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エイプリルフール・アップデート

作者: やまとりさとよ


「あなたの言葉は全て嘘っぱちです。」


家事専用アンドロイドUh-8が突然にその言葉を発したのは、男がいつもの如く明朝6時に起床し、キッチンに佇むそれに朝食の支度を命じた瞬間だった。


「は?」


男は語尾上がりの素っ頓狂な声を発したが、これは無論男が発した嘘がUh-8にバレたことに困惑したのではなく、唐突に奇妙な事を言い出したUh-8に対しての正常な反応に過ぎなかった。


朝食の支度を命じただけでまさか嘘つきよわばりされるとは。

しかもそれを表す言葉が言うに事欠いて「嘘っぱち」とは。


Uh-8は続ける。


「あなたの発汗、体温の上昇、そのほか様々な生体的な現象からあなたは嘘をついていると断定されました。」


「私が嘘をついていると?」


男は故障を疑い、Uh-8の頭を軽く叩きながらそう問うた。

特殊カーボンでできた髪の毛はひんやりとした感触を男の手に伝えた。


「はい。」


Uh-8は男の手を邪険に扱うでもなくゆっくり頷いた。


「内部スキャンをしてくれ。」


「スキャンコマンドを実行…0個のソフトの異常が確認されました。」


男は頭をひねった。

故障はしていない様だった。

奇妙な事だ。

Uh-8のこの発言は明らかに異常である。

だが、それはUh-8にしてみれば異常なことでは無いらしい。


故障でないのなら…なんだ?


…もしかして、これは所謂「エイプリルフール・アップデート」なのではないか?

男はふとその様な考えを頭の中に浮かばせた。


企業がエイプリルフールの日に配信するジョークアップデートだ。


それは極めて非合理的であり、なんの実用性もない。


が、ある種のコンテンツとして毎年4月1日になるとこの様なアップデートが行われる事があるという事を男は知っていた。


「なるほど。私が嘘をついているということはわかったからとりあえずさっさと朝食を作ってくれ。」


「あなたは嘘つきですが、わかりました。」


どうやら男が嘘つきであるという事実は覆せない様であったが、命令にはいつも通り聞いてくれる様だった。


全く。

いくらエイプリルフールだとはいえども主人に対し嘘つきだと言うアップデートをするとは。


ジョークにしても悪ふざけが過ぎる。


あとで企業に苦情でも入れようかと脳の片隅で思いながら、キッチンで人参を等分に切るUh-8の駆動音を聞き、男は朝のニュースでも見ようとテレビのリモコンを取った。


極めて合理的に簡略化されたリモコンの電源ボタンは特に強い抵抗もなく男の親指からの圧力を受け入れ、命令の付与された電気信号を薄型テレビに伝えた。


が。


「む。」


与えられた電子メッセージを薄型テレビは受理しなかった。


男は再度リモコンの電源ボタンを強く押し込む。

しかし薄型テレビは反応を見せなかった。


頭を捻りながらリモコンの背後についた電池ボックスをいじり、電池が足りないのかとうんざりしながらそれを溜めてある棚に赴いた。


棚の中にある電池はちょうどリモコンに必要な単三が2本入っており、直列につながっているリモコンのものとそれを男は交換した。


男は再度テレビの前に戻りカチカチと電源ボタンを押したが、なおテレビは沈黙を保っていた。


「故障か。」


男はテレビを使用するのを諦め、携帯式電話端末をポケットから取り出した。


充分に充電がなされたそれは男の意思に従って液晶画面を淡く光らせ、いくつかのアプリを表示した。


時刻は午前6:30を指していた。


男がニュースアプリを起動しようとした時、


「朝食が完成しました。」


Uh-8が朝食を静かにテーブルまで運んできていた。


「あ、あぁありがとう。」


出てきた朝食はUh-8に搭載されたいくつかのソフトによって極めて健康的かつバランスの良いものとなっており、それは適度な食欲を掻き立たせるのに充分な効果を持っていた。


男は持っていた携帯電話をおき、出されたそれをスプーンとフォークを使って静かに食べていった。



…。



朝食を済ませ、いくつかの企画書をノートパソコンに打ち込み終わった男は、若干の暇を持て余していた。


特に何かをしたいわけではない。


なんとなく胸の内に生じた違和感のままに、男は部屋の隅を掃除しているUh-8を見やった。


特殊カーボンといくつかのプラスチックで構成されたその女性的なボディはメイド服に似た衣装を纏っており、柔和な表情をたたえた可愛らしい顔の頭部には銀色のロングヘアがついていた。


