楽になるには、初めに辛いを選ばなきゃな
卓はXに保冷剤を顔に押し付けられ、なんとか腫れが引いて元の顔に戻っていた。
顔が戻った卓とは長い本部の廊下を歩き、寮の前でサヨウナラをした。
寮にはABCDの四種類が存在するらしく、それは戦士入隊時に決めた指導員が同じの人と寮が同じ仕組みらしい。
指導員とは、専門的な知識を教える師匠とは違い一般的な天術知識や戦士知識を教える先生のようなものである。
卓の寮はAで、天明はB。神座はCで、XはB。天明の隣にある空き部屋が寮となった。
寮にあるマット生地の廊下を歩いていると、様々な顔とすれ違い、Xは世界の人の多さを実感する。
「俺は明日、どこに行けば神座と出会えるんだ?」
部屋の鍵を渡され、Xは部屋番号が書かれたキーチェーンを人差し指にはめて回しながら聞いた。
「訓練室だな、本部の地下にある。まあ明日はどうせ神座がお前のことを迎えに来てくれんじゃねーの」
神座に教えてもらえばすぐ上達しそうだよな―とXが伸ばして言うと、天明は「まあだろうな」と当然のように言った。
「意外だ。てっきり俺の方が〜とか言うのかと」
「はぁ?まあ、否定はしないけどな」
部屋の前で天明は鼻を鳴らして自慢げに言う。
「教えるならアイツの方が長けてる。まあ俺だって…」
「まあそれは明日聞くから、じゃあな」
Xは無理やり天明の話を遮り部屋に入った。
おい待てよ、と文句が聞こえてくるが、無視して入室する。どうせ天明とは隣。いつでも会えるだろう。
Xは部屋に入ると、高級ホテルのような一室が広がっていた。
「え」とXは目を丸くする。
申し分ない広さのベッドに大きい窓。そこからはオレンジの光に照らされた枯山水がよく見える。
洗濯機、風呂、全て新品のように光沢があり、Xは喜んだ。
(戦士って待遇いいんだな〜)
風呂に入り、布団で丸くなるXは、寝心地の良さに誘われすぐ寝てしまった。
☆。.:*・゜☆。.:*・゜☆。.:*・゜
「おはよう。X」
Xが目を開けると、そこにはXの寝顔を覗いた(であろう)神座が笑顔で立っていた。
「か、かか神座!?」
「全然起きなさそうだから来たんだよ」
神座は笑いながらベッドサイドに置かれたサイドテーブルを指さした。そこには、昨日リュオンが着ていた服と同じ服が、シワひとつなく畳まれている。
「今日からXはそれを着るんだよ。着たら地下の訓練室で待ってる」
神座はそれだけ言うと部屋から出て行った。
普通に出入りして鼻歌まで歌っていた。
しかも、窓辺のテーブルには茶飲が置いてあり、近寄ると梅こんぶ茶の匂いが香っていた。
まあ、梅こんぶ茶はいい。許容範囲内だ。
それよりも、Xにはもっと気になることがある。
(鍵…どうしたんだろ)
Xは服に袖を通しながら考えた。
考えれば考えるほど怖いので、昨夜自分が鍵を閉め忘れたという設定にしとく。
新しい服はリュオンのようにオーバーサイズではなくちょうどいいサイズであった。襟が首を守るようにぐるっとしている仕様だ。
部屋を出て寮付属のエレベーターで地下を押す。自動的に訓練室に繋がっているらしく、壁に寄りかかっていたのは先程会った神座だった。
「じゃあ、一緒にがんばろうなぁX〜」
へにゃりと目尻を下げて笑った神座は、突然Xに顔を近づけた。鼻と鼻がくっつく程の距離に、Xは思わず下がろうとするが、神座がXの腕を掴んでそれを阻止した。
(なんだ、この違和感…)
端正な顔つきが視界に広がり、Xは卓が言っていた「男も堕とすクズ男」という命取りの台詞を思い出した。
たしかに、普通の男や女ならコロリと転がりそうだ。
神座の美しく黒い目を見つめていると、メガネの度のせいで顔の輪郭がずれていることに気が付いた。
そんなXを他所に、神座は話し出す。
「人間って、体重の七%は血液って知ってたか〜?そのうち三十%を短時間で失うと生命の危険に関わるらしいんだぜ」
人工人間のXクンも同じなのかなぁ、と神座は低く掠れた声で笑った。
「試してみよーよ、ね?」
「え?」
そのとき、Xは腹部がカッと熱くなるのを感じた。
痛みより困惑が先走り、焦って腹部に手を当てると、心地よい温かさの液体が溢れている。
「あ゛…?」
神座はクスクスと笑いながら自分の顔の近くで果物ナイフをチラつかせた。ナイフには当たり前にXの血が付着している。
(騙したって事か…?)
視界の端が白み始めたとき、Xはやっと強烈な痛みを感じ始めた。裂けるとはこの事か、否、斬られているという方が正しいのか。
痙攣に近い震えを耐えきれずXは目から涙を零した。
震えながら床に膝をつくと、床に血溜まりが広がっている最中だった。
神座の足元がよく見える。
「基本天術第一条、『医の天』。自力で止血することなんだよなぁ〜さて、できるかな?」
クラクラと回る目の中で神座はXの顎を人差し指で掬った。
「安心しなよ。止められなかったら死ぬだけ。兵器として作られた君なら、こんなの朝飯前なんじゃない?」
指を離した神座は、昨日とは違う笑みを浮かべていた。
喉奥から悪魔が飛び出してきそうな、目の奥が歪みに歪んだ笑みだった。




