第十一話 いちご大福は世界を救う
夜の静寂は、ほんの一瞬だった。
女魔王が、ゆっくりと手を掲げる。
その指先に集まるのは、さきほどまでとは比べものにならない――明確な殺意。
「……命乞いは終わりか?」
冷え切った声が、骨の奥まで染み込む。
私は、反射的に首を振った。
「ま、待って……!」
喉が、ひくりと鳴る。
「私、もう五億失いました……!」
「十分、反省してます!」
女魔王は、鼻で笑った。
「ふん」
そして、あっさりと言い放つ。
「ダメじゃ」
「……え?」
「お主だけは、許さん」
胸を、ぎゅっと掴まれた気がした。
女魔王の瞳が、細くなる。
「さきほど、言ったであろう」
「ヘタレ魔王、とな」
……そこ?
「魔王を侮辱する者は」
背筋が、凍りつく。
「消え去るのみ」
――終わった。
「そ、そんな……!」
私は地面に手をついた。
「許してください!」
「なんでもします!」
「ダメじゃ」
「トイレ掃除でもゴミ捨てでも、なんでもやります!」
「間に合っとる」
視界が、滲む。
「……私……死ぬんだ……」
膝から、力が抜けた。
恋人も作らず、仕事と投資だけに人生を費やして、老後は、ぽにゃと静かに暮らすつもりだった。
(……私の人生、なんだったんだろ)
虚無が、胸を満たす。
そのとき――
ふと、頭に浮かんだ。
最後に、食べたいもの。
「……和菓子綾瀬の……」
声が、かすれる。
「……いちご大福……」
無意識に、虚空へ手を伸ばした。
――ぐにゃ。
「……え?」
柔らかい。
ひんやりとして、もちっとした感触。
「きゃっ!」
驚いて反射的に掴み、投げ飛ばした。
ひゅーん。
放物線。
ぱく。
……音がした。
女魔王の口が、もぐもぐと動く。
沈黙。
ひよりとグランが固まり、ぽにゃが「くぅん?」と首を傾げる。
「……なんじゃ、これは」
もぐ。
もぐもぐ。
「……ほのかに甘い香りがする……」
さらに一口。
「……美味い」
私は、ぽかんと口を開けた。
「……え?」
女魔王が、こちらを見る。
「おい」
「もう一つ、あるか?」
「……え?」
「さっきの、柔らかいやつじゃ」
……まさか。
「そ、それ……」
唾を飲み込む。
「和菓子綾瀬の……いちご大福です……」
女魔王の目が、輝いた。
「なに!?いちご!?」
「今すぐ出せ!」
その瞬間、私は理解した。
――望むものを、直接、取り寄せられる。
……レベルアップ、してる?
「……えい」
光。
次の瞬間、手の中に、いちご大福。
しかも、二個。
女魔王は奪い取るように食べる。
もぐ。
もぐもぐ。
「……ふぅ」
満足げな吐息。
そして、くるりと背を向けた。
「……よい」
「……え?」
「今回は、許す」
「えええ!?」
ひよりが、ぱあっと笑顔になる。
「ひかりさん!助かりましたね!」
グランが、深く頷く。
「ほっほっほ……命拾いじゃのう」
女魔王は振り返り、にやりと笑った。
「……久しいな、エルド」
グランが、静かに杖を鳴らす。
「相変わらず美しいのう、アマローネ」
空気が、わずかに軋んだ。
「その名で呼ぶな!」
「わらわは……魔王リリアス・ヴェルキューレじゃ」
しばし、視線が交わる。
そこには、言葉にされない過去があった。
――まだ語られていない何か。
「……ところで」
魔王リリアスが、ひよりを見る。
「先のセイレーンとの戦い見事であった」
「名を聞いておこう。美しき声を持つ者よ」
ひよりは怯えることなく、元気に答えた。
「Leverage・Bear」
「レバベアの、ひよりです!」
「……」
沈黙。
魔王が首を傾げる。
「歌うときの、グループ名ではなかったか?」
「私たち、パーティの名前です!」
私は、ひよりを見る。
「……このパーティの名前、いつの間にそれになってたの?」
「えへへ、定着しました!」
「……意味、知ってる?」
ひよりが、きょとんとする。
「……え?」
私は、震える声で言った。
「レバレッジベアのベアって……」
「下落相場って意味だよ……」
「……あ」
ひよりの目が、見開かれる。
「……言霊……!」
魔王リリアスが、くっくっと笑った。
「なるほどのう」
「だから、資産が凄まじい勢いで減るのか」
魔王リリアスは満足そうに背を向ける。
「一応、お主の名も聞いておこう」
「妙な力を持つ者よ」
「……ひかりです」
「では、レバベアのひかり、なんでもすると言ったな」
「その約束、いずれ果たしてもらうぞ」
そう言い残し、魔王リリアスは闇に溶けるように消えた。
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私は、その場にへたり込んだ。
「……生きてる……」
ぽにゃが、ぺろりと頬を舐める。
「……ありがとう……」
ピロリン。
恐る恐る、スマホを開く。
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【talina銀行アプリ】
前回残高
¥699,404,400
今回使用額
¥535,005,500
現在残高
¥164,398,900
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……現実が、数字で襲ってくる。
〈使用内訳〉
・消防車
35,000,000円
・フライパン
5,000円
・EVトラック
100,000,000円 ×5台=500,000,000円
・和菓子綾瀬のいちご大福
500円 ×3個=1,500円
「……」
一気に、五億円。
ひよりが、そっと肩に手を置く。
「……改名しますか?」
私は、乾いた笑いを浮かべた。
「このままでいい」
……投資の世界で、ブルは上昇(強気)相場、ベアは下落(弱気)相場だが、レバレッジベアは、リスクは高いが下落相場で大きな利益を期待するものだ。
今は大きな損失を出し続けている。
しかし、逆も可能なはずだ!
「……やってやる!人生逆転してやるから……」
名前は……本当に大事だ。




