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言いがかりのエンカウント1

「ハッ、ハッ、ハァ……ッ、ハァ……ん、く……ッ」


 浅い息を吐く。

 心臓は早鐘のように鼓動を刻み、そのくせ、頭は嫌に冷静だ。

 最初に浮かんだ感想が、『こんなもんか』だった。

 ドラマのようにパニックになる事もなく、漫画のように吐く事もなかった。

 あったのは、その実感と感触だけだ。

 いや、実感は夢見心地といったところか……と、俺は薄ら笑いを漏らす。

 肉を裂いて、溢れ出る生温かくもネットリとした血。

 息を吸えば血の臭い。



 人を殺した―――――



 そう、俺は人を殺した。

 正当防衛だ。

 何故なら、相手の方が出刃包丁を向けてこちらに襲い掛かってきたんだから。

 どうしてこんな事になったのか、なんでこんな場所に足を向けてしまったのか。

 それすらどうでもいい。

 でも俺はすぐに駅の路地裏を逃げ出して、少し離れた公園へと向かって安堵の息を吐く。

 幸いにして俺はこの街の住人ではなく、終電だったから偶々降り立ったのが、この八重樫という中途半端に発展している田舎だったのだ。

 俺は旅が好きだった。

 だから大学生だった俺は、バイトで貯めた金を使って夏休みを利用した自由気ままな電車の旅を満喫していたのに。

 青春18きっぷを買って、普通列車で気の向くままに、足の向くままに、各地を散策するだけというものだが……それでも自分の世界が広がっていくようで、拡張されていくような感覚。

 世界の中心に居るのは自分なんだと、そんな感覚がとても心地よかったのに。

 なのにまさか、旅の途中でこんな事になってしまうなんて思いもしなかった。

 そうだ、俺は返り血を浴びたんだと思い出し、無我夢中で引っ掴んだ荷物をベンチへと置いてからYシャツを脱ごうとして気が付く。



 血が、ない―――――!?



 確かに血を浴びたはずだ。

 だって馬乗りになられて、首へと突き付けられた出刃包丁をなんとかそいつごと蹴り飛ばした後に、その相手が持っていたそれが手放され、出刃包丁を俺が拾い、通り魔は異常な握力で掴みかかってきた。

 そのまま、またしてもマウントポジションを取られた俺はそいつに首を絞められ、酸素が脳に回らなくなり始めたのか、急速に意識が遠のき、死にたくないと思って手にしていた出刃包丁でそいつの腹を力の限り突き刺したのだ。

 だがそれでもそいつの両手は俺の首を掴んだままで、突き刺した出刃包丁を思い切り捻り、抉った。

 すると流石にそいつは手を放し、少しして動かなくなったのだ。

 つまり、馬乗りされていた俺が刺したのだから当然、下に居る俺には大量の血が降り掛かったはずなのに―――――

 Yシャツだけじゃない。

 ダメージの入ったジーンズだって赤黒い大きな染みが出来ていたはずなのだ。

 脱ぎかけたYシャツを着て、俺は考えた。

 返り血が付いていないなら、知らぬ存ぜぬを通せば何とかなるのではないか、と。



 だが―――――



「見~つけた」


 発せられたのは男と女の中間のような声だ。

 その甘い甘い、獲物を見つけた狩り人の声。

 俺が殺したはずの人間の声。

 納まりかけた心臓の鼓動が一気に跳ね上がる。

 ギギギとブリキの人形のようにゆっくりと、背を向けていた公園の入り口を振り返る。

 175センチという男で平均よりは高く、体重も67キロジャストの俺を凌駕する異常な怪力を持っていた女。

 そう、マウントを取られて蹴り飛ばせたのは体重差があったからだろう。

 肌は白く、白いワンピースを着ていて、黒髪のロングヘアー。

 今は公園の街灯のお陰で、先程は見えなかった日本人特有の顔が見て取れた。

 そして、とても綺麗だと思った。

 その容姿はとても整っていて、物静かな印象を持たせる。

 容姿端麗という言葉は知っていたが、よもやその言葉が真っ先に当て嵌まると思った人物がいようとは思いもしなかった。

 でもやはり可笑しい。


 何かが―――――そうだ。


 暗がりの路地裏で男の悲鳴が聴こえ、興味本位で向かってみれば、不良っぽい人間を刺そうとしていた。

 初めて見た時から何かが可笑しいと思っていたんだ、と俺は思う。

 その違和感。

 暗がりでも見て取れた瞳の光。

 そんなことあるはずない。

 目は光源の反射で光るものだったはず。

 なのに光の入らない路地裏で瞳が光っている。

 しかも深紅に。

 血ではなく、深紅(あか)く輝くルビーのように。

 人間にそんな瞳を持つのは先天的な遺伝子異常(アルビノ)でしか俺は聞いた事が無い。

 暗がりでも自ら光っているような瞳を持つのが本当に人間なのだろうか?

