憑依
霧島西中学校二年になる川村翔子はクラスの一部の生徒達から反感を買い、いじめによる辱めを受けた。
精神的に追い込まれた翔子は、自ら命を絶ってしまう。
しかし死んだはずの翔子の魂は消えずに残っていた。
しかも人に乗り移るという憑依能力を備えていた。
翔子は、この力を使って自分を死に追いやった連中に復讐をすることを誓った。
憑依を繰り返し連中に近いていく翔子。
憑依連鎖による壮絶な復讐劇が始まろうとしている。
六月に入り、周りは夏じたくする季節、マンションの屋上には 六月の風と日の光が漂っていた。
白いセーラー服の少女は、高さ百三十センチの柵の前に立っていた。
少女はその柵の上側の棒を握ると、鉄棒をするように柵に飛びついた。
片足を、柵の反対側に乗り越えるように出し跨いだ。
柵の反対側の足場六十センチ程度の場所に降りた。
そこに 少女は立った。遠くに白い煙を吐く工場の煙突、すぐ下に少し低いビル、前の道をおもちゃのように見える車が通過した。向かい側のビルの前を自転車が走っている。
誰も少女には気づかない。少女は、柵に背を向け両手を広げる形で、後ろ手に柵を掴んだ。風に煽られ 黒いスカートがたなびいた。中に入った風でスカートが膨らみ少女の白い脚が見えた。
少女は、目を閉じた。柵を握っていた手が、ゆっくりと放され 白く細い指が柵から離れ細い身体が宙に舞った…
1
校門近くを川本翔子は歩いていた。霧島西中学校の門柱が見えてきた。名前部分が日焼けし色あせている。
校庭では衣替えをした生徒達が白い上着を着て校舎に向かって歩いている。
男子生徒はワイシャツ、襟に紺の細いラインが入っている白いセーラー服を着た女子生徒。
一人で歩いている生徒や二人連れで歩いている生徒。校舎向いて全力で男子生徒が走っていった。
川本翔子は、校門から校庭に入った。
翔子は、霧島西中学校の生徒で 二年生だった。年齢は十四歳だ。父親、川本孝彦四十四歳と母親、川本幸子四十一歳の 三人家族だった。
孝彦は、小さな印刷会社に勤める会社員、幸子は専業主婦だった。
翔子はクラスでの成績は上の方で、性格はハキハキして曲がったことが嫌いな性分だった。
翔子が歩くたびに後ろに束ねられた髪の毛が左右に踊っている。
いつもどおり軽い足取りで校舎に向いて歩き、下駄箱付近までいくと男子生徒が一人、翔子の下駄箱あたりで立っていた。
その男子生徒は、翔子を見つけると逃げるように去っていった。
翔子は首を捻り、さっきの男子生徒を気にしながら下駄箱の前に立った。
吊り下げしきの蓋の下駄箱だ。
その下駄箱の蓋を左手で上に開け、右手で上靴を取り出した。そのときヒレの付いた足が見えた、翔子は小さく悲鳴をあげ上靴から手を放した。
上靴が下に落ちた。
片方の上靴の中に蛙の死骸が入れられてあった。
翔子が、顔を上げると靴箱と廊下をはさんだ窓際に ワイシャツの二段目のボタンまで外した二人の男子生徒が こっちを見て立っていた。岡田文也と石田祐樹だった。
岡谷は、窓際の壁に背を向けズボンのポケットに手を入れてもたれ掛かっていた。石田がその横で、片腕を壁につき立っている。
「あんたたちが、入れたんでしょ」
翔子は、その二人のそばまでいき、強い口調で後ろに落ちている上履きを指さしながら言った。
「証拠でもあんのかよ」
岡谷は薄笑いを浮かべながら怯まぬ態度をみせた。
確かに、この二人がやったという証拠はどこにも無かった。
こみ上げてくるいかりを抑え二人を睨んでから、翔子は上履きの落ちているところに戻った。
翔子は恐々片方の上履きを持ち、その中の蛙の死骸を、玄関を出た階段の横の草むらに捨てた。
さすがに、その上履きを履く気になれず、仕方なく翔子は、予備用のスリッパが入れてある箱から、ほこりだらけのスリッパを出して両手で持ち、はたいてから履いた。
教室では、うるさいほどの雑談が飛び交っていた。
机の上に腰掛けている生徒や、黒板に落書きをしている生徒、既に自分の机に座り勉強している生徒もいる。もはやこの光景は、授業が始まる前の 一時の風物詩とでもいったようなものであった。
その中を翔子は歩き自分の席に座った。
「先生が来たっ!」
扉近くの男子生徒が叫びながら慌てて席に着いた。
それにあわせて 他の生徒達も一斉に、席に着き始め 教室中が椅子と床がこすり合う音にまみれた。担任の上坂陽一が教室に入って来た。
上坂陽一は、細身で髪の毛が綺麗に短くセットされていた。
机の前に立った上坂は座っている生徒を見回してから机の上に両手をついた。
「先日言ったように今日の一時間目は、自習時間になります」
その瞬間、生徒達から歓喜の声が沸きあがった。
「おいおい、遊び時間じゃないからな。自習とは、自分で勉強すること――分かったな――おい、そこっ! 聞いているかっ?」
既に後ろの席に座っている生徒と雑談をしている生徒に上坂は指をさし怒鳴った。
怒鳴られた生徒は頭を掻きながら前に向き直った。
「では、静かに自習しておくように」
そのことを告げると上坂は教室を出ていった。
生徒達にとって自習イコール遊び時間みたいなものなのだ。
翔子は、鞄から辞書を出し机の上に置いた。
その様子を、教室の端で見ていた四人の女子生徒がいた。
スカートは短く、髪の毛を茶色に染めた彼女らには 校則はあってないようなものだった。
徳本リカと斉藤京香そして小島麗子と坂野咲だった。
岡谷と石田は、この四人にいたずらするように頼まれて翔子の上履きに 蛙の死骸を入れたのだった。岡谷と石田も、共に翔子に恨みを持っていた。
その四人が、翔子が座っている席に近寄ってきた。
翔子は、この四人にも恨みを買っていた。
翔子は口に出さなければ気がすまない性分だった。
以前、掃除の時間この六人が教室の隅で、さぼりながら持ち込み禁止の携帯電話で遊んでいるのを見つけた。
翔子は、六人が掃除もせず遊んでいるのが 我慢できなくなった。
「ねえ、あなた達、いい加減にしなさいよっ」
翔子は、腰に手を当てて六人の前に立った。
六人が翔子を、一瞥しただけで、また携帯電話で遊び始めた。
「ちょっと、聞いてるの!」
「うっせぇ、馬鹿女」
岡谷が翔子を見て罵った。
「忙しいんだから、どっか行きなよ」
坂野咲が染めた髪の毛を?き揚げながら言った。
「川本さんも、そう言って掃除さぼってるじゃん」
机の上に腰掛け足をぶらつかせている少し顎がしゃくれた斉藤が言った。
「携帯電話持ち込み禁止よ、わかってるの」
「川本お前、本当にうっせえんだよ! どっかいっちまえ」
石田が触っていた携帯電話から目を離し言って来た。
「後で後悔するわよ」
そう言って翔子は身を翻した。
「それは、こっちの台詞」という声が後ろで聞こえた。
他の生徒は、見てみぬ振りをしていた。
翔子は、その足で職員室に向かった。
その後、あの六人は携帯電話を取り上げられたのだった。
「ねえ、川本さん――川本さんも、不要な物くらい持ってきてるでしょ?」
肌の色が白く目鼻立ちも整い四人の中では一番スタイルもいい徳本リカが翔子の机に両手を付いて問い詰めてきた。
「不要な物?」
翔子は、下から射るような視線で見上げた。
「川本さんも不要な物もって来てないか身体検査しようと思うの」
徳本リカの横にいた 坂野咲が茶色に染めた髪の毛を掴み 自分の顔の前に持っていき、その髪の毛を見ながら言った。
小島麗子と斉藤京香は、腕を組みながら薄笑みを浮かべていた。
「一時間目は自習だし調度いいしね」
そう言って、徳本リカは翔子の肩に手を置いてきた。
その手を、翔子は跳ね除け 徳本リカを睨んだ。
徳本リカは、顎をしゃくって何かを指示した。次の瞬間、残りの三人が翔子を椅子から引きずり降ろした。椅子が倒れ 激しい音がした。
「ちょっと、やめてよっ」
翔子は、床にしりもちをつく感じになった。教室の二つの入り口には、岡谷と石田が見張り役で立って見ていた。
既に、六人は相談済みだった。
「はいはい、身体検査だから脱ごうね」
そう言いながら徳本リカは、翔子の制服の緑のリボンを引き抜いた。
引き抜いたリボンを、翔子の両腕を押さえている小島麗子と斉藤京香に渡した。
そのリボンで、翔子の腕を縛る手はずなのだ。徳本リカは、翔子の後ろに回り込み制服の裾を掴んで上に捲り上げた。
さらに掴んだ制服をそのまま上に引き上げた。制服は、翔子の頭からすっぽり抜けた。
翔子は白いタンクトップ姿になった。徳本リカが、続いてそのタンクトップの裾を掴んでたくし上げたとき白い腹が見えた。そして、そのまま上に引き抜いた。
着ている物を引き抜かれるたびに翔子の後ろの束ねられた髪の毛が跳ね上がっては左右に落ちた。
水色のブラジャーが見え、それを見ていた男子生徒から歓声が上がった。
そのとき、自由になった両手で前を隠したが、すぐに後ろの二人に腕を取られ後ろ手に回された。
次に、徳本リカは履いていたスカートの横のホックをはずした。
坂野咲が足の方から引っ張り、一気にスカートを足から引き抜いた。翔子は、上下おそろいの水色のブラジャーとパンティの下着姿になった。
見ていた男子も歓声を上げるのを忘れて食い入るように見ていた。
そのとき徳本リカは、いきなり叫んだ。
「さああて、ここで多数決を取りまーす。これで、やめてほしい人、挙手」
さすがに、「かわいそうだから――もうやめようよ」という声が女子から上がった。
女子は、ほぼ全員手を上げた。男子の数人が不満顔になっている。
徳本リカもこの意外性に不満だった。男女とも多かれ少なかれこの翔子から注意程度は、受けているはずだから 勝算はあるだろうと見越した多数決だった。
これほど女子が手を上げるとは思わなかった。
徳本リカは迷った。まだ負けたわけではないのだ。
男子が全員上げ、徳本リカ達の四人が挙手すれば、こっちの勝ちだと思った徳本リカは、勝負に出た。このクラスの男女は、同人数いた。
「じゃ、続けてほしい人、挙手」
男子の半分程度が手を上げただけだった。
残り男子は、どちらの選択にも参加していなかった。
先ほど挙手をした女子が手をたたいて歓んだ。女子の方が断然多かったのだ。翔子の顔に安堵の表情が戻った。
徳本リカは、一瞬顔が険しくなった。
「それじゃ、川本さんの代わりに誰か変わってくれる人」
イタズラっぽく 笑いながらそう言うと、周りを見渡した。
さすがに、挙手をした女子連中も顔を伏せた。
「川本さんの代わりが、いないみたいねぇ」
また、イタズラっぽく言って翔子の頭を撫ぜた。翔子は、徳本リカの手をよけようと頭を左右に振った。
「多数決じゃなかったの」
翔子は、こんな不合理なやり方に憤り 徳本リカの顔を睨みながら抗議した。
「多数決だったんだけど、せっかくの男子のお楽しみを取り上げたらかわいそうでしょう?」l
そう言って翔子から目線をはずした。
初めから、辞めるつもりなんかなかったのだ。
「じゃあ、続きいってみよう」
徳本リカの掛け声で、小島麗子、斉藤京香、坂野咲が「おー」と歓声を上げた。
それにつられて一部の男子からも歓声が沸き立った。
後ろのホックに手が掛かったのがわかった。
「いやあっ、やめてー」
翔子は、叫び、体を揺すって抗った。そのとき後ろから回してきた掃除用のタオルが翔子の口に当たった。坂野咲が口に猿轡を噛ませようとしていた。
タオルの端が頭の後ろから引っ張られ口の前のタオルが翔子の口に食い込んだ。口腔に掃除用タオルが入り何とも言えない味と汗くさいような臭いが充満した。
タオルが食い込んだ口で叫んだ。しかし翔子の口からはくぐもった声しか聞こえなかった。
猿轡を噛まされていては声にならなかった。教室では、もう誰も翔子を助けようとするものがいなかった。
それどころか、男子生徒が興味本位で立ち上がって見ていた。数人が持ち込み禁止の携帯電話を手に持っていた。
この様子を撮ろうと翔子に向けられている。「せっかくの男子のお楽しみ」とはこのことだったのだ。
これも、岡谷と石田の仕業だった。おもしろいものを見せてやるからと 既に男子生徒に言い触らしていたのだった。
後ろのホックも外された。そして、肩に掛かっていた紐をずらされた。
翔子は、無我夢中で暴れたが、いくら相手が女といえども四人の力には、到底かなわなかった。
徳本リカは、いざとなったら入り口を見張っている岡谷と石田を呼ぶつもりだった。
四人がかりで、翔子からブラジャーを剥ぎ取った。
十四歳のまだ発育途上のような 二つの胸の膨らみとその先端にあるピンクいろの乳首の突起が見えた。そのとたん、シャッターの切れる音や電子音が一斉に鳴り響いた。
後ろに腕を回され、さらに先ほど翔子から奪った緑のリボンで 翔子の手首を交差させ縛り付けられた。翔子は、胸を突き出す感じになっていた。
「では、最後いきまーす」
その言葉を聞いて、翔子は顔から血の気が引いていくのがわかった。後ろ手に縛られ、足を押さえつけられていた。翔子は頭を左右に振り 体を揺すって抵抗し続けた。
徳本リカは、翔子が着けている最後の一枚のゴムの部分に手を掛け脱がそうとしたが 翔子が座っている状態のためうまく脱がせないと判断した、徳本リカは、小島麗子、斉藤京香、坂野咲らに仰向けに押さえつけるように指示した。
翔子は、そうはさせないというように体をねじり抗った。
しかし、それも及ばず、呆気なく四人に押し倒されてしまった。
徳本リカは、翔子の最後に残った水色の パンティのゴムの部分に指を掛け一気に引き下ろした。
白い肌に 股間の少量の黒い茂みがあらわになった。
男子たちの視線が 茂みがまだ完全に生え揃っていない股間部分に集中した。
また、シャッター音や電子音が鳴り出し、さらに回りを囲まれた。顔中が真っ赤になっていた。「見ないで」といったが猿ぐつわを噛まされているため声になっていなかった。
最後の一枚と靴下まで剥ぎ取られた翔子は、生まれたままの姿で 四人の女子に押さえ付けられていた。
体の下になっている後ろてに縛られた痛いはずの手も 恥ずかしさでわからなくなっていた。
次に翔子の上半身と両足を四人に別れて押さえつけられ、片方づつ足を持っている二人がその足を左右に拡げようとしてきた。翔子はそれだけはさせないと全身を使って抗った。
さらに、もう一人が加勢した。
翔子の膝を曲げてから大きく左右に拡げた。男子達が一斉に押し合いながら翔子の足元へ移動した。
女の一番見せたくない部分まで晒されてしまった。
男子達の大半がその女の見せてはいけない部分を携帯電話で撮影するのも忘れて見つめた。そして思い出したように一斉にシャッター音や電子音が鳴り響き出した。
スカートの下から下着を見られるのだけでも恥ずかしいのに、下着どころか隠す布 一片すら身に着けずさらに一番見せてはいけない股間のその部分までクラスメートたちの目に晒されてしまっているのだ。
もう、死んでしまいたいと思った。
悔しさと恥ずかしさで気が変になりそうになった翔子は、瞼をきつく閉じた。
2
翔子は、扉をノックするのも忘れて職員室に駆け込んだ。入った瞬間、一斉に教師全員が顔を上げて翔子を見た。
担任の上坂陽一が、机から立ち上がった。自分の受け持つ生徒が血相変えて入ってきたからだ。
「どうした、川本」
「あのー」
そう言ってから、翔子は周りの教師を見た。
それを察した上坂が、職員室内にある 囲いで作られた簡易な部屋のようなところに先に入った。
翔子も、そのあとに続いた。囲いといっても ベニヤいたを合わせた 厚さ三センチ程度のもので、そこに茶色のソファーと机があるだけだった。上坂が先に座った。翔子にその向かいに座れ というように手で合図した。
「どうしたんだ」
上坂は、膝の上で手を組んだ。
担任の上坂は、校長室の扉のまえにいた。
先ほどの川本翔子の件を報告するつもりだった。
茶色の大きな扉だった。「校長室」と表示されている扉を上坂は、ノックした。
