〈序〉ー深淵の前奏曲《プレリュード》ー
見上げれば、返り血を浴びたかのような紅い天空。
見下ろせば、完膚無きまでに破壊され、あちこちから黒煙を噴き上げる地上。
その両者を繋ぎ止めるかの如く、無数に林立する巨大な円柱を思わす青黒い鞭のような「それ」は、蛇のように身をくねらせながら確かに上から下へずるずると蠕動していた。
そして、その表面を葉脈のように走り、脈々と収縮を繰り返しながら蠢く黒い血流は、明らかにそれが巨大な意志ある存在の一部であることを残酷に示していた。
そこが数時間前まで世界有数の大都市と呼ばれた街の面影など、脆くも消えつつあった。
その街だけではない。
隣のアジア最大の国・中国をはじめ、韓国、ロシ ア、ポーランド、チェコ、ヨルダン、バーレーン、グルジア、ネパール、イギリス、フランス、イタリア、ドイツ、ノルウェー、コンゴ、オーストラリア、エクアドル、アラスカ、そしてアメリカ等ーー数時間前、突如として世界各地を想像もしなかった“未知の侵略”が同時に襲ったのだ。
各国の軍部隊による反撃も虚しく、首都機能は壊滅状態。人々もパニックに陥っていた。
そんな絶望的な光景の中で奇跡的に未だその存在を誇示している高層建築物ーー世界一を誇った電波塔の頭頂付近に、動く影がひとつ。
そのしなやか且つ優美な肢体のラインは明らかに女のものだ。
猛禽類の翼のようにロングコートの裾を強風にたなびかせ、漆黒のサングラスに隠した鋭い両眼は真っ直ぐに虚空を見据えたまま微動だにしない。
「 There is no silver bullet any longer・・・」
その真っ赤に濡れ光る眼は果たして何を見つめ、何を思うのかーー女が口にした「silver bullet」=〈最期の切り札〉とは?
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古来より、この世界では人間と吸血鬼との間で、種族の存亡とこの世界の覇権を賭けた争いが歴史の裏側で我々一般人には知られることなく連綿と続いてきた。
人間の血液を糧とする吸血鬼と、そんな彼等の存在を脅威と感じた人間側との間で繰り返された暗闘は、幾世代にも渡り、その度に双方共に多大な犠牲者と破壊の爪痕を残していった。
この血みどろの戦いは永久に終わることなく泥沼化するかと思われたーー
だが、それは突然、なんの前触れもなく訪れた。
それは、吸血鬼側の代表者達で構成された 〈元老院〉が人間側の代表者〈評議会〉に非公式の会談を申し入れ、遂には双方の間に休戦条約が結ばれた事だった。
今から300年前の、正に寝耳に水の歴史的大事件だった。
だが、この突然の決定はそれぞれの世界で疑問を投げかけられ、特に吸血鬼側では〈元老院〉の突然の決定に対して、一部の急進派=反人間派から疑惑と否定の眼差しを受けたのだった。
やがて、時は経ち-ー現代。
人工血液を常食とし、人間社会の闇に潜みながらも共存共栄をはかってきた吸血鬼側と人間側の間に再び緊張感が高まった。
300年ごとに結ばれる休戦条約の次期調印式が一か月後に迫っていたのだ。
調印式の場所は、日本・東京。
だが、その東京では今、只ならぬ不穏な動きがあった。
それは、決してあってはならぬ、そして不可解な事件だった。
この事態を重く見た〈元老院〉と〈評議会〉は、双方の世界の平和と秩序を護る為に設立された、吸血鬼絡みの事件を人知れず速やかに解決・処理する極秘捜査機関「Dシューター (DARKSIDE SHOOTER)」の日本支部に事件の調査を命じ、その中の一人の〈Dシューター〉をこの事件の担当捜査官として選んだ。
その〈Dシューター〉の名は、緋月奈々(ひづき・なな)。
彼女こそ、吸血鬼の父と人間の母との間に生を受けた、世界でも稀な混血児の〈Dシューター〉であった。
今、東京は深淵の闇色に包まれようとしてい たーー