 人の形をした人間じゃない何かではないか?

 そもそも、致死量の血を流し、ピクリとも動かなくなった生き物が何事もなく行動できるのか?

 という疑問の次に浮かんだのがようやくさっさと逃げろ、とヤバい事に首を突っ込んだの2つだ。

 だが、綺麗だからと言って、殺される訳にはいかない。

 殺されるのは嫌だ!

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!


「え?」


 気が付けば、そんな声をあげてしまっていた。

 どうやら殴られたようだ。

 急速に広がる痛み、ジリジリとした感覚、一秒毎に鈍っていく自分の四肢の感覚。

 そして―――――






「ねぇ、今朝のニュース見た?」


「ああ、駅の路地裏と公園でまた貧血した人が見つかったんでしょ?」


「そうそう」


 寝ぼけた頭で机に突っ伏したまま耳を傾ける。


「能力者の仕業かな?」


「どうなんだろうね? ねぇ、そう言えば隣のクラスに転校生が来たんだって」


「へぇ~、男? 女?」


「女。 すっごい美人よ~?」


 まるで他人事のようにその殺人事件とやらを話題から、隣の1-Cに来た転校生の話題に盛り上がるクラスメイトを余所に、まどろみに身を任せる。

 大学生ならもっと夏休みが長いんだろうな、と思いつつ始まってしまった陰鬱な学生生活を悲観しつつ、また寝ようと瞼を閉じる。

 眠る為のプロセスとして、窓際最後尾の席で雨宮黎あまみやれいは良く思考を巡らせる。

 人類人口が飽和、世界の人間はある日を境に突然の奇病でたくさんの人々が死んだ。

 その所為で存続が難しくなった国さえあった。

 当時100億と言われた人口は、70億まで落ち込み、今でもその恐怖に怯えている。

 もっとも、70億を切った時点で、奇病は嘘のように収束していったのだが。

 その奇病の原因は、未だにわかっていない。

 どこぞの国が秘密裏に開発した新型のウイルスで、バイオハザードになったとか、宇宙人のばら撒いた異星の病原体だとか、生物としての決められた量を越えそうになったから神様が殺しただとか。

 そんな荒唐無稽な噂が飛び交った。

 そんな中、人間の中に能力者が現れ始める。

 オカルトとか、そういった類ではない。

 呪文も必要なければ、前動作すらいらない。

 火を出し、心を読み、様々な事象を引き起こした。

 当然、能力者と奇病の関係を疑わない者は少なかったし、現に能力者になった物は誰一人として死ななかった。

 能力者は奇病に対して抗体を手にし、死を免れた選ばれた新人類。

 ある学者は能力者が人類の進化の形などという論文を発表したりと世間を騒がせた事もあったが、精神異常者がなりやすいという事が解ってからは、能力者はまるで犯罪者のような扱いになってしまっていた。

 そう、世間では言われる事は、当然の流れだったのだろう。

 しかも能力者は性格的、精神的に異常がある者がなりやすく、その異常性が高いほど能力は高くなっている。

 だが、あまりに振り切れた異常者は、異常者のままだ。

 少なくとも、今はまだ人を殺した人間で能力に目覚めた者はいない、らしい。

 能力者が現れた当初は非人道的な実験もされたという事も風の噂に聴く。

 異常者と能力者の分離線は何所なのか?と。

 罪人は何をしても良心が痛まない、という事なのだろう。

 それから少しの時が流れ、能力者は次世代の国を守る手段として見られ始めた事もまた、当然の流れだった。

 だからこそ世界は躍起になって能力者を捕え始めた。

 勧誘ではなく捕獲だ。

 何故なら不思議と能力を発現した後の能力者は、精神が安定し、世間でいう普通の性格に変化してしまうらしい。

 能力者は、みだりに能力を使う者は少なくなる。

 何故なら“普通の人間”は、みだりに社会を乱す事はいけない事だと思うからだとか。

 だから能力に目覚めた多くの能力者は能力の事を秘密にするし、使う事もあまり無い。

 それ故に能力発現後は見つけにくい。

 もっとも、最近は能力者限定の学校などを作ったりしたので、多くの能力者は自発的にそちらに行き、国に斡旋された企業やお抱えの軍、能力者のメカニズム解明の研究に貢献する道へと進む。