中から返事があった。
上坂が校長室に入ると、机の椅子に座って新聞を見ていた校長の浜田孝雄が、眼鏡の上から上坂を見た。
校長席の後ろの棚にはトロフィーなどが並んでいる。
「どうしました?上坂先生」
上坂は、事情を説明した。
浜田は、校長の席から立ち上がり 前にあるソファーに腰を下ろした。
肥満気味の体の重みでソファーが沈んだ。
その向かいに上坂が腰を下ろした。
上坂から事情を聞いた浜田は、まるで振り子の虎のように首を小刻みに振りながら上坂から視線をはずした。
「まずいな、それは」
上坂に視線を戻すと低く唸った。事なかれ主義の浜田にとってそのような事件は、一番恐れていることだった。
「もし、教育委員会にでも知れれば、大事で済まないだろうな」
浜田は、膝に置いていた手をテーブルの上で組んだ。
「一応、川本には 他の生徒達が持っている携帯電話の写真なんかを削除させるとは言ってあるのですが」
それを聞いた浜田は、眼鏡を外しテーブルに置いた。
「上坂先生は、何組の担任でしたかな」
「二年四組です」
そう言って上坂はテーブルを見つめた。
「四組全員が、この事を知っているということですな」
浜田は、大きくため息をつきソファーにもたれた。
「四組の誰が、携帯電話で撮影したかなんて多分、特定は無理だろう」
浜田はソファーにもたれ掛かっている体を起こした。
「上坂先生、くれぐれも四組の生徒達に写真などを 撮影したものは削除するように言って頂きますか」
「わかりました。何とかやってみます」
上坂も大きくため息をしてから、小さく首を上下に振った。
浜田は、再びソファーにもたれた。肘掛けに置かれた手の指先がとんとんと、テンポよく動いている。
「後は、そのお 誰だったかな生徒は」
「あ、川本です、川本翔子です」
「その生徒が、両親に言ってしまえば終わりだな」
「両親は、教育委員会に報告するだろうし、教育委員会が動けばマスコミまで動き出す恐れがある」
「そうなれば、生徒やこの学校の名に傷が付く恐れもあるから なんとしても表ざたになることだけは避けなければ」
浜田は、上坂に対して建前上 そう言っておいた。
浜田にとって 学校の名に傷が付くより浜田の立場も危うくなるのを恐れた。
長い教師生活を経て、この校長の座に着いたのだ。
この件をなんとしても封じてしまいたかった。
校長である浜田に 監督不行届という名目で必ず責任を取らされる形になる。
教育委員会がこの件を知ってしまうことは、絶対に避けなければならなかった。
「上坂先生、その、 川何とか言う生徒」
「川本です」
「そう、その生徒を今ここに呼べないかね」
浜田は、ソファにもたれ掛かっていた体を起こし、指を下に曲げ 小刻みに上下させテーブルを指差した。
上坂は首を傾げ、少し考えてから視線を浜田に戻した。
「多分、呼べると思います」
浜田にとって、川本翔子にそのまま帰られるのは、まるで浜田の首にロープを巻きつけ 絞めながら帰るのと同じだった。
上坂に促され翔子は、校長室に入った。翔子は、振り返り上坂に救いを求めたが上坂は、手を差し伸べて 翔子に浜田の方に行くように薦めてから、そのまま校長室を出て行った。
浜田はソファーに座っていた。顔を上げ翔子を見ると、まあ、お掛けなさいと 向かいのソファー向いて 手を差し出した。
「大変な目に合ったね。――この件は、私が何とかしよう――すべてを任せてもらえないかな」
浜田はもみてをしながら、翔子をすくい上げるように見つめた。
「確かに、君にとっては本当に大変なことだと私達には痛いほど良く分かるよ」
浜田は、自分の胸に手を当てて言った。
「しかしね、この事が始めは、これくらいだとしよう」
浜田は、両手を合わせ輪を作った。
「それが、外に漏れていくほど、どんどん広がって話も大きくなっていくんだ」
両手で作った輪を 広げてみせた。
「ここで、君が我慢してくれれば、君のクラスも…いや、学校の生徒全員が何の影響も受けず、今まで通り学校生活が続けられるんだ」
浜田は、必死だった。
「どうかね、つらいのは分かるが我慢してもらえないかね――この事が、ご両親にも分かれば、さぞかしご心配なさるだろう」
浜田は、俯いて何も言えずにいる翔子の肩に手を置いた。
「君もご両親に心配かけたくないだろう」
「ん?」
浜田は、小首をかしげ翔子を見た。翔子は、仕方なく小さく頷いた。
「うん、うん」
「後は、私達に任せなさい」
そう言って翔子の肩を、二三度軽く叩いた。浜田は、満足げな顔になった。
次の日、翔子は、重い足取りで学校へ行った。昨日のことを思うと教室に入る気がしなかった。
校門を入ってすぐに雰囲気がおかしいのに気がついた 校庭を歩いているほとんどの生徒が、翔子に注目しているのだ。
さっきまで歩いていた生徒も立ち止まって 翔子の方を見ている。
二三人、固まって見ているものや、
翔子に向かって指差しをしている生徒もいた。玄関まで歩く間に翔子は、いやな予感がした。
翔子は、下駄箱を開けた。そのとき一枚の紙切れのようなものが、ひらりと落ちた。
それを、翔子は拾った。それは一枚の写真だった。
その写真を見て愕然とした。裸の自分が写っていたのだ。
翔子は、あのときの徳本リカと岡谷文也が言った言葉を思い出した。
「先生に言わないのならこのままこのクラスで止めておいて上げる――でも、少しでもチクったら」そう言って岡谷と徳本リカが薄笑みを浮かべていた。
しかし、悔しさのあまり あの後、翔子は職員室に向かったのだ。
先生は、画像や動画は消すように言っておくといった はずだった。
結局消したのは、ほんの一部の生徒だけだったのだ。
このことが徳本リカ達の耳にはいればただで済ますわけがなく、画像や動画を消してないものを探し出し 一人でも残しているものを見つけると 脅してでも学校中にばら撒くように指示するか 最悪の場合、投稿を強要するだろう。
たとえ強要しなくても興味本位の男子生徒達が徳本リカ達に声を掛けられるだけでその行為に参加する可能性もあるのだった。
先生達に相談したことが、そもそもの間違いだったのだろうか、それとも、何もせず自分が騒ぎ立てなければことが収まっていたのだろうかと翔子は思ったが、徳本リカ達や撮影した生徒が その画像や動画を持ったまま大人しくしているとは思わなかった。
携帯電話のカメラで撮影したその画像をプリントしたのは間違いなかった。
翔子は、はっとしたように写真から顔を上げた。そして隣や周りの下駄箱を開けてみた。
同じ写真が入れられてあった。翔子は、すべての下駄箱を片っ端から開けてみた。
吊り下げ式の下駄箱の蓋が締まる音が慌ただしく鳴り響きながら移動する。
写真が入っているところや、無いところもあった。無いのは既に、持ち去られていた。残っていた写真をとりあえず回収した。
その様子も、他の生徒と他の学年の生徒が見ていた。
翔子の写真を学校中にばら撒かれたのだ。
翔子の顔から血の気が失せた。
「動画を見せてもらったよ」
その声がするほうに翔子は視線を向けた。
下駄箱で、呆然としている翔子に向かって 別クラスの男子数人が言ってきた。
「最悪だな、あんなところに投稿されるなんて」
「世界中の人に、私の裸を見てと言っているようなもんだな、あれじゃ」
隣にいたもう一人の男子生徒がニヤケがおで言った。
翔子は、信じられないというような顔で彼らを見つめた。
「嘘だと思うのなら一度その写真の裏のサイトにアクセスしてみなよ、自分のヌードを拝めるから」
そう言ってその男子生徒二人は、笑いながらその場を立ち去った。
翔子は写真を裏返しにしてみた。
白地の裏には、『動画を見たいかた』と書いて 動画サイトのURLが記入してあった。恐れていたことが現実になってしまったのだ。
学校中に写真をばら撒かれただけでなく、インターネットを通じてあの動画を流されたと聞かされ 翔子の頭の中が真っ白になった。
翔子は、校舎の玄関から飛び出し、校門向いて校庭を走った。
羞恥心と悔しさそして怒りが押し寄せてきて涙が溢れてきた。走っている翔子の顔に涙の筋が後ろ向きに流れていった。
まだ何も知らずに登校してくる生徒が何事かと翔子を注目した。
翔子にとってすれ違う生徒全員が、翔子を好奇の眼差しで見ているように思えた。
家に帰ろうと思い、電車に乗った翔子だったが 周りの客まで自分を好奇の目で見ているように思えて 思わず途中の駅で降りてしまった。
翔子は、降りた駅のホームの椅子に 俯いて座っていた。ときおり涙が溢れてくる。その涙をハンカチで拭った。
なんとか翔子は、家まで帰り着き玄関の前で顔に涙が付いてないか、もう一度ハンカチで拭った。
玄関を開け 中に入った。
「どうしたの」
台所にいた母親の幸子が、いつもより早い翔子の帰りに疑問をもち聞いてきた。
「ちょっと、頭が痛いだけ」
心配かけたくなかった翔子は嘘を言って二階の自分の部屋へ上がった。
「お薬 飲みなさいよ」
下から母の声がした。うんとだけいって自分の部屋に入った。女の子らしいかわいい模様の部屋だった。向かって左の角には勉強机、右側にベッドが置いてある。
翔子は机の前に座りノートパソコンを開いた。
ノートパソコンは、誕生日に買ってもらったものだった。
勉強に使いたいからと両親に以前から言っていたのだ。
調べ物があれば、大抵これで解決出きるので翔子には重宝していた。
写真の裏の海外サイトにアクセスしてみた。すぐにそのサイトが開いて自分の動画らしいサムネイル写真があった。そのサムネイルをクリックしたら動画が始まった。通常、そういうサイトにアクセスしても多数のサムネイルが並んでいるのだが、目的の動画のサムネイルを選んでからそのURLをコピーするなりすれば 直接目的の動画を観ることができるのだった。
翔子は急に息苦しくなった。モニターに映っているのは、正真正銘の翔子だった。
教室で上の制服だけ脱がされた翔子の姿が映っていた。
その後、映像は全裸にされ最後は足を大きく開かせられている。両足を開かされた股間部分がアップで映っている。いたたまれなくなり翔子はノートパソコンを閉じた。
「絶対にゆるさない」
翔子は、つぶやいた。
自分をあのような辱めに合わせた連中をゆるせなかった。
しかし、今の翔子には何の力もなかった。校長の話が、頭を過ぎった。
翔子に、今回の事を我慢し、親にも言ってはいけないという、あの校長の話に合点がいかなかった。
翔子は絶望感にさいなまれた。無気力になり、部屋を出た。
「大丈夫なの?」
一階に降りたとき、母親の幸子が聞いてきた。
「うん、大丈夫ちょっと、出かけてくる」
「ねえ、着替えないの?」
制服姿のまま出て行こうとする翔子に母親の幸子は言ったが、その言葉は翔子の耳には入っていなかった。
翔子はそのまま玄関に向かった。
母親の幸子は、少し元気が無い翔子が気がかりだった。
家を出た翔子は、ふらふらと目的もなく歩いた。
どれほどあるいたのかわからないが 気がつけば、マンションの前まで着ていた。それほど、新しいマンションではなかったが、そのマンションを翔子は見上げた。九階か十階くらいある。マンションの入り口は、オートロック式では、なかった。
翔子は、その入り口から入りエレベータに向かった。エレベータが降りてきて扉が開くと買い物に行く主婦が降りてきた。
主婦は、セーラー服の翔子を一瞥しただけで特に気にかける様子もなくマンションを出て行った。
このマンションは、十階までは エレベータで上がることが出来るが その上の屋上へは、階段で行くようになっていた。
翔子は、エレベータで十階まで上がり、後は階段で屋上へと上がった。
階段は薄暗く人の気配もなかった。
屋上に出ると日差しがまぶしく 翔子は目を細め周りを見たが そこにも人の姿もなく誰もいなかった。
広場を突っ切り落下防止柵の前まで行き立ち止まった……
3
近くで救急車のサイレンの音がした。マンションの前には、人だかりが出来ていた。少し距離をおいて三人の主婦が口に手を当て、ことの成り行きを見ていた。
「すいませーん、下がってください」
二人の救急隊員が、人だかりを分けて倒れている少女のそばで屈んだ。
救急隊員の貝田智弘三十歳と井村耕平二十七歳の二人だった。二人は、すぐに少女の様態を診た。
翔子は、ゆっくりと意識が戻って来るのを感じていた。
しかし自分がなぜここにいるのかわからない。翔子は、記憶を辿ってみた。
確かマンションの屋上から飛び降りたはずだったことを思い出した。
自分は死ねなかったのだと思った。そのとき周りがざわついているのに気づき それは声だとわかった。大勢の人が翔子の周りにいるのが感じる。
口々に何かを喋っているのはわかるが個々の言葉までは聞きとれなかった。
翔子は目をあけようとしたが瞼が開かない。手足に感覚がない、それどころか体にも感覚がなかった。
今の体の状態すらわからなかった。しかし意識は、はっきりしている。
「すいませーん、下がってください」
周りのざわつきの中から男性の声が聞こえるというか 直接頭の中に響いている感じだった。
傍に人が来たのが気配でわかった。
倒れている少女の傍にかがみ込み、脈拍を確認するため その少女の細い首の頚動脈に触れた瞬間 救急隊員の井村の意識が無くなった。しかし、井村は倒れもせず、屈んだ状態のままだった。
翔子の目の前が急に明るくなり、はっきりと目の前のものが見えてきた。白いセーラー服を着た少女が横たわり、その少女の首の辺りに手を当てている。
翔子は前に倒れている少女の顔に視線を移した。
それは紛れもなく翔子自身だった。
たった今、この前にあるマンションの屋上から翔子は飛び降りたはずなのだ。
翔子はマンションを少女の首に手を当てたまま見上げた。
確かにあの屋上から飛び降りたのは覚えていた。そして今、翔子の目の前に翔子の身体をした少女が倒れているのだった。一体、何があったのだろうか 翔子は混乱した。
俯いて自分の姿を見た。白衣のような服を着て、顔にはマスクを着け、頭にも何か被っている。
翔子は手で、被っているものに触れた。それはヘルメットだった。
「おいっ 井村」
そのとき、隣で少女の呼吸を確保していた貝田が、怒鳴った。
少女の脈はくを、既に確認しているはずの井村が少女の首に手を当てたまま 何の行動も起こさないのを不審に思った貝田が声を掛けた。
翔子は、自分が呼ばれているとは少しの間、分からなかった。
「井村っ!」
翔子は、とっさに声を掛けた隣の男性を見た。
その男性もマスクを着けヘルメットをかぶっている。服装も同じだった。
その男性の視線が 翔子に向けられていた。
「あ、 はい」
翔子は、自分が呼ばれているのだと気づき返事をしたがそのとき発した声が男性のものだったので思わず手を口に当てた。
「大丈夫か、井村」
「あ、はい、大丈夫です」
隣の男性は翔子のことを『イムラ』と言った。
そのとき翔子は、自分は男性に生まれ変わったんだと思った。それも救急隊員の『イムラ』という男性に。
人間は、死んだら生まれ変わると聞いたことがあるが、これほど早く それも成人男性になるなんて 以前の記憶もそのまま残っているのにと考えていたときに声が掛けられた。
「脈拍は、どうだ?」
隣の男性が聞いてきた。翔子は、そのことを考えていたため まったく耳に入っていなかった。
一瞬間が空いた。
「えっ?何ですか?」
何かを聞かれたような気がしてその男性を見た。
「脈拍だよっ!脈拍」
隣の男性は呆れ顔で言い放った。翔子は慌てて倒れている少女の手首を掴んだ。
脈拍は、学校の保健体育のときに測ったのを覚えていたのでその要領で脈拍を測ってみた。当然、少女の脈拍は無かった。
「脈拍、ありません」
