第十九話 王国の正義、崩れる信頼
焦げた匂いが、まだ谷に残っていた。
ついさっきまで歌が響いていた場所は、焼けた土と黒い煙に覆われている。
私は、丘の上に並ぶ軍勢を睨みつけていた。
タリナ王国軍…一万。
魔法部隊が整然と隊列を組み、次の攻撃に備えて詠唱を始めている。
「……やめて」
喉が震える。
「もう、いないから……」
魔物たちは散った。
逃げた。
生きるために。
それでも軍は、攻撃態勢を解かない。
丘の上から、一人の男が降りてきた。
金の縁取りのマント。
高位魔導士の紋章。
「ご無事で何よりです、グラン殿」
その声に、グランの肩がわずかに強張った。
「……ヴァルド将軍」
将軍と呼ばれた男は、冷たい目で谷を見渡す。
「先鋒隊から報告は受けていたが……まさか本当にこれだけの大物が顕現するとはな」
「攻撃は止めてくだされ。谷の主は退いた」
「魔物は根絶やしにする」
将軍は即答した。
「谷の脅威は消えていない。この機会に芽は摘むべきだ」
私は思わず叫んだ。
「違う!!話せたの!!もう少しで分かり合えたのに!!」
将軍の視線が、初めて私に向いた。
「……その娘が“異界の召喚士”か」
値踏みする目だった。
「王国は感謝している。だが戦場で情に流されては困る」
「情じゃない!和平のチャンスだった!」
「和平?」
将軍は鼻で笑った。
「魔物と?」
ひよりが一歩前に出る。
「魔物だって、生きてます」
「家畜も生きている!」
空気が凍る。
「人の領土を侵す存在に交渉の余地はない」
「侵したのはそっちでしょ!?」
私の声が谷に響いた。
「ここに攻め込んだのは王国じゃない!」
一瞬、兵たちがざわめく。
将軍の目が細くなった。
「……誰が、何を吹き込んだ」
グランが前に出た。
「事実ですじゃ。谷は元より彼らの領域。侵攻は我らが先」
将軍の声が低くなる。
「……グラン殿。あなたは誰に忠誠を誓っている」
沈黙。
その重さが、答えだった。
「王国の民は飢えている。難民は増え続けている。この土地が必要だ」
「だから奪うのですかな」
「生きるためだ」
将軍の目には迷いがなかった。
「理想で腹は膨れん」
ひよりが唇を噛む。
つむぎは俯いたまま、ぽにゃの毛を握りしめている。
私は、胸の奥が焼けるように痛んだ。
「……じゃあ」
ゆっくり、言葉を絞り出す。
「その“生きるため”のせいで、また誰かが死ぬんですね」
「それが現実世界だ」
将軍は冷たく言い切った。
「椅子の数は無限ではない。誰かは座れない。この世は椅子取りゲームと同じだ」
グランの拳が震えているのが見えた。
「……儂は」
声が掠れる。
「儂は民を守ると誓った」
「ならば共に来ていただこう」
将軍は当然のように言った。
「王はあなたの帰還を待っている」
グランの視線が、私たちへ向く。
その目が、初めて揺れた。
「……ひかり殿」
絞り出すような声。
「儂は……」
言葉が続かない。
私は、静かに首を振った。
「行きたいなら、止めない」
胸が痛いのに、声は不思議と落ち着いていた。
「でも私は、もう王国のやり方にはついていけない」
ひよりが小さく頷く。
つむぎも、迷いながらもこちらへ寄った。
グランの目が見開かれる。
「儂を……見限るのですな」
「違う」
私は一歩近づいた。
「グランは悪くない。王国も、きっと“間違いだけ”じゃない」
「でも」
はっきり言う。
「私は、“奪う側”にはなりたくない」
風が吹き抜ける。
谷の焦げた匂いが舞い上がる。
将軍が冷たく告げた。
「決断を」
長い沈黙の末――
グランは、ゆっくりと杖を地面に突いた。
「……儂は」
震える声。
「少しだけ、猶予をいただきたい」
「猶予?」
「谷の主の動向を見極めねばならぬ。無闇な追撃は更なる戦火を呼ぶ」
将軍は険しい顔をしたが、やがて頷いた。
「三日だ」
「感謝する」
軍は撤退を始める。
整然と。
何事もなかったかのように。
その背を見送りながら、グランは深く息を吐いた。
「……儂は、間違えておるのかもしれぬ」
私は言った。
「間違えたって、やり直せるよ」
ひよりが明るく続ける。
「まだ、戦争止めるチャンスあります!」
つむぎは小さく頷いた。
「……グラニス、怒ってた。でも、一瞬だけど……心が通じた気がした」
グランは空を見上げた。
「儂の忠誠と、お主らの願い……両立は難しいの」
私はスマホを握る。
残高は減った。
でも――
もっと大事な何かが、削れ始めている気がした。
遠くで雷鳴が響く。
戦争の足音は、もう止まらない。
それでも。
私は、拳を握った。
「止めるよ」
誰にともなく、誓う。
「この世界の“奪い合い”を終わらせる」
グランは目を閉じ、小さく呟いた。
「……師よ。儂はまだ、あなたの弟子でいられますかな」
私は笑った。
「高い授業料、まだ回収してないからね」
戦争の影の中で。
私たちは、王国と違う道を選び始めていた。




