第5話 花と桜子
~花と桜子~
「あ、さくら子ちゃんだ!おーい!」
花が校門の前にいた桜子を見つけて声を掛ける。
「あ、花ちゃん。おはよう」
森下 桜子は、すっと花の方に振り向き、落ち着いた声であいさつを返した。こんなに暑い中でもその顔は涼しげで、顔には汗一つかいていない。
「今日は終業式で生徒代表のあいさつするんでしょ?」
「うん。だから昨日は緊張のせいか、なかなか眠れなくて」
そっかぁ、と花は相づちを打ちながら、やっぱりさくら子ちゃんでも緊張はするんだなぁといつものように意外に感じた。
さくら子ちゃんだったら何でもそつなくこなしそうだけどな。実際に今までもこなしてきてるし。
歳が一つ上の桜子とは、小学校の頃から同じピアノ教室に通っている。そのため、花と桜子は自然と仲良くなった。昔はよく一緒にプールに行ったり、神社で遊んだりしたものだった。
しかし、桜子が中学校に上がった頃から、自然とそうした交流はうすれていった。
とはいっても、今でもお互いピアノ教室には通っているため、週に一度のレッスン帰りには一緒に買い食いをしたり、喫茶店に行ったりもしている。
そこでお互いの悩みを聞いたり、話したりしているというわけだ。
だからといって二人は必要以上にくっついたりもしない。お互いに心地良い距離感を保って付き合っているおかげか、花は桜子と一緒にいるときが最も自然な姿でいられた。
桜子は周りからはパーフェクトな存在と思われているが、実はプレッシャーにかなり弱い。ピアノの発表会や体育祭の時などは、緊張してよく体の調子を悪くしていた。
だから花は、そんなことを周りには微塵も感じさせない桜子の凛とした立ち振る舞いを見るといつも感嘆してしまう。
みんなが観ている前で華麗にピアノを演奏している子が、その数時間前までは気分が悪そうに顔を青白くさせていた子と同じだとは、とても思えないのだ。
だから今みたいに、桜子から「緊張している」という言葉を聞くと、花は今でも意外に思ってしまうのである。
「でも、それさえ終わっちゃえば、あとはみんな通知表もらって帰るだけだもん。大丈夫、楽勝ってなもんよ。それに明日からみんなお待ちかねの夏休み様のご登場だよ」
花は自分なりに考えたはげましの言葉を口にする。
桜子は、それに対して「ありがとう」と、小さく微笑んで応えた。その微笑みは、女性である花でも思わず見とれてしまうほど美しい。
「――あ。それと今日はよろしくね」
ふと思い出したように桜子が言う。
「え、なにが?」
花はそう問いかけながらも、のんびりかまえていた頭を働かせて思い出そうとする。さくら子ちゃんから何か頼まれてたっけ?それだったら絶対に忘れないけど。さくら子ちゃんが人に頼みごとをするなんてめったにないし。
花の言葉に、桜子はきょとんとした表情をかすかに浮かべる。
「あれ、花ちゃんたちって終業式のあと、旧校舎に行くんだよね?私も一緒に行かせてもらえることになっているんだけど・・・。その話、山中先生からは聞いてない?」
「えぇ、きいてないよー。まぁでも山中先生なら話すの忘れててもおかしくないか。でもでも、やった!さくら子ちゃんも来るんだね」
花の声が思わずはずんだ。
「先週だったかな。山中先生が、終業式の後に花ちゃんたちと旧校舎に行くけど、桜子も一緒に来ないかって誘ってくれたの」
「そっかー。山中先生グッジョブ」
花は喜んで小さくとびはねた。きっと私とさくら子ちゃんの仲が良いことを知っているから声を掛けてくれたんだろう。
しかし、それと同時に疑問も出てきたので、花は桜子本人に聞いてみることにした。
「でも、何で行くことにしたの?さくら子ちゃんも旧校舎の十二不思議みたいなのに興味あったんだ?なさそうに見えるのに」
「え?いや、私は――」
桜子は訂正するように遠慮がちに片手を上げた。
「なに?」
ずい、と花は自分の顔を桜子に近づける。
「実は私、旧図書室を見てみたくて。古い本とか、面白い本がたくさんあるって聞いたことがあるの。いつか機会があれば行きたいなって思ってて。山中先生も、前に私がそんなことを言っていたのを覚えてくれていたみたい」
桜子からの回答を聞いて、花はなるほど、と納得する。
――そりゃそうだよね。さくら子ちゃんはそんな俗なことには興味ないだろうし。それに比べてわたしの幼稚さったら。何かはずかしいなぁ。
そんなことを考えながら花が沈黙していると、話を続けてどうぞ、という意味に桜子は受け取ったようで、
「――あとは桃子が気に入るような本はないかなぁと思って」
そして、さらに桜子は小さくつぶやく。
「それに・・・」
「え?それに、なに?」