翔子はありのままを言った。それを聞くと隣の男性は一瞬、相棒の返答がいつもと違うのと 脈拍は頚動脈で確認するはずが 手首に手を当てているので首をひねった。
「よし、心臓マッサージだ」
そう言われて翔子は、またもやうろたえた。心臓マッサージの経験なんてあるはずがなかった。
翔子が、何もせずおろおろとしていると 隣にいた男性が翔子を押しのけた。
「もういい、俺がやる」
男性が少女の胸を両手でマッサージし始めた。翔子は、その横で何をして良いのかおろおろするばかりだった。
「よし、救急車に乗せよう」
そう言って近くに準備してあった担架に翔子の身体である少女を乗せ、 そのまま救急車に乗せ終えた。その後、警察が来て もう一人の救急隊員と話している。
「よし、行こう」
もう一人の救急隊員は、運転席側に回り病院の手配をした。
翔子は、内心ほっとした。十四歳の翔子が車の運転なんて出来るはずがなかった。
救急車は、病院に急行した。「救命処置をしろ」と頼まれたが何をして良いのかわからない翔子は、救急車の後ろで横たわっている自分を見つめていた。
横たわっている自分の身体の手を掴み上げ、自分である救急隊員の頬にあてがった。冷たさが 頬全体に広がった瞬間、涙がこみ上げてきた。そして翔子は目の前に冷たくなって横たわっている自分の顔を見て「ごめんね」と小さい声で自分の身体に誤り、俯いて泣いた。涙が頬を伝った。
それから涙を拭うと顔を上げ、翔子を死に追いやった連中のことを思い出した。一気に連中に対する憎悪が膨らんだ。
「絶対に許さない――このままでは終わらせない」
翔子は一点を見つめ心に誓った。
病院に自分の身体を降ろした翔子たちは、救急車に乗り込んだ。翔子は、助手席に座った。
運転席に着くと横の救急隊員は、ふーっと一息つくと、翔子を見た。
「やれやれだな、ところで井村――今日はちょっと変じゃないのか、どうしたんだ」
救急車が動き出し病院から道路に出ようとしていた。
「あ、いえ、大丈夫です」
頭を下げ翔子は苦笑いし少し考えた。
翔子は外の景色を見ていたが、ふと 横の男性の名前が気になったので横の男性の名札を、さりげなく見た。『貝田』と書いてある。
俯いて自分の名札も見た。『井村』と書いてあった。翔子は、救急車の外を見た。左のバックミラーに翔子である男性の顔が写っていた。
キリッとした眉毛、くっきりした二重瞼の目、薄い唇、小さな顔、翔子にとって理想の男性だった。翔子は顔を撫ぜてにんまりと笑った。
バックミラー越しに、笑みを浮かべる井村を見て貝田は、思わず引いてしまった。
署に戻ると貝田は、翔子に棚の引き出しから一枚の紙を出して渡した。
「報告書を書いておいてくれ」
それを手にした翔子は、その紙を見た。
年月日から始まって、場所とか時間その他いろいろ書き込むところがあった。近くにある机の椅子に座り翔子は分かるところだけ書き込み頭を抱えた。空欄の部分の書き方がわからない。
ふと視線を横に移した。同じ紙が 何枚か積み重ねてある。翔子は、周りに人がいないか確認してから、その積み重ねてある紙を一枚取り空欄の部分にその紙に書いてあるとおりに写した。幸い貝田は、どこかに行ったのかここにはいなかった。
少しすると貝田が戻ってきた。
「井村、お前は上がれよ」
そう翔子に言って別の部屋に入っていった。
貝田の言った言葉が分からなかった。翔子は、首をかしげながら「あがれよ」の意味を探していた。
翔子は二階に続く階段を見上げていた。
「二階に上がればいいのかな」
つぶやいて翔子が階段を上がりかけると、貝田が部屋から出てきた。
「おい、帰らないのか? 綺麗な奥さんが待ってるんだろ――新婚は、いいよな」
そう言って翔子の肩を叩き、外に出て行った。
「新婚?私って、結婚しているの?」
翔子は怪訝な顔になり少し考えてから、制服の胸ポケットをまさぐった。
左のポケットの中に何か入っていた。それを出し 手に取った。定期入れのようなものだった。
翔子は、その中のものを出した。消防隊員の証明書のようなものや運転免許証、後は訳のわからないものも出てきた。
その中に一枚の写真が入っていた。その写真を手にとって眺めた。この井村という男性と髪の毛を後ろにアップした綺麗な女性が写っている。井村という男性が女性の肩に手を回して二人はにっこり笑っていた。
「これが、奥さんなんだ――確か、新婚って言ってたよね」
「私っていつ結婚したんだろう」
そうつぶやいてから、帰る支度をしようと思いまた、考え込んだ。
制服を着替えなければいけないのではと、翔子は周りを見た。先ほど貝田が出てきた部屋の前に行ってみた。扉のところに更衣室と書いてある。翔子は、その部屋に入った。
ロッカーが三列並んでいた。翔子は、ロッカーに付いている名前を確認しながら順番に『井村』という名前を探した。真ん中の一番奥に、名前があった。
その中の私服を出し、とりあえず着替えることにした。
男性と女性ではボタンの位置が左右逆になるので一瞬、翔子は戸惑った。
私服に着替えた翔子は、先ほどの運転免許証の入った手帳を出し住所を確認した。
その住所を見て驚いた。翔子の家のすぐ近くだったのだ。
「免許証って、ことは車があるのか」
今度は、車のキーを探しだした。
それはすぐに見つけることが出来た。ズボンのポケットに入っていたのだった。翔子は、外に出て周りを見渡すと左手に自家用車らしき駐車場があった。
ポケットから車のキーを出し駐車場に向かった。
車のキーに付いているロック解除スイッチで遊んで 翔子はよく父親に怒られた記憶があった。
駐車場にいった翔子は車のキーを手に持ち、車が並んでいる真ん中までいき、キーを持ったまま両手を上にあげ輪を作った。そしてロック解除スイッチを押すと後ろの方で、電子音が鳴りウィンカーランプが点滅した。
この方法は、一度テレビでやっていたのを見て知っていた。通常で解除出来る距離より離れた場所から出来るのだった。翔子は、車に乗った。車のキーをハンドルの横に差し込み回すのも知っていた。しかし、エンジンが掛かったことがわからずセルモーターを回し過ぎてしまった。
真ん中のレバーをPの位置からDの位置に動かすのも知っていた。Dの位置に移動させようとこころみたが、レバーが動かない。
「あれ、なぜだ」
父親は確か前進するのはDと言っていたはず。父親が言っていたことをよく思い出してみた。何かを思い出し翔子は、はっと頭を上げた。
「そうだブレーキペダルを踏まなければレバーは動かないんだ」
ブレーキペダルを踏みレバーをPの位置からDの位置に持っていった。今度はDの位置に簡単に持っていくことが出来た。そしてブレーキペダルを離した。
しかし、車は動かなかった。翔子は、父親に嫌がられるほどいろいろ聞いたはずだった。
そのときのことを思い出そうとしていた。レバーの文字の意味…L1…L2…N…D…Rそして、ペダル類も教えてもらってあった。
「これがアクセル、これがブレーキ」
翔子は順番に踏みながら確かめた。もう一つ左にペダルがあった。
「そうだ、これがサイドブレーキだ」
思わず声を上げた。
翔子はサイドブレーキをはずすのを忘れていたことに気づいた。一番左についている小さいペダルだった。それを、翔子は踏んだ。カチッと音がしてペダルが上にあがった。
翔子は、もう一度ブレーキペダルを放してみた。
車は、エンジンが掛かっているためクリープ現象が起き、ゆっくりと動き出した。その状態でハンドルを切り出口付近まで移動した。
駐車場の入り口が 前方にきたとき、翔子は加減が分からずアクセルを床に着くほど踏み込んでしまった。車体のフロント部分が浮き上がりタイヤを軋ませ急発進した。翔子は焦った。フロントガラスから見える前の道路が一気に迫ってくる。道路では車が往来していた。道路と駐車場を挟んで歩道があった。
翔子は、慌ててブレーキペダルを思いっきり踏み込んだ。車は、前のめりになりタイヤを軋ませ 歩道ぎりぎりのところで止まった。
翔子は、ハンドルを抱くようにして握り、目は前方を凝視して肩で大きく息をしていた。
気を取り直し、もう一度大きく深呼吸をしてから、ゆっくりと駐車場を出た。
翔子はハンドルを左に切って道路に出たがハンドルを戻し忘れ歩道に乗り上げそうになりまた慌てて右にハンドルを切った。
車は蛇行運転になった。何とか一般道に合流することが出来た。しかし翔子は先ほどのことがそうとうのショックとなり恐怖でアクセルペダルを踏めなくなってしまっていた。
後ろの車が、右に車体を出し、ゆっくり走る翔子の車にイラついていた。翔子の車の後ろには長蛇の列が出来ていた……
4
家の近くまでようやく帰れた翔子は、耕平の免許証の住所あたりまで来て車を止めた。
車は道路の端ではなくほぼ真ん中だった。運転が初めての翔子には道路の端いっぱいに着けることが不可能だった。
翔子は車を降り 見慣れた景色を見た。もう少し行くと自分の家がある。免許証の住所だとこのあたりのはずであった。
翔子は周りにある、表札を見て回った。ふと気付くと二階のベランダから翔子を見下ろしている主婦がいた。翔子は、怪しまれていると思い、その場を離れ主婦からの視線から逃れた。
主婦の視線から逃れた翔子は、立ち止まり誰も自分を見ていないか辺りを見回した。
翔子は誰も自分を見ていないことがわかると一息ついて何気なく横にある家の表札を見た。その表札には『井村』と書かれてあった。
翔子はこの家の前を自転車で何度か通ったことがあったがそのときは、意識もせず、ただ通り過ぎていただけだったのでゆっくり見ることもなかった。
その家は、ごく普通のどこにでもあるような家であった。白い外装と高さが一メートルくらいの、これも白い柵だった。門を中心に左右に伸び、その柵沿いに綺麗に植木が植えられてあった。
柵の切れたところにガレージらしきスペースがあったが免許の持っていない翔子に、入れるのは到底無理であった。
翔子は門のところにある呼び鈴を押しかけ留まった。翔子の父親は、家に入るとき呼び鈴など鳴らしたことなどなかったからだ。
翔子は、そのまま門を開けて玄関先に入った。夜だけ鍵を掛けるのだった。涼子は、家の中にいた。
涼子がリビングでいると玄関の扉が開く音がした。夫の耕平なら、車の音で分かるはずだった。
しかし、ガレージに入れる車の音がせず、セールスなら門の呼び鈴を押すはずだと思いながら涼子はリビングのソファから立ち上がった。
そして、足早に玄関に向かった。そこには、間違いなく夫の耕平が立っていた。
「お帰りなさい」
翔子は、家の奥から走って来て挨拶した女性を見た。さっき、消防署で見た写真の女性だった。
小さい顔に、目鼻立ちが整い綺麗な顔立ちだった。今日は髪の毛を下ろしていた。まさに美男美女の夫婦だと翔子は思った。
「どうしたの?」
涼子は、玄関で突っ立っている耕平に尋ねた。
はっと、われに返ったように翔子は、「あっ」と小さく声を出してしまった。
「た、ただいま」慌てて言った。
玄関を上がり、綺麗に掃除されたフローリングの床を奥の方に向かって歩いた。
歩いていくと左側に階段があった。翔子はその階段を、ちらっと見てそのまま奥に進んだ。
涼子は、普段なら左側にある階段を上がって着替えるはずの耕平が階段を上がらず奥のリビングの方へいくので思わず首をひねった。
翔子がリビング近くまでいくと 後ろから涼子の声がした。
「着替えないの?」
「あ、そうだった」
翔子はと思い出したように言って涼子の方を振り返った。
涼子は、階段の手前で止まっていた。涼子の止まっていた位置を見て、着替えは二階なんだと察知した。
翔子は、二階の踊り場で立ち止まり 次の入る部屋を考えた。すぐに涼子が上がってきた。
「どうしたの今日は?――なんか変」
そう言って、耕平の顔を覗いて来た。
「はは、何でもないよ」
翔子は、笑って誤魔化した。
二階には三部屋あり、その部屋の一つに涼子が入っていった。翔子も続いて入った。
翔子が耕平の服を脱ぐと、涼子が着替えを持って待っていた。この光景も、何度か見たことがあった。父が服を脱いでいる間、母が着替えを持って待っていたことを思い出した。
翔子が脱いだ服を涼子に渡した。
「ねえ、先にお風呂入る?」
少し首をかしげながら涼子は聞いてきた。
「そうだな」
答えながら翔子は、返事はこんなものでいいのだろうかと考えていた。
風呂の場所は、リビング向いて歩いたとき確認済みだった。
風呂場の扉には、『入浴中』という札がかかっていた。鎖でぶら下げた楕円形の板に文字を一個づつくっつけたものだった。
翔子は、脱衣所で服を脱いだ。全裸になったとき、突然、脱衣所の扉が開いた。
翔子は、思わず腕を交差させ、胸の辺りを隠し前屈みになってしまっていた。
扉を開けた涼子は一瞬、きょとんとして見ていたが「女の人みたーい」と笑いながら着替えとパジャマを置いていった。
翔子は声もでそうになったが、何とか声だけは抑えた。
翔子は、洗い場に立った。
俯いて耕平の身体を見た。訓練で鍛えてあるだけに胸板は厚く、腹筋も割れていた。翔子は手でその感触を楽しみながら胸や腹を触りその感触を堪能していた。そのとき耕平のモノが目に入った。
小さいとき、父と風呂に入って見た記憶があるが、これほど間近に見ることはなかった。
十四歳の翔子は、一気に顔が赤くなったが興味津々だった。
それは、俯いている亀の頭のようだと翔子は思った。
腰を振って、ぶら下がっているモノを振ってみた。
邪魔にも感じた。
手で触ってみた。ふにゃふにゃしていて変な感じだった。
その下の袋状のモノも触ってみたとき学校で男子生徒が「玉打った」と言って飛び跳ねてるのを見かけたことがあるのを思い出した。それが、これなのだと翔子は思った。
触っているうちに、翔子は自分が変な気分になってきた。
耕平のモノは、ゆっくりと頭を持ち上げてきた。先ほどよりも太くなっている。
翔子は、それを凝視した。雑誌なんかに載っているのは文章だけなので想像するしかなかった。今は、それが目の前にある。
翔子は手で触ってみた。さっきとは違い亀の頭はさらに上を向き、胴体部分は凄く固かった。
翔子は、それ以上触るのが怖くなり、掛かり湯をして湯船に入った。
湯船につかり 両肘を湯船の淵にかけた。よくテレビで見かける温泉などの番組で 男性が頭にタオルをのせているのをまねしようと 頭にタオルをのせてみた。
ふーっと一息つくと、いろいろな考え事が頭に浮かんできた。
人間は、死ぬと生まれ変わるという説は聞いたことがあるが、いきなり大人の男性になっていて、それまでの成長の記憶さえも無いどころか、さっきまで生きていたときの記憶がそのまま残っているなんて 一体どうなっているのか翔子は考えた。
もし、生まれ変わり説があるなら、せめて子供のとき 物心が付いたころが普通だろうと思う。大人でさらに 経験も何も無い消防隊員なっているなんて聞いたことがない。
翔子は今日、貝田という救急隊員の言葉を思い出した。
確か貝田という男性は「今日はちょっと変じゃないのか」と言ったはずだ。
今日ということは昨日も井村というこの男性は存在しているのだ。
翔子も昨日の記憶はそのまま残っている。学校で あったあの嫌なことや、そのことを先生に相談したこと、そしてマンションの屋上から飛び降りたことすべてが記憶として残っている。
「もしかして私の身体と井村というこの人の身体が入れ代わり、私の魂が生き残り井村というこの男性の魂が私の身体に入ったとしたら」
「井村というこの人の魂が 私の身代わりになり死んだってこと?」
もしそうだとしたら、翔子はとんでもないことをしたように思えてきた。
湯船につかりながら翔子は口を押さえた。
「いや、そうじゃない」
翔子はそのことを否定しようと小刻みに頭を左右に振った。
