幸せを呼ぶ令嬢と氷の公爵様~婚約破棄された令嬢ですが、氷の公爵様を幸福にします~
少し長いですが、最後までおつきあいいただけますとうれしいです。
その日、私は王宮の中庭で蜂蜜のクッキーに舌鼓を打っていた。
今日は婚約者と月に一度のお茶会だったが、なかなかいらっしゃらないので、先にお茶をいただくことにしたのだ。
「レスティア、君との婚約を破棄したい」
「ふぇ?」
遅れてやってきた婚約者に、開口一番そんなことを言われる。
ちょうどクッキーを口に頬張っていたので、間の抜けた声が出てしまった。
婚約者のエリオット様の隣には、最近よく一緒にいる美しい令嬢が並んでいる。確かエメライン・クロスロッド伯爵令嬢だ。
なるほど。そういうことらしい。
私はクッキーを飲み込んでから尋ねる。
「理由を伺ってもよろしいでしょうか?」
「わたしは彼女を愛している。真実の愛を見つけたのだ。それにレスティア、君は能天気だから一緒にいると疲れるのだ。だが、エメラインといると楽しいからな」
率直だ。ある意味、潔い。
エメライン嬢は勝ち誇ったような顔をしている。
私は少し考えた。というか、結論はすでに出ている。
「承知いたしました」
「……えっ?」
「婚約破棄ですよね?」
「そ、そうだ」
「承知いたしました」
私があっさり頷くと、なぜか二人は固まった。
どうしたのだろう? と首を傾げていると、エリオット様が困惑気味に尋ねる。
「怒らないのか?」
「クロスロッド伯爵令嬢を愛しているのでしょう?」
「そうだが……」
「でしたら、愛している方と結ばれるのが一番です」
私はにっこり笑う。
「どうぞ末永くお幸せに」
だが、二人は完全に沈黙する。
なぜだろう?
祝福されたら喜ぶものではないのだろうか?
理解できないが、ひとまずカーテシーをする。
「それでは失礼いたします」
◇◇◇
この国アルトハイデン王国の第三王子エリオット様と私の婚約が結ばれたのは、二年前のことだった。
エリオット様は第三王子なので、臣籍降下をすることが決まっている。有力貴族に婿入りをしてその家を継ぐのだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、我がベルナール侯爵家だった。
我が家は私一人しか子供に恵まれず、いずれ婿取りをする予定だったから、ちょうど良かったというわけだ。
私も貴族の娘である。恋愛結婚ができるとは思っていなかったので、特に異論はなかった。
エリオット様はサラサラの白茶色の髪に、王家にしか受け継がれない金色の瞳をした美形だ。当然、女性に人気がある。私の好みのタイプではないが……。
優しいのだがあまり勤勉ではないし、よく違う女性を連れ歩いている。
貴族が妻以外の女性を囲うことはよくあることだ。そんなことは許容範囲なので構わない。領地経営も私が手伝えば問題はない。
そう思っていたのだが、婚約を破棄されたのでは仕方がない。
少し寂しい気は……しないな。むしろ清々しい。
よし! 気持ちを切り替えていこう。
「今日はいいお天気ね」
どうせなら王宮の庭園をのんびり散策してから帰ろうと、鼻歌を歌いながら歩いていた。
「あら?」
前方に人がうずくまっているのが見える。珍しい青みがかった銀髪の男性だ。横顔を見るだけでも分かるが、とても整った顔立ちをしている。
「あの……大丈夫ですか? どこか具合が悪いのでしょうか?」
男性が振り返れば、「ほら。やはり整った顔立ちだ」と確信できた。それにしても、こんなきれいな男性は初めて見る。
「……猫が」
「えっ?」
よく見ると、男性は猫を抱えている。キジトラの小さな猫。まだ子猫のようだ。だが、氷漬けになっている。
「大変!?」
私は男性から子猫をひったくると、じっと耳をすませる。微かだが、生命の息吹が残っていた。
「ああ。良かった。この子、まだ生きていますね」
氷の中に閉じ込められた小さな命は、まだ消えていない。
「何とかなるのか?」
「大丈夫です」
私は氷漬けの子猫を両手で包み込む。
「元気にな~れ」
淡い金色の光が氷をゆっくりと溶かしていく。春の穏やかな陽射しが雪を溶かしていくように。
パキリという音とともに氷にヒビが入り、割れる。
「みぃ〜」
