第十七話 湯気の向こう側の答え
谷に、夜が落ちた。
「まずい……一旦引きますじゃ!」
グランはそう言うと、素早く杖を大地に突き刺して結界を張った。
そして詠唱する。
「サンダーボルト!」
凄まじい雷が辺り一面に落ち、土煙が舞って視界がゼロになった。
「今です、撤退ですじゃ!」
———
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、谷の外は静かだった。
風が、低く唸る。
土の匂いが、まだ濃い。
「ここで野営しますじゃ」
グランが杖を地面に突く。
淡い光が広がり、結界が張られる。
「谷の主の探知は遮断できぬが、雑魚は寄せ付けませんぞ」
雑魚、って規模じゃなかったけどね……。
私がため息をついた、その時。
「……出しますね」
つむぎが、前に出た。
空間に手を差し入れる。
次の瞬間――
ログハウスが、にゅっと生えてきた。
「……」
「……」
「……」
もう誰も驚かない。
慣れって怖い。
木の香りが広がる部屋の中には、洗濯物が干した状態のままだった。
ぽにゃは、椅子の下で丸くなっていた。
つむぎは無意識に、その頭を撫で続けている。
そして、ぽつりと言った。
「……私たち、侵略してる側なんですよね」
誰もすぐには答えられなかった。
やがて私は、ゆっくり頷いた。
「……うん。たぶん」
つむぎは視線を落としたまま続ける。
「死の谷には、元々あの子たちが住んでて……私たちは、国のために、食料のために、入ってきて……」
声が、少し震える。
「先に攻撃したのは、人間かもしれない」
ひよりが何か言いかけて、やめた。
グランは、黙って聞いている。
私は、息を吐いた。
「侵略したくて来た人ばかりじゃないと思うよ」
つむぎが顔を上げる。
「ご飯がなくなる。子供が飢える。家族が死ぬ」
自分の言葉なのに、少しだけ胸が痛む。
「そうなったらさ、人は“正しい方”より“生き残れる方”を選ぶよ」
「……じゃあ、魔物は?」
「同じだよ」
その事には私も気づいていた……。
「だから最悪なんだよ、この状況」
つむぎの手が、ぽにゃの毛を強く握る。
「誰も悪くないのに、戦わなきゃいけない」
「うん」
私は、小さく続けた。
「たぶんね……誰かが“そうなるように”したんだと思う」
グランの眉が、ぴくりと動いた。
「ルーメリアが消えたのも、関係あると思う?」
ひよりの問いに、私は頷く。
「国が消えた。でも人は死んでない。難民が溢れる」
頭の中で、元の世界のニュースが重なる。
「食料不足、土地不足、不満、不安……争いは、勝手に育つ」
奪い合い、侵略戦争……資源は限られている。
自国ファースト……混沌とした世界。
つむぎが、はっとした顔をした。
「……戦争を起こしたい人がいる、ってことですか」
グランが、重く口を開いた。
「預言者が言っておった。この平和は長く続かぬと」
150年近く生きた魔法使いの声は、静かだった。
「だから儂は勇者を呼ぼうとした」
そして、苦笑する。
「来たのは、財布で世界を殴る師匠じゃがの」
「嬉しくない二つ名やめて」
でも、私は視線を落とさず言った。
「谷の主が敵とは限らない」
つむぎが息を呑む。
「戦わなきゃいけない相手、別にいるかもしれない」
静かな確信が、胸にあった。
つむぎが、小さく聞く。
「……それでも、戦いますか?」
少し考えてから、私は答えた。
「奪うためには、戦わない」
でも、と続ける。
「これ以上、“奪われる理由を作らせないため”なら戦う」
それはこの世界を救う救世主の言葉じゃない。
ただの、元銀行員の現実的な決意だ。
「つむぎが撃てないなら、それでいい」
私は笑った。
「撃たない選択ができる人、パーティに必要だから」
つむぎの目が、揺れる。
ぽにゃが、優しく鼻を鳴らした。
ログハウスの外では、死の谷の闇が広がっている。
でも。
湯気の立つ食卓の上にだけは、まだ人の世界があった。
そして私は思う。
――この戦い、本当の敵はまだ姿を見せていない。