もし、これが生まれ変わるという現象ならば、もっと世の中がとんでもないことになっているはずだと翔子は思った。
では一体、この井村という男性の身体の中にいる翔子は何なのだろうと思った。
脱衣所の扉が、また開けられた。涼子だった。
「ねえ、まだ出ないの?――もしかして、のぼせてるの?大丈夫?」
「もうすぐ出る」
とだけ翔子は答えた。
なかなか出てこない耕平が心配で涼子が見に来たのだった。
湯船から上がり、洗い場に上がった。翔子は、俯いてみた既に亀は下を向いていた。
体を適当に洗い、脱衣場に出た。脱衣場の籠の中には、綺麗に畳んだ着替えとパジャマが入れてあった。
翔子は、男性用のトランクスを顔辺りまで持ち上げ、前後にひっくり返しながら眺めた。
外で、また涼子の声がした。翔子は返事をして慌ててパジャマを着た。
翔子は涼子と向かい合いテーブルについた。色々な料理が並んでいた。翔子は、テーブルに並べられた料理に驚いたようにその料理を見回した。
涼子は前にある料理に手を付けず料理に見とれている、耕平を見て首をかしげた。
「食べないの?」
翔子は、そう言った涼子に視線を移した。
「あっ、いただきます」
慌てて、手を合わせた。翔子は、涼子に一人で全部作ったのかと聞いてみたかったが、その言葉を飲み込んだ。
「変な人――いただきまーす」
涼子は、そう言って料理に手をつけた。
食事は、母親任せで手伝いすらも満足にしたことがない翔子には、到底、作ることの出来ない料理だった。
翔子の身体とは違い耕平の身体になっているため、数倍食事量が増えていた。
食事が終わり涼子は、翔子に聞いてきた。
「今日も、お願いしていい?」
翔子は、もしかしてこれって、夜のサインのことなのかと思い顔を赤らめた。
家庭によって子供にわからないようにサインがあるということを雑誌に書いてあったことを思い出した。
「残り物は、そのままでいいよ、お茶碗とお皿は、洗ったら食器乾燥機に入れといてくれれば」
「あたし、お風呂に入ってくるね」
お願いってそういうことかと、翔子は勘違いしていた自分が恥ずかしくなった。
食器洗い程度なら翔子でも出来ると思った。
食器の洗い物も終わり、翔子はリビングでくつろいでいた。テレビを付けたとき、テレビ台の横に写真があった。
それを、手にとってみた。耕平と涼子が映っている。凄く仲よさそうだった。「耕平さんと…」
そのとき、ふと翔子は、涼子の名前を知らないことに気づいた。
帰ってからまだ名前を呼んだことがなかった。翔子は、大急ぎで二階に上がった。服の中の携帯電話を探した。
耕平の携帯電話が服のポケットから出てきた。携帯電話を片手で開いて、慣れた手つきで操作した。
さすがに十四歳の女の子だけに携帯電話は、お手の物だった。女性の名前は、『涼子』しかなかった。これだと翔子は確信した。
また、携帯電話をポケットにしまい、急いで下に降りた。
まだ、涼子は風呂から上がっていなかった。翔子が、リビングでテレビを見ていると涼子がタオルで頭を拭きながら入ってきた。
「何か飲む?」
涼子は、冷蔵庫を開けて聞いてきた。オレンジと言い掛けて翔子はその言葉を飲み込んだ。
いい大人がジュースなんておかしいと思った。しかし、翔子は、未成年なので酒類は飲んだことがなかった。
「じゃ、いつものトマトジュースでいい?」
そう涼子が言ってきた。翔子は、迷わず賛成した。トマトジュースは、翔子もよく風呂上がりで飲んでいたのだった。
翔子の前に、トマトジュースを置いた涼子は、翔子の隣に座ってきた。ベンチタイプのソファなので二人ならんで座ることが出来た。
そして、前にあるテレビを見ながら翔子は、ちらっと涼子を見た。涼子もストローを咥えたままで翔子を笑顔で見返してきた。
翔子は、笑顔を作り視線をテレビに戻した。しかし、テレビの番組の内容まで把握する余裕がなかった。
こんなときは、肩をだかなければいけないのだろうか、そんなことは恋人同士のときだろうか、結婚していたらそんなことはしなくていいのだろうか、いろいろなことが頭を過ぎった。
結局、二人並んでテレビを見て過ごした。
時計の針は十二時を過ぎていた。
「もう寝ようか」
涼子が言ってきた。翔子は、とうとう来たと思った。
「そ、そうだな」
落ち着かない様子で翔子は返事をした。翔子の視線が落ち着かなかった。
「先に行ってて」
そう言うと涼子は、使ったコップを洗いに行った。
翔子は、夫婦の部屋に入った。真ん中にダブルベッドが置いてある。
その左後ろ側に涼子が使う鏡台が置いてあった。
心臓の鼓動がどんどん早くなっていた。
翔子は、先に布団に入った。しばらくすると、涼子が入ってきて鏡台の前に座り髪の毛をとかし始めた。翔子は鏡台に背を向けて寝ていたが後ろの涼子が気になり、後ろを向き頭を上げてその様子を見た。そのとき、鏡に写った涼子の顔が見えた。
翔子は昼の顔と違う涼子も綺麗だと思った。
翔子は再び鏡台に背を向けて横になっていたときベッドが揺れて涼子が入ってきた。
そっと翔子の肩に手をかけた。
「もう寝たの?」
耕平の身体の心拍数がさらに上がった。十四歳の翔子でも経験はないが、夫婦の夜のことは大体分かっているつもりだった。
昼間もいろいろとあって疑われているのにここで応じないわけにはいかなかった。
キスくらいならと思い、翔子は涼子の方に寝返った。涼子の顔が目の前にある。心臓の鼓動がさらに激しさを増し 外からでも鼓動が聞こえるように思えた。涼子はうつろな目をしていた。
翔子にとっては、女同士のキスのように思えていた。
覚悟を決めた翔子は、生唾を飲んだ。涼子の額に掛かった髪の毛を上げようと額に手が 掛かった瞬間だった。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。翔子の目の前に 耕平がいた。手を 涼子の額にあてがったままだった。
翔子は、ベッドから起き上がった。手や腕そして身体を見た。まぎれもなく翔子の前にいた涼子の身体だった。しばらくほうけていた耕平が正気に戻った。
「えっ、何?」
「あれ?」
ベッドから体を起こし、翔子を見た。
「涼子?…ん?何だ」
「どうなってるんだ」
部屋を天井から床まで見回した。
翔子があのとき、耕平の身体に入ってから耕平の記憶は無くなっていた。
翔子も少し考えて、自分は生まれ変わったのではないことを知った。耕平の身体に憑依していたのがわかった。
「乗り移っていたんだ」
小さい声でつぶやいた。耕平は、天井を見たり、壁を見たりしながら、記憶を辿っていた。
「えーと…救急が入って 、それから少女が倒れてると電話が入ったんだ」
耕平は一つずつ指を振りながら記憶を辿った。
「少女のそばまで行ったのは憶えているんだけどな…俺、普通に帰ってきた?」耕平は、翔子の方を振り返り聞いてきた。
「ええ、いつもどおり帰ってきたわよ」
翔子は、はぐらかした。
「こんなの初めてだよな――まあ、いいか、」
そう言うと耕平は視線を翔子に向け腕を触ってきた。
立場が逆転してしまった翔子は 焦った。
「あ、私お風呂に入ってなかったから入ってくるね」
そう言ってその場を離れようとした。
「俺も入るよ」
耕平が翔子の腕を掴みながらベッドから降りようとした。
「あなたもう、お風呂入ったじゃない」
といって翔子の腕を掴んでいる耕平の手をそっと離し、ベッドを立ち上がった。
「後で、ね」
二三歩、あるいてから翔子は耕平の方を振り向き微笑みながら言った。
「憶えてないけど入ったのか」
そう言うと耕平はベッドに寝転んだ。寝転びながら少し考えた。
涼子は、自分のことは「私」ではなく「あたし」と言っていたのを思い出した。「今日の出来事といい、いったい何が、起こったんだ」
そういいながら目を閉じた。
翔子は、涼子の身体で洗い場に立っていた。
翔子は内心ほっとしていた。耕平の魂が翔子の魂と入れ代わり翔子の身体と共になくなってしまったのではないかと思ったりしていた。
しかしそれは違っていた。翔子の魂が井村耕平という人物の身体に乗り移っていただけだったのだ。翔子が身体に入っている間はその身体の持ち主は眠っているときのように意識がないだけなのだ。
この涼子という女性も 翔子が抜ければ、また意識が戻り以前の生活に戻れるのだ。
翔子は自分に憑依する能力があることに気づいた。
先程の涼子に憑依したときのことを思い出していた。
「人に乗り移るときは、おでこにさわればいいのか…では、なぜ耕平の体に憑依できたのだろう」
翔子は耕平の体に憑依したときのことを思い出そうとした。
そこで、はっと翔子は気づいた。
「確か耕平さんの体に入った瞬間、私は自分の首の部分に触れていた…涼子さんのときは、おでこということは首を含む上の部分に触れれば憑依できるのかも」
少し考えて翔子は頭を傾げた。
「ん、確か救急車の中で死んでいる翔子の手を掴んでこの耕平さんの頬に当てたとき何も起こらなかった、そうか、死んでいる身体には入れないのかも、あの時、マンションから飛び降りて既に死んだ身体に私の意識?魂?だけが残っていたのかも、だから身体は動かないけど周りにいる人の声が聞こえたのかも、そこに耕平さんが私に触ったお陰で耕平さんに憑依できたのかも、そうだ、きっとそうだ」
翔子は自分なりに今回のことを分析して納得した。
翔子は、額を触ってみた、そして首も触ってみた。
当然、今は何も起こるはずはなかった。
そう考えると翔子は心が軽くなった。翔子は俯いたとき、ふと涼子の身体に興味が湧いてきた。そして耕平の身体のときのように涼子の身体を見た。
涼子の身体は、翔子の身体と違い大人の女という身体だった。
その体を、手でなぞってみた。豊満な胸やくびれた腰、丸みをおびたヒップどれをとっても翔子の体では太刀打ち出来ないと思った。
翔子は自分も大人になるとこんな体になれたのだろうかと思っていた。
涼子は既に風呂に入った後なので、湯船につかるだけにした。髪の毛を濡らさないように脱衣所にあったヘアーキャップをかぶった。
風呂から出て、寝室に入ると、耕平の寝息が聞こえた。耕平はそのまま眠ってしまっていた。
翔子は ひと息吐いて胸を撫ぜ下ろした。もう一度、憑依をためそうと思ったが耕平が眠っているのであきらめた。
「この力で、あの連中に同じ目に合わせてあげるわ――いいえ、それ以上に」
翔子は、復讐心が沸き起こった。
行動は明日にして、翔子も涼子の身体で眠ることにした。
目覚ましがけたたましく鳴った。翔子は、寝ぼけ半分で手を伸ばし 目覚ましを止めた。そのまま寝入りそうになり、自分の家ではないと気づいた翔子は、いきなり起き上がった。
横に寝ている耕平の様子を窺ってから慌ててベッドから降りた。翔子は、まだ夜も明けぬ早朝から家の近くのコンビニエンスストアに走った。
朝食を買出しに行ったのだった。翔子に、朝食を作れるはずがなかった。
朝、一人で起きれたのも奇跡に近かった。いつも母親に起こしてもらっていた翔子だった。
まだ薄暗い早朝ともあってコンビニの店の中には誰ひとりとして客は来ていなかった。
二十四時間営業の店の中を照明が煌々と照らしていた。大学生のアルバイトらしき店員は店内の掃除をしていた。
翔子は、サンドイッチ類の置いてある棚に向かった。お金は 涼子のハンドバッグから 財布だけを抜き取ってきていた。
ずらりと色々なサンドイッチが所狭しと並べられてある、翔子は、その並べられてある一個のサンドイッチを取って手を止めた。
耕平の好みが分からないことに気づいた。
サンドイッチでも色々ある、好みも人それぞれなのだ。タマゴ、ハム、チーズ、ベーコン、レタス、トマト、ハムカツ 翔子は、一個ずつ手に取って眺めた。
結局、耕平の好みが分からないので適当にいくつかのサンドイッチを籠に入れた。
四つ目のサンドイッチを手に取ったとき、翔子は、ふと母親とのことを思い出した。
母親と一緒に買い物に行き、好き勝手に母親の持つ買い物籠に自分好みの品物を入れて良く母親が怒っていたことを「何でもかんでも入れないでよ、誰がおかねを出すと思ってるの」翔子は、その言葉を思い出し苦笑いをした。
一気に寂しさが込み上げてきた。翔子は目頭が熱くなり涙腺が緩んだ。
出ようとする涙を封じ込めようと翔子は、瞬きを繰り返し天井を見上げた。
翔子は少し落ち着き適当に選んだサンドイッチを持ってレジに向かった。
コンビニの近くに一台の車が停車した。車内には武藤剛と澤田智之が乗っていた。
「ここにするか?」
助手席に乗っていた武藤がダッシュボードに両手をついて乗り出した。
「そうだな」
澤田が周りを見渡しながら答えた。
「ちょっと、見てくるかな」
そう言って武藤が車から降りようとしたとき、「持ってるか?」そう言って澤田が目だし帽と包丁を見せながら聞いてきた。
武藤は指でOKのサインを出した。武藤は周りを見渡しながらコンビニの横に向かった。
コンビニの横のウィンドウから中の様子を窺った。店員とカウンターに女性客が一人いるだけだった。
武藤は澤田に指を二本立てて合図した後、次に親指を立てて カウンターがある方向に振り、そして最後に小指を立てて店側の方向を指した。
澤田は車の中からその合図を見た。店の中には店員と客の二人、カウンター側の店員が男、客が女という意味だった。
澤田は横に置いてあった目だし帽を被り手袋をはめた。
包丁を持って車を降りた。周りを確認しながら武藤の場所に小走りに進んだ。武藤は既に目だし帽をかぶり準備をしていた。
翔子は、レジカウンターの前で買った品物を計算してもらっていた。店の入口の自動扉が開いたと同時に目だし帽をかぶった二人の人物が飛び込んできた。
一人は素早く翔子の背後に回り込み包丁を翔子の喉元に突き付けた。
「騒ぐなよ!」
翔子に包丁を突き付け澤田が言った。
「金出せや、早よ!」
カウンター内にいる店員に武藤が果物ナイフを突き付けた。店員は突然の出来事に足が竦み怯えきっていた。
「早よださんかい!――こらっ!」
店員は 震えて思うように手が動かずレジの操作に手間取っていた。
そのとき、不正を嫌う翔子の気性が騒ぎ出し、いてもたってもいられなくなった。
翔子は、澤田を警戒しながら手に持っている財布をカウンターにそっと置いた。
凶器は喉元に突き付けられている包丁だけだった。万が一空いている左手で殴られても死ぬことはないと翔子は判断した。
翔子は、左手で澤田の包丁を突き付けている右手首を掴み頭の上辺りに持ち上げた。
「い、いてて」
澤田は呻いた。翔子は空いている右手を前に出し反動をつけて思いっ切り後ろに引いた。
澤田の胸部に翔子の肘が直撃し後ろの商品が並べられてある陳列台に吹っ飛んだ。
陳列台が前後に激しく揺れ陳列されていた商品が床に転げ落ちた。
翔子は振り向き、陳列台に吹っ飛んだ澤田を見て自分の力に驚いた。
澤田は気を失った。武藤は刃物を突き付けられている女性客が行動を起こすとは思っても見なかった為、唖然としていた。
「こ、この野郎…」
武藤が翔子に反撃しようと向きを変えたときナイフを持った手首を翔子に掴まれた。翔子は掴んだ武藤の手首に力を入れた。
「ああーっ!」
武藤が痛さのあまり持っていたナイフを落とした。
翔子はすかさず武藤の胸倉を掴み、上に吊り上げた。
体重78キロの武藤の体が軽がると宙に浮いた。
「く、苦しい…離してくれえ」
武藤は足をばたつかせ喘いだ。翔子はまたも驚いた武藤の重さが感じられないのだった。
翔子は、まだ気づいてなかった。人間は、全力を出し切ったと思っても、六から七十パーセントの力しか出せなくなっている。
これは、関節や筋肉そして筋などを損傷しないために 脳が力を百パーセント出さないようにコントロールしているのである。