小さな鳴き声だが、子猫が動いた。ピクピクと手足が動いている。
「良かった」
ほっと胸を撫で下ろす。
子猫は震えながらも立ち上がった。まだ、力が入らないのか、フラフラしている。
それでもてちてちと歩いて、屈んでいる男性の足に頭を擦りつけた。
「みゃあ~」
どうしたらいいのか男性は迷っているようだ。
「子猫助かって良かったですね!」
「あ、ああ……」
手を伸ばして、男性の足元にいる子猫の顎を撫でてやった。すると、子猫はゴロゴロと喉を鳴らす。
「ふふ。可愛いわね」
「今のはどうやったのだ?」
「え?」
男性の質問の意図が分からず、首を傾げる。
「その……氷を溶かしただろう? 君は火魔法が使えるのか?」
「いいえ」
「では、光魔法か?」
「いいえ。私は魔法が使えません」
この国の貴族は大体魔法が使えるのだが、中には使えない者も稀に存在する。その稀の一人が私だ。
「しかし、氷を溶かした力は確かに魔力だった」
「そうなのですか? ただ元気になればいいなと願っただけなのですが……」
「願っただけ……」
男性は黙って何か考え事をしているようだ。
「お嬢様! レスティアお嬢様! こちらにいらっしゃったのですか?」
侍女のナリアが慌ててこちらに駆け寄ってくる。
ナリアを控え室に待たせていたのを忘れていた。
「ごめんなさい、ナリア。少し庭園を散歩してから戻ろうと思っていたの」
「一言お声をかけていただければ、お供いたしましたのに……」
「心配をかけたわね」
ナリアを伴って帰ろうとしたが、ふと子猫が気になって男性に尋ねる。
「その子猫は貴方の猫でしょうか?」
「いや。ここを通りかかった時に、そこの茂みから飛び出してきたのだ」
見たところ親猫はいないようだし、このまま放ってはおけない。何せ先ほどまで凍っていたのだ。体が弱っているに違いない。
「差し支えなければ、私がその子猫を連れ帰ってもよろしいでしょうか?」
「飼い猫ではなさそうだから、構わないだろう」
「それではそうさせていただきます」
男性に一礼して今度こそ帰ろうとしたが、ふと思いついて振り返る。
「私はベルナール侯爵家の娘でレスティア・ベルナールと申します。この子が元気になったら、ぜひ会いにいらしてください」
この子猫は一番に男性の方へ向かっていった。たぶん男性のことが好きなのだ。男性も子猫を気にしているようだし、元気になった姿を見せてあげたいと思った。
この男性は身なりからして貴族だ。家名を名乗れば子猫に会いたいと思った時、すぐに訪ねてこられるだろうと考えたのだ。
「……私はアルベルトだ」
「アルベルト様ですか」
男性、アルベルト様が家名を名乗らないことは気になったが、この時の私は深く考えていなかった。
◇◇◇
婚約破棄から一週間が過ぎた。
「タビー、おいで」
「みゃあ!」
小さなキジトラが芝生の上をてちてちと一生懸命に歩いてくる。
「ふふっ。可愛い」
しゃがんで両手を広げると、タビーは勢いよく私の懐に飛び込んできた。
「元気になって良かったわね」
「みゃっ!」
氷漬けになって死にかけていたのが嘘のようだ。
あの日、連れ帰った子猫にタビーという名前をつけた。
獣医に見せたところ、少し栄養不足ではあったが、大きな怪我や病気はなく、今では屋敷中を元気に走り回っている。
愛らしいタビーは家族や使用人たちにも人気があり、可愛がられていた。特に料理長がお気に入りらしく、最近はよく厨房に出入りしているらしい。
タビーは食いしん坊なのかもしれない。
「あまり食べすぎてはダメよ」
「みゃあ」
「本当に分かっている?」
「みゃ」
ごまかすように首を傾げるタビーの仕草が可愛い。分かっているのかもしれないが、食い気には勝てないのかもしれない。
タビーの頭を撫でていると、屋敷の方からナリアが慌てた様子で駆けてくる。
「お嬢様!」
「ナリア、どうしたの?」
随分と急いできたようで、息を切らしている。
「お、お客様が……いらっしゃいました!」
「お客様?」
婚約破棄の一件以来、我が家には王家の使者やら親戚やらが連日訪れている。
王家との話し合いはお父様に任せているので、私は顔を出していない。
「お父様のお客様ではなくて?」
「いいえ。お嬢様にです」
誰だろう?
