りするデフレ君は、まさに電光の如く翼の向きを変え、急激に夜空を駆け上がる。
そのほんのわずか後に、自分たちがいたところを焼き尽くす劫火が通る。自分の炎の魔術など、鼻で笑ってしまうような威力の火炎が夜空を走った。
「〝繋がって〟――」
白いワルグムにつっこんでいくように見えた自分が急上昇し、セリアもドラエフもそれを見上げる。遠くで赤竜の顎が開き、火線が走るのを見て今度は指示が無くともデフレ君が更に急上昇からのジグザグ航法を披露する。
ただの急上昇を予測して、下から上に動かされる炎は目標を捉えきれず、デフレ君がベストのタイミングで白いワルグムの頭上を取った。
察しのよいネブラが4枚の翼で自身の身体を包み、瞬時に伏せたのを確認。自分の喉が、風雲系にあるまじき絶叫でスペルを唱える。
「――〝踊れ〟【ラファーガ】!!」
セリアと呼ばれた男が両腕で顔を庇うが、自分の魔力は男の頭を包み込むように渦巻き状に展開。ニット帽を、サングラスをはね飛ばし、皮膚ではなく顔を覆い隠す全てのものをバラバラに切り刻んでいく。
「トルニトロイの攻撃――その皮膚――お前が〝従竜士〟だな!」
腕を覆う腕の合間、黒灰色のアシンメトリーの髪の隙間から同色の瞳が覗き、楽しそうにそれが歪んだ。
腕の隙間から覗くその皮膚には、赤い竜の鱗のようなものが浮かび、状況証拠と相まってその正体を物語る。
「ご明察! 俺が〝従竜士〟の〝セリア〟! よろしく!」
よろしく! と言いながらセリアの片手が閃き、青い結晶をこちらに向かって投げつける。結晶は空中で砕け散り、無数の破片となって宙に浮かび、鋭い切っ先をこちらに向けて整然と並び揃う。
「追尾機能つきだから、避けられないっスよー」
「ッ!」
詠唱も間に合わない。デフレ君の翼ならかわせるだろうが、追尾機能があったら避けきれる自信がない。
それに追い打ちをかけるように、トルニトロイがこちらを狙って口の端から青い炎をチラつかせる。
考え無しに動けば、まず間違いなく狙い撃ち――いや、考えても道がない。どうやっても、結晶の槍が自分とデフレ君を貫くか、トルニトロイの炎が自分達を焼き尽くすかの2択。
どちらを選んでも絶望の道。雪花もモルガナもギリーも。信頼できる仲間は誰も、ここまで上がってこれない。遠距離攻撃も持ち合わせていない。
硬直する。先が見えない。いや違う、先を見通せるがゆえに――
「【突撃】♪」
硬直する自分とデフレ君に向けて、2種の絶望が殺到した。