 だから今までは能力を発現する前に捕まえ、安定した者を管理する、というのが手っ取り早かったのだ。

 と、そう結論付ける頃には、黎の意識は闇に沈んでいった。






 気が付けば、人は誰も居なかった。

 教室には夕日が沈み始めている。

 昔風に言えば、そう―――――逢魔時。

 魔と重なり逢う時間。


「見つけたわ……吸血鬼さん?」


 教室の前のドアが開き、言葉を投げかけられた。

 そちらを見れば、そこには漆黒の長髪に意志の強そうな瞳。

 うちの学校の制服を着た女生徒。

 火之迦(ほのか)だ。


「誰だ?」


 不機嫌そうな声で寝起きの黎は、その名も顔も知らない女生徒へ向けて言う。

 その眼と声は常に眠たげにぼやけている。


「貴方が巷を騒がせている吸血鬼でしょ?」


 そう言いながら女生徒は、ドアを閉めずに此方へと歩き、2メートルほど離れたところで立ち止まり、座ったままの黎を見降ろしながら言う。


「何のことだ? 俺は唯の一般男子学生だぞ? 噂の吸血鬼は女のはずだろ? 見ない顔だな……転校生か?」


 黎は本当に解らないという顔で、目の前の転校生と見られる女生徒を鬱陶しそうに見た。

 この学校は、それなりの田舎なので、クラスも3つしかない。

 目の前の鬱陶しい女生徒は、黎から見て美人だ。

 美人ならば、物忘れしない程度には女性に興味がある。


「嘘ね。 だって貴方……他の人より私達と同じ感じがするんだもの。 いえ、私達よりもよりわかりやすい」


 黎の疑問を無視して、嘘と断じ、指を刺された。


「……勘かよ。 で? 一応訊いておくけど、そう言い切る自信は何?」


「女性じゃなくても、その顔でウィック被って、化粧して、女物の服でも着れば、女に見えるでしょ?」


 火之迦(ほのか)の目に入った黎の顔は、とても整った顔だった。

 火之迦(ほのか)は黎を見て一発でコイツだと思った。

 何故なら、まるで生きている事が不思議なくらいに危うかったからだ。

 黎明の空のように、やがては現れ過ぎ去って知ってしまうような……そんな儚い一瞬を再現しているような、不思議な雰囲気。

 対して黎は内心で舌打ちをしつつ思う。

 この女は、唯の勘で此方を御同類(・・・)と言っている事に、黎は鬱陶しさから苛立たしさへと変わった。

 コイツ……憶測で言いがかりか、嫌いな人種の一つだな、と黎はまたもや内心で舌打ちをしつつ関わらないようにしようと思い至る。

 もしかすれば何か自分を見つけるような能力を持っているのかもしれないと思いながらも、此処はさっさと退散したほうが良いだろうと思い、帰り支度を始めた。

 と言っても、教科書類は全て置いて行っているので、鞄くらいしかないのだが。


「もし仮に、俺がその吸血鬼だったとして……その詰まらない正義感で、襲われるとは思わないのか?