心当たりがないので首を傾げていると、ナリアが声を潜めて客の名前を告げる。
「ラドフォード公爵閣下です」
「……ラドフォード公爵?」
頭の中で貴族名鑑を思い浮かべる。ラドフォード公爵といえば、現国王陛下の弟にあたられる方だ。だが、私はラドフォード公爵とは面識がない。
「お嬢様が婚約破棄された日に王宮の庭園で会われたあの方ですよ!」
「あっ! アルベルト様ね!」
私は足元にいるタビーを抱きあげると、その場でくるくると回る。
「タビー、良かったわね。アルベルト様が会いに来てくださったわよ」
タビーもうれしそうに「みゃあ」と鳴く。
「やはり家名を名乗っておいて良かったわ。さあ、タビー。アルベルト様のところに行きましょう」
「お、お嬢様」
「どうしたの?」
ナリアが戸惑った顔をしている。
「……いえ。おそらく、公爵閣下のご用件はタビーではないかと……」
私はナリアの言っていることが理解できず、思わず首を傾げた。
では、何だろう?
◇◇◇
応接室に入ると、ソファ越しに青みがかった銀髪が目に入る。アルベルト様の後ろ姿だ。
「レスティア来たか。こちらに座りなさい」
アルベルト様の向かい側に座るお父様に招かれて、隣の席に向かう。
「お待たせいたしました」
私がカーテシーをすると、アルベルト様が立ちあがる。
「レスティア嬢、突然訪ねてすまない」
顔をあげると、アルベルト様と目が合う。
この国では珍しい青みがかった銀髪に王族特有の金色の瞳。あらためて見ても驚くほど整った顔立ちをしている。
「いいえ。いらしてくださってうれしいです」
私は後をついてきた足元のタビーを抱きあげる。
「ほら、タビー。アルベルト様よ」
「みゃあ!」
タビーは私の腕から飛び下りると、アルベルト様のところへ駆けていき、足元へすりすりと身を寄せた。
「レスティア! タビーにゃ……いや、猫をここへ連れてくるとは何事だ。ラドフォード公爵、無作法な娘で申し訳ない」
お父様は猫好きなので、タビーのことをとても可愛がっている。隠れて「タビーにゃん」と言っているのを私は知っているのだ。
「いや。ベルナール侯爵、構わない」
アルベルト様はタビーを見つめる。その表情はとても柔らかい。
「……元気になったのだな。良かった」
「はい。お医者様に診ていただきましたが、もう心配はないそうです」
「そうか」
アルベルト様はしゃがむと、恐る恐るタビーへ手を伸ばした。
だが、触れる直前で手が止まる。
「撫でてあげないのですか?」
私が首を傾げると、アルベルト様は戸惑いの表情を浮かべる。
「……私が触れても良いのだろうか?」
「もちろんです」
「だが、また凍らせるかもしれない」
一週間前にタビーを凍らせてしまったことを気にしているのだ。
私はアルベルト様の隣へ並んでしゃがむ。
「大丈夫ですよ」
「……しかし」
「タビーはアルベルト様のことが好きみたいですから」
まるで私の言葉を肯定するように、タビーが自分からアルベルト様の手へ頭を押しつけた。
「みゃっ」
「ほら。撫でてあげてください」
アルベルト様は目を見開くと、恐る恐るタビーの頭に大きな手を乗せる。
「みゃあ~」
ぎこちない手つきでアルベルト様がタビーの頭を撫でると、気持ち良さそうにゴロゴロと喉を鳴らす。
「良かったですね」
「ああ」
優しく微笑むアルベルト様の横顔を何とはなしに眺める。
整った顔立ちの人は横顔もきれいなんだなと妙に感心していると、お父様がコホンと咳払いをした。
「レスティア、ラドフォード公爵がお前に話があるそうだ」
「お話ですか? タビーに会いに来たのでは?」
てっきりタビーに会いに来たと思っていた私は、アルベルト様に尋ねる。
「それもあるが……」
