56話 剣聖の涙
世界が、止まった。
振り上げられていた岩の腕が、空中で静止する。
崩れかけていた塔の瓦礫も、宙に舞った土煙も、すべてが息を潜めた。
ノームの瞳。
その奥に――光が灯る。
「……私は……」
低く、割れた声。
だが、それは咆哮ではない。
理性を帯びた言葉だった。
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ひかりの胸が震える。
でも、歌は止めない。
祈るように、旋律を重ねる。
ひよりとつむぎの声も、迷いなく続く。
光に包まれた三人の歌は、大地の鼓動と同調していた。
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ノームの視線が、ゆっくりと動く。
その先に――
血を流しながら立つ男。
ヴァルド。
「……アルディオン」
かすれた声と震える剣先。
「友よ……」
ヴァルドが囁くのと同時に、ノームの岩肌に、ひびが走る。
亀裂の隙間から、淡い光が漏れる。
「……ヴァ……ル……ド……?」
操られた命令ではない。
自らの意志で、その名を呼んだ。
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ヴァルドの瞳から、涙が零れ落ちる。
「そうだ……俺だ……!」
一歩、踏み出す。
「もういい。もう、暴れなくていい」
かつて並び立った戦場。
背中を預けた幾多の夜が思い返される。
「お前は、十分戦った」
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ノームの巨大な身体が、揺らぐ。
胸部の紋章が、赤から淡金へと変わる。
ひかりは、確信する。
届いている。
心に。
精霊核に。
「戻って……!」
歌が最高潮へと駆け上がる。
旋律が空を貫き、地を震わせる。
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ノームの膝が、ゆっくりと地に触れた。
巨体が、王城の崩れた大地に跪く。
「私は……守る……と……誓った……」
断片的な記憶。
民の笑顔。
剣を掲げた日。
友と交わした杯。
「……守る……ために……」
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上空の塔。
神谷――イグナートの表情が、初めて歪む。
「馬鹿な……」
制御装置を再構築する。
魔力供給を最大出力へ。
胸部紋章が、再び赤く脈動する。
「まだ終わらせない」
指を握り込む。
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ノームの身体が痙攣する。
苦悶の表情。
理性と命令が、激突している。
「ぐ……ああああああッ!!」
激しい咆哮。
だがそこには、痛みがあった。
人の痛みが。
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グラニスの分霊が叫ぶ。
「急いで! 今なら完全に核を解放できる!」
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ヴァルドが叫ぶ。
「行け、異世界の者たちよ!!」
三人の歌声がノームの精霊核と共鳴する。
ノームが光に包まれる。
ノームが顔を上げる。
その瞳は、完全に人のものだった。
「……すま……ない……」
剣聖の瞳から涙が零れ落ちた。
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だが。
その瞬間。
景色が暗転する。
黒い魔法陣。
神谷の声が、響く。
「感動的だ」
冷たい嘲笑。
「だが、それも実験の一部だ」
ノームの胸に、黒い鎖が浮かび上がる。
「自我が戻るなら――」
神谷の瞳が光る。
「自壊させればいい」
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ヴァルドの顔から、血の気が引く。
「やめろ……!!」
ノームの体内で、魔力が暴走する。
光と闇が衝突し、爆発寸前まで膨れ上がっていった。




