第二話 師匠と弟子と、世界の事情(残高付き)
静寂が、耳鳴りのように残っていた。
つい数分前まで、炎が吹き荒れ、地面が砕け、竜が空を裂いていた場所とは思えない。
鼻の奥に残る焦げ臭さと、肌に張りつく熱だけが、すべてが現実だったと主張している。
私は、その場に立ち尽くしたまま、スマホを握りしめていた。
残高、八億円ちょっと。
数字が、頭から離れない。
「……ねえ」
自分の声が、やけに遠く聞こえた。
「本当に、なんで私ここにいるの?」
白髭の老人、老魔法使いは、困ったように眉を下げて笑った。
「本来なら……勇者を召喚する予定じゃった」
「……は?」
嫌な予感が、確信に変わる。
「世界を救うための、由緒正しい儀式ですじゃ」
「じゃあ、私は?」
老人は、ほんの一瞬だけ言い淀んだ。
「……老いですな」
「おっ……老い!?」
思わず声が裏返った。
「しっ…失礼じゃないですか!」
……確かに若い子には負けるけど。
「話しやすくて若く見えますねって、言われることも……あるんですから!」
自分で言って、少し不安になる。
「社会人としては一番ちょうどいい年齢ですし……」
語尾が自然と弱くなる。
「……ちゃんと寝れば」
老人が、無言でこちらを見ている。
「……メイクすれば、全然いけますから」
「ほっほ……違いますじゃ」
老人は、優しく首を振る。
「老いとは……儂のことですじゃ」
「……」
思考が、一瞬止まった。
「……つまり?」
「召喚魔法が、暴走した」
「最悪じゃないですか!!」
「すまんのう」
「じゃが――」
老人は、真剣な目で私を見た。
「結果として、儂はとんでもない存在を呼んでしまった」
そして、深々と頭を下げる。
「改めて名乗ろう。儂は、王国で唯一《至高位大魔導師》の称号を持つ――グラン=エルド」
名前だけは、やたら格好いい。
「で、あなたは?」
「……円城寺ひかり」
名乗った瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着いた。
異世界らしからぬ日本の名前を言うと、少し現実に戻れるような気がした。
「ひかり殿」
グランは、感慨深そうに頷いた。
「あなたの召喚は、魔力ではない。世界そのものを媒介にしておると見ましたじゃ」
「……よく分からない」
「簡単に言えばですじゃ」
杖で地面を叩く。
「あなたは、別の世界の価値を、この世界に変換している」
私は、はっとした。
「……それが、お金?」
「うむ」
やっぱり。
「あなたの世界では、金が力じゃろう?」
「まあ……大体は」
「それが、そのまま魔力として消費されておる」
私はスマホを見た。
銀行アプリは、今は沈黙している。
「……つまり」
嫌な予感を、言語化する。
「強いものを呼べば呼ぶほど、私の資産が削られる?」
「その通りですじゃ」
世界、クソ仕様すぎない?
「じゃあさ」
私は睨むように聞いた。
「さっきのイフリートとかドラゴンって、いくら相当なの?」
「イフリートは……百万前後」
妥当性がわからない。
「ドラゴンは?」
「二億」
減った金額と、ぴったり一致している。
私は、乾いた笑いを漏らした。
「……老後計画、破綻だわ」
「ほっほ。計画的に使えば、まだ余裕じゃろう」
「楽観的な事言わないでください!……世界情勢の不安定さと物価高で、老後の世の中、不安だらけなんですよ?!」
1級FP技能士を舐めないでほしい。
元銀行員として、日々お金の勉強をしているんだからっ!
私は深呼吸した。
「で?」
指を立てる。
① 私はあなたの老いが原因で呼ばれた
② 能力は現実世界から物を取り寄せるだけ
③ 使うと代償で資産が減る=老後計画が壊滅
指をもう一本。
④ だから、現実世界に戻して!
グランは、少しだけ視線を逸らした。
「……世界が、近いうちに滅びる」
来た。
テンプレだけど、来た。
「魔王とか?」
「うむ」
「復活とか?」
「うむ」
「倒せるのは?」
「……勇者なら、可能性はあった」
「……私は?」
老人は、はっきり言った。
「あなた一人で戦えば、資産が尽きて死ぬ」
即答だった。
私は、スマホを胸に抱いた。
「……私は戻れないの?」
グランは、静かに笑った。
「残念ながら、儂の召喚魔法は一方通行ですじゃ。いつも呼ぶだけ、役目を終えれば召喚獣は勝手に帰る……じゃが……エターナル・ブルードラゴンを倒した後も、ひかり殿は帰られなんだ」
「え?」
「あなたは、選ばれたんじゃ」
その言葉に、私は眉をひそめる。
「戦力、物資、知識……この世界にないものを、必要な分だけ呼ぶ」
杖で、私のスマホを指す。
「だからこそ、手助けになればと、その計算機を生かす魔法をかけましたじゃ」
スマホが、淡く光る。
「今後は、異世界でも銀行アプリだけは機能する」
ピロリン。
まるで合図のように、通知音が鳴った。
「……やめて、心臓に悪い」
画面には、こう表示されていた。
⸻
【talina銀行アプリ】
現在残高
¥811,425,000
⸻
リアルタイム。
逃げ場なし。
「……ねえ、グラン」
私は、真剣な顔で言った。
「節約、必須だよね?」
「もちろんですじゃ」
「無駄遣いしたら?」
「老後計画が壊滅」
「よし」
私は、覚悟を決めた。
「じゃあ私は――節約しながら、世界を救う?」
グランの目が、輝いた。
「さすが師よ!」
「師って呼ぶのやめて」
こうして私は……
・誤召喚された億り人
・資産を削る召喚士
・老魔法使いの師匠(不本意)
という、よく分からない立場になった。
まだ知らない。
この世界が、私の財布を、もっと本気で殺しにくることを。