アルベルト様は立ち上がって姿勢を正したので、私もタビーを抱きあげて立つ。
向かい合うと、アルベルト様は深く息を吸い、私を真っ直ぐ見つめた。
「レスティア嬢」
「はい」
「先日、エリオット第三王子との婚約が解消されたと聞いた」
「もうご存知なのですね」
アルベルト様は臣籍降下しているとはいえ、王弟だ。国王陛下から話を聞いているのだろう。
「ああ。王宮ではすでに話が広がっている」
正式に発表されているわけではないのに、貴族の間では噂が広がるのが早い。王族の婚約破棄ともなれば、格好の餌食だ。
「そこで、レスティア嬢に頼みがある」
「私にですか?」
エリオット様との婚約破棄と関係があることだろうかと首を傾げていると、アルベルト様が片膝をついた。
「え?」
「レスティア・ベルナール嬢。私と結婚してほしい」
しーんと応接室が静まり返った。
私は二度、三度と瞬きをする。
「結婚……ですか?」
「ああ」
「私と……ですか?」
「そうだ」
アルベルト様は冗談を言っているようには見えない。むしろ恐ろしく真剣だ。
「どうしてですか?」
当然の疑問を口にすると、アルベルト様は沈黙する。
「……アルベルト様」
「……君が……気になった」
何だか曖昧だ。
「それだけですか?」
「……それだけではダメだろうか?」
困った。アルベルト様はものすごく口下手ではないのだろうか。こう言っては何だが、求婚の仕方が下手だ。
「公爵閣下」
お父様の少し不機嫌そうな低い声が響く。
「娘は一週間前に婚約を破棄されたばかりなのですが……」
「承知している」
「その娘に突然求婚なさる理由が『気になった』だけとはどういうことですかな?」
「……すまない」
目に見えてしょんぼりしているアルベルト様が可哀想になってきた。
「お父様」
「レスティアは黙っていなさい」
有無を言わせないお父様に私はただ「はい」と頷いた。
「公爵閣下、娘のどこが気に入ったのでしょうか?」
「……私の魔法を見ても怖がらなかった。凍らせてしまった子猫を助けてくれた。責めることもせず、笑いかけてくれた」
私の良いところを箇条書きしているような感じで、ポツポツと言葉を続けている。やはり口下手なのだ。
「そして――」
アルベルト様は私に視線を向ける。
「また、会いに来てほしいと言ってくれた」
「……言いましたね」
タビーにだけど……。
「あの日からその言葉が頭から離れず、君にもう一度会いたいと思ったのだ」
真っ直ぐに見つめられて戸惑ったが、視線を逸らすことはできなかった。アルベルト様があまりにも真剣だから……。
「会ってどうするのか考えた」
「はい」
「もっと君と話したい。毎日でも……」
「……はい」
少し間を開けてアルベルト様は続ける。
「それならば、結婚すればいいのではないかと思った」
お父様は額を押さえているが、私は少し考える。
「なるほど。アルベルト様のお考えは分かりました」
「レスティア!? 何を言っておるのだお前は!」
お父様が叫ぶ。
「いえ。ですからアルベルト様のお考えは分かったと」
「そうではない! 一週間前に婚約を破棄された娘が今日会ったばかりの男の求婚を『なるほど』で受け止めるな!」
「お会いしたのは一週間前です」
「そういう問題ではない!」
興奮気味のお父様をまあまあと慰めると、また怒られた。
「……ダメなのだろうか」
ポツリと呟くアルベルト様を見ると、少しだけ不安そうな表情をしていた。
その瞬間、窓の外に白いものが横切った。
「あら?」
白いものの正体は雪だった。春だというのに、外ではちらちらと雪が舞い始めている。
「この季節に雪?」
「……すまない」
ますます落ち込むアルベルト様に呼応するように、雪が強くなってきた。
