第三話 はじめての節約と、王都への道
異世界の朝は、思ったより普通だった。
石造りの天井から差し込む光。
どこか薬草の匂いが混じった空気。
そして――
ピロリン。
「……やめてって言ったよね」
反射的にスマホを掴む。
⸻
【talina銀行アプリ】
現在残高
¥811,425,000
⸻
減ってない。
「……よし」
それだけで、少し安心する自分が悲しい。
「師よ、起きておるかの?」
扉の向こうから、グランの声。
「起きてます。あと“師”は禁止です」
「ほっほ。では“ひかり殿”で」
妥協したらしい。
私は簡易ベッドから起き上がり、深呼吸した。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。
目を閉じるたびに、残高が減る映像が脳裏に浮かぶ。
――八億。
この数字は、もはやHPバーだ。
「ひかり殿、王城へ向かいますじゃ」
「……王城?」
「正式に話を通さねばならん。あなたは――」
グランは一拍置いて、言った。
「この、タリナ王国にとって、切り札になり得る存在ですじゃ」
切り札。
聞こえはいい。
でも私の脳内では、即座に翻訳された。
=そして老後は路頭に迷う。
「ねえグラン」
「なんですかな」
「私、まだ何もするって言ってないよね?」
「……ほっほ」
笑って誤魔化すのやめて。
王城までの道は、石畳が続いていた。
馬車に乗せられたが、私は終始落ち着かなかった。
理由は一つ。
「ねえ、これ……馬車代、取られないよね?」
「無料ですじゃ」
「よし」
小さくガッツポーズ。
――異世界初の節約成功。
王都は、思った以上に賑わっていた。
露店、行き交う人々、鎧姿の兵士。
そして、視線。
「……見られてる」
「珍しいのですじゃ」
グランが言う。
「この世界で、“召喚魔法を使わずに召喚する者”など、聞いたことがありません」
そりゃそうだ。
私は魔法陣も詠唱も知らない。
ただ、金を払ってるだけだ。
王城の謁見の間は、ひどく広かった。
玉座にどっしりと座るタリナ王。
威厳があり、座っているだけで他を威圧する力を感じる。
その横に立つ、緊張した顔の若い魔法使いたち。
「……あれ?」
私は、違和感を覚えた。
魔法使いたちは視線を合わせようとしない。
どこか、怯えている。
「ひかり殿」
グランが小声で言う。
「彼らが、次世代の魔法使い候補ですじゃ」
なるほど。
自分たちの上位互換を見せつけられてる顔だ。
王が、口を開いた。
「そなたが、グランが呼び出した異界の者か」
重厚な低い声。
声だけで普通の者は圧倒される、が……。
「……円城寺ひかりです」
全く気にせず、一礼。
お辞儀の角度は45度。
《社会人スキルを駆使したけど、王へのお辞儀は何度が正解なの?グランに聞いておけば良かった……。》
タリナ王はそんな事は気にも止めなかった。
「力を見せてもらいたい」
来た。
でも――
「嫌です」
即答した。
場が、凍った。
グランがむせる。
「ひ、ひかり殿!?」
「だって、いくら減るか分からないじゃないですか」
私は、堂々とスマホを掲げた。
「私の力、有限資産制なんです」
ざわつく謁見の間。
「無駄撃ちはしません。必要な時だけ、必要な分だけ」
王は、しばらく私を見つめ――
そして、笑った。
「……面白い」
その瞬間。
私の中で、嫌なフラグが立った。
「では、力は見せずともよい」
王は言った。
「代わりに、王都の外れで起きている問題を見てほしい」
「問題?」
「魔物だ」
来た。
討伐依頼。
「ただし」
王は、続ける。
「今回は、他の者と同行してもらう」
扉が開く。
入ってきたのは――
白衣を着た、小柄な女性。
凛とした大きな目。
腰には、薬瓶の入ったポーチ。
歳は20代後半?
髪が長くサラサラで艶がある。
私とは違う……若さの違い。
はっきり言って可愛い。
「……日本人?」
彼女は、私を見て、にこりと微笑んだ。
「はじめまして。九条ひよりです。私もグランさんに数日前に召喚されました。あっちの世界では薬剤師をしてました。」
私は、思った。
――あ、これ、仲間を増やしていくやつだ。
スマホが、静かに震えた。
⸻
【talina銀行アプリ】
現在残高
¥811,425,000
⸻
まだ、減ってない。
でも――
「……次は、減る」
確信だけが、ひかりにはあった。