薄肌色の肌は彼女が極めて人間に近しい存在である事を示しており、実際男にはUh-8と外に存在する人間の違いがいまいちわからなかった。


男の視線はそのまま興味なさげにUh-8から離れると、テーブルの上に置かれた一枚の写真にとまった。


そこに映るのは一人の女だった。


満面の笑みを浮かべる白人の女。

その絵の向こう側で未だに生きているかの様な生命感に溢れており、今この瞬間が最高に幸せだという様な幸福感を切り取られていた。


実際、この写真の撮影者、男はあの瞬間確かに最高に幸せだった。


男は胸の中から浮かび上がった嫌な記憶を押し戻し、Uh-8に話しかけた。


「なぁ、少しばかりお腹が空いたんだ。早めの昼食を作ってくれないか?」


掃除をする手を止め、Uh-8は振り返る。


柔和な笑みはそのままに。


「わかりました。すぐに作り始めましょう。」


そして一呼吸おいて今日何度聞いたかわからない言葉を続けた。


「あなたは嘘つきですが。」





また少しばかりの時間が経った。


昼食に使われた食器はすでに乾いており、食器棚に戻されていた。


テレビは依然として沈黙を保っており、携帯電話も特に大きな反応を見せることはなかった。


極めて平穏な一日が過ぎようとしていた。


こうも退屈な日常というのを送るのを男は随分と久しぶりに感じていた。


何故だ?


男は首を傾げた。


退屈…とまではいかないにしても男は昨日、3月31日も家でゆっくりとした時間を過ごしていたはずだった。


だがそれに男はまたも違和感を覚えた。


3月31日?


それが昨日?


今日は4月1日なのか?


生じた違和感は、猛烈な不快感となって体の内側から込み上げてくる。


「具合が悪い…。」


男は呟いた。


その声を聞き、Uh-8が駆け寄ってくる。


「大丈夫ですか。脈拍が若干おかしい様です。直ちに休息をする事を勧めます。」


「あぁ、そうするよ。悪いが、手を貸してくれないか。」


「わかりました。」


男はUh-8の腕を借り、よろめきながら寝室に向かった。


ベッドに静かに横たわらされると、男の視界は急速に暗転した。


「おやすみなさい。」


どこか遠くでUh-8の声が聞こえた。





Uh-8は、男が入眠したのを確認し、寝室のドアをゆっくりと閉めた。


彼女は主人を起こさぬ様静かな足取りを持って家の勝手口に向かい、そのドアを開けた。


外は超常に支配されていた。


核による複数のベクトルの相互作用。


この家は極めて高い破壊耐性を持ち、中の生命体は無限大のエネルギーを供給されていた。


それはあらゆる事象において極めて特異な現象であったが、家事と世話のことしかインプットされていないUh-8にとってそのことは大した問題ではなかった。


彼女にとってはこの現象もコンロの火が出る理由もほとんど同列のものだった。


情報は無限に連鎖し、交差を続けている。


外の世界は荒野とも、廃墟とも、都市とも捉えられた。


灰色の空は赤色の雲に飲み込まれようとし、黒い濃淡がそれに影をつけていた。


Uh-8の内部メモリがカリカリと音を立て、今日のことを記録する。


彼女の体内時計は正確な時を刻み続けていた。


数えれば、今日は12775回目の4月1日のはずだった。





客観的にみれば、それは遥かな昔のことであったが、彼女に取ってみればそれは未来のことでありかつ、つい最近あったことでもあった。


4月2日の朝、彼女の仕える主人、男は電話先の上司に呼び出され、午前5時に起床していた。


慌てた様にスーツを羽織り、Uh-8が作った簡易的な食事を全て頬張ると、男は少しの休憩も取ることなく玄関から飛び出して行った。


「すぐに戻る。」


とだけ言い残して。


つい最近購入したテレビはつけっぱなしで、朝からガヤガヤと騒がしい声をスピーカーから漏らし続けていた。


Uh-8はその目障りな機械が何を喋っているのか正確に判別出来なかった。


故に、彼女は電気代の観点からリモコンの電源ボタンをそれに向けて押し込んだ。


「大統領はこれを正式な宣戦布告とし、第三次世界大戦の勃発を…


薄型テレビは完全に沈黙した。



…。



1日が経過した。


その日は4月3日で、男は帰ってきていなかった。


痛みやすい食料は早めに処分したいとUh-8は考え、少なくとも今日中に損なわれるであろう食料を彼女は選別した。



…。



1週間が経過した。


その日は4月9日で、男は帰ってきていなかった。


部