いわゆるリミッターの役割をしている。しかし、翔子が憑依した身体は、力の加減を抑えるリミッターが効かないため 力を感情の昂り加減で百パーセントもしくはそれ以上を出してしまうのであった。いわゆる『火事場の馬鹿力』を容易に出せるのであった。
翔子は、レジカウンター内にいる店員に「警察に電話して」と言った。店員は上下に数回、首を振り受話器を取った。
翔子の腕に武藤の重さが戻ってきた。翔子は、武藤を前に突き放した。
武藤は尻餅をつく感じで仰向けに倒れた。翔子は、武藤の前に仁王立ちになり睨みつけた。
武藤は、掴まれた手首の痛さと自分を持ち上げた翔子に対し、既に戦意は喪失していた。
「ちょ、ちょっと…ま、待ってくれ」
武藤は待てというように手を出した。
外でパトカーのサイレンの音がした。
後に涼子は訳もわからず警察から表彰してもらった。
マスコミにも取り上げられ「主婦、コンビニ強盗撃退」と出た。
耕平があくびをしながら起きて来た。
いつもなら、涼子がテーブルに朝食を並べてあるはずの場所に、コンビニの袋が置いてあった。
耕平は、テーブルの横で、立っている涼子を見た。
「これなに?」
すかさず、翔子は謝った。
「ごめんなさい、今日はこれで我慢して、ねっ」
「明日は、絶対作るから、ねっ」
翔子は、耕平を拝むように両手を顔の前に持っていき、擦り合わせた。
耕平は、しばらくコンビニの袋を眺めていたが、「まあ、いいか」とあきらめるようにテーブルに着き袋からサンドイッチを出した。
玄関で、耕平を見送った。翔子は、耕平を見送った後、ふと考えた新婚の時期って、いってらっしゃいのキスはしなくてもよかったのかと思った。
耕平が、仕事に出かけた後、翔子は今日の予定を立てることにした。
時計を見た。七時四十分だった。これからなら、学校のもよりの駅まで電車で行っても十分に間に合う時間だった。駅から学校まで10分程度で歩ける。
翔子は、斉藤京香と坂野咲を 駅の改札口で待ち伏せるつもりだった…
5
翔子は、駅に八時五分に着いた。改札口が良く見える場所で待機した。
電車が着くたびに、通勤する人達と 学生達が互いに 逆方向に抜けていき 夏服を着た生徒達が出てきた。彼女達を探すのは簡単だった。他の生徒達は髪の毛が黒いが彼女達の髪の毛は茶色だからすぐに探し出すことが出来た。
始業ベル、ぎりぎりで入ることが出来る電車が入ってきた。数人の生徒達が改札を出て学校向いて走った。
しばらくすると、改札口から斉藤京香と坂野咲が出てきた。二人は、改札を出るとトイレのあるほうに歩いていった。
トイレは改札を出て左の方にあった。
翔子は昨夜、耕平の身体から涼子の身体に入れ代わることが出来たが 次も成功するとは限らないのではと不安がよぎった。しかし万が一、失敗しても知らない顔をしておくことにした。あの二人は涼子とは初対面のはずなのだ。
涼子は二人の向かった方向に歩いた。トイレの入り口は一つで、中で男女別に分かれている。二人は、トイレの入り口に入った。涼子もそのあとを追った。二人は、ちょうど並んだ個室に入るところだった。
涼子は二人の入った扉の前で待ち伏せした。待ってる間に年配の女性が入ってきた。
二人の入っている隣りの個室が空いていた。その年配の女性は空いている個室に入ろうとしない涼子の顔を見て「よろしいですか?」と空いている個室を指さした。
涼子は、立っている場所から一歩下がって、「どうぞ」と手を差し出した。その年配の女性が個室の扉を締めると同時に二人の入っているどちらかの水が流れる音がした。
右側の扉の鍵が外れる音がし 中から坂野咲が出てきた。坂野咲が、涼子と目が合ったその時、間髪を入れず右手を 坂野咲のひたいに当てがった。涼子が目の前にいた。憑依が成功したのだった。
すぐに斉藤京香が出てきた。「どうしたの?」斉藤京香は、涼子と見つめ合っている坂野咲を見て聞いてきた。
「ううん――何でもない」と言って、翔子が身体から抜けてまだ正気に戻ってない涼子の隣をすり抜け、斉藤京香と出口に向かった。
翔子は涼子に対して済まない気持ちで一杯だった。トイレの扉の前で正気に戻り、困惑して周囲を見回している涼子に「ありがとう――耕平さんとお幸せに」と翔子は心の中でつぶやいた。
トイレを後にした坂野咲の身体に入った翔子は、学校に向いて斉藤京香と共に歩いた。翔子は、次の作戦に取り掛かった。
翔子は、時計を見た。八時十五分過ぎたところだった。
「ねえ、つきあってほしいところがるんだけど」
翔子は、立ち止まると前を歩く斉藤京香に言った。
「つきあう?」
斉藤京香は、まゆを寄せた顔になり振り向いた。
「これよ、これ」
翔子は、親指を立てて言った。
「はっ?男?」
斉藤京香は、さらにまゆを寄せた。
翔子たちがいる場所からすぐの所に、男子校があった。この男子校の登校時間は遅く八時五十五分だった。翔子は、そのことも調べ上げてあった。
その男子校に彼氏がいると斉藤京香を騙したのだった。斉藤京香と翔子は、その男子校に向かって歩き出した。少し歩くと校門が見えてきた。
先ほどの駅で降りた男子生徒達数人が、校門めざして歩いていた。校門近くまで来た翔子と斉藤京香を、男子生徒達が興味ありげに見ていった。
「ねえ、ここで待っていて」
翔子は、斉藤京香に地面を指差し言った。
「ええ、やだよ、みんな見てるじゃん」
斉藤京香は、渋った。
「すぐだから、お願い」
翔子は、斉藤京香の前で両手を合わせた。
「それとも、あたしのかわりに行ってくれる?」
「絶対いや、それだったらここで待つよ」
斉藤京香は首を横に振った。翔子は、作戦通りだと思った。校門に斉藤京香を待たせて、翔子は颯爽と、男子校の校庭の中に入っていった。
セーラー服の女子中学生が、校庭を歩いているのを見て、歩いている男子生徒達が、一斉に視線を翔子に向けた。
前を歩く男子生徒までも、振り返り立ち止まって見た
翔子は、そのまま男子生徒が注目する中、早足で校舎の切れ目の辺りまで歩いた。
校舎が切れたところに翔子は入った。すぐ横にも別の校舎があった。
その校舎と校舎は、渡り廊下で繋がれていた。
その渡り廊下に翔子は振り返り 視線を移した。何人かの生徒が渡り廊下を歩いていた。翔子には気づいているものはいなかった。
その場で、翔子は手早く、制服を脱いだ。下着姿になり さらに、下着も靴下もすべて脱ぎ捨て翔子は、全裸になった。
そのまま、今度は校庭に向かった。校庭の土が はだしの足に心地よく感じた。
翔子を、発見した男子生徒が「うぉ」と唸り声を上げた。
翔子は、構わず校庭の真ん中辺りまで歩いた。
校舎の中からも出てくる生徒がいた。校舎向けて歩いていた生徒までも翔子を、見つけ走ってきた。
校庭に少女といっても全裸の女性がいるのだ。興味ないはずはなかった。
翔子は、真ん中辺りで踊って見せた。男子生徒が集まり周りを囲むように集まってきた。
後ろに来た生徒は、見えずに飛び跳ねて見ていた。男子校は携帯電話の持込みできるのか、周りの生徒達はほぼ、携帯電話を片手に構えていた。
翔子は、周りが男子生徒で後ろの景色が見えなくなったあたりで、校庭の土の上に座り込んだ。そして体を後ろ手で支えて膝を立てて足を広げた。
翔子のまえに屈み込み、携帯電話を構えている生徒もいた。たとえ坂野咲の身体と分かっていても抵抗を感じないわけでもなかった。翔子は坂野咲の身体なのだと割り切り、次に足を支えに腰を浮かしてみた。翔子は、自分の身体じゃないと割り切ると何でも出きると思った。さらに大胆になった。
「私の身体を、もっとみんなに見せてあげたいの、だから写真や動画をもっと撮ってね~」
「ネットに投稿してね、そうしたら世界中の人にも見てもらえるし」
そう翔子は声に上げて言った。
「これか?」
見ていた二人の生徒のうち、一人が人差し指を頭の横で立てて回し 横の生徒に聞いた。
翔子の身体を、触ってくるものもいた。
携帯電話のシャッター音や電子音が鳴り響いた。翔子には、この音が爽快に聞こえた。門で待っていた斉藤京香は、腕時計を見ながら遅い坂野咲を待っていた。
遅刻は、常習犯なのであまり気にしていなかった。
「裸の女がいるってよ」
「いってみようぜ」
そういいながら校門を二人の男子が走っていった。
その様子を、斉藤京香が校門の門柱から 首を曲げ 見た。前方に男子生徒が黒だかりになって奇声を発していた。
斉藤京香は、その様子を見ようと恐る恐る校庭に入った。
男子生徒が一方に群がっていた。空いているほうに斉藤京香は、回りこんでみた。
斉藤京香は、信じられない光景を目にしていた。男子生徒の視線の先には坂野咲がいた。それも全裸で男子生徒達に足を広げて見せている。
「うそっ、冗談でしょう」
そういうと前に飛び出した。
「あんたなにやってんのよ」
そう叫びながら坂野咲のそばまでいった。
翔子は斉藤京香の顔を笑顔で見てから手の平に付いている砂を手ではたいて落とした。
その腕を斉藤京香が立たせようと引っ張った。
「あんた、馬鹿じゃないの」
翔子は、反対側の手の平を斉藤京香の頬に当てた。
全裸で座っている坂野咲がまえにいた。
斉藤京香に憑依した翔子は、坂野咲を掴んでいた手を放し、くるりと反対方向に身をひるがえし、未だに興奮の冷めてない男子生徒たちを尻目に校門に向かって歩き出した。
翔子に、目をくれるものは一人もいなかった。校門に向かう途中で、正気に戻った坂野咲の悲鳴を聞いた。
翔子は満足な顔で校門を後にした。
6
校門を出た翔子は、斉藤京香の鞄から携帯電話を出した。
それで母親に電話をして迎えにきてもらうことにした。
翔子は斉藤京香の母親を知らなかった。しばらく待っていると。一台の車がクラクションを鳴らして運転席の女性がこちらに向いて手招きをしていた。
翔子は車に乗り込んだ。
「京香ちゃん、あなたこの前も早退したじゃないの――もう、ほんとにいい加減にしてちょうだい」
斉藤京香の母親がいきなり小言を言い出した。
母親のこの言い草だと、早退は一度や二度じゃないみたいだった。
学校では、休憩時間の間にいなくなって次の授業には出席してないことなど常時であった。
斉藤京香の家は高級マンションだった。リビングには大きなテレビが置いてあった。翔子は、奥の右側に部屋の扉があるのがわかった。
その扉の前に立った。扉には『京香』と漢字のネームが入れてあった。翔子は、部屋の中に入った。その部屋は翔子の部屋より広かった。
リビングよりは小さいがテレビが置いてあった。翔子の部屋にはテレビなんてなかった。
親にねだったこともあるが「父親に勉強ベアにテレビなど必要ない」と一喝されただけだった。
DVDレコーダーやCDプレイヤーなど どれも最新のものばかりだ。ソフト類も棚に並べてあった。机が二つ並べられてある。
一つは勉強のためのものらしい、もう一つはデスクトップ型のパソコンが置いてあった。
ワイドの液晶モニターだった。後ろには化粧台があった。その化粧台の前に翔子は座ってみた。翔子は、手鏡がある程度だった。
「中学生のくせに贅沢な」
翔子はそう言いながら唇を尖らし引き出しを開けてみた。
化粧品が一式揃っていた。翔子は、一つずつ手に取って眺めてみた。
化粧なんて翔子には無縁の物だった。してみたい気は、あったが母親のものを使うわけにはいかなかった。せいぜいリップクリーム程度だった。
翔子はCDなどの入っている棚の前に移動した。最近の曲から古い曲までいろいろと揃っていた。DVDに翔子がまだ見ていない映画が山ほどあった。
翔子は、その一本を取って観ることにした。DVDレコーダーの操作は大体わかっていた。
DVDを見終わった翔子は、眠気が襲ってきた。
後ろにある、ベッドに横たわった。そしてすぐに、意識が遠のいた。
翔子は、目が覚め 天井を見回した。少し考えてここが斉藤京香の家だと再認識した。
時刻は、十六時三十分だった。ベッドから降りた翔子は、パソコンのある机に向かい電源を入れた。そして暫く待った。
オペレーティングシステムが起ち上がった。インターネットで 海外動画サイトを検索した。翔子が投稿された同じ動画サイトに 坂野咲の動画はあった。そのサムネイル写真をクリックしてみた。動画が再生され始めた。
さらに画面一杯に広げてみた。そこには、坂野咲が校庭で裸になり男子生徒達に足を広げて見せている姿が映し出されていた。それも正面からのものだった。
翔子は他の動画サイトも探してみた。そこにも他の男子生徒が投稿したと思われる別の角度のものもあった。
翔子は、その二つのURLをコピーした。そして掲示板を開いた。
そこに、二つの動画サイトのURLと坂野咲の名前、住所、学校名、携帯電話番号、携帯アドレス、Eメールアドレス それと メッセージに「いつでも、電話してね」「メールも待ってまーす」と書き込んだ。これらの個人情報は斉藤京香の持ち物から入手した。
翔子は坂野咲の情報を知るため、翌日に学校に行くことにした。
次の日、翔子は、斉藤京香の身体で学校に行った。
翔子は教室に入った。教室に入った途端、坂野咲の話題で教室中が持ちきりだった。
翔子は、にんまりと笑った。
隣にいた男子と女子の会話が耳に入ってきた。
「ストリップだぜ、ストリップ、あれじゃ終わりだな――インターネットに投稿してって、自分から言ったんだぜ」
男子生徒が身振り手振りで話している。
「退学かな」
もう一人の女子が言った。
「当たり前だろう、自分から脱いで見せてるんだぜ――この前の、川本の一件とは、大違いさ」
翔子は、その話を聞いて小さく頷いた。
「そうよ、私のときとは大違いだわ」そう思った。
男子生徒は話を続けた。
「それと、掲示板に名前と学校の名前まで書いたらしいぜ、そんなことしたら関係ない俺達まで迷惑こうむるかもしれないんだぞ」
翔子は、男子生徒のその話を聞いてから徳本リカ達を探した。教室の窓際に二人はいた。
小島麗子が隣にいた。その二人のいる方に向かった。小島麗子が、翔子を見つけると
「最悪よ、もう――馬鹿じゃない、あの子」
そう言って翔子を見た。
「咲は?――来れるわけないか」
翔子は、そう言って徳本リカを見た。
「電話してもダメ、メールも返事が返ってこない、音沙汰なしよ」
徳本リカは、手の平を上に向けて両手を広げた。
このままだと、坂野咲は、もう学校へ戻る事はないだろうと翔子は思った。
脱がされたのならまだしも、自分から脱いだのだから同情するものはいなかった。
そして、翔子は複数の生徒に 坂野咲の情報を聞いて回った。
さすがに この斉藤京香がグループ仲間だと知っているからか、いろいろ情報がもらえた。
坂野咲は、あれ以降 病院に入院しているらしいという情報が入った。
「ねえ、今日はお昼に帰るわ」
翔子は徳本リカ達に疑われないようにと一言掛けておいた。徳本リカは、親指を立ててにんまり笑った。
昼過ぎに、翔子は斉藤京香の家に帰った。
家に帰ると斉藤京香の母親が呆れた顔で斉藤京香の部屋に入っていく翔子を見ていた。
斉藤京香の部屋から出てきて翔子は、リビングに向かった。ソファに座っていると、斉藤京香の母親が飲み物を持ってきた。
「京香ちゃん、昨日もだったじゃない、一体、どうしたのよ」
向かい側に座って斉藤京香の母親が小言を言い始めた。
その小言を聞き流しながら、翔子は、母親が持ってきた、アイスコーヒーのストローを口にくわえて ベランダの方に視線を移した。
散々、小言を言った後、斉藤京香の母親はソファーから立ち上がり リビングを出て行った。
翔子は立ち上がりベランダの方に歩み寄った。リビングからベランダのガラス戸を開けた。初夏の風が入ってきた。
翔子はベランダに出てみた。さすがに十二階からの眺めは最高だった。翔子はあの日のことを思い出した。
しかし、飛び降りた記憶は残っているがそこまで行った記憶や景色などほとんど覚えていなかった。
下の歩道には、人が往来していた。