 まあ、俺は件の吸血鬼じゃないんで悪いけど帰らせてもらうよ」


 黎は当たり障りなく言って椅子から立ち上がり、椅子を戻して鞄を手に持つ。

 その動作は格闘技などの経験を匂わせない、ごくごく普通の挙動で特筆して記す物でもない。

 そのまま黎は教室の後ろの扉を開け、さっさと帰るところで足を止める事になる。


「待ちなさいよ」


 丁度、夕陽が完全に沈み、部活動や職員室などならば当然のことだが、電気を付けなくてはならないほどに暗くなったはずだ。

 だが、黎と火之迦(ほのか)の教室だけは例外だった。

 電気が無いはずなのに、他の教室とは質の違う光を出していた。

 揺ら揺らと揺らめき、電気とは違った温かみのある光が、爛々と教室を照らし出したのだ。


「……な?!」


 黎は声を漏らして思わず、後退る。

 恐怖ではなく、その熱量に晒された事が後ろへ足を進ませた。

 燃ッ!と、火之迦(ほのか)自身が燃えたのだ。

 黎はその熱量から左腕で顔を守りつつ、その姿を見た。

 確かに燃えている。

 長く艶やかだった黒い髪が、紅蓮の炎を纏わせている。


「私は貴方を学園にスカウトしに来たの。 でも、ハズレだと詰まらないから、こうして対決する事にしてるわ。

 これは国直々の事だから、大体の事は白も黒に出来るわ。 貴方がハズレなら、ちょっとした火傷をしてからただの異常者として檻の中」


 一歩、また一歩と炎と化した火之迦(ほのか)は距離を詰めてくる。

 それとは対照的に、黎は一歩一歩距離を放す。


 コイツを近づけさせれば、自分はマッチの如く燃え尽きて死ぬ事になる―――――


 半ば脅迫にも似た感覚によって実感させられた。


「もし、アタリだったら?」


「勿論、引っ張ってでも連れて行くわ!!」


 それが追いかけっこの始まりだった。

 黎は即座に身を翻し、人の居る場所へと逃げようとした。

 体裁を構わず、形振り構わず、黎はただ逃げる。

 だが、当然それを見越した火之迦(ほのか)は髪から火の飛沫を飛ばし、下へと続く階段を塞ぐように炎の壁を作り出す。

 炎によって階段が焼け焦げた匂いが鼻孔に飛び込むが、追い付かれればアイツは自分を焼くという言葉の通り、今度は黎自身の身体をレアくらいにしてくるのだろう。

 第一の逃走ルートを通行止めにされた黎は、必然的に上に逃げる他は無い。

 1年の教室は3階。

 これより上の階となれば、屋上しかない。

 だが、多くの学校がそうであるように、屋上のドアは鍵かかかっているはずで登りようが無い。

 それでも焼き殺されるというのなら、例え袋小路で行き止まりだという事を分かっていても、黎は1分1秒でも逃げられる道を進む事を選択する。

 必死に逃げているところで、黎はハタと気が付く。


「……ッ! 何でスプリンクラーが鳴らない!?」


 そう、教室の窓側にいた火之迦(ほのか)の熱風は、廊下にいた黎まで届いた。

 それ程の温度を出しているのに、熱感知センサーが反応しない訳が無い。

 なのに、今の今まで水は降ってこないのは、絶対に有り得ない事だ。

 思考を走らせるも、袋小路の最奥に到達してしまったために、黎は思考を中断せざる負えなかった。

 急いで階段を駆け上がって肩で息をする黎は、屋上への開かないドアを蹴りつけようとして飛び退いた。

 ゾワリと首筋に悪寒を感じ、身体は反射的に飛び退いただけに過ぎないが、それが正しかった事を黎は目の前の光景を見て確信し、安堵した。

 何故なら、本来1500℃の温度で溶けるはずの鉄のドアが溶け落ちてしまったからだ。

 もし避けなければ、レアどころか骨さえ燃やし尽くされていた事だろう。


「私の能力は炎なんだから、スプリンクラーを切っておくのは当然じゃない?」


 先程の黎の叫びを聴いていたのか、火之迦(ほのか)の声が響く。

 その足音は決して走らず、獲物を追い詰める狩人のようにゆっくりと確実に、此方の恐怖を煽りながら火之迦(ほのか)は登って来る。

 黎は溶かされたドアからどうにか屋上へと逃げ、入り口とは正反対のフェンスまで走った。

 丘の上に立つこの学校は見晴らしが良い。

 既に日の落ちた夜空には月が輝き、星が瞬いている。

 そんな中、屋上への入口の扉が炎の熱で完全に溶かされてドロドロと屋上のコンクリートへと流れ落ちた。


「貴方はハズレだったのかしら? 此処まで逃げても能力を使わないし、いい加減飽きて来たわ。

 折角、対抗戦に使えそうなのを探して結構、際どい異常者を探して、こんな田舎くんだりまできた意味無いじゃない。

 幾ら国がスカウトに熱心だからって、ハズレだと経費出してくれないのよ?」


 最後の方は、最早独り言になっている火之迦(ほのか)