花が話を合わせると、桜子ははっとしたように口をつぐんだ。それをみた花はここぞとばかりにつっこんで聞く。
「えー?なに?気になるよ。なになに?」
すると桜子は、そのまま恥ずかしそうに黙り込んでしまった。それでも花はしつこく追及してみるが、どうやら桜子に答える気はないようだ。
うーん、しかしさくら子ちゃんの困った顔も一見の価値があるなぁ。
しかし、こんな良い子をいつまでも困らせるわけにはいかない。調子に乗ってやりすぎると、こちらが居たたまれなくなってしまう。そんな子なのだ、さくら子ちゃんは。
花は空気を読んで話題を変えることにした。
「そういえばもも子ちゃんは来ないの?」
「山中先生は桃子も誘っていいって言ってくれたんだけど・・・当の本人は面倒だから行かないって」
「そっかぁ」
花はまたも納得してつぶやく。確かにもも子ちゃんの性格ならそう言うだろう。それに私って、もも子ちゃんにあまり好かれてないみたいだし。さくら子ちゃんと仲が良いからかなあ。
花は、はっきりと敵意の込もった桃子の視線を思い出す。あれは前に秋と一緒に帰ったとき、たまたま玄関で桃子に会った時だった。
表面上は表情を変えていなかったが、ふっと一瞬、私を見た時の桃子の目には、確かに冷たい色が含まれていたのだ。
そんなこともあって、花は桃子が少し苦手なのである。
「――花ちゃんは旧校舎に12不思議を調べに行くの?」
桜子の問いかける声に、花は我に返った。あぶないあぶない、思い出してちょっとへこむところだった。というかちょっとへこんでしまっていた。
「まあ、調べるっていうほど大したことはしないけどね。なおくんが悪魔の絵とか、初代校長の像を探したいっていうから、私もそれに便乗するわけよ」
「探してどうするんだろう?」
「うーん、なおくんのことだから落書きでもするんじゃない?」
「それは、いいのかな。秋君も、来るんだよね?」
桜子は自然な口調で聞いたが、実はその声音には多少の緊張が含まれていた。
しかし、そのことに花は気づかない。
「もちろん。でもしゅうちゃんは12不思議にはそんなに興味がなさそうだったけどね。旧校舎に入れることに意味があるんだって言ってた」
「そっか」
そこで桜子の表情が嬉しそうに緩んだのだが、そのとき花は下駄箱から自分の上靴を取ろうとしていたところだったので、その表情を見ることはできなかった。
「そういえばさくら子ちゃんってさ、12不思議について知ってることない?ほら、生徒会長してるとそういううわさとか耳に入ってきたりしないの?」
すると今度は桜子が、下駄箱で上靴を取り出しながら、考えるように黙る。
「・・・どうだろう。数年毎に細かい内容はころころ変わるみたいだけど、基本は同じみたい。サッカー部が水泳部になったりとか、バスケ部になったりの違いくらいで。私も7不思議くらいしか知らないけど、そういう内容の違いも合わせたら全部で12個くらいになるって聞いたことがあるよ」
「へえぇ。そういうことなんだ」
花は素直に感心する。なんと、さくら子ちゃんってこういう話もいけたのか。勉強もスポーツもできて、周りからの人気もあって、話の引き出しも多いとは、なんて反則な子なんだろう。
花が世の中の不公正さを心の中で嘆いていると、桜子はふと思い出したように、
「そういえば、前の生徒会長に聞いたんだけど、13番目の話もあるらしいね」
「え、何それ?」
今まで聞いたことのない情報に花は興奮して食いつく。
「私達が小学生の頃にそんな話があったみたい。12不思議は全て作り話で、13番目の不思議だけが本物なんだって」
「えー!何それ!それってどんな話なの?」
花は興味津々といった様子で桜子につめ寄る。
「それは、聞いてないなぁ」
桜子は花のそんな反応に押されながらも、穏やかに返す。
「そっかぁ」
花はわざとらしくため息をついて、そのまま下駄箱にもたれかかった。
ふむ、でもおもしろいこと聞いちゃった。これは後でしゅうちゃんに教えないと。そしたら少しは怪談に興味もってくれるかも。
でもしゅうちゃんって、いつも私ががっかりしないような反応してくれるんだけどね。
花は桜子と別れてから、そんな秋の顔を想像する。そして、自然と自分の表情がゆるむのがわかった。学校で秋と会うのが花の一番の楽しみなのだ。
あのことを伝えなければと思うと、胸がちくりと痛む。けれど、とりあえずは旧校舎の探検を楽しむことにしよう。
そして、タイミングをみてあの話をしよう。できれば2人きりの時がいい。
花は少し無理をして笑顔をつくると、すでに秋がいるであろう教室のドアを開けた。
次回は本日12時に更新予定です。お昼ごはんの時でいいのでしょうか。