背広を着たサラリーマンや 子供連れの母親、自転車に乗った男性 その情景を見てから翔子は、ベランダの手すりにまたがり外側の少ししかない足場に足を下ろした。
ゆっくりと体を下げて、手すりを 両方の脇の下で止め 両腕を曲げ 両肘を内側に出し、脇の下で引っ掛けるようにぶら下がった。
胸から下は、手すりの外側に出ていた。下の方に人が往来しているのを翔子は、首を後ろに曲げ見下ろした。
これならどうみてもベランダから落ちかけているようにしか見えなかった。
翔子は家の中にいる母親に聞こえるように思いっきり叫んだ。
「助けてえ――おかあさーん――助けてえ」
娘の尋常な声を聞いた母親が別の部屋から走ってきた。
「京香ーっ」
娘がベランダから落ちかけている姿を見て、母親は叫びながら翔子のところにきた。
下では、翔子の声が聞こえたのか人が集まって来ている。
「京香ちゃん、待っててお母さんが助けてあげるから」
母親は、翔子の腕を掴んで上に上げようとした。
そのとき母親の顔が翔子の横にきた。その母親の額に手を当てた。
翔子は、母親を演じる役にまわった。
「京香ちゃーん」
必死な演技をした。
まだ意識がなく正気に戻ってない斉藤京香は、腕から力が抜けて引っかかっていた腕が手すりから外れた。
「京香ーっ」
翔子は落ちていく斉藤京香を見ながら悲痛の叫びをして演じた。
下からも悲鳴が沸きあがった。斉藤京香は、正気に戻る暇もなく地面に落ちた。
翔子は急いで下に降りた。母親役は、まだ終わっていなかった。
翔子が下に降りて外に出ると人だかりが出来ていた。
その人だかりを分けて、倒れている斉藤京香のそばまでいき屈んだ。
「京香ちゃーん――いやーっ―きょうかぁぁ」
翔子は自分ながら感心するほどの迫真の演技だと思った。。
頭から血を流している斉藤京香に 触る気がしなかった。
後ろで、その騒ぎを聞きつけ隣の主婦が口に手を当てて見ていた。
「おーい、救急車はまだかー」
誰かが叫んだ。遠くで救急車のサイレンの音がした。救急車が到着して隊員が降りてきた。
「少し下がってもらえますか」
一人の救急隊員が 斉藤京香のそばで屈んでいる母親役の翔子の腕を掴んで 言ってきた。
「奥さん大丈夫ですか?」
隣の主婦が翔子のところにきて、両脇に手を入れて立たたせた。
翔子は立ち上がり、その主婦に振り向いた瞬間 主婦の頬に翔子の指が触れた。
斉藤京香の母親は、しばらく呆然としていたが その後、正気に戻った母親の目の前に人が大勢いた。
母親は、みんなの見ている方向に視線を移した。
そこには、手当てする救急隊員と倒れている自分の娘がいた。
「きょ 京香! 京香ちゃん」
母親は、娘のところに駆け寄った。
「お母さん」
そう言って救急隊員が、母親を後ろに下げた。母親は半狂乱になって叫んでいた。
「な、なぜ落ちたの、いつ落ちたの――京香!」
「落ちるはずがないわ 私、腕を掴んでたのよ――どうしてなのぉ」
倒れている娘の方と集まって見ている人を交互に見て叫んでいた。
「かわいそうに、自分の娘が落ちていく姿を見たんだからな」
マンションから落ちるところを見た男性は腕を組みながらそう言った。
翔子は、てきぱきと手際よく救命活動をする救急隊員を見ていた
7
翔子は、斉藤京香と同じマンションに住む藤川由美に憑依したのだった。
藤川ゆみは 斉藤京香の隣に住んでいた。翔子は 藤川由美の住んでいる部屋の扉の前に立った。表札に『藤川』と書かれていた。
その扉のノブを回してみた。よほど慌てて出て行ったのだろう 鍵は掛かっておらずノブは簡単に回った。
翔子は、鍵の掛かってない藤川由実の部屋に入った。やはり、同じマンションだけに部屋の間取りは斉藤京香のところと同じだった。
翔子は、藤川由実の家の中を見て回った。そして何かを感じた。子供がいる雰囲気がないのだ。
翔子は傍にあったハンドバッグを開けた。中には財布のほかに免許証が入っていた。生年月日から藤川由美は四十歳のようだった。
翔子は時計を見た。
「まだ間に合う」
そう言って、翔子は車のキーを探すためにハンドバッグの中を探した。
車のキーは、ハンドバッグの中にあった。
部屋を出るときにハンドバッグに 入っていた鍵で部屋の鍵を掛けて出た。車のキーとハンドバッグを持って地下の駐車場に急いだ。
地下駐車場には数台の車が止めてあった。翔子は耕平の車のときのようにロック解除キーを押して歩いた。
左側の車が、電子音とウィンカーランプが点滅した。
翔子はその車に乗り込み 発車させた。駐車場の角を 曲がるたびに コンクリートとタイヤがこ擦れ軋み音が出た。
駐車場を出て翔子は学校に向かった。翔子は学校の門の近くに車を止めた。
しばらくして門から帰る生徒達が出てきた。翔子は待った。そうすると黒髪の中に茶色の染めた髪の毛があった。しかし、一人しかいなかった。
翔子は、車で近づいた。それは小島麗子だった。小島麗子にもう少し近づいてから翔子はウィンドウを下げて顔を出した。
「小島さん」
そう言って呼んだ。名前を呼ばれて気づいたのか小島麗子が振り向いた。
翔子は、車から降りた。小島麗子がこっちに近づいてきた。
「何か用ですかぁ」
首を横に倒し、うざったそうに聞いてきた。
「徳本リカさんは、一緒じゃないの?」
「お昼に帰っちゃった」
そう言いながら茶色に染めた髪の毛をいじった。
「そう――あ、髪の毛に何か付いてるわよ」
翔子は 小島麗子の前髪辺りに 手を伸ばす振りをして額を触った。
小島麗子に憑依した翔子は、右手を前に出したまま固まっている藤川由実を見た。
「ありがとう、気をつけて帰ってね」
そういうと反対方向を向き歩き出した。
小島麗子の家がわからない翔子は、携帯電話を出し母親に電話した。しばらくしたら一台の軽自動車がやって来た。その軽自動車の運転席の女性が翔子向かって手招きをした。
小島麗子の母親だった。
「何か魂胆でもあるの?」
車に乗り込むと母親はいきなり聞いてきた。翔子は内心ドキッとした。
「いつもママって言ってるくせに――今日に限って、どういう風の吹き回し?」
翔子は小島麗子の母親に電話で「お母さん」と言ってしまったのを思い出し、そのことかと翔子は、ほっとした。
「ああ いつまでもママってかっこ悪いじゃん」
「変な子」
そう言って母親は笑っていた。
家に着いて中に入ると、母親は無造作に車のキーをテーブルに置いた。翔子は、それを見逃さなかった。
「喉が渇いた」
母親に言った。母親は冷蔵庫のあるキッチンの方へ姿を消した。
翔子は、さりげなくテーブルに近づき車のキーを掴んだ。
ほどなく母親が飲み物を持ってきた。翔子が飲み物を飲んでいると母親が何か探し出した。
「ねえ、車のキー知らない? どこやっちゃったのかしら」
「知らないよ」
そう翔子は言った。
「ママ、置き忘れ、いつもじゃん」
「ほらっ――ママって言った」
母親は得意げそうな顔になった。
「いつもどおりでいいのに 無理するからよ――でもどこいちゃったのかしら」
そう言ってキー探しを再開した。
「ちょっと、散歩行ってくる」
母親が出てくるわけの無い車のキーを探している間に翔子は家を出た。
翔子は母親の軽自動車を出した。そして踏み切りがある道路を探した。
8
戸田晃は、苛立っていた。先ほど前に入った。軽自動車のスピードがあまりにもゆっくりだった。
「おい、おい、いい加減にしてくれよ――こっちは、急いでいるんだからな――まったく、もう」
戸田は、車の中で一人で文句を言った。
車線は二車線で追い越すに追い越せない苛立ちが、戸田にはあった。翔子は、この道を三往復していた。
この先にある踏み切りがタイミングよく掛からなかったからだ。
今回の作戦は絶対に失敗するわけにはいかなかった。万一失敗すれば翔子もどうなるかわからないからだった。
翔子は、ゆっくりと車を走らせ後ろに後続車を着ける必要があった。
前の軽自動車のぜんぽうに踏切が見えた。その軽自動車が踏み切りに差し掛かったとき、踏み切りの警報機と赤いランプが点滅した。
「えー、まじかよ――最あく」
戸田は、ハンドルを叩いて嘆いた。
翔子は止まらずに、そのまま降りてくる遮断機を掻い潜り踏み切りの中に入っていった。
「おお、何てことするんだよ。今度は、踏み切り無視かよ」
戸田は、警報機が鳴っているのにもかかわらず、踏み切り内に入っていく軽自動車を見ていた。
翔子は手前の線路の上で停車した。線路は複線だった。
警報機の矢印は左向きについていた。電車でも左側通行なのを翔子は確認済みだった。
オートマチックのギアをPレンジに入れ、サイドブレーキを掛けた。
警報機が鳴り遮断機が降りてもすぐには、電車は来ない。
翔子は、その時間も計算に入れていた。
パワーウィンドウのスイッチを押し、ウィンドウを下げた。
そして、叫んだ。
「助けてぇ――誰かぁ――シートベルトが外れないのぉ」
「誰かぁ」
後続車に、この声が聞こえなければ、失敗に終わる。翔子は焦ってきた。
警報機とランプの点滅が翔子の焦りを増加させた。戸田は踏み切り内で、止まっている車を見つめていた。
何か叫んでいるような声が聞こえたので耳を澄ませてみた。
急いでウィンドウを下げた。
女性らしき声が、聞こえた。叫び声だ。とっさに、戸田は車から降りた。
踏切内に入っている軽自動車からその声が聞こえている。
まだ、電車が来てないのを確認して踏み切りの中に入った。軽自動車の運転席側に走った。戸田は、運転席を見て驚いた。
その席には大人の女性ではなく少女が座っていたのだ。
「お願いシートベルトが外れないの」
翔子は戸田に助けを求める演技をした。戸田は、車の扉を開け上半身を翔子の体の前に入れ シートベルトをはずそうと手を伸ばした。
翔子は目の前にいる戸田の額に触れた。
翔子の前に 放心状態の小島麗子が運転席に座っていた。
翔子は、触っていたシートベルトから手を放し外に出た。電車が警笛を鳴らしこちらに向かってきていた。
警笛音が、どんどん小島麗子の乗った軽自動車に近づいてくる。翔子は、軽自動車から離れるために走った。
電車のブレーキ音が響いた。翔子は遮断機を潜り戸田の車のボンネットの上にうつ伏せで、突っ込んだ。次の瞬間、後ろで 体に響くほどの凄まじい破壊音が響いた。
翔子は、振り向いた。小島麗子の乗った軽自動車が、電車に巻き込まれながら二転した後、そのまま前に押されていった。破片が飛び散り金属が擦れる音が鳴り響いた。
軽自動車が押されるたびに、原型をとどめないほどに変形していった。タイヤは取れ、車の屋根とボディが見分けが付かないほど押し潰されていた。
電車は六両目で、翔子の前で止まった。電車の窓から乗客が体を乗り出して前を見ていた。
小島麗子の乗った軽自動車は、鉄の塊に変形してしまっていた。
戸田の車の後ろにも、いつの間にか車が数台、列をなしていた。車の運転手や、助手席の連中も全員 車の外に出て、この光景を見ていた。
線路が通行止めになってしまった。翔子は戸田晃の身体と車を使って引き返すことにした。
途中の空き地に車を止めて次の作戦を考えた。とりあえず、この男性が誰なのかを知る必要があった。
翔子は、この男性の持っていた黒のハンドバッグを開け、中身を物色した。
免許証が出てきた。生年月日から戸田は三十三歳のようだった。
他に何かないか翔子は探した。免許証入れから一枚の写真が出てきた。
その写真を見て翔子は目をしかめた。戸田と写っている隣の女性が、どこかで見た顔だと、それは、すぐに翔子の記憶と一致した。
翔子の学校の女性教師だったのだ。内村静香二十七歳で まだ独身だった。国語を教えていた。
「この二人が、恋人同士か」翔子はあまりの偶然に神様に感謝した そしてにんまり笑った。
これでまた、学校内にはいれる。携帯電話も見た。静香とある 多分これだろうと翔子は思った。
夕方までコンビニの駐車場で時間潰しをした。
突然携帯電話がなった。翔子が携帯を見ると静香の名前と電話番号が出ていた。
翔子は電話に出た。今夜逢えるかという電話だった。
もちろん了解した。翔子は、戸田晃の身体で、内村静香を待った。
今は、この戸田晃の身体より内村静香の身体が翔子には必要なのだった。
内村静香の身体があれば、容易に校長の浜田に近づけるのだ。職員室はもちろんのこと校長室にさえ入れる可能性があるのだ。
生徒の身体では、校長の浜田に近づくのは容易ではないはずだ。
自分の立場を守るために今回の件を封じ込めようとした浜田を許す気にはならなかった。
内村静香が来れば、すぐにでも憑依したいのだが 戸田晃を、ここに放置するわけには行かなかった。
内村静香を乗せてから考えても遅くないと翔子は思った
9
翔子が待っていると内村静香がやってきた。いつもはスーツのスカートなのが今日はジーンズを履いていた。
「そんな 堅苦しい格好じゃなくても良かったのに」
車に乗るなり内村静香が言ってきた。
「ちょっと、仕事が長引いちゃって」
翔子は、戸田晃が着ている背広を見て誤魔化した。
「さっき、電話入れたらお父さん、もう帰ってるんだって」
内村静香が言ったその言葉の意味を翔子は考えた。
「どうしたの、もしかして今更おじけづいた?」
考え込んでいる翔子を見て内村静香は聞いてきた。
言葉の意味からして今日は戸田晃が 内村静香の家に行くことになっているようだと翔子は思った。
「あ、いや――少し緊張してるけど大丈夫かな」
静香が口に手を当てて笑った。
「大丈夫、お父さん全然怖くなんかないから」
「そう、願いたいよ」
「晃さん私の家、知らないよね?」
「うん、知らない」
「じゃ、案内するね」
翔子は、静香の案内で家まで行くことになった。
家の辺りまで来ると静香が左前辺りを指さしながら言った。
「その左の端に止めて」
翔子は車を止めた。そして左を見た。家が見えるというより 門が見えた。静香が先に降りた。翔子も続いて車から降りた。
大きな門から へいが左右に延びている。翔子は右から左、左から右と目を走らせた。
「こっちこっち」
静香が門の前で手招きをしていた。
大きな門の横に普通の扉くらいの入り口があった。そこから二人は入った。
入ってから、翔子は目を見張った。中には三台の高級車が止めてあり、大きな庭石、綺麗に手入れされた松、そして池まであった。
この庭だけで翔子の家が十分建ちそうだと思った。
庭の大きさに見とれている翔子に静香が痺れを切らして 腕を引っ張り玄関に導いた。
玄関に入ると真ん中に大きな流木を磨いた 置物が光沢を放っていた。
「奥の部屋に先に行ってて」
静香は翔子に奥の方にある部屋を指差した。
翔子は戸田の背広の襟元を両手で整え、深呼吸して奥の部屋に向かった。恋人でもなんでもない翔子でも少し緊張が走った。
奥の部屋の中には大きな木を輪切りにしたようなテーブルの台があった。厚さは十センチくらいある、その磨かれ 黒光りしたテーブルの向こう側に静香の父親らしい人物が座っていた。
翔子は父親と目が合い軽く会釈をした。
「ああ、娘から聞いています。どうぞ、中へ」
父親は手を差し伸べ座るように促した。
静香が盆を持って入って来た。
「お父さん、戸田晃さんです」
そのコーヒーが載った盆を置くと静香が翔子の背中を触った。
「はじめまして、戸田晃です」
翔子はすぐに返した。
翔子は、こんなかしこまった挨拶などしたことがなかったので顔がこわばった。「お仕事、お忙しいみたいですな」
静香の父親がコーヒーを手にして言った。
「ええ、まあ」
翔子は戸田晃の仕事などまったく知らなかった。翔子は、ふと映画のワンシーンを思い出した。それを実行してみようと思った。
翔子は、改めて正座をした。
「お父さん、静香さんを僕に下さい――必ず、幸せにできるかどうかわかりません――しかし 僕が幸せになる自信は必ずあります。絶対に後悔はさせません」