 その台詞を聴いた黎が抱いたのは理不尽さだった。

 何故、自分がこんな目に……それは当然の感想だろう。

 言いがかり紛いの吸血鬼呼ばわり、能力者でなければ殺されるか牢屋行き。

 そんな理不尽に、ようやく黎は拳を握った。

 何故、自分はこんな理不尽に晒されて、やられっぱなしなんだと頭に血が昇る。


「何よ……やる気?」


 そんな黎を追い詰める火之迦(ほのか)の見たところ、黎の立ち居振る舞いは実に普通だった。

 身体強化系の能力者といった風でもない。

 かといって特殊能力と言った風でもない。

 目覚めていないのか、それともやはりハズレだったのか……と、落胆した時だった。

 目の前のハズレだと思った奴が、まるで染み付いたという程に洗練とされた動きを見せ、消えた。

 次に視界に飛び込んできたのは、文字通りに火之迦(ほのか)の眼前に飛び込んできた黎の握り拳。


 何でいきなり―――――?!


 意表を突かれ、驚愕を顕わにしたところで右の頬を殴られた。

 一瞬のホワイトアウト。

 そして、ゼロコンマ数秒後に取り戻した意識。

 気が付けば、自分の口から自分の意志とは無関係に悲鳴が漏れ、屋上入口の脇のフェンスへと叩きつけられていた。

 背中には編まれたフェンスのたわんだ感触。

 次に硬いコンクリートの感触。

 いきなりの事だったので集中力が切れ、能力が引っ込んだおかげで、フェンスを溶かして真っ逆さま、という訳にはいかなかったのは不幸中の幸いだ。

 いや、寧ろ今の動きは正に能力者のそれのはず。

 身体能力強化の類だろう。

 自己加速か、それとも瞬発力強化かは解らないが、少なくとも一般人の範疇外なのは確実。

 ここに来て、ようやく目の前の男女は本性を見せたのだ。

 これこそ火之迦(ほのか)の求めていた“アタリ”だった。

 その歓喜に触発されてか、またしても火之迦の髪が紅蓮を纏う。


「……痛ぅッ!」


 その殴った本人は鉄をも溶かす1500度を越える髪の部分で無いとはいえ、素手で髪の近くにある顔を殴りつけたのだ。

 炎に触れていなくとも、熱を受けて火傷を負うのは自明の理。

 皮膚のジクジクと響く痛みに、黎は右の拳を左手で押さえて蹲る。


「ようやくマシな奴を見つけたわ……でも何してくれてるのよ。 乙女の顔を何だと思ってるの?」


 倒れていた火之迦(ほのか)は、殴られた頬を手でさすりつつも何所か余裕そうに笑みを作って立ち上がる。

 例え格下であろうとも、例え偶然の一発だったとしても、弱みは見せたくない火之迦(ほのか)は嗤う。

 もう手加減の必要はない。

 能力者なのなら、その力の本質を見極めるくらいはしておきたいと、火之迦(ほのか)は更に炎の温度を引き上げる。

 そんな高温で服が燃えないのは、火之迦(ほのか)の来ている制服が最新の3000℃まで燃え内容に工夫された防火布によって作られているオーダーメイドだからだ。


「知るかよ……人を炙り殺す気、満々だったろ。 それに、俺が能力を持ってる訳じゃない。

 調べるなら好きなように調べてみれば良い。 能力なんて、あったとしても微弱なもんだろうさ」


 黎の言う、ただの常人が自分に一撃でも当ててこれるか?と言う疑問に対し、火之迦(ほのか)は即座にノーと答える。

 油断していたとはいえ、それは有り得ない。

 ただの平均的な男子学生程度が動けば、十分に知覚できるくらいには動体視力は悪くない。

 服がなるべく燃えないように、意識的に温度を落としている今は体表温度だって微熱に浮かされる程度の温度だが、本気で燃やす気になれば一秒も掛からずに身体全体に炎を纏ってその拳を溶かすくらいの芸当はできるはずなのだ。

 一瞬で間合いを詰めたその動きは、人間が知覚するには十分過ぎるくらいに早過ぎる。


「嘘言わないで! さっきのは身体能力強化の能力でしょ? 常人にあんな動きは不可能よ!」


「嘘じゃねぇよ!」


「嘘!」


「嘘じゃねぇ!」


 2人はいがみ合いになりそうになったところで、新たな人影が現れる。


「終わったー?」


 屋上の入口から顔だけをひょっこりと出した、可愛らしいお嬢様風の女の子―――――御影がいた。

 転校生が2人いたとは、黎は訊いていないのだが、何故かその女の子はこの学校の制服を身に着けていた。


「あ、良いところに! 御影さん! コイツが自分は能力者じゃないって嘘つくんですよ!?