そういえばアルベルト様はこの国一の魔術師だ。特に氷魔法が得意だと聞いたことがある。
強すぎる魔力のせいで人を寄せつけないことから、「氷の公爵」と呼ばれているとも……。
「もしかして……アルベルト様の魔法ですか?」
「魔力が制御できないとこうなってしまう。すまない」
私は窓の外に舞っている雪を眺める。春の庭園に舞う真っ白な雪は日の光を受けてきらきら輝いている。
「とてもきれいですね」
「きれい?」
「はい。私、アルベルト様の魔法が好きです」
次の瞬間、パキパキという音がしたかと思うと、テーブルに用意されたティーセットや、花瓶に生けられた花が凍りついた。
「まあ」
ティーカップの中を覗くと、先ほどまで湯気を立てていたお茶が凍っていた。
「もしかして感情に左右されるのですか?」
「……そのとおりだ」
顔を背けたアルベルト様の耳が真っ赤に染まっていた。この方はとても不器用な方なのだ。
その様子がおかしくて私はつい笑ってしまう。
「ふふふ。アルベルト様、すぐに求婚のお返事はできません。でも私はもっと貴方のことを知りたいです」
「……本当か?」
「はい。ですからまずはお茶でも飲みながら、お話をしませんか?」
止みかけていた外の雪が再び舞い始める。
はあとお父様がため息を吐く。
「公爵閣下。うれしいのは分かりますが、我が家を雪で覆うのはやめていただきたい」
「……申し訳ない」
しょんぼりとしているアルベルト様が可愛くて、私はまたつい笑ってしまった。
氷の公爵様はどうやら感情に左右されると、つい雪を降らせてしまうらしい。
◇◇◇
二日後、アルベルト様に今話題の芝居を見に行かないかと誘われたので、受けることにした。
初めてのデートということになるので、朝からナリアが時間をかけて支度をしてくれる。
「ナリア。このドレス少し華やかすぎないかしら?」
ナリアが選んでくれたのは、柔らかい水色ではあるが、私が普段着ないような華やかなドレスだ。
「何をおっしゃいます! ラドフォード公爵閣下は青みがかった銀髪ですから、お相手のお色に合わせなくてはいけません。何せ初デートなのですからね」
「うっ。分かったわ」
相手の色に合わせるって。アルベルト様とはまだ婚約すらしていないのに……。
婚約する可能性はあるけれど。
って! 私ったら何を考えているのかしら?
これからお互いを知りましょうって段階だから、アルベルト様に嫌われてしまう可能性だってあるのだ。
それは……嫌だな。
「アルベルト様、気に入ってくださるかしら?」
「大丈夫ですよ。お嬢様はおきれいなのですから、自信を持ってください!」
私が自信なさげに呟くとナリアがそう励ましてくれた。
約束した時間にアルベルト様は馬車で我が家まで迎えに来てくれた。
アルベルト様は黒を基調とした服装で、彼の美貌をいっそう引き立てている。
「アルベルト様、ごきげんよう。本日はよろしくお願いいたします」
「レスティア嬢、今日はよろしく……」
挨拶をしかけたアルベルト様は途中で言葉を止めてしまった。
やはりこのドレスは派手すぎただろうか?
私は慌てて謝罪をしようとする。
「あのっ! お芝居を鑑賞するのにこれでは派手すぎますよね」
「い、いや。そのドレスがよく似合っていると思っただけだ」
アルベルト様はほんのり頬を赤くして、褒めてくれた。
「ありがとうございます」
うれしくなって微笑むと、ちらりと白いものが頬に当たる。雪だ。
「あら?」
「……気にしないでくれ」
アルベルト様は照れ隠しをするように咳払いをすると、私に手を差し出した。
どうやらうれしい時には雪が降り、落ち込む時には周りの物が凍りつくようだ。
ということは、アルベルト様の色を纏ったこの姿は気に入ってもらえたと思っていいだろうか?
