ソフィアの冒険
私はウェルと森で一晩明かして最寄りの村へ向かう事になった。野宿なんてした事が無い私は、ウェルにあれやこれやと文句を付けたが、「未来は変わる事は無い」とばかりにグレイスが未来を見せて来たので涙を飲むしか無かった。
そう、彼女の名前はグレイスと言うらしい。グレイスの口から聞いたわけでは無いけれど、ウェルの焚き火の前で眠っていた時に夢を見た。その夢で私はグレイスと呼ばれていて、それはきっと私の信頼出来る友人の事だと心がそう感じた。
朝も早くから出発し、村に着いたところでウェルは村長に挨拶をして、老若男女問わず何か困り事が無いか村人に聞いて回り始めた。そんなウェルの背中を追う私は、何故か自分の事の様に誇らしく思い、胸の高鳴りを感じてしまった。
「マリア、君はこの村の属する領主の家とか、この村の地主の家に関係する人なのか?」
「ここは、家の領地じゃないわ」
「······ん?」
「Yikes! ······ああ、ごめんなさい。記憶が曖昧で可笑しな事を言ってしまったわ。あゝ、私はどこの生まれなんでしょう······」
「そうなのか。まあいいや、ここの人達が君を見て警戒しているものだからさ」
危ない危ない、私は記憶喪失の設定を忘れて、ついうっかり事実を答えてしまった。そしてどうやら私の格好のせいで、ここの地主の家族か何かと勘違いされている様だ。
ウェルが私とこの村の権利者とが関係無い事を伝えると、村人から堰を切った様に不満が溢れ出した。
しかしそれは、どれもこれも一個人にはどうにも出来ない問題ばかりで、不満の濁流に巻き込まれた私達は、次々と上がる無理難題に辟易してしまった。
「いやあ、困ったよ。この村は少し前にも立ち寄ったけど、ここの領主は結構厳しい事を言うみたいでね。害獣の対策も打たないで、収穫量を上げろとか言われたとか、そんな事ばかりだ」
「そうね。そんな事は······あ、あるかな?」
「······かな?」
私の家は地主だ。領主から畑を任されたお父様も、直ぐに手を抜きたがる小作農達が手抜きをしない様に、割と無茶な事を言っていたのを思い出した。
村人の無茶な要求にウェルが何を手伝うか悩んで居るので、私はグレイスに未来を見せて貰いながら、ウェルが3つまでに絞った案件の内容を詰めて回った。
一つ目はハズレ。“村を囲う柵を作りたい”であるが、私としては「村で勝手にやれ」であるし、そんなに長期間滞在したく無い。
二つ目の“薬草の採取”もハズレ。少人数の村で畑に手を取られて居ると、そんな雑用には人手を割けない。なのでこれは協力したい話ではあるが、グレイスの見せる未来では大した変化の起こらない案件だ。
取り敢えず「そんなに沢山要らないんじゃないか」と言っておいた。
3つ目はウィリディスの退治だった。私はウィリディスという魔物を見たことが無いけれど、ウェルの武勇伝に名前が出て来たし、ウェルの未来には緑色の人の様なものと戦っているのが見える。
そして、もう少し先の未来で私達と同行する事になる耳の長い大きな獣の姿も見えた。
───グレイス、この未来を選べば良いのね?
「ウェル、それが良いと思うわ」
「そうなのかい? まあ良いか。それじゃあマリアは村で待っていてくれないか。あいつ等は一応危険な魔物だからさ」
「え? ······危ないの」
グレイスの見せてくれた未来では私も同行していた。危険と聞いて足が竦んでしまうけど、女一人で村に残るのも心細い······。きっと私が見た私も、ウェルの傍に居ることを選んだのだろう───
私はウェルが「それじゃ動きにくいだろ?」と言うのでドレスを脱ぎ、村の獣人種の娘から尻尾を出せる構造の農作業用の服を借りて着替えた。未来の私も着ていたし、「これならどう?」とウェルに見せて居ると、グレイスが何故か彼女が着替えている映像を見せて来た。
グレイスは服を脱いでいき、丈は膝くらいまでだがこの作業着の下衣の様な物だけになった。───“ドロワーズ”と言うらしい。白くてふわふわで可愛い下衣だ。───え? 下に履いてない? ······下着なの? グレイスはこれが下着だった!?
