第28話 動き出した世界
夜明けは静かに訪れた。
地平線の向こうから差し込む光が、草原をゆっくりと金色に染めていく。
ログハウスの窓からその光を見つめながら、ひよりは一晩ほとんど眠れずにいた。
(あの星……あの月……)
昨夜見上げた夜空が、頭から離れない。
星の並び。月の形。
偶然では済まされない一致。
(ここは本当に異世界なの……?それとも、私たちの世界の……)
そこまで考えて、思考を止める。
もしそうだとしたら。
この世界で起きている戦いは、遠い過去か、それとも未来の地球の出来事だとしたら。
胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
(私は……どうすべきなの?もし、過去の地球なら……歴史に関与していいの?)
答えの出ない問いを抱えたまま、朝が来た。
⸻
「おはよ、ひより。目、ちょっと赤いよ?」
外に出たひかりが心配そうにのぞき込む。
「へへ……ちょっと考え事してただけ」
ごまかすように笑う。
今はまだ、皆に話す勇気が出なかった。
「ひかりさんにお米貰ったから、おにぎり作ったよ」
つむぎが包みを差し出す。
湯気の残る、ほかほかのおにぎり。
その匂いに、ひよりの胸の緊張が少しだけほどけた。
「ありがとう、つむぎちゃん」
ぽにゃが足元で嬉しそうに尻尾を振っている。
日常の温もりが、ここにある。
(今は……この時間を守ることを考えよう)
そう思った。
⸻
ログハウスを収納し、結界を解き、EVトラックに乗り込む。
レオルドから、自分たちが拘束されている間の出来事を昨晩聞いた。
行き先は決まっていた。
「よーし、死の谷へ出発するよ!」
ひかりがハンドルを握る。
車は静かな駆動音とともに草原を進み出した。
朝日を浴びながら、おにぎりの包みが開かれる。
「ん~、やっぱ日本人はお米だよね」
「運転中に食べないでってば!」
ひよりは思わず笑った。
さっきまで胸を締めつけていた不安が、少し遠のく。
――その時だった。
ドォォォォンッ!!
地鳴りのような爆音が大地を震わせた。
車体が揺れる。
「なに!?」
急ブレーキ。
全員が車外に出る。
振り返った南の空――
タリナ王国の方角に、黒煙がいくつも立ち昇っていた。
「……あれは……」
ひよりに昨夜の考えがよぎる。
(この世界がもし地球の未来なら、あそこで燃えているのは……人類の、未来……?)
その瞬間、空間が歪んだ。
黒い魔力が渦を巻き、女魔王リリアスが姿を現す。
「ついに動き出したのじゃ」
視線は煙へ向けられている。
「死の谷で変質した者たちが、群れを成しタリナ王国へ侵攻を始めておる」
「そんな……」
「実験体は死の谷へ放たれた。あそこは兵器の実験場にされたのじゃ」
「実験体って……あの人たちは人の手で作られた魔物なの?」
「イグナート・ヴェルドーラの研究によってな」
空気が張り詰める。
「奴が作った土の魔物化因子は、完全に人の制御下にある」
「……え?」
「最初に変質させられた者も、感染した者も――すべて、フロストリア側から遠隔操作されておる」
つむぎの指先が震える。
「じゃあ……あの人たち、自分の意思で暴れてるんじゃないの……?」
「肉体が生きておるだけじゃな」
ひかりの背筋を、ぞわりと寒気が走った。
「そんなの……人間じゃないじゃん……」
「その通り。あれはもう、兵器じゃ」
魔王の瞳が、氷のように冷える。
「フロストリアの狙いは……」
宙に浮かぶ地図の上で、死の谷から南へ赤い線が伸びていく。
「魔物の軍勢を南下させる。最終目標は……タリナ王国」
ひかりが息を呑む。
「攻め込ませるってこと……?」
「うむ。タリナは強大な軍事国家。正面から戦えば戦力の差は歴然、勝ち目は薄い」
魔王は淡々と続ける。
「ゆえに自国の兵を使わぬ戦争を選んだ」
「魔物を……兵器として使う……」
「そうじゃ」
赤い線が、タリナの王都を呑み込む。
「魔物の大群に国力を削らせ、混乱と疲弊を極限まで高める」
「そして……」
「最後に救済の名目で軍を出す」
魔王の声が低く響く。
「感染個体をすべて排除し、魔物被害から土地を解放した正義の国として領土を奪う」
空気が張り詰める。
ひよりは拳を握りしめた。
昨夜まで考えていた“世界の正体”なんて、どうでもよくなるほど現実は重い。
誰かが今、あの煙の下で泣いている。
それだけで十分だった。
「助けないと……!」
魔王は頷く。
「じゃが、ただ向かっても終わらぬ。元凶を断たねばな」
「フロストリア……」
「うむ。すべての鍵は雪の国にある」
北を指す魔王の手。
「元を絶たねば、この大陸は魔物で満ちる」
ひかりが言う。
「じゃあやることは決まりだね」
ひよりは空を見上げた。
朝の空には、もう星は見えない。
昨夜の答えはまだ分からない。
けれど。
(この世界が未来でも、過去でも、どこであってもいい。今ここにいる人を守りたい)
それが、彼女の選択だった。




