第九十話:動画映り最悪
第九十話:動画映り最悪
夜を裂いて風に乗る黄金の翼。背後で力強く上下するそれを振り返る余裕は無いが、体面を保って必死さを態度に出さないだけの余裕はあった。
眼下に広がるのは大草原と、巨大な円形の街並み。巨大セーフティーエリアであるそれに近付くのを嫌がり、少し離れた上空を旋回し続けるニブルヘイムを見上げる人々の様子が、街の明かりでいっそうよく見えた。
街自体はセーフティーエリアで覆われているため、ニブルヘイムに乗って真上から見下ろすことこそ出来ないものの、それでもやはり壮観、というべき眺めがあった。
旋回を続けるニブルヘイムに乗ったまま更に視線を動かせば、地上では雪花が朶さんと無事に落ちあい、朶さんは熱い視線でこちらをじっと見上げている。
その口元が早口に動いているのを見て、自分は更に気を引き締める。撮影スキルで撮影中な上、生放送中でもあるのだろう。ここでうっかり手を滑らせてニブルヘイムから落ちたりしたら、即行で不名誉なスクショが出回るに違いない。
そんな嫌な名の上げ方だけは嫌だと思いながら痺れてきた足に力を入れ、しっかりと角を掴んでニブルヘイムに指示を出すべく息を吸い込む。上昇よりももっと難しい、急激な下降からの着陸へと挑むために。
「さあ――正念場だっ」
当然ながら、ただでさえ滑りやすいニブルヘイムの頭の上。そこにしがみついたまま、急降下からの着陸となれば相当なスピードと衝撃が予測される。それに、何かに乗った状態、しかも空中での上から下への運動は、ギリーに乗ってちょっとした崖を下りるよりももっと怖いに違いなかった。
しかし、これも朶さんからの熱烈なお願いだ。着陸は格好良く、急降下からどーん! とお願い、と言われたら、見栄っ張りの自分は当然断れない。
一応、安全な着陸の仕方はある。緩やかに旋回しながらゆっくり地上へと舞い降りればいいのだ。飛ぶのが下手な竜種ならともかく、ニブルヘイムはそこそこ飛行が上手い。当然、最初はニブルヘイムもその着陸方法を提案したが、朶さんの契約モンスターだと思われる、小さな空飛ぶ栗鼠からの伝言は「格好いい着陸を頼む」だった。
生放送を盛り上げるためだろう。自分ももし映像を見る側だったら、きっとそんな様子で着陸してくる様子に心躍らせ、憧れたことだろう。逆に言えば、上手くやればその羨望は、自分へと向けられるということだ。そういうことなら、
「当然やるしかないだろ――ニブルヘイム! 急降下から着陸!」
『……はーい』
グオオオ! と傍目からしたら格好いい鳴き声と共にニブルヘイムが返事をする。近くで聞けばやる気のない返事なのだが、外側だけ取り繕えば良いという指示通り、一応格好良く吼えてから、ニブルヘイムが大きく翼を打ち振った。
一瞬だけ翼の動きが止まり、風が止み、無音になる世界。息を止めた自分が力の限りにしがみついたのを確認し、ニブルヘイムは動いた。
『――下ります』
眼下に見える人混みから歓声が上がる中、ニブルヘイムは翼を畳み、猛スピードで地面へと急降下していく。当然、声を上げる余裕も、片手を上げる余裕も無い。必死になってしがみつきながら、それでも目だけは閉じずに衝撃に備えて全身に力を入れる。
体感時間は相当に長いが、ある意味で一瞬でもあった。ぐんぐん近付いた草原にぶつかる、と思う瞬間、黄金色の巨大な翼が広げられ、強引に空気を掴んで減速する。
前足よりも発達した巨大な後ろ足が爪を広げ、着陸と同時に草原を鷲掴みにして土と草花を抉り取った。
おそらく、見た目にはそれほどの衝撃があったようには見えないような着地。しかし、見た目以上に強い衝撃が来た自分は顔をしかめながら、それでも手放さなかった角を掴みなおして顔を上げる。映像を見てみないと分からないが、そこまでの無様は晒していないだろう。
顔を上げれば、目を輝かせながら、これがアルカリ洞窟群に君臨する砂竜、ニブルヘイムです! と実況を続ける朶さん。それを横目に見つつ、やんややんや、と盛り上がっている人々に、不遜ながら手でも振ろうかと思った瞬間――不機嫌な声が、その盛り上がりに水を差した。
『――人の子よ、我が子が怯える。もっと下がりなさい!』
低く、腹の底に響く声が草原に響き渡り、続けて苛立ちを示す尾が鋭く振られて派手に地面を抉り上げる。舞い上がる草と土。落ちていくそれを眺めながら、突然の竜の怒りの声にNPC達の行動は素早かった。
謝罪を口にするよりも早く、外壁から離れて草原に踏み出していた者は下がり、すぐに壁に背中をつける。さっさと街の中に入る者もいて、その行動の速さにこの大陸での竜の影響力を見た。
「なんだ、モンスターが何か言ってるぞ!」