私は差し出された手を取って、馬車へ乗り込んだ。
「お芝居の内容はどういったものなのでしょう?」
「恋人たちの物語だそうだ。身分が違う二人が困難を乗り越えて結ばれるといった内容らしい」
「まあ、素敵な物語のようですね。楽しみです」
恋人たちが困難を乗り越えてどのように結ばれるのだろう。物語の展開を想像するだけでワクワクする。
「……楽しんでもらえるとよいのだが……」
「きっと楽しいですわ!」
私がそう答えると、アルベルト様は小さく微笑んだ。
あら? 彼は笑うとこんなにも優しい顔になるのね。
◇◇◇
劇場のロビーには着飾った貴族たちが集まって談笑をしていた。
アルベルト様にエスコートされて席に向かう途中、周囲からひそひそと話す声が聞こえてくる。
「ご覧になって。ラドフォード公爵閣下の隣にいるのは、ベルナール侯爵令嬢ではなくて?」
「先日、エリオット第三王子殿下と婚約を解消されたばかりですのに、もう他の方に乗り換えたのかしら?」
やはり、私の婚約破棄はすでに貴族の間で噂になっているらしい。
まあ、王族の婚約破棄だから格好の話題なのでしょうねと私は苦笑する。
アルベルト様はぎゅっと私の手を握る。
「気にする必要はない」
低い声で静かに告げられる。とても優しい声色は私を気遣ってくれていると分かる。
「君は何も悪いことはしていないのだから、堂々としていればよい」
その言葉が胸の奥にじんわりと染み込んで、温かい気持ちになる。
「……ありがとうございます、アルベルト様」
私が笑顔で彼を見上げると、周囲に小さな雪の結晶がひとつ舞った。
◇◇◇
「レスティア?」
席に向かおうとした時、聞き覚えのある声に呼び止められた。
声のしたほうへ視線を移すと、そこにはエリオット様とエメライン嬢が立っている。
「エリオット殿下、クロスロッド伯爵令嬢。ごきげんよう」
私は淑女の礼をして、二人に微笑みかける。
エリオット様は私の隣にいるアルベルト様を見て、目を見開いた。
「君は叔父上……ラドフォード公爵と一緒なのか?」
「はい。本日はお芝居にお誘いいただきました」
終えは
「……そうか」
何か言いたげにエリオット様は私を見つめる。
エリオット様の隣にいるエメライン嬢は私のドレスへ視線を移すと、わずかに口元を歪めた。
「まあ、ベルナール侯爵令嬢。ずいぶんと華やかなお召し物ですこと」
「ありがとうございます」
エメライン嬢は豪華なデザインの赤いドレスを纏っているので、華やかさでは負ける気がするが、私は褒められたと受け取り、素直にお礼を言う。
「婚約を解消されたばかりですのに、もう次のお相手を見つけられたのですね。さすがは能天気なだけはありますわ。立ち直りがお早いこと」
声は柔らかではあったが、その言葉に含まれた棘は隠しきれていない。
「エメライン」
エメライン嬢を窘めるようにエリオット様が彼女の名前を呼んだ。
「私は事実を申し上げただけですわ。エリオット様との婚約が解消されたというのに、まるで何事もなかったかのように笑っていらっしゃるので、少し驚いただけです」
口元に微笑みを浮かべながら、エメライン嬢は続ける。
「普通でしたら、婚約していた相手と別れれば、もう少し悲しむものではありませんか?」
私は胸の奥に小さな痛みを覚えた。婚約破棄をされた時に悲しさはなかったが、だからと言って何も感じなかったわけではない。
エリオット様との未来を思い描いていたが、その未来は消えてしまった。少しだけ虚しさが残ったのは事実だ。
だが、そのまま立ち止まっているわけにはいかない。だから私は前に進むことにしたのだ。
「何も感じなかったわけではありませんわ。ですが、エリオット殿下が愛する方と結ばれることを望まれたのであれば、私はそれを祝福したいと思っております」
「祝福……ですか?」
エメライン嬢がふっと笑う。
「随分と聞き分けがよろしいこと。もしかして、エリオット様に未練がないと周囲に見せつけたいのかしら?」
「クロスロッド伯爵令嬢」
私が口を開くより先に、アルベルト様の低い声が響いた。静かな怒りを感じる声だ。
「彼女が……レスティア嬢がどのように悲しみ、どのように立ち直るかは、貴女が口をはさむことではない」
ロビーに冷たい空気が流れ込む。アルベルト様の足元に薄い霜が広がっている。
エメライン嬢の笑顔が引きつっていく。
「まあ……。私はただ、ベルナール侯爵令嬢を心配しているだけですわ」
「心配している人間は、相手の傷をわざわざ抉るような言葉を選ばない」
アルベルト様は淡々と告げているだけで、声を荒げているわけではない。
それなのに周囲の空気が一瞬で凍りついたように感じられた。
「それに……」
私を庇うようにアルベルト様は半歩前に進み出た。
「彼女が誰と芝居を見に来ようと、其方たちに許可を取る必要はないはずだ」