翔子は頭を低く下げた。
この行動に 翔子の横にいた静香は、口に手を当て焦った。
「うそ! ちょ、ちょっと晃さん」
突然このようなことを言うとは静香もまったく予想も出来なかった。
「おお、初対面で娘をくれとは それと自分は幸せになる自信があるとは…ははは――これはまいった」
父親は頭に手を当て苦笑いをした。
翔子はこれだけ大きな家なのだきっとどこかの会社の社長さんだろうと思い、さらに続けた。
「もし、静香さんを頂けるなら――お父さんの会社に勤めさせて頂きたいと思います。そして、お父さんの後をお継ぎいたします」
「世界一の会社と世界一の幸せな家庭を作って見せます。お任せください」
また、深く頭を下げた。翔子は頭を下げながら調子に乗りすぎたと思った。
「晃さん――もうっ」
静香が翔子の肩を揺すってきた。
「ほう、これはまいった、今時の若いもんにしては、いい度胸をしてますな」父親は腕組みをした。
「まっ、静香からわしの仕事のことは聞いているようだし」
その言葉を聞いて翔子は当たったと心の中で歓んだ。
「さすが、わしの娘だ少しは男を見る目はあるようだな」
父親は静香に視線を移し満足そうに笑った。
静香と一緒に門の前まで出てきた。辺りはもう暗くなり 道端には電灯がともり 周りの家の照明も点きだしていた。
「今日は、ありがとう…お父さんに会ってくれて、でも本当にびっくりした――あんなこと言うなんて思ってもいなかったのに、もうっ」
「でも、嬉しかった。あんなに父に会うの渋ってたくせに」
そう言って翔子の胸を指で押してきた。
「ありがとう…」
そう言いながら静香は俯いた。
翔子は、俯いている内村静香を見て、こんな雰囲気のときにキスをするのかなと思っていた。
翔子は、静香の肩に両手を置いた。静香が顔を上げた。顔を見た瞬間、翔子の記憶が蘇った。井村涼子の顔と同じだと思った。
二人とも女性の顔になっていた。翔子が静香の顔の前に手を近づけると静香はゆっくり目を閉じた。そして、そっと静香の額に手を当てた。
翔子は、戸田晃の意識が戻るまでそのまま待った。戸田晃が正気に戻った。
「静香…? あれ」
その後、あちらこちらに視線を変えた。
「ん?――何? ここはどこだ?」
一点を見つめ思い出していた。
「確か――踏み切りで少女が車に――夢だったのか… なわけないよな」
翔子は、戸田の顔を見た。
「今日は、お父さんに会ってくれて、ありがとう」
「お父さん? 俺が静香のお父さんに会ったの?」
戸田は自分と静香を交互に指差し言った。
「そうよ、たった今――かなり緊張してたから忘れちゃったんじゃない」
戸田は首をひねって少し考えてから静香に視線を戻した。
「でも、静香のお父さんの顔覚えてない 俺」
「いいよ、覚えてなくても――私の顔だけ覚えてて ねっ」
そう言って戸田の顔を思わず両手で挟んだ。両手で挟んだ瞬間、翔子は また憑依してしまうのではないのかと思ったが何も起こらない、今までの憑依する瞬間を思い出してみた。全て片手の場合のみなのだ。両手で触れた記憶がなかった。翔子はまたひとつ勉強になったと思った。
「そ、そうだな」
戸田は、安心したようだった。翔子は戸田の顔から手を放した。それも両手を同時に離さなければ少しでも片方の手が遅れると憑依してしまうと翔子は思った。
そのとき戸田の唇が静香の唇をふさいだ。翔子は油断していた。
今くるとは思ってもみなかった。
翔子は押し返そうと戸田の肩に手を掛けそうになり躊躇った。
今、戸田を引き離す訳にはいかなかった。翔子は戸田に身をゆだねた。心臓が一気に激しく鼓動しだした。
キスなんてしたことない翔子にとって 初体験だった。たとえ静香の唇でも感覚は同じだった。頭の中がぼーっとしてきた。
戸田の唇が離れた。
翔子は、しばしうつろな目で立っていた。
「じゃ 今日は 帰るよ」
翔子は、はっと我にかえった。戸田が車に乗り掛けていた。
「う、うん気をつけてね」
慌てて手を振った。戸田の車が動き出した。車のハザードランプが二回点滅した。
翔子は、戸田の車を見送っていた。もし、生きていれば自分の身体で本当のキスが出来たかもしれないと思うと翔子は悲しくなってきた。
戸田は、車の中で思い出し考えていた。さっきのキスが いつもの静香と違うことを、キスしたとき確かに静香が震えていた。
まるで少女のようだと思った。
戸田晃は、もう一度戻ろうかと思ったが諦めて後ろ髪を引かれる思いで帰った。
10
内村静香の身体で翔子は職員室の扉を開けた。授業の準備に追われている教師達は、翔子を気に掛けもしなかった。
「おはようございます」
翔子は周りの教師達に挨拶しながら静香の席に向かって歩いた。
静香の席は、以前、職員室に来たときに大体の検討がついていた。
翔子は、内村という名札が立てかけてある机の席についた。座ってすぐ翔子は、校長席に視線を移した。
校長の浜田孝雄は、まだ来ていなかった。机の上に今日の予定表らしき紙が置いてあった。
三時間目と四時間目に、一年四組と五組の授業を受け持つ記入がしてあった。
校長ともなると、時間厳守しなくてもいいのだろうかと翔子は思った。
三時間目までに、校長の浜田が来ないことには、翔子に授業など教えられるはずがなかった。一時間目の授業が始まるチャイムが鳴った。
数人の教員が、立ち上がりそれぞれの受け持つ教室に向かうため職員室を出て行った。
一時間目が始まり待機している教員が数名残っているだけだった。
一時間目が始まり20分くらい経ったとき、職員室の扉が開けられた。校長の浜田が入ってきた。
浜田が、校長席に着く間に数人の教員が挨拶をした。翔子は、その様子を見ていた。
浜田は翔子を、一瞥した。翔子は軽く会釈をした。浜田は校長の席に着いた。
翔子は静香の机の引き出しを開けその中から、なるべく小さな文字が書かれてある用紙を探した。
用紙の下の方に小さく注意事項の文字がプリントされている用紙があった。
その用紙を一枚引き出し 翔子は机の上に出し両手で持って眺めた。用紙の上には、「五月 体育祭のお知らせ」と書いてあった。
その用紙の一番下には、上に書いてある文字より小さく注意事項が四行程度かいてある。
翔子は、その用紙を持って校長席に向かった。
校長の浜田は校長席の方へ向かってくる翔子を 掛けている眼鏡の上から見た。
「なんですかな、内村先生」
「あの、これを見て頂きたいんですが」
そう言って翔子は、持っていた用紙を浜田の机の上に置いた。
浜田は、その用紙を手に取り眼鏡をかけ直し眺めた。
「これがどうかしましたか?」
浜田は、用紙から翔子に視線を移した。
「その下の所」
翔子は、用紙の下の辺りを指差した。
「下ですか…」
浜田は、眼鏡のフレームを持ちながら 用紙の下辺りを探すように眺めた。
翔子は、浜田の横に回り込んだ。
「ここ、何ですけど」「この注意事項の所…」
そう言って翔子は 、注意事項の書いてある場所に人差し指をあてがった。
注意事項の文字は 上の文字よりもさらに小さいため 浜田が食い入るように用紙に顔を近づけてきた。
翔子は文字を差している右手を 用紙に顔を近づけている浜田の額に そっと触れた。
内村静香は、魂が抜けたように翔子の隣で浜田の額に手をあてがったままで固まったように立っていた。
翔子は額にある静香の手を掴み静かに下ろした。間もなく正気を戻した静香は訳がわからなくて、周りをきょろきょろ見渡した。
翔子は、浜田の役を演じた。
「内村先生、どうかされましたか?」
「あ…私 あれ」
静香は翔子の横で何がなんだかわからず困惑していた。
「職員室ですよね ここは」
なぜ自分はこんな所にいるのかと言うような顔をした。
「先生の席は、あちらですよ」
翔子は、薄笑みを浮かべ内村静香の席に向けて手を伸ばした。
「あ、はい」
「すみません」
そう言って静香は、首をひねり 頭に手を当てながら自分の席に向かった。
それもそのはず静香の記憶は昨夜で止まっていた。
内村静香から浜田に憑依したのはいいが、この先のことを、まだ翔子は考えていなかった。
翔子が次のことを考えていたとき職員室の電話が鳴った。近くにいた三年二組の担任をしている武田が電話を取った。長い髪の毛を耳の後ろにかけた。
「はい、霧島西中学校です」
翔子は、その様子を見ていた。
「はっ? 警察?はい――はい、わかりました。伝えておきます」
武田は電話を切ると、立ち上がり校長席の方に歩いてきた。
翔子の前まで来ると少し九州なまりのある口調で言った。
「警察のかたが、先日の踏み切りの事故の件で話があるので、後ほど学校に来るということです」
小島麗子がこの学校の生徒だから当然だろうと翔子は思った。
翔子は、この機会を見逃しはしなかった。
昼前頃、職員室の扉がノックされた。扉が開き 二人の警官が入ってきた。
翔子は顔を上げ二人の警官に視線を移した。
二人の警官は、被っていた帽子を脱ぎ、誰にするでもなく一礼した。
翔子は、自分の予想とは違ったことに驚いた。
入ってきた二人の警官は、一人は男性だがもう一人は若い女性だった。婦人警官の方はショルダーバッグを肩に掛けていた。
翔子は計画を素早く練り直した。多分 男性警官が二人来ると読んでいたのだった。
他の教師に促され二人の警官は 被っていた帽子を小脇に抱え校長席に向かって歩いてきた。
二人とも衣替えをしているのか白の制服だった。翔子は、校長席を立ち上がり二人の警官に軽く会釈した。
二人の警官は、翔子の前に立った。
「先日の踏み切りの事故の件で事情聴取に上がりました」
体格が、がっちりした男性警官が言った。
先日の踏み切り事故の当事者はこの学校の生徒なのだ。
それも未成年、当然だが無免許運転なのだ。翔子は、教室の隅にあるベニヤいたを合わせて衝立にしてある部屋に 二人の警官を案内した。
ここは以前、翔子が上坂陽一と会話した場所だった。翔子は、その部屋の扉を開け二人の警官に入るように手を差し出し 促した。
それから翔子は、振り向き、席に着いている上坂陽一を見てから、「上坂先生」と呼んだ。
教室に残っている教師全員が翔子に注目し 次に上坂陽一に視線を移した。
今回の事故が上坂陽一の受け持つ生徒だとわかると、他の教員達は視線を戻した。翔子は、上坂陽一を先に入れ、続いて翔子が入った。
二人の警官は、まだ立っていた。翔子は、向かい側の椅子に座るように手を差し伸べた。
向かって左側に男性警官、右側に婦人警官が座った。翔子は、上坂陽一にも座るように手で促した。
翔子は立ったまま 上を見た。ついたてには天井が無い、大きい声なら職員室の教師達に聞こえるだろうと翔子は思った。翔子は、早速行動を起こすことにした。座っている婦人警官の横に立った。
「すみません婦警さん、ちょっと立って頂けますか」
婦人警官は、私?というように自分に指差しをした。
翔子は頷いた。婦人警官は、ゆっくり立ち上がり膝に置いてあったショルダーバッグを座っていた椅子に置いた。翔子は一歩下がって前に立っている婦人警官を上から下まで舐めるように眺めた。
「いい からだしてますな」
翔子はそう言って、にやけ顔になった。確かに婦人警官の体は制服の上からでも体つきがはっきりとわかった。
「は?」
婦人警官は首を傾けた。男性警官と上坂も、校長の予測できない行動に戸惑っていた。
翔子は、おもむろに右手で婦人警官の胸に触れた。
「ちょ、ちょっと――何をするんですか」
婦人警官は後ろに状態を反らした。翔子はすかさず逃げ腰になった婦人警官の制服のボタンを留めてある隙間に両方の指を差し込み左右に引き裂いた。
止めてあったボタンが左右に飛び散り白いブラジャーが露になった。
「きゃー」
婦人警官は叫んだ。
職員室に残っていた教師達が一斉に衝立で囲ってある部屋を見た。その後、教師達同士、顔を見合わせた。男性警官と上坂は、校長の異常な行動に二人同時に立ち上がった。
翔子は、手を休めず次にブラジャーの真ん中の下部分に手を掛け引き上げた。ブラジャーは肩紐があるため下げるより上げたほうが早いのだった。今度は乳房まで露になった。婦人警官は先ほどの叫び声より さらに大きい声で叫んだ。
翔子は、婦人警官にのし掛かるように抱きついた。
「おい、やめんかっ!」
男性警官が後ろから翔子の肩を持って引き離そうとした。
翔子は校長の身体で振り向き、男性警官の制服の胸辺りを掴み後ろに突き放した。男性警官は、後ろの衝立に背中からぶち当たった。
再び怯えて動けず 椅子に仰向けに倒れている婦人警官に襲い掛かった。
「校長ーっ」
そのとき叫びながら上坂が婦人警官を掴んでいる翔子の左腕を引き離そうと両手で掴んできた。
翔子は上坂が掴んでいる自分の左腕を自分の前に引き付け、上坂を近づけてから空いている右手で上坂の胸倉を掴み翔子の前に引き倒した。
上坂は、婦人警官の上に仰向けに倒れた。翔子は、すかさず左手で上坂の額に触れた。
翔子の上に、浜田が固まったようにいた。その浜田の顔が翔子から離れていった。
異変に気づいて入って来た教師達が異様な光景を目の当たりにした。状況が把握できた教師達は 浜田を引き離しに掛かった 浜田は教師達に後ろに引き倒され押さえ込まれた。
「大丈夫ですか――お怪我はありませんか」
上坂の身体に憑依した翔子は、起き上がり下になって泣き顔になっている婦人警官を起こして聞いた。
婦人警官はボタンの外れた制服の前を両手で押さえながら小さく頭を上下に振った。
「婦警さんごめんなさい」と翔子は、少しやりすぎたと思い、心の中で誤った。
正気に戻った浜田は周りの教師達を見回した。
「公務執行妨害及び婦女暴行未容疑で現行犯逮捕します」
そのとき男性警官が浜田の両手を後ろに回し手錠を掛け無線で本署に連絡を入れた。
「な、何が?お、おい――ちょ、ちょっと待ってくれ、わしは、何もやってない。た、助けてくれ」
周り教師達に救いを求めた。周りの教師達は冷ややかな目で校長の浜田を見つめた。
教室の外で、けたたましい複数のサイレンが近づいてきた
11
上坂陽一に憑依した翔子は徳本リカがいる教室に向かった。
教室に入ると、先ほどのパトカーのサイレンなどに興奮した生徒達が騒いでいた。
「はい、静かにしろ――おい、そこっ! 座れっ!」
「藤本 ーっ!お前だ、お前」
翔子は上坂の声で怒鳴り散らした。
生徒達が全員席に着いた。
「先生、何かあったんですか?」
一人の生徒が聞いてきた
「お前らには、関係ないから安心しろ」
翔子は、その生徒の顔を見てそう言った。
「ほらみろ教えてくれるわけないじゃん」
そう言って質問した生徒の頭を隣の生徒が叩いた。
「先生、今日はもう帰れるんですか?」
別の生徒が聞いてきた。
「いや、昼からの授業もあるから安心しろ」
「えーっ」
ブーイングの嵐が巻き起こった。
翔子は悲しかった。ここで授業を受けられる目の前の生徒達がうらやましかった。翔子には、もう受けたくても受けることができないという寂しさがあった。
翔子は、徳本リカを見た。いつもとは違って、元気のない 徳本リカだった。いつも いる仲間がいなくなったのだから当然だった。
「徳本」翔子は名前を呼んだ。そして手招きをした。
徳本リカを連れて廊下に出た。
「どうした――元気が無いじゃないか」
「大丈夫…」
徳本リカは、首を傾けながら言った。
翔子は、自分の額に左の手の平をつけ、右の手の平を徳本リカに近づけた。
あ「熱はどうだ?」
そう言って徳本リカの額に手の平を当てた。
翔子は徳本リカの身体で、教室に戻った。上坂陽一は廊下で突っ立っていた。次の授業の担当の教師がやってきた。
「先生?上坂先生?」
上坂は、はっとした顔で周りを見渡した。
「大丈夫ですか」
授業担当の教師が聞いた。
「あ、はい大丈夫です」
上坂は訳がわからないまま 首をかしげ職員室に戻った