逆に、不満を口にしたのはプレイヤー達だ。一部の、恐らく見覚えがないことから新規プレイヤーであると思われる人達が、モンスター風情が偉そうに! といくつか怒鳴り声を上げながら近付いてくる。子竜を抱える親竜相手にそれは自殺行為だ、と顔をしかめた自分の表情を見て取ったのか、その矛先は自分へも向き始めた。
その途端に、察しの良い雪花の唇が小さく動き始め、意外と広い彼の背中の後ろで決めておいたハンドサインが閃く。端的に、風――1。
飛ばし方によっては殺傷力皆無の、強風を吹かせる一番最初の風の魔術を準備していると知らせてくる傭兵は、無表情で事の次第を見守っている。
そういえば自分はこれが初めてのVRな上に、初めてのロールプレイングゲームだったから当然のように受けいれていたが、最初に契約モンスター殺害の事件が起きたのは、一部のプレイヤーが学習性AIというものを――ひいては、どのゲームにおけるAI内臓のモンスターのことも、軽視していたからだった。
そう、彼等はまだ知らないのだ。学習性AIのその本質を。正体云々の話ではなく、彼等は一様に、やられたことを決して忘れない存在だということを、全く知らないし、体感してもいない。
上がる声の大半は、〝モンスター風情〟この一言に集約されている。彼等にとってモンスターは、倒せば倒すだけリポップする『システム』でしかない。彼等の中のモンスターとは、記憶も、意思も、恨みも、喜びも、なくて当たり前の存在なのだろう。
だけどその常識は、この世界でだけは適用されない。この世界では学習性AI入りのモンスターは記憶を持ち、意思を持ち、親愛の情を持ち、時に恨みや憎しみさえ抱く、中身の詰まった存在だ。
どれも同じ形で、同じ場所に、何度でも蘇る中身の無い〝モンスター〟ではない。
「……朶さん」
「アドリブで!」
プレイヤー達の暴挙に本当に嫌そうに目を細めるニブルヘイムの頭の上で、どうしたものかと朶さんに声をかければ、即行でそう返事がきて自分は更に渋面になった。
アドリブってどうするんだよ、と一瞬だけ思ったが、プレイヤー達はおっかなびっくりではあるものの、じりじりと近付いてきている。
首に巻き付いているネブラはといえば、正直、親が二重の意味で一緒だからかそこまで問題がある様子ではない。逆に、珍しくこの状況に興味津々というか、何か期待めいたものを視線に乗せてじっと自分を見つめている。
確認のためにその羽毛に指を入れるが、下の鱗も逆立ってはいない。これでは、ネブラよりもニブルヘイムの方が問題だ。尾は不機嫌に振りたくられ、いつプレイヤー達に向けられるか分からない。まあ、ニブルヘイムは自分の契約モンスターではないため、PKにならないから最悪、どうなっても構わないけれど。
「あー……ねえ、ちょっと。離れてくれるといいんだけど」
仕方なしに、溜息を吐きながらにじり寄って来るプレイヤー達に声をかける。中には剣を手にしている者もいるが、本気で襲い掛かって来る気は無いようだ。そりゃ、始めたばかりでこんな巨大なドラゴンを倒せると思う方がおかしいだろうが、彼らなりに間合いを保ちながら近付いてきている。
どちらかといえば、目的はちょっとした意趣返しのようだ。よくよく見れば、彼等の目には少しの不安と、妙な自信がある。その自信の出所を考えていたら、偶然にも彼等が答えを教えてくれた。
「お前が離れりゃ良いだろ。竜を従えて何様気分か知らないが、離れろってんならお前が離れろ」
「ああー……そういう」
離れてほしいなー、という緩やかなお願いに対する返事で、大体が読み取れた。恐らく彼等は、ニブルヘイムが完全に自分の制御下にあると思っているのだ。恐らく、契約していると。
客観的に見たら自分もそう思うだろうが、残念。ニブルヘイムは、そんなに親しみやすくは無い。これで意外と爆弾を抱えているようなもので、いざとなったら自分の指示なんて、ニブルヘイムはガン無視するということを知っていたら、彼等はこんな無謀な真似をしないということだ。
どうしようかと悩んでいたら、視界の端に何かが動いた。ちらりと視線を向ければ、朶さんが手を振って、そこから栗鼠が飛んでくる。手渡された紙には、〝悪の帝王風に蹴散らして〟とあった。最悪な気分になった。
「まあ、確かに。突然現れてお前ら離れろ、とか言われたら腹が立つのもわかりますが、ちょっと危ないんで離れてくれませんか?」
自分が逆の立場でも、お前が離れろ、と思うかもしれないが、この状況でニブルヘイムに飛べ、と言っても飛ぶわけがない。意外と、近付いて来ない他の新規プレイヤー達が見ている中。下手に出ておかないと、万が一のことになってしまった場合、自分達が悪いということになるということで、大人しくこの場から引いてくれることをお願いするが、彼等は引かなかった。
