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『億り人だった私、老後資金が底をつく前に異世界を救います』 〜今日も散財して召喚しまくってます〜  作者: talina
第一章

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第七話 推しと距離感と、少し危険な視線

 ぽにゃが丸くなり、すぅすぅと小さな寝息を立て始めた頃。


 治療所の外は、すっかり夜だった。

 窓の外では魔物よけの焚き火の炎が、ぱちぱちと音を立てて揺れていた。


 私は、その火をぼんやり眺めながら、隣に座るひよりに声をかけた。


「……ねえ、ひよりさん」


「はい?」


 振り向いた彼女は、白衣の袖をきちんと整えていて、

この状況でも相変わらず几帳面だった。


「ひよりさんの方は、大丈夫?」


「?」


「向こうの世界で……待ってる家族とか、恋人とか」


 一瞬。


 本当に一瞬だけ、ひよりの動きが止まった。


 次の瞬間、ぶんぶんっと勢いよく首を振る。


「いませんよ!」


 即答。


「特に、恋人なんかいません!」


「……そんな全力で否定されると、逆に気になるんだけど」


 ひよりは少しむっとした顔をしてから、ふっと肩の力を抜いた。


「家族は……心配してるかもしれませんね」


「でも……大丈夫です」


「連絡は取れませんけど……私、割と放置され慣れてるので」


 さらっと、重いことを言う。


「ひよりさん、可愛いからモテるでしょ?」


「男の人、苦手なんです!」


「……男嫌い?」


「嫌いではないですけど、好きになったことがないんです」


 にこっと笑う。


「理屈っぽい人、多いですし」


「自分が正しい前提で話しますし」


「感情より理論優先で……」


 そこで、ひよりは一瞬だけ言葉を切った。


「……ひょっとして、それって」


「お父さん……九条会長のこと?」


 ひよりの肩が、わずかに揺れた。


「……よく分かりますね」


 当然だ。


 私は、心の中で小さく息を吐く。


――知らないわけがない。


 日本を代表する企業の九条製薬。

 そして、そのトップに立つ男。


 財界の総理と呼ばれる経団連会長に就任して日本経済と、私の老後資金に与える影響力は極めて大きい。


「フレンドリーに見えるけどね」


 ひよりは、少し困ったように笑った。


「……やっぱり、そう見えるんですよね」


「家では、上から目線なんですけどね」


 視線を逸らしながら、ぽつり。


「なので……」


 ひよりは、気持ちを切り替えるように顔を上げた。


「なので……私の情熱は、別のところに向いてます」


「別のところ?」


「レバブルです!」


 予想外の単語が、焚き火の音に紛れて落ちた。


「……分からない」


「女性アイドルグループ、Leverage(レバレッジ)Bull(ブル)です!」


 胸の前で、きゅっと拳を握る。


「レバブルの追っかけ、やってました!」


「……見えないよ」


 心からの感想だった。


「研究室にこもって、白衣のまま論文読んでるタイプでしょ」


「休日も実験してそう」


「失礼ですね!」


 ひよりは、むっとしながらも楽しそうだ。


「ライブ行きますし、グッズも買いますし」


「遠征もします!」


「……ガチ勢だ」


 誇らしげに、こくりと頷く。


「レバブルの推しは――MINAです!」


 その名前を聞いた瞬間。


 胸の奥で、嫌な予感がした。


「……MINA?」


「はい!」


 ひよりの目が、きらきらと輝く。


「透明感があって、クールなのに優しくて」


「静かだけど芯が強くて」


「守りたくなるのに、実は頼れるところが最高で……!」


 ……ああ。


 その説明。


 私は、ふと思い出す。


――私、よく言われる。

 性格と雰囲気、MINAに似てるって。


 だからか。


 ひよりが私を見ると、時々、妙に顔が赤くなるのは……。


 気がつくと、ひよりの顔がすぐ目の前にあった。


「ちょ、近い」


 ひよりは、私の顔をじっと覗き込む。


 研究対象を見るような、真剣な目。


「ひかりさん……輪郭、似てます」


「目の形も……」


「声も……」


「待って」


「立ち姿も……」


「待って待って」


「雰囲気……すごく……」


「ストップ!」


 私は、ぶんぶんっと首を振った。


「全然違う!一度も似てるなんて言われたことないから!」


「本当に?」


「本当に!」


 ひよりは腕を組んで、真剣に考え込む。


「……おかしいですね」


「どう見ても、似てるのに」


「似てない!」


「私はあなたの推しじゃない!」


「……」


 ひよりは、少し残念そうに呟いた。


「MINAの抱き枕……宝物だったんです」


「……持ってるんだ」


「はい」


「等身大です」


「ひよりさん……少し距離置こうか」


 私が一歩引くと、ひよりは慌てて手を振った。


「ち、違います!」


「ひかりさんは、ひかりさんです!」


「MINAはMINAで……」


「?」


「……どっちも好き、というだけで……」


 声が、だんだん小さくなる。


 顔が、赤い。


 そのとき。


「……あ」


 ひよりが、ぽつりと言った。


「私……実は……」


「?」


「MINAの抱き枕がないと、上手く眠れないんです」


「……」


「上手く眠れないと……」


 急に、表情が切り替わる。


「薬の調合精度が、落ちます」


「……もっともらしい事言うのやめて」


「本当です!」


「集中力、感覚、想像力……全部鈍ります」


「敵が強くなればなるほど、薬も強力なものが必要になりますよね」


「だから……」


 ひよりは、私を見上げた。


 期待に満ちた、きらきらした目で。


「ひかりさん」


「……何」


 じっと、逃がさない視線。


「MINAに、そっくりですよね」


「来ましたね、その流れ」


「じゃあ……」


 一歩、距離が縮まる。


「一緒に、添い寝してくれませんか?」


「…………」


 私は、深く息を吸った。


「……嫌と言ったら?」


「私のこと、嫌いですか?」


「……嫌いじゃないけど」


 私は、ふと思いつく。


「……抱き枕なら、私の能力で呼べば……」


 ひよりは、ゆっくり首を振った。


「無理ですよ」


「ひかりさんの能力って、漠然とイメージしたものしか呼べないんじゃないですか?」


「……」


「炎を防ぐもの、って思ったらフライパン」


「安くて叩けるもの、って思ったらスリッパ」


「MINAの抱き枕なんて……具体的すぎます」


「確かに……」


 ぽにゃが、間の悪さゼロで「くぅん?」と鳴いた。


「……ぽにゃも、間に挟む?」


「……なしで」


 その夜。


 私は悟った。


 この世界を救うには――


 ひよりを、ちゃんと眠らせること。


 それが、最重要戦略だということを。


 焚き火の音と、ぽにゃの寝息と少し近すぎる体温を感じながら。


 私は、静かに覚悟を決めた。


 ……胃は、少し痛かったけれど。

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