第八話 歌って倒せ、海の精霊
翌朝。
治療所の外で、グランがやけに元気だった。
腰をぐるりと回し、屈伸までしている。
「ほっほっほ!いやあ、ひより殿の薬は効くのう!腰が羽のようじゃ!」
……それを見て、私は一つの真理に気づいた。
(この人が戦えば、私の資産、減らなくない?)
そんな打算を微塵も感じ取らず、グランは満面の笑みでこちらを見る。
「さて、ひかり殿」
「なに」
「今日からが、本番ですじゃ」
「……え?」
嫌な予感がした。
「これまでの戦闘は、すべてひかり殿の力を試しただけでしたからの」
杖を肩に担ぎ、やけに得意げに言う。
「つまり――」
「真の魔物退治に出発ですじゃ!」
……聞いてない。
⸻
目的地は海辺だった。
海の精霊、セイレーン。
歌声で漁師を惑わせ、船を遭難させる魔物。
「漁に出られず、このままでは、食糧難ですじゃ」
グランが説明する横で、私は即座に最適解を提示する。
「グラン、イフリート呼んで」
「炎の精霊でしょ?一発で終わるじゃん」
「……」
グランは、わずかに視線を逸らした。
嫌な間。
「……それがの」
やっぱり。
「セイレーンは、物理攻撃も魔法攻撃も無効なんじゃ」
ひよりが首を傾げる。
「炎に弱いって、定番ですよね?」
グランは即答した。
「この世界のセイレーンは、剣も魔法も炎も受け付けん!」
「儂の召喚獣でも、傷一つつけられん!」
私は腕を組む。
「……じゃあ、どうやって倒すの?」
そのとき。
ひよりの目が、きらりと光った。
「……歌、ですよね」
「?」
「セイレーンの攻撃手段は歌で、相手を惑わせる」
グランが息を呑む。
「……つまり?」
「同じ、歌なら相手自身にも、効く可能性があります」
ひよりが一歩、距離を詰める。
「ひかりさん!一緒に歌いましょう!」
「……は?」
「レバブルの歌!振り付きで!」
「無理無理無理!」
私は全力で首を振った。
「アイドルは戦場に出ません!」
「出ます!」
即答だった。
「ライブは、戦いですから!」
……推しに人生かけてるタイプだ、この子。
⸻
問題は、そこからだった。
「……ダメです」
ひよりが腕を組む。
「何が」
「衣装がありません」
「そこ重要?」
「重要です」
真顔だった。
「アイドルは、衣装で魅了します。つまり、何を着るかで戦闘力が決まります」
嫌な汗が背中を流れる。
「……取り寄せるの?」
「お願いします」
「……いくらくらい?」
「考えない方がいいです」
考えたくない。
私は目を閉じた。
「……可愛くて……かっこよくて……アイドルっぽいやつ」
イメージ。
えい。
光が弾けた。
まず、ひより。
フリルが舞い、軽やかで華やか。
完璧なアイドル衣装。
「……可愛い」
次、私。
「……重っ!?」
ずしん、と足が沈む。
派手。
無駄に金属光沢。
圧倒的存在感。
(年末の歌合戦で大御所が着るやつだ……)
「……一億とかするやつ……」
胃がきしんだ。
「グランさんも!」
光。
……ほぼ変わらない。
ただし、サングラス。
「……それだけ?」
「似合っとるじゃろ?」
否定できないのが腹立たしい。
⸻
「……まだです」
ひよりが言った。
「今度は何」
「グループ名がありません」
「関係ある!?」
「あります。名前には力が宿ります。言霊です」
必死に考える。
「……Leverage・Bear」
「……レバベア」
ひよりの目が輝いた。
「いいですね!」
決まってしまった。
「……私、曲知らない」
「歌詞カード出してください!」
嫌な予感しかしない。
えい。
「……カラオケセット?」
考えない。
⸻
海辺。
霧の向こうで、セイレーンが歌う。
甘く、危険な旋律。
「グランさん!」
「はいはい!」
「リズムお願いします!」
グランは直立不動で、両腕を幽霊のように上下させる。
「ほっ」
「ほっ」
「ほっほっほ」
呪文でも祈りでもない、謎のリズムで口ずさむ。
ぽにゃが嬉しそうに、踊るように駆け回る。
……なにこの絵面。
だが。
ひよりが歌い出した瞬間、空気が変わった。
澄んだソプラノ。
強く、優しく、心を掴む声。
可愛い。
可愛すぎる。
視線で「歌って」と合図され、私は腹を括った。
歌う。
必死に踊る。
いつの間にか、セイレーンの歌は、止んでいた。
波間に浮かぶその姿が、ひよりの歌に合わせて、ゆっくりと揺れている。
まるで――一緒に、リズムを取るように。
視線は、ひよりの衣装へ。
フリルが揺れるたび、うっとりと目を細める。
両手を胸の前で合わせ、完全に、聴き入っていた。
最後のフレーズ。
ひよりの歌声が、波間に溶ける。
歌が、終わった。
セイレーンは、満足そうに微笑み――
何も壊さず、静かに、海へと沈んでいった。
⸻
「……勝ったの?」
「いや、満足しただけじゃの」
グランは、穏やかに笑う。
「笑顔で帰っていった。しばらくは、悪さはせんじゃろう」
「……しばらく?」
「たまに歌えば、問題ないのう」
……定期ライブ制。
――その瞬間。
ピロリン。
恐る恐る、スマホを開く。
【talina銀行アプリ】
前回残高 ¥811,424,400
今回使用額 ¥112,020,000
現在残高 ¥699,404,400
「……」
内訳。
・アイドル衣装(大御所仕様) 100,000,000円
・アイドル衣装(ひより用) 2,000,000円
・サングラス(グラン用) 20,000円
・カラオケセット一式 10,000,000円
「…………一億」
世界が、無音になった。
「……ひかりさん?」
私は砂浜に崩れ落ちた。
「……私の……老後が……」
ひよりが慌てる。
「ご、ごめんなさい……!」
私は深く息を吸った。
「次からは……必ず、予算会議するから!!」
その時、背後から、威勢のいい声が響いた。
「姉ちゃんたち!」
振り向くと、数人の漁師たちが駆け寄ってきた。
「さっきの歌、最高だったぜ!これで船が出せる!」
ぐいっと腕を掴まれる。
「待ってろ!最高にうまいもん、食わせてやる!」
⸻
その夜。
浜辺に即席の宴が開かれた。
目の前には――
艶やかに光る、新鮮な魚の刺身。
「……」
私は、箸を握りしめる。
「……喰ってやる」
低く呟いた。
「とことん、喰ってやる。これは……一億の刺身だ……!」
初セリ並み。
口に入れた瞬間。
――美味い。
信じられないほど、美味い。
涙が、ぽろっと落ちた。
「……くっ……美味い……一億の味……」
本当に、格別の刺身だった。
⸻
「姉ちゃんたち、名前は?」
漁師の一人が、酒を片手に聞いてくる。
ひよりが、にこっと笑った。
「Leverage・Bear」
「レバベアです!」
「レバベアか!」
豪快に笑う。
「また歌いに来てくれよな!魚、山ほど用意するからよ!」
……刺身で、完全に買収された。
⸻
帰り道。
「……次は、安く歌おう」
私が力なく言うと、ひよりは元気よく頷いた。
「大丈夫です!今度は、私が衣装作りますから!」
「……え?」
「普段、コスプレもやってるので得意なんです」
「……」
また一つ。
意外な一面を知ってしまった。
「……先に言ってよ!」
私は、遠くの海を見ながら深く息を吐く。
――でも。
世界は救われた。魚も戻った。
そして。
刺身は、最高だった。
……一億の味がしたけれど。