「わかってんなら――」
「じゃあいい」
自身の怒りを理解するならどけ、と彼等が言おうとしたのを遮って、自分は言った。
「退かせ――雪花」
「【ウィンド】!」
もうどうにでもなーれ、と思い、退かせ、と言った瞬間に、じっと無表情で控えていた雪花が動いた。彼等の前に躍り出て、ずっと溜め込んでいた力を解き放つ。
スペルを叫べば瞬く間に突風が吹き付け、近付いてきていたプレイヤー達はこらえきれずに吹っ飛んだ。指示の通りに全てを退かし、雪花が気障ったらしく自分に向かってお辞儀をする。
「どうぞ、ボス」
「〝熔魔の色 赤竜の色〟」
恐らくこれも朶さんの指示、それプラス、雪花の悪ふざけも入っているのだろう。不敵な笑みを浮かべる雪花が長剣の柄に手をかけながら、呻き声を上げながら起き上るプレイヤー達に向き直る。
彼等は憎々しげにこちらを見るが、火に油を注ぐとわかっていて、わざわざ雪花に彼等を離れさせたのには、きちんとした自分なりの理由がある。どうせなら、徹底的に悪役風でいこう。
小さく始まった詠唱を聞き取って、ニブルヘイムがぎょっとした様子で翼を振り、ネブラが慌てて防炎マントをくわえて引っ張る。ギリーは即行で朶さんの襟首をくわえてその場からひきずって離れ、その様子を見ていた他のプレイヤーも察しの良い者からそそくさと離れ始める。
吹っ飛ばされた彼等だけが状況を理解出来ずに、ゆっくりと立ち上がる中、彼等がこちらに向かってくる前に、詠唱は完了した。
腰から抜いたデザートウルフの引き金を引き、雪花の足元に発射。銃声に振り返り、次にどこに着弾したのかを理解した雪花が青褪めながら防炎マントを身体に巻き、間一髪その場から飛びのいた瞬間に、無造作にスペルを唱える。大丈夫、多分。今日は魔力抑えめだからと思ったのだが、それは思ったよりも派手に散った。
「【ガル・ブラスト】」
スペルと共に先程まで雪花がいた場所に火線が走り、ヂッ、ヂッ、ヂッというリズムの良い音が響いた直後。縦方向に向かって、カーテンのように炎が勢いよく吹き上がった。熱波を散らしながら夜空に伸びる深紅の炎は、轟音を伴って夜空を焦がす。
見た目のインパクトもさながら、それよりも重低音が恐怖を呼ぶ。ニブルヘイムの時と違い、魔力放出を最少にまでしぼったから熱波を防がないと火傷が、というほどの威力ではないが、相変わらず炎系の魔術特有の、本能に訴える怖さがあった。
それでも、もっと高威力のガル・ブラストに慣れ切っているネブラにとっては、ちっちゃな花火のようなものだったらしい。なぁんだ、慌てることなかったなー、みたいな様子で火の名残をじっと見ている。繊細なはずなんだけど、自分のせいで変な部分は図太く育ちそうだった。
ちらりと見れば、吹っ飛ばされた上に間近に今のを見たプレイヤー達はそそくさといなくなっていた。朶さんが残念そうにしているから、本当に立ち去ったのだろう。ちょっとした問題はあったが、今度こそ朶さんを回収してここから発とうと、ニブルヘイムに声をかける。
「ニブルヘイム、伏せ」
『ちょっと、私は犬じゃ――』
「おめめに穴開くぞ」
『早くしてくださいよ! 私、人は嫌いなんです!』
すぐ近くに見えるニブルヘイムの眼球に向けてデザートウルフをちらつかせれば、彼は大人しく伏せながらもぎゃんぎゃん吼える。朶さんがニコニコしながらこちらに向かって走り寄り、最高の絵が取れた! と叫んだ。
「……良かったですね」
「すごく悪役だったよ狛犬君! 流石! よし、これで第一部は終わった。次は上空からのフィールドの様子を撮るから――」
ニブルヘイムの頭の上。自分がロープを使って補強した簡易の手綱を手に、朶さんは器用に角の先端に足を引っかけ、自分のすぐ後ろに陣取った。これも情熱ゆえの力だろうか、よくもまあ喋りながらそんな器用なことが出来るものだと思うが、彼は危うげなく自分の後ろに乗っている。
雪花はぜーはー言いながら恨みがましくこちらを見るが、大人しく橙と一緒にギリーに乗り込み、準備はできた、と手を振って来た。
では、と自分はニブルヘイムの頭を叩き、出発を指示する。二度目となれば感動も、恐怖も少しは減る。しかし、自分の後ろで息を呑む朶さんにとっては、感動的な一瞬になるだろう。
『……どこへ?』
静かにそう聞いてくるニブルヘイムに、自分は囁くように答えた。
「――まだ誰もいないところへ」
プレイヤー達の、NPC達の、知り合い達の視線を受けながら、砂竜ニブルヘイムは再び夜空に舞い上がった。