 御影さんの“眼”で視て下さい!」


「いやぁ……火之迦(ほのか)ちゃんが戦ってる時に見たんだけど、この人はなんだか微妙な感じなの。

 火之迦ちゃんとの距離を詰めた時に能力を使ったような、使ってないような……うん、やっぱり凄く微妙」


 困ったね~、などとあまり困ったような顔をせずに言う御影と呼ばれた彼女を、黎は炎女より話の通じそうな女の子だと黎は思った。


「とにかくッ、微弱でも能力を使えるし、私に一撃入れたからコイツを最後のメンバーに入れるわ!」


 そう言って、黎の預かり知らない事を勝手に決めている火之迦(ほのか)と言う女に怒鳴る。


「だから……ッ、俺()能力を持ってないって言ってるだろ! 勝手に好き勝手決めるな!」


 火傷の鈍痛を耐えながらも下から睨みつける黎に、御影と呼ばれた女の子が言う。


「あー、ごめんね~? 残念だけど、もうこの学校の校長先生には了解取っちゃったから、君は転校しちゃったことになっちゃったんだ。

 転校先は、能力者専用のウチの学校ね~」


「なんだよ、それ……ッ!?」


 黎は絶句する。

 黎には親が居ない。

 例の奇病で死んだからだ。

 悲しくは無かった。

 親はどちらも碌でなしで、居ない方が嬉しいくらいだった。

 世界では、奇病の問題で孤児が増えた事もあり、高校まで学費はタダになったし、援助金も出されているから生活も慎ましくしていれば問題は無かった。

 なのにわざわざ能力者が居る学校へ転校など、冗談ではない。

 黎は自分が特殊な能力者だということは知っている。

 だが、黎は能力者ではない。

 簡単に言えば、黎の中に居る人物こそが能力者と言える。

 多重人格と呼ばれる者。

 その中にある人格群が形成した能力を黎は、“身体が覚えている”という感覚的で、滅茶苦茶な方法で使っているに過ぎないのだ。

 だから、黎()能力者ではないと言ったのだ。

 言ってしまえば、異常を抱えた普通。

 劣化した能力を使う事が出来る普通人。

 それが黎。

 今回の吸血鬼事件では、“吸血鬼という架空存在を模した能力”を不安定な人格として形成してしまったために、その人格は、完全にその能力を発現するまで黎の身体を使って夜な夜な事件を起こしていたに過ぎない。

 その能力を保有する人格の形成は突発的であり不安定だ。

 黎にとってはそんな事は初めてだったし、かなりの誤算だった。

 こんな自分を珍しく思わない者はまずいないと思ったからこそ、ひた隠しにしていたはずなのに意図せずして暴露してしまったようなものだ。

 無数に現れては消えて行った人格達。

 散々自分を保つ為の楯として使い潰した人格達への罪悪感から、この力をあまり使いたくはないのに。

 能力者の学校は能力を使う事が前提のカリキュラムが組まれる事は予想に難しくは無い。

 それは堪らなく黎の心を掻き毟り、嫌悪感を催させる。


「アンタこそ、きちんと自分の立場を理解してる? このまま私達と一緒に来ないっていうなら、アンタは明日から最終学歴が中卒で終わりなの。

 その点、ウチの学校に来れば、国が職を斡旋してくれるわよ?」


 路頭に迷うか、それとも御国に仕える番犬になるか……どちらが得になるのかは、自明の理だった。

 黎は自らの罪悪感よりも、社会で生活が困難になると言う障害を排除する事を選ばざるをえなかった。

 黎という少年は、自分を保たなければ別の人格を束ねる事が困難な少年だったからだ。


「……わかった。 行ってやるよ……その学校とやらに」


「素直でよろしい。 全く、始めから名乗り出てくれば余計な手間も怪我もせずに済んだのに」


「ざけんなよ?!」


 だが、納得できるかと言えば、出来るはずが無かった。


「まー、まー」


 こうして、雨宮黎はようやく舞台となる学園へと赴く事になる。

設定も凝らずに書いたので早くも微妙な感じかも。

何となく書きましたが、続く予定は特にありません。

気が向けばちょいちょい続きを書くかも知れません。


異常と能力の分離線の分離線はディバイドラインと横文字だったり(笑)

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