私は下着は下着で履いているけど、何だかこの格好が恥ずかしくなってきて、服の裾を引っ張った。
「ん? 先に済ませておいてくれよ」
「むうっ!」
私がモジモジしていると、ウェルにとっても失礼な事を言われてしまった。
そしてウェルは、膨れる私に長い棒に短剣を縛り付けた即席の槍を渡してきた。
「あ、ありがとう······どう? 強そう!」
私は渡された即席の槍を立てて胸を張り、尻尾もおっ立てて······あ、ヤダ! 服の後ろが捲れてる!
「さっきから大丈夫かい? 敵が武器を持っていたら逃げてくれよ」
「え? 武器持ってるの?───あ! 大丈夫、楽勝よ!」
「マリア······頭は大丈夫かい?」
私とウェルは、森の中を魔物の目撃があった場所へ向かって歩いている。
「───ハア!───ハア!」
蔓草を木の幹に巻き付けて目印を付けながら進むウェルを、私は槍を杖にして息を荒らげて追いかけて行く。
「······やっぱり君は何処かのお嬢様だったんじゃないかな?」
「───ハア!───ハア!」
「おんぶしてあげようか?」
緩い上り勾配の斜面と、弛く歩き辛い地面に体力を削られた私は、遠慮無くウェルの背中に飛び乗った。
私はウェルの背中に揺られて暫く進んだところで、木々の隙間から魔力の塊を見付けた。
「ウェル···何か居る」
「マリアは魔人種だったな。ウィリディスなら群れてると思うけど······」
私は「何か居る」と漠然に捉えた魔力を、目を凝らしてしっかり見た。魔人種は身体的な特徴の他に、魔力を色とか匂いとか日常的な感覚で感じられるというものがある。
私は色で見えている。人を見た場合は、魔力の濃い胴体部から四肢に向かってヒョロヒョロと魔力が伸びているのが本来の身体に被って見える。今見えているのは枯れ葉色の魔力塊だった。
動物と魔物の違いは、その魔力の濃度に依って分けられている······らしい。
全ての生き物は魔力を帯びているが、動物に分類されるものは空気中の魔力濃度よりも魔力が薄く、私達魔人種にも殆ど認識出来ない。
魔物と私達人は、空気中の魔力濃度よりは濃くなっているので、魔人種の感覚で空気中の魔力とは別物と認識出来る。
そうなると今見ている魔力の塊は魔物のもので良いだろう。
「ウェル、何か大きい魔物が居る」
「大きい? ······ウィリディスじゃないのか。それなら襲ってくる気配が無いなら避けて通るよ」
ウェルは回り込んで進み、私はウェルの背中からその魔力の塊が襲って来ないかをじっと監視していた······あ、そうだ。襲われるかどうかは、グレイスに教えて貰えば良いんだ!
「───あっ、やっぱだめ! あの子なの! ウェル、あの魔物を助けてあげて!」
「───マリア、済まないがさっぱり意味が分からないよ?」
「怪我をしていて動けないの。そこを······沢山の肌が緑色の変な奴が襲うのよ」
「緑の······それは討伐を頼まれた魔物のウィリディスだろうけど。······まあいいや、探す手間が省けた」
ウェルは首を傾げながらも私の言葉を信じてくれて、少し離れたところに二人で腰を下ろした。
もう既に魔物とウェルはお互いに気配を感じ警戒している様だが、こうして待っていれば魔物を餌にウィリディスと言うのを釣れるのだから儲けものだ。
「ん───来たかな?」
「え······どこ?」
「マリアはもっと感を鍛えた方が良いよ」
ウェルは培った感で何かの気配を感じ取った様だ。そして少し膨れる私の事は放っておいて、相棒のナントカって言う剣に手をかけた。
「取り敢えずウィリディスは全部倒すよ」
「は、はい!」
ウェルは自分からは動かず、ウィリディスが魔物に手を出して“自分達の獲物”と認識するのを待つと言った。
そうする事でウィリディスは、自分達の獲物をウェルから守るために逃げずに戦うようになるらしい。······その気持ちは分かる。自分のものは取られたくない!