エリオット様が眉を顰めた。
「叔父上、私たちはそのようなつもりでは――」
「では、どのようなつもりだった?」
アルベルト様の金色の瞳に険しさが宿り、エリオット様を真っ直ぐ射抜く。
「エリオット、婚約を解消した相手を呼び止め、新しい婚約相手とともに彼女の振る舞いを批判する。それが元婚約者に対する態度なのか?」
「うっ……」
言葉を失うエリオット様の隣でエメライン嬢も先ほどまでの余裕を失っている。
私は慌ててアルベルト様の袖をそっと引いた。
「アルベルト様、もういいです」
「だが――」
「私は大丈夫ですから」
そう伝えると、アルベルト様は私に視線を移す。怒りはまだ消えていないようだ。
しかし、私が望んでいないことを察したのか、わずかに表情を和らげた。
「……君がそう言うなら」
そのやり取りを見ていたエリオット様が口を開く。申し訳なさそうな苦しそうな表情をしている。
「レスティア、すまない。エメラインも悪気があったわけでは――」
「エリオット殿下」
私はエリオット様の言葉を遮った。
「クロスロッド伯爵令嬢のお気持ちはお察しします。私がまだエリオット殿下のことを想っているのではないかと気になっていらっしゃるのでしょう?」
「レスティア……」
「ですが、ご安心ください。私はもう、エリオット殿下を取り戻したいとは思っておりません」
エリオット様の顔がわずかに強張った。
「私はお二方の幸せを願っております。ですから、私のことはどうかお気になさならいでください」
「君は本当にそれでいいのか?」
戸惑いをにじませながら、エリオット様が声を絞り出す。
「本当に私を恨んでいないのか?」
「恨む? なぜですか? エリオット殿下が自分の心に正直になられたことは、悪いことではありませんもの」
エリオット様のことはもう過去のことだ。
今、私の隣にはアルベルト様がいる。私の代わり怒ってくれた優しい人が……。
「……レスティア嬢、開演の時間が近い。もう行こう」
「はい、アルベルト様」
エリオット様とエメライン嬢に向き直ると、二人に礼をする。
「それでは、エリオット殿下、クロスロッド伯爵令嬢。失礼いたします。どうぞお二人で楽しい時間をお過ごしください」
アルベルト様に手を差し出すと、彼は穏やかに微笑み私をエスコートしてくれる。
「レスティア!」
背後からエリオット様の声が聞こえたが、私は振り返らなかった。
「アルベルト様、私の代わりに怒ってくださってありがとうございます」
「……君が傷つけられたからだ」
私はふふと微笑む。
「でも、あそこまでおっしゃらなくても私は大丈夫でしたよ」
「いや」
足を止めると、アルベルト様は私を見つめた。
「私は君が誰かに傷つけられるのを見たくない」
真っ直ぐな言葉に胸の奥が大きく跳ねるのを感じた。
「ありがとうございます」
私が微笑むと、アルベルト様は少しだけ目を逸らした。
「礼を言われるようなことではない」
「いいえ。私にはとてもうれしいことですから」
瞬間、周囲に雪の結晶がいくつも舞った。雪に触ると小さな白い花びらに変わる。
その花びらを眺めながら、私はふっと笑ってしまう。
「アルベルト様は感情が魔法に出てしまうのですね」
「……君の前では特にそうらしい」
「あら?」
その言葉の意味を考えると、頬が赤くなる。アルベルト様も同じように想っているのか耳が赤くなっていた。
私たちは並んで、劇場に用意された席へと向かっていった。
◇◇◇
劇場を出ると、夜の街には冷たい風が吹いていた。春とはいえ、夜はまだ寒い。
ラドフォード公爵家の馬車へ向かいながら、私はまだ芝居の余韻に浸っていた。
「素敵なお話でしたね」
「ああ。君があれほど感動するとは思わなかったが」
「だって、最後に二人が結ばれて本当の良かったのですもの。途中まではとても苦しそうで、私まで胸が痛くなってしまいました」
物語は小さな国の王女と敵国の騎士の身分違いの恋愛ものだった。悲劇になるかと思われる展開にハラハラしたが、最後はハッピーエンドになってほっとしたのである。
「特に王女の『身分も国境もわたくしたちの心までは縛れないわ!』というシーンは感動しました」
このシーンで王女が叫んだ時、劇場中から拍手が鳴り、しばらく止まなかった。
思い出すとまた涙が出てきた私にアルベルト様は苦笑しながら、ハンカチを差し出す。
「うう。ありがとうございばず」
馬車に乗り込み、向かいの席に座ったアルベルト様はすぐに出発を命じず、私をじっと見つめている。
ハンカチで涙を拭きながら、私は首を傾げた。
「どうかなさいましたか?」
「劇場で君が雪に触れた時のことを覚えているか?」
「はい。雪が白い花びらになりましたね」
「あれは、君の魔法だ」
「えっ! 私の?」
あれはアルベルト様の魔法だと思っていた。うれしいという感情が雪を花びらに変えたのでは?