12
翔子は岡谷文也と石田祐樹を校舎の裏に呼んでいた。そこは自転車通学の生徒の自転車置き場だった。もう既に ほとんどの生徒が帰ったのか 置いてある自転車もまばらだった。翔子が行くと、もう二人が待っていた。
「なんだよ 用って」
岡谷文也がズボンのポケットに両手を入れてうざったそうに言ってきた。
「あなたたち二人に用があって呼んだの」
「だからあ――何が用なんだよ」
石田祐樹が翔子に詰め寄って聞いてきた。
「懲らしめようと思って」
「あ?今度は誰をだよ」
岡谷文也が言った。
「リカお前のダチ、もう誰もいねえじゃねえかよ」
「だから俺たちに頼みに来たのか?」
石田祐樹が地面の土を蹴りながら言った。
「あなたたちを懲らしめるため」
「は?」
「何言ってんだリカよう」
岡谷文也が翔子の前に立ちふさがった。
「おつむ大丈夫ですかあ?」
そう言って石田祐樹が翔子のひたいの部分を指で突こうとしてきた。
その手を、翔子は掴んだ。
もしここで石田祐樹に憑依してしまったら
翔子は井村に自分が憑依したときのことを思い出した。もしかして首から上を こちらが触れても触れられても憑依するかもしれないのだ。今、徳本リカの 体から離れるわけにはいかないのだ。
「い、いてえ」
石田祐樹の顔がゆがんだ。
「いいかげんにしろよ!リカ!」
それを見た岡谷文也が言ってきた。
「こいつ、女のくせに馬鹿力だぜ――おーいてえ」
石田祐樹が手首を摩りながら言った。
「大丈夫だよ、まだ本気出してないから」
翔子は言い放った。
「どういうつもりなんだ、俺たちに喧嘩売るなんて」
岡谷文也が翔子を見据えて言ってきた。
「仕返しに決まってるじゃないの」
「仕返し?」
岡谷文也が怪訝な顔つきになった。
「上履きに蛙を入れた仕返しよ」
岡谷文也と石田祐樹がお互いの顔を見合った。
徳本リカには、川本翔子を懲らしめてとだけ頼まれただけだった。蛙のことは一言も徳本リカには言ってないはずなのだ。
「お、お前一体…」
「やっと、わかった?」
「私は、翔子、川本翔子」
二人は混乱していた。
「か、川本は死んじゃったじゃないか」
石田祐樹が不安そうに言った。
「おい、本当にいい加減にしろよリカ」
岡谷文也はまだ信用していなかった。
そして石田祐樹を見た。
「祐樹お前、蛙のことリカに言っただろ」
「言うわけないだろ俺が」
石田祐樹は即言い返した。
「じゃ、川本…嘘だろ――おばけじゃあるまいし」
岡谷文也は信じないようにしていた。
翔子も川本翔子だとわからせる手立てがなかった。仕方がないので この特別な力を見せることにした。
「じゃ、いいもの見せてあげる、これを見れば私が普通の人間じゃないってことがわかるわ」
そういうと翔子は下に落ちている手ごろな石を拾って校舎の壁に向き直り少し下がった。投石するように石を持った手を頭の後ろのほうにやったと思うと校舎めがけて石を投げつけた。風を切る音と校舎の壁に直撃した石が粉々に粉砕し破裂音と同時に飛び散った
岡谷文也と石田祐樹はその光景を見せつけられて唖然となっていた。
「どう、これでわかった?」
「今は、徳本リカさんの身体を借りてるだけよ」
石田祐樹は、顔から血の気が失せ始め 体が小刻みに震えだしていた。
「お、俺……」
そう言ってから石田祐樹は全力で逃げた。
その様子を見ていた翔子が、一歩踏み出したと思ったら、あっという間に石田祐樹の前に立ち塞いだ。
「どこいくの?」
薄笑みを浮かべて翔子は石田祐樹を見た。
「か、川本さん…ご、ごめんなさい」
ほぼ瞬間的に自分の前に立ち塞がった徳本リカを見て体の前で手を合わせて懇願した。
先ほどの事といい、今の事といい人知を超えた力を見せ付けられた岡谷文也は動けずに立ちすくんでいた。
翔子は、岡谷文也に手招きをした。それを見た岡谷文也は、頭を上下に振り即効に翔子のところに走ってきた。
二人が翔子の前で並んで立っていた。まるで先生に怒られている生徒のように、先ほどの生意気な態度は微塵も見られない。
二人とも顔面蒼白になっていた。
「あなた達は、教室で私を裸にしたとき 手を出してなかったからゆるしてあげる。それと徳本さんの中に私がいるってことも、誰にも言わないで、わかった?」
「言いません」
「言いません」
二人は合わせたように激しく頭を上下に振りながら言った。
「もし言ったら、また地獄からあなたたちの前に現われてやるから、わかった?」
二人は、わかりましたと言ってさらに激しく頭を振った。
「それより、私の動画をネットに流したのは、あなた達なの?」
二人は 首が一回転するほど左右に振った。
「僕らじゃないです」
翔子は、二人を睨み付けて握り拳を作った。
「ほ、本当ですって」
それを見た岡谷文也が言った。
「正直言って、動画を投稿出来るやつはしてくれと頼んでしまいました」
石田祐樹が言うと 横にいた岡谷文也が、よけいなこといいやがって というような顔で石田祐樹を見た。
翔子は二人を交互に見た。目が合うたび二人は肩がぴくついていた。
「あ、よかったら投稿した野郎探しましょうか?」
石田祐樹が言ってきた。
翔子は少し考えた。
「別に探してまでいいよ」
そう言って翔子は体を横向けた。
「もし、あなた達だったら探す手間が省けるでしょ?」
翔子は二人にすばやく向き直った。二人は、同時に生唾を飲み込んだ。
「リ、リカはどうなるんですか?」
岡谷文也は びくびくしながら聞いてきた。
「徳本さんね、私と一緒にいっちゃうかもね」
「いっちゃう? ど、どこいっちゃうんですか?」
石田祐樹が恐々聞いてきた。
「ん?死んじゃうってこと」
それを聞いた二人は、また生唾を飲んだ。
「あなた達もいっちゃう?」
翔子は意地悪く二人を見た。二人は、激しくかぶりを振った。
「じゃ、ここでお別れね――元気でね、バイバイ」
そう言うと翔子は二人から去っていった。
翔子は初めからこの二人の命を奪う気はなかった。怯えさせればそれで十分だった。
岡谷文也と石田祐樹は去っていく徳本リカの身体の翔子を見送った
13
翔子はリカの家にいた。少し疲れたので眠っていた。起きてから徳本リカをどうするか考えることにした。
翔子は音で目を覚ました。そして時計を見た。十七時三十分だ。その音は、隣の部屋から聞こえてきた。良く効くと音楽をならしているような音だった。
翔子は、部屋を出て隣の部屋の前に立った。扉には『MIKA』と書いてあった。徳本リカには姉もしくは妹がいたのだ。翔子は徳本リカに自分の存在を教えようと考えた。
翔子は扉をノックした。
中から年代的に徳本リカと同じような女性の声がした。扉を開けてみた。リズムカルなポップ調の音楽が、一気に聞こえてきた。
ミカらしき女性は、翔子を見た。
「あんた、帰ってたの」
翔子はこの一言で、姉だと判断した。ミカは、徳本リカとは違い髪の毛は黒く身なりも普通だった。
「あんたにしては、めずらしいわね――こんなに、早く帰ってくるなんて」
ミカは、翔子に背を向けて机にあったCDを手にとって眺めていた。
ミカの後ろに翔子は、そっと近づき右手で後ろからミカの額に手を当てた。
翔子は、まだ意識の戻ってない呆然としている徳本リカの手を額から離した。
徳本リカが正気に戻った。ミカに憑依した翔子を見てから周りを見渡し、視線が翔子に戻った。
「お姉ちゃん あれ…ここは…お姉ちゃんの部屋?」
訳が分からない徳本リカは始終視線が定まっていなかった。
「あれ、確か学校にいたはずなのに まあ、いっか」
そう言って染めた髪の毛に指を入れながら振り返り扉の方に向き直った。
「ねえ川本翔子って子知ってる?」
翔子は自分の部屋に帰りかけている徳本リカに問いかけた。徳本リカは振り返った。
「知ってるけど どうして」
「あの子自殺したんでしょ?」
「う、うん、そうみたい」
「どうして自殺したか知ってる?」
「え?」
徳本リカの顔が一瞬こわばった。
「し、しらないよ、そんなこと」
「いじめられたりとか?」
翔子は質問を続けた。
「知らないってば」
徳本リカがやけになりかけてきた。
「本当に知らないの?」
「知らない」
徳本リカは、翔子に向いていた視線を別のところに移した。
「あなたって、嘘つきね」
翔子がそう言うと徳本リカは、キッとした目つきで翔子を見た。
「お姉ちゃんは何が言いたいのよっ!」
「徳本さん…私は あなたのお姉ちゃんなんかじゃないの」
徳本リカは怪訝な顔つきになった。
「は?何言ってんの?」
「私は、川本翔子」
「お姉ちゃん、ふざけないでよっ!」
徳本リカは、そう言って再び部屋を出ようとし扉の方に体を向けた。
「教室で裸にされた私の気持ちがわかる?」
徳本リカが扉の前で止まった。
「足を拡げられ見せてはいけない女の部分まで晒された私の気持ちが分かるっ!」
川本翔子にした内容なんて姉が知るはずかなかった。徳本リカは、ゆっくり翔子の方に向き直った。
目が翔子を凝視していた。
「嘘、嘘よ――ありえないわ」
「本当よ、徳本さん」
「坂野さん、斉藤さん、小島さん、みんないなくなっちゃったわね」
徳本リカの目が泳ぎだした。
「ま、まさか…それって…」
「そう、そのまさかよ――すべて私がやったことなの」
翔子は薄笑みを浮かべた。
「あ、あなた本当に川本さん…なの」
「そう、今はあなたのお姉さんの身体を借りてるけど」
徳本リカは怯えていた。二人が死に 一人が病院送りになってしまったのだから、体が小刻みに震えだした。
「あなたが、最後の番なの」
翔子はそう突きつけた。
徳本リカは首を左右に振った。
「い、いや…死ぬなんていや」
「お願い、ゆるして、川本さん――ね、お願い」
徳本リカは 膝まづき胸の前で手を合わせた。翔子は、小さく首を左右に振った。
そのとき、ミカの身体に被って川本翔子の身体が重なった。
徳本リカの顔から血の気が引き 床に後ろ手に支えるようにのけぞった。
「か、か、川本さん…お願い ゆ、ゆるして」
徳本リカの目にはミカの姿が消え 川本翔子の姿になっていた。
「ゆるせないよ」
そう言って翔子は徳本リカを見据えた。
徳本リカが半泣きになり 翔子の足にすがってきた。
「お、お願い…本当にごめんなさい、川本さん」
徳本リカの顔が涙と鼻水で見るに絶えない顔になっていった。
「かわもとざん、お おえがいします。ご、ごえんなさい…ごえんなさい」その嗚咽混じりの声は、子供がだだをこねているようにも思えた。
勝手、誰にも劣らぬ美貌を誇っていたその顔が今は微塵も残っていないと翔子は感じた。
翔子は、母親が子供の目線に合わせるように徳本リカの前に屈み込み 泣きじゃくっている徳本リカの顔を見た。
「徳本さん、みんなのところに一緒に逝こう」
そう言って、翔子は泣きじゃくっている徳本リカの額にそっと手を当てた。
徳本ミカが正気に戻ったころ翔子は部屋にいなかった
14
翔子は徳本リカの家を出ていた。そしてどうするか考えながら空を見上げた。空には青空が広がり 雲が一つ浮かんでいた。
「この空も、この雲も、もう見ることはできない…」
翔子は両手を伸ばし大きく深呼吸した。目の前の景色がゆっくりと涙で霞んできた。
「この空気も、もう味わえない」
翔子の目から一筋の涙がこぼれた。
翔子は、ふと母親に会いたくなった。
「お母さん、どうしてるかな…会いに行こうかな 顔を見るだけそう見るだけでいい」
徳本リカの身体で、母親に会いに行くことにした。
翔子は、家の前に立った。
家を見渡した。住み慣れた家がここにあった。目の前に『川本』と書かれた表札がある。
翔子は、呼び鈴を押した。少しして母親の声がした。
「あの、ちょっとお聞きしたいことがありまして」
翔子は、母親の顔を見たかった。
玄関の扉が開き、母親の幸子が出てきた。幸子の顔は、やつれていた。翔子は、自分のせいだと思うと胸が一杯になった。
「あの、何でしょうか」
呆然としている翔子を見て幸子は首をかしげた。
「あ、すみません――この辺で 藤田さんってお家、ご存知ないですか?」
翔子は近くの知っている家の名前を言った。もちろん幸子も知っていた。
翔子は目頭が熱くなり涙が出そうになるのをこらえた。
「ああ、その家なら…」
母親の幸子は、指をさし説明し始めた。
翔子は母親の顔を見ていた。もう見ることが出来ない顔、もう聞くことの出来ない声、そう思うと目の前が涙で霞んできた。こらえ切れずに溢れた涙が頬を伝った。
翔子は「おか…」そこまで言いかけて言葉を飲んだ。
「お母さん、私が翔子です」と言いたかった。しかし、今、名乗る訳には行かなかった。名乗ってしまえば母親を、混乱させるだけだと翔子は名乗るのを我慢した。
母親にとって私は、もうこの世に存在しない娘なのだから顔を見るだけでいい、それで十分と自分に言い聞かした。
「あの、分かったかしら? どうしたの?――大丈夫?」
幸子は、自分の前で涙を流している少女見て 不思議そうに聞いてきた。
「はい、大丈夫です。わかりました」
翔子は涙で濡れた顔を手で拭うと、あっと思い出したようにポケットから折り畳んだ紙切れを出した。
翔子は、もしものときと思い母親に手紙を書いていたのだった。
「あの…良ければこれを後で見てもらえますか?」
そう言って折り畳んだ紙切れを母親に手渡した。幸子は、何かしらと言うような顔をしてその紙切れを受け取った。
その時、幸子の手が翔子の手に触れた。ほんの一瞬だが母親の手のぬくもりが翔子の手に伝わった。そのぬくもりが、仕舞い掛けていた翔子の感情を引き出した。
「ありがとうございました」
その感情を隠そうと翔子は、深々と頭を下げた。
「ありがとうお母さん」
「親不孝をかけてごめんなさい」
「お父さんといつまでも仲良く元気に暮らしてね」
翔子は、頭を下げたまま小さい声で言った。溢れ出た涙が頬から鼻先に流れた。
そして母親に顔を見せずに走った。幸子は、去って行く少女を見送った後、少女から受け取った、折り畳んだ紙切れを開いた。
それはメモ用紙のようだった。開いた紙切れには、見覚えのある字で
『お母さんへ、いつもわがまま言ってごめんなさい、私にとってこの十四年間は本当に幸せでした。ありがとうございました。いつまでもお元気でいてください、それと最後に私を産んでくれてありがとう 翔子より』
間違いなく、翔子の字だった。幸子は、悲しそうな表情でその紙切れを見つめた。
幸子は、ふと思い出したように頭を上げた。
「でも、なぜ、あの子がこれを持っていたのかしら…」
幸子は、あの少女の涙を流していた顔や、聞き流してしまった少女のつぶやきを思い出していた。
「ありがとう、お母さん…そうだ、確かそう言っていた。ま、まさか…」
紙切れを持った手が小刻みに震えた。
「翔子…あの子が…翔子?」
幸子の瞬きが早くなり視線が泳いだ。そして少女が去っていった方向を見つめた。
翔子は走った。とめどなく涙が溢れ出てきた。その涙を拭おうともせず走った。しばらく走った後、翔子は立ち止まり声を出して泣いた。翔子は思いっきり泣いた後、両手で涙を拭った。
その後、家のあった方向に向き直った。
「お母さん、いつまでも元気でね…さようならお母さん」
翔子は最後のお別れを言った。そして身を翻し走っていた方向に歩いた。
翔子は、徳本リカの身体で、マンションの屋上に上がった。そして柵の外側に立った。翔子は、周りを見渡した。
以前、ここに立った時は、景色など全く見る余裕などなかった。
こんなにもここからの景色が綺麗だったとは思わなかった。翔子は空を仰いだ。爽やかな風が翔子の顔を通り過ぎた。
「やっと、終わった…」
翔子の顔に安堵の表情が浮かんだ。翔子は、前に向き直りそして目を閉じた。柵を掴んでいた両手を放した…
署で待機していた井村耕平に緊急出動の命令が入った…
初夏の空に、ぽっかりと夏の雲が浮かんでいた。
お わ り