怪我を負った魔物が痛む脚を庇って立ち上がり周りの藪を警戒すると、藪がガサガサと音を鳴らし、沢山の何かが飛び出した。
「ウェル!」
「ああ! マリア、あんまり離れるなよ!」
ウェルは剣を抜き藪を掻き分け私を置いて飛び出し、私はウェルに大分遅れを取りながらも、槍を抱えてパタパタと走り出した。
私が藪を抜けた頃に見たのは、身長が子供くらい(1メートルくらい)の肌が緑色の人。人と違うのは中身が入っていない様な潰れた頭と、尖った耳、裂けた口。グレイスが読んだ本の挿絵で見たことがある“ゴブリン”のような魔物が、二体倒れていた。
「炎よ!」
私が声のする方を見ると、ウェルは手の平から母が使う着火用の細い炎なんかとは桁違いの豪炎を吹いてゴブリンを炙り、接近して斬り伏せているところだった。
「Brilliant!!」
私は始めて見た攻撃用の魔法とウェルの勇姿に、ついグレイスの言葉で“素晴らしい”と声に出してしまった。きっとグレイスも興奮して、それが私に伝わって来たのだろう。
それからウェルは、炎の弾を飛ばしたりして魔物を牽制し、剣を交え余裕の表情で斬り伏せていった。
ウィリディスを全滅させたところで、私達はこちらを警戒する大きな魔物を見た。
「さて、マリア。後はこの魔物なんだけど······どうするんだ?」
「······どうしよう?」
グレイスが見せてくれた未来は、今目の前の魔物が私とウェルに同行しているものだった。だけどゴブリンを圧倒して魔物を助けたまでは良いが、手懐ける過程がさっぱりだ。
「取り敢えず、餌付けをしてみよう」
ウェルはゴブリンの脚を切り落として、魔物の前に放り投げてみた。
「───食べないなあ」
魔物は私を警戒しているのか、肉を食べようとしなかった。
「ウェル、これ切って」
「······君のドレスじゃないか?」
私はウェルの荷物の中から自分のドレスを取り出して、ここを切れとウェルに提示した。持ち主が切れと言うのだから遠慮せずに切れば良いものを、ウェルはドレスを申し訳無さそうに裁断していった。
細い帯状の生地を作った私は、続けてウェルに剣を固定して持つ様に言った。
「ウェル······そのまま、そのままよ······剣を動かさないで、そのまま───」
「あ、ああ······一体何をす───おいっ!」
私はウェルの剣に腕を当てた。咄嗟にウェルは私から剣を離したが、私の腕には赤い線が入り、赤の雫を落としている。
「痛ったああい! ウェル、早く手当てして!」
「何をやってるんだ君は!」
ウェルは荷物の中から薬草を取り出し、手で揉んでから患部に当て、ドレスの包帯でしっかりと巻いて処置してくれた。それを見ていた魔物に、私は優しく話し掛けた。
「───貴方もこうやって治療してあげるわ。そうね、名前は───レプリス。ほらレプリス、大丈夫よ。怖いことはしないわ」
耳がやたら長い大きな猫の様な魔物レプリスは、私とウェルの治療を受け入れ一緒に村へ帰った。
魔物を討伐しに向かっておいて、魔物を連れて帰って来た私に村人は驚いたが、ウェルがゴブリンの首を見せると、目先の脅威が無くなった事に喜び、村長は金を集めてウェルに報酬金を支払った。
そして私達はこの村で一泊して、私は家族の無事を祈り、旅の足を進めるのだった。