「ですが、私は魔法は使えません。魔力がないのです。以前にもそう申し上げたはずです」
「いや。君がそう思っているだけで違う。そうだな」
アルベルト様は少し考えて言葉を選ぶように答えてくれた。
「君の力は一般的な魔法とは性質が異なる。魔力で火や水を操るものではない。強い感情や願いに反応して現れる力だ」
「強い感情や願い……ですか?」
「心当たりがあるのではないか? タビーを助けた時、君はあの子に元気になってほしいと願った。その願いに君の魔力が応えたのだろう」
そういえば、子供の頃からそういったことはあった。傷ついた鳥に元気になってと願えば、元気になった。死にかけていた子犬に生きてと願えば、元気になった。願えば神様が叶えてくれるものだと思っていたのだ。
タビーの時も必死だった。凍りついたタビーを見て助けたいと思って願ったら、元気になったのだ。
それだけだったのに……。
「でも、なぜ雪が花びらになったのでしょう?」
「君が私の魔法をきれいだと思ったからだろう」
「えっ?」
アルベルト様の魔法はきれいだ。真っ白な雪は、怒りや悲しみを浄化させてくれるような気がする。
「君の魔法は周囲にある魔力に働きかける。誰かの良い感情が込められた魔法に反応するようだ。名づけるのであれば、幸福魔法といったところか?」
「幸福魔法ですか?」
「ああ。私の魔法は感情に左右されやすい。だから魔力制御が難しいのだ。怒れば凍り、悲しければ吹雪になる。そしてうれしい時は雪の結晶が舞う」
アルベルト様は自分の手のひらに小さな雪の結晶を浮かべた。
「そして、君が触れると私の魔法は形を変える」
そして、雪の結晶を私の手のひらに乗せる。次の瞬間、淡い金色の光に包まれて、雪の結晶は小さな白い花へと変わった。
「これが君の魔法だ」
私は花びらを見つめた。
「私の……魔法」
「古い文献に似た力の記録がある。人の心に寄り添い、荒れた魔力を鎮め、命の輝きを取り戻す力だ」
「そんなすごい魔法が私に? てっきり神様に願えば叶うものだとばかり思っていました」
アルベルト様は苦笑すると、少しだけ視線を落とした。
「君は自分の力を魔法だと認識していなかったのだろう。私の魔法を恐れず、きれいだと言ってくれたのも、君の力が私の魔力を感じ取ったからかもしれない」
「それは違います」
否定するように私は首を横に振った。
「魔法がなくても私はきっと同じことを言っていました。アルベルト様の雪は本当にきれいでしたもの」
アルベルト様が驚いたように目を見開くと、馬車の窓が白く曇り始めた。
「……君はそういうことを平然と言うのだな」
「何かおかしなことを申し上げましたか?」
「いや。君らしいと思っただけだ」
アルベルト様は小さく息を吐き、私を見つめた。
「幸福魔法と言っても、誰かを無理に幸せにする力でない」
「え?」
「相手の心を変えたり、悲しみを消したりするものではない。本人が抱えている願いや心の奥にある幸福を魔力を通して引き出す力だ」
アルベルト様の言葉は私の心を温かくさせてくれた。
「そう……なのですね」
「君がそばにいると、私は自分の魔法を恐れずにすむ」
「アルベルト様」
「だから、君の魔法は私にとって幸福そのものなのかもしれない」
何と答えればいいのか分からず、私はただ彼を見つめた。アルベルト様も目を逸らさず、ただ私を見つめている。
やがて、彼はそっと手を差し出す。
「レスティア、これからも私のそばにいてくれるだろうか?」
私はアルベルト様の手に自分の手を重ねた。
「はい。私もアルベルト様のそばにいたいです」
アルベルト様の手のひらに浮かんだ雪の結晶がゆっくり白い花びらへ変わっていく。
馬車の窓の外では、夜の街に白い雪が舞っていた。
だが、その雪は冷たくない。
私たちの間に咲いた小さな白い花のように、優しく、温かく輝いていた。
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