第八十四話:始まりの街
第八十四話:始まりの街
空には色とりどりの花が舞い、祝砲があちらこちらで撃ち鳴らされる。ざわめく喧騒の合間を縫い、希望と期待に満ち溢れた人々を横目にしながら、自分はひたすら街の中央へと進んでいく。
傍らに伴ったギリーがその威圧感で道を作り、自分はそれに寄り添うようにして足を動かす。もう少し、もう少しと言いながら人混みをかきわけて、時折どこからか上がる歓声に耳を傾けながら、目的地へと急ぐ。
「うっとうしい……」
『全くだ』
思わず本音が零れれば、自分の言葉ならどんな小声でも聞き取るギリーがすぐに肯定の返事を返す。本当にそう思っていなくても、自分のいうことはすぐに肯定するギリーだが、今回ばかりは彼も疲れたように人の群れを押し退けている。
小声でメニュー画面を開けば、視界の隅に表示される見慣れた日付。そこには、ゲーム内での月日を示す、『黄麗の伍月』の文字。現実世界で言うところの、轟歴3802年、9月15日、午後3時。
ついに【Under Ground Online】の正規サービス開始の日がやってきていた。
テストプレイヤーとNPC による誘導によって、混乱をおさえられた新規プレイヤー達の波を押し退けながら、雑踏の中で思わず口の中で舌を打った。
彼等は大半が誘導に従い、しばらくはこの始まりの街、エアリスで過ごす者と、即座に街の外へと繰り出す者達に二分化されるだろう。
留まる者はその慎重さをもって緩やかに自身を鍛え、外に出る危険に臆さぬ者は、マッピングのために喉から手が出るほど人手を欲していた攻略組が、乾いたスポンジが水を吸うように志願者を迎え入れる。
テストプレイヤー中でもトップクラスの実力とカリスマ性をあわせ持つ、〝白虎〟率いる大型ギルド『金獅子』と、〝フベ〟率いる名も無きギルドとが互いに手を結び、急激な人口密度の増加に伴い起きるであろう様々な問題に対処するという全体送信メールが発信されたのは、たった3日前のことなのだが、その短期間でよくここまで問題を抑え込んでいるものだと思う。
『主、少し遅れている』
思考の途中でギリーの声が割り込み、再び時間を見て予定に遅れていることに気が付いた。今度こそはっきりと舌打ちをしながら足を速める。ギリーに乗って家の屋根でも走れば早いのだろうが、それをやると悪目立ちするし、あいにくこの人の数では着地のための場所が無い。
有名になりたいと言っても、変な人、と言われたくはないため、ひたすら無言で足を動かす。巨大な犬系モンスターであるギリーは、何もしなくてもそれだけで新規プレイヤーの目を引くようだ。
すでに見慣れてしまったNPCや、テストプレイヤー達は見向きもしないそれに振り返るだけで、その人が『新参者』であることが窺えた。何人かがすれ違いざまに恐々と手を伸ばすが、ギリーが唸ればすぐに手を引っ込めていく。
そうこうしているうちに目的の場所である、統括ギルドへとたどり着き、眠る竜の紋章をくぐって建物の中に滑り込む。外とは打って変わって温かい空気が一気に顔を打ち、妙にリアルにかじかんだ指が熱を元に血流を速め、じんわりと熱を持った。リアルすぎやしないかと、不安になる一瞬だ。
「お疲れ様、人が多くて大変だったでしょう?」
「いえ、大丈夫です。頼まれたものは問題なく受け取ってきました」
「ありがとう。これで今日のメインイベントを録画したら、すぐに出発できる。狛犬君だと安心して頼めるから助かるよ」
中に入ってすぐに声をかけてきた朶さんは穏やかに微笑み、包みを受け取りながらさらりとそんなことを言う。
人を使うのが上手い朶さんは、こうやってさりげなく且つ大胆に相手を褒めることが多い。そんな言われ方をすれば当然、悪い気はしないのだから次も頑張ろうという気になってしまうのだ。あんまり油断していると、そんな心理を利用するかの如く、こき使われることになるのだけれど。
「相変わらずお世辞がお上手ですね」
「いやいや、本気だよ。君は頼まれ事に関わらず、完璧に達成しなきゃ気が済まない性質だろう。だからこそ、色んなことが安心して頼めるんだよ」
数日間行動を共にしただけで、よくそんな部分までわかるなと感心する部分もあるが、それ以上にこそばゆい気持ちのほうが勝って顔を背ける。
背けた先ではお留守番をしていた橙がギリーの帰還に喜んでいて、ネブラがじっとこちらを見ていた。いや、睨んでいると言った方が正しいだろうか。
「――大人気だ」
茶化すように耳元でそう言う朶さんを横目でちょっと睨んでから、ネブラの機嫌を窺うためにゆっくりと近付いていく。威嚇するように翼を広げた瞬間に、じゃあいい、と言いながら背を向ければ、慌ててばさばさと羽ばたいて背中にしがみついてきた。
「よーしよし」
そのまま大慌てで暴れるのを誘導し、腕の中に落ちつけてから雪花にも声をかけた。疲れた様子で振り返り、保父さんも楽じゃない……と呻くその肩を叩く。
「お疲れ」
「もう本当にそうだよ! ネブラはずっと不機嫌だし、橙はぐるぐる唸りっぱなしだし!」
いつ暴発するかと思った! と叫ぶ雪花を労いながら、向かいに腰かけて橙を呼ぶ。ネブラは首に尾を使ってしがみつき、橙は急いで膝の上に収まって丸くなった。ここ数日で気が付いたのだが、この行動は子竜達にとって自分が出かけられないように重石になっているつもりらしい。
膝の上で丸まり、動かないぞ、といった様子の橙を無理やりひっくり返して腹毛を撫でつつ、今後の打ち合わせのためにメニューからメモ帳を選択、音声記録機能も並行して起動させる。
包みを確認していた朶さんも同じテーブルに椅子を寄せ、リーダーである彼がテーブルの上に地図を広げた。所々に手書きで書きこまれた跡が見えるそれに指先を滑らせていく。
「さて、では本日より正規サービスが開始された影響で、様々なルールが変更された。まずはその点の確認をしてから、それに伴う予定変更のチェックをしていくよ」
「まずはログイン時間についてですかね。基本の活動時間はどうなりますか?」
「そこなんだよね。まあ、私は暇があるから何時でも大丈夫だけど、二人はどう?」
正規サービスを開始するにあたり、【あんぐら】の運営はいくつか抜本的なルール変更を行った。一つはログイン時の時流の速度の変更。
協定によって定められていた3倍という規定を否定し、ゲーム内と現実世界での時間速度の誤差を消すべく、独自の時流速度を設定したのだ。
【あんぐら】の運営がうちだした時流は、およそ1.3倍。〝ホール〟そのもののメンテナンス時間を抜いた、実質的なログイン可能時間である18時間に対し、ゲーム内での一日分、24時間の流れを合わせ、その日の終わりに現実での一日がゲーム内での一日となるように設定されたという。
初めは渋っていたVR連盟も、時流の〝変更〟ではなく、新たな可能性を求めての〝追加〟という形なら、と決断に踏み切ったらしい。元々、オンラインゲームにおいて、現実世界とゲーム世界での時間の誤差は様々な問題が叫ばれていた中、賛否両論ではあるが世間の反応は悪くないものだった。
特に反応が良かったのは、今までログアウト中、現実世界の一分一秒にやきもきしていた廃ゲーマー達だ。3時間寝ただけで、9時間も遅れるんだ! という言葉がちょっと前にネット上で随分と面白がられていたが、他の人達からすれば笑い話のその言葉も、廃ゲーマーたちにとっては本気の叫びだ。
彼等の中でも3倍派だの、効率派だの、妙な分類があるらしく、今回の時流の変更を受け、分類は更に増えることになったとか。
とにかく、一部の廃ゲーマー達は今回の時流の追加を喜んでいる。いや、一番喜んでいるのは、廃ゲーマーたちの家族のようだが。強迫性が減り、5秒ごとに時計をちら見する必要がなくなったのがポイントらしい。
一時期、時計中毒などと呼ばれ、不名誉にもニュース番組で問題視されるほどだったそれが無くなるのは、確かに喜ばしいことだろう。
しかし、現実世界でのんびりしている間に、ゲーム世界ではこんなに時間が経っているんだぞ、と焦らなくてもよくなった分、より忙しい人向きのゲームじゃなくなったことは事実だ。
ゲーム世界の夜を楽しみたいなら朝一でログインするか、夕方遅くからログインするしかない。まあ、朝一6時でログインすれば、真夜中の0時からプレイ出来るは出来るが、出勤前の2時間プレイするなら、前規定通りの3倍の時流で固定している他のゲームのほうが、お得感はあるだろうが。
最近、ようやく日課になりつつある音声ニュース情報を反芻しながら、意識を目の前に緩やかに戻していく。
ダメな時間とかあれば、と言う朶さんに、自分はともかく意外なことに雪花も何時でも問題ないと頷いた。個人の事情を詮索するのはご法度だが、そんながんがんゲームばかりしていて、大丈夫なのだろうか。いや、人のことを言えたものじゃないが。
「本当に? あ、いや、途中で事情が出来てログインできないとかを受け付けないわけじゃないけど、ほぼ毎日やるかもしれないんだよ?」
「大丈夫っすよ。暇なんで」
念を押して確認された雪花は、自嘲するような笑みを浮かべて頷いた。朶さんも、そこまで言いきられては納得するしかないのか、喉の奥で微妙な唸り声を上げながらもわかった、と膝を叩く。
「3時間ごとに強制ログアウトさせられるのは決まってるけど、10分間の休憩の後、撮影中は即ログインしてもらう形になると思う。代わりに、撮影の合間、安全地帯が確保出来次第大きな自由時間を取る。その間は散策しても良いし、ログアウトして休憩を取るのも自由だ」
勿論、お昼休憩も十分に取る、と言いながら朶さんは紙にざっくりとした予定を書きつけていく。
「朝は何時からが良いとかある?」
「8時過ぎてれば何時でもいいです」
いつもルーシィが現れ、返っていく時間を思い浮かべながらそう言えば、雪花もそれに頷いた。
「じゃあ、現実時間で9時にログイン出来るかな?」
「はい」
「おっけおっけ」
問題ないと雪花と共に頷けば、朶さんは頷いて集合時間をメールで送ってきた。一応、目を通して確認して、という言葉にきちんとそれに目を通し、問題が無いことを再度確認し合う。
「ゲーム内時刻で現在時刻は3時50分。5時ちょうどに王霊祭のメインイベントがある。3時きっかりにログインした僕たちは、7時近くに強制ログアウトの時間が来るだろうから、その時間までに借宿に戻ろう。ああ、後、必要なものを支給しておく」
朶さんが言いながら腰元のポーチから赤い宝石細工を取り出して見せる。細い金属が絡み合い、丸まる竜を模した繊細な細工の中に、透明な丸い宝石のようなものが収まっている。見た瞬間は赤いと思ったが、元になっている金属は銀ともプラチナともいえるような色合いだった。
滑らかな表面に炎が這っているかのように、金属部分に赤が閃いては消える。手渡される瞬間、思わず熱いのではないかと指先が反射で動いたが、手のひらにはひんやりとした感触だけが残った。
「これは……?」
「無理言ってNPCに用立ててもらった録画用カメラだ。私のスキル、【フォーカス】を利用するアイテム」
アビリティ、〝見習いカメラマン〟の初期スキル、【フォーカス】。朶さんが暇潰しにと、一昨日話してくれた条件が正しければ、スキルをかけるのに必要なものは〝眼球〟と、それを収める〝眼窩〟だ。
通常は、無問題に条件をクリアしている、アビリティ保持者本人の〝目〟にかけられるスキルだ。効果は〝見ているものをそのまま映像記録化して保存する〟だったと思う。
「条件達成まであと1歩。君達の魔力を通して、君たちの目と〝関連付ける〟だけ」
よくよく見れば、確かに宝石を収める細い金属細工は眼窩のようにそれを覆っているし、丸まった竜の翼が、瞼のように絶妙な比率で宝石を覆っている。
直感で使い方を理解して、魔力をぶわりと広げれば深紅の魔力が吸い込まれ、透明な宝石が赤く染まった。朶さんの指が伸びてきて、宝石に触れながら小さくスキルを呟く。
「【フォーカス】」
その瞬間、縦長の瞳孔を模した黒が浮かび、その造形も相まってぎょろりと、それがこちらを見た。その瞬間に、目の前に歯車のように回転する薄赤い円形の電子枠が浮かび、すぐに亀裂は閉じていく。何でもなかったかのように、赤く染まった宝石だけがすっぽりと眼窩を模す金属の中におさまっていた。
「これは、上手くいったんですかね」
「メニュー開いて、映像記録のフォルダに【フォーカス】って名前のデータがあれば、成功してるはずだよ」
朶さんに言われるがまま、映像記録のフォルダを開く。そこに、新しく【フォーカス】という名前を見つけ、驚きに目を丸くすれば朶さんが心底嬉しそうにエボルツァ、と耳慣れない言葉を呟いた。
「やぁやぁ、実験は成功だ。ありがとう、良かったよ。お金だけかかって失敗じゃ立つ瀬がない……どう? 面白いでしょう」
「まさか……失敗する可能性があったんですか。こんな高価そうなもので……」
「そうだよ」
実験は成功、その言葉に、最初からスキル説明に明記されていたものじゃないということかと問えば、朶さんは子供のような笑みを浮かべながら一冊の分厚い本を取り出した。
タイトルは『スキル関連術理論』。それを指先で開きながら、自分と雪花を見て朶さんは人差し指を立ててうそぶく。
「一つ――類似せしものは互いに影響を及ぼし合う」
自分の手の中の宝石を奪い、朶さんは自分達によく見えるように指先につまんで掲げて見せる。それは、時折自分が家庭教師で生徒に説く、類似物の相互影響についての文言。
文化人類学にて時折語られる、類感呪術の考え方だ。同じ形、形式のものは互いに影響を及ぼし、〝同じ効果が期待できる〟という考え方。
「対象者の魔力が通った、〝眼窩〟に収まる〝眼球〟。条件さえ達成できれば、他の人の目にもスキルを再現できるとは思ってたけど、いやぁ、上手くいって良かったよ」
朶さん曰く、【フォーカス】は通常、他人の目に直接かけることが出来ない類のスキルらしい。拒絶反応でも起きるのか、それともそういう風に最初から作られたスキルなのか、どう頑張っても他人の目にはスキルをかけることが出来なかったという。
「え、じゃあ物にはかけられるんですか?」
「かけられないよ。かけられないけど、今回はシステムを騙したんだ。いや、あらかじめ騙せるようにシステムが作られているみたいだから、バグとかじゃないけどね」
魔力を溜め込む性質のある晶石を球体、つまり眼球に見立て、それを覆う眼窩を特殊な金属で再現。そこに、魔力を含ませることで、本物の目だとシステムに錯覚させたのだと言う。
「この本には、そういった類感呪術や感染呪術の原理を応用し、スキルの幅を増やす術がいくつか載ってるんだ。勿論、具体的にではなく、概念とかそういう理論といったものが書かれている」
『スキル関連術理論』を指先で叩き、朶さんはそう言いながらじっくりと手の中の〝目〟を見つめ、続けてこれは電池みたいなものかもしれないな、と呟いた。
「電池、ですか」
「うん。もしかしたら、一発限りの使い捨てかもしれないと覚悟はしていたんだけど、晶石が壊れていない所を見ると、そうでもない。あと、さっきからゆっくりとだけど晶石の色が薄れてきている。この赤は多分、狛犬君の魔力の色だろう?」
「あ、はい。多分……雪花、やってみて」
「はいよ」
じっと様子をうかがっていた雪花が同じように渡された晶石に魔力を込めれば、それは自分のものとは対照的な鮮やかな青に染まっていった。紺碧に近い色合いが、透明な宝石の中で流れる水のように揺らめいている。
「そうみたいです。【魔力可視化】で視認できる色と一致しています」
「それじゃあ、多分そうだ。んー、じゃあ補充は出来る?」
再び自分の手の中に戻って来たそれに魔力を放出すれば、するすると魔力を吸い込んでいく様子がよく見えた。朶さん達には晶石が赤くなっていく様子しか見えていないだろうが、その吸収は突然終わり、吸い込み切れないとでもいうように、余った魔力が空気中に散っていく。
「今、途中まで吸い込んでいきましたが、途中で止まりました。これ以上は入らないみたいです」
「そうか、じゃあ上限があるんだ。それは晶石の質とか大きさの問題だろうな……。効果はまだ持続している?」
「はい、まだフォルダの更新が続いてます」
「じゃあ雪花君ので試そう。少ししか入れてないよね?」
「勿論」
朶さんにそう答え、雪花が青く染まったそれを手渡す。スキルを唱えれば、雪花はすかさずメニューを開き、自分のも上手くいったと報告する。
そのまま少しだけ待っていれば、するすると晶石に込められた青は抜け落ちていき、透明になった瞬間に、雪花が呟く。
「――電子枠が消えた。フォルダの更新もストップ」
「補充、いってみて」
「うぃ」
短く、テンポよく返事を返し、雪花は再び魔力を放出する。それは再び魔力を吸い上げ、青く変色していくが、雪花は黙って首を振った。
「魔力は入っていくけど、再開はしないみたいっスよ」
「試しに、スキル」
「フォーカス」
はっきりと発音されたスキル名が空気を震わせるが、スキル発動時の独特の震えは無い。朶さんが指を当て、再度同じ言葉を呟けば、明確に力を持った音をシステムが容認した。
「――【フォーカス】」
雪花の瞳孔が僅かに狭まり、効果再開、と薄い唇が囁く。朶さんは、これは使いどころを選ぶな、とゆったりと目を細めた。
「二人とも、魔術師だから魔力は貴重だ。だのに、これは一度魔力を切らすと効果が一旦止まるみたいだ。戦闘をこなしながら撮影するのは骨が折れそうだね」
朶さんの言う通り、いくら魔力があっても足りない、とよく言われる魔術師にとって、常に魔力を補充し続けなければならないアイテムというのは配分が難しい。ただ、使えないわけではない。
目で見ただけで〝撮影〟できるのは大きな強みだろう。カメラ片手に、野生のモンスターやPK集団と競り合うのは厳しいだろうから。
「そうだね。どこで使うかは指示をするよ。一応、大事に持っていてくれる?」
「はい、わかりました」
「ああ、後、試すのが怖いから試していないけれど、それに魔力を込める時は、晶石に傷をつけないように気をつけて。もしかしたら、それをシステムが君たちの目だと誤認するということは、傷も傷として誤認するかもしれないから」
「「――え゛」」
聞きたくなかった言葉を聞き取り、ぐっと自分と雪花の息が詰まった。場合によっては、魔力切れなんかよりよっぽど問題だろう、と思ったが、それを黙殺するように朶さんはにっこりと微笑んで、じゃあ、後一時間で【見習い地図士】のアビリティを購入しておいでと言う。
「え、いや……」
「ほら、ほらほら早く。時間無くなっちゃうよ、新規さん達も多いんだから。ほら、行っておいで」
文句も不満も言う暇なく、やれ急げと急き立てられて席を立つ。転げ落ちそうになる橙を寸でのところで抱えながら、思わず雪花と顔を見合わせた。
購入と言っても金が――、と言おうと開きかけた口のまま、背中を押されて人々がひしめく大通りへと放り出される。
「ちょっと、朶さ」
「いってらっしゃい」
有無を言わさぬ綺麗な笑顔で、雇い主は丸まる竜の扉を閉ざした。