第33話 墜ちる英雄
王都中央区画、崩壊した塔の上空。
黒雲を押しのけるように、巨大な翼が広がる。
その存在は、ただそこに在るだけで空気を支配していた。
「……バハムート」
グランは、静かに呟いた。
至高位召喚獣。
神話の終焉を象徴する破壊の王。
アウレリア・ノクティスが、その背に浮かび、淡々と見下ろしている。
「どうした、グラン」
静かな声。
「来ぬのか。お主の誇る召喚獣は」
グランは杖を握る。
汗が額を伝う。
「……戯れ言を」
詠唱を紡ぐ。
「オーディン!」
魔力が空間へ流れ込む。
だが、応答がない。
グランの瞳が、わずかに揺れた。
(……やはり、か)
次の瞬間。
バハムートが、息を吸い込む。
世界が静止した。
「終焉の咆哮」
アウレリアが、静かに告げる。
――光が放たれた。
直後、王都中央区画が、白一色の世界に包まれた。
⸻
轟音が遅れて到達する。
大地が抉れ、塔が蒸発し、街路が消える。
グランは杖を叩きつけた。
「防護結界、展開!」
多重防護魔法が重なる。
空間を歪め、光を逸らす。
だが。
「……ぐっ……!!」
圧倒的な力で防壁が一枚、また一枚と砕ける。
魔力が排除されていく。
「まだ……じゃ……!」
グランは歯を食いしばる。
だが次の瞬間、衝撃が直撃した。
世界が反転し、身体が宙へ弾き飛ばされる。
杖が手から離れた。
「――グラン様!!」
誰かの叫びが遠くに聞こえた。
しかし意識は、闇に沈んでいく。
⸻
崩壊した城壁の上。
ヴァルドとアルディオンの剣が、再び交錯していた。
火花と雷鳴。
刃が空気を裂く。
その時、ヴァルドの視界の端に影がよぎる。
空から落ちてくる物体。
「……まさか……!」
ヴァルドの瞳が見開かれる。
「グラン殿!!」
次の瞬間。
ヴァルドは、剣聖の斬撃を受けながらも強引に距離を取った。
無理な離脱で、斬られた肩から血が噴き上がる。
それでも、左手を伸ばして詠唱を開始した。
「護れ……蒼天の守護膜――《セレスティアル・クレイドル》!!」
青白い魔法陣が空中に展開する。
落下してくるグランを包み込み、柔らかな光が、衝撃を吸収する。
ヴァルドはさらに魔力を注ぎ込む。
「……耐えろ……!」
魔法が、巨大なクッションとなる。
グランの身体は、そのまま王都外縁の海へと軌道を変えられた。
水柱が上がる。
そして――沈む。
その瞬間、ヴァルドの背後から銀の軌跡が閃く。
「ソニックブレード!」
斬撃を受けて胸元が裂ける。
血が噴き出した。
「……甘いな」
アルディオンが静かに言う。
ヴァルドは膝をつく。
視界が滲む。
「相変わらずだ……お前は、他人を優先する」
剣聖は、剣を下ろした。
「そこが、お前が剣聖になれなかった理由だ」
静かな声。
「俺との、決定的な違いだ」
ヴァルドは、血を吐きながら崩れ落ちた。
アルディオンは一瞬だけ視線を逸らす。
「安心しろ」
剣を鞘に戻す。
「急所は外した」
背を向ける。
「俺の目的は、お前を殺すことではない」
「タリナ王だ」
剣聖は、炎の戦場の中へ消えていった。
残されたのは、血に染まる将軍と、崩壊する王都だけだった。
⸻
――冷たい。
それが、最初の感覚だった。
海中。
深く、暗い、水の底。
グランは、意識の縁でゆっくりと瞼を開いた。
(……生きておる、か)
ヴァルドの魔法が、まだ身体を包んでいる。
完全な防護ではない。
だが、命を繋ぐには十分だった。
(……借りを作ったの)
肺が焼ける前に、グランは無意識に詠唱を始めていた。
「――来い」
小さく、しかし確かな声。
魔力を流す。
かつてなら、呼吸と同じほど自然に応じたはずの感覚。
(魔王は……復活した)
(ならば……)
胸の奥で、確信に近い思考が走る。
(儂の召喚の封印も、解けているはずじゃ)
魔王封印は、世界に掛けられた巨大な楔。
その代償として縛られていたのが、自身の召喚魔法。
――魔王が復活したのなら。
楔は、抜けている。
理屈は、合っている。
だが、何も、起きない。
ただ、静かな水流だけが、頬を撫でていく。
「……やはりな……」
グランは、眉をひそめる。
(封印が解けておらぬ)
魔力の流れは、確かに変わっている。
世界の基盤が、わずかに歪んでいるのを感じる。
グランは、静かに詠唱を切り替えた。
「……エターナル・ブルードラゴン」
魔力が、はっきりと応えた。
「……なるほどの」
小さく、笑う。
「魔王は……完全には、復活しておらぬ」
完全復活なら、世界の楔は完全に砕ける。
ならば、代償として縛られた自分の力も、すべて戻る。
(半身……あるいは、器だけか)
(存在は蘇ったが、核が揃っておらぬ)
だからこそ、グランの召喚魔法は、完全には戻っていない。
「……やれやれ」
海の底で、老人は目を閉じる。
「ほっ、世界は、相変わらず意地が悪いの」
召喚できるのは、二柱のみ。
イフリートと、エターナル・ブルードラゴン。
(十分じゃ)
グランは、静かに身体を浮かせる。
「……まだ、終わらせはせぬぞ」
老人の声は、波音に紛れながらも、確かな決意を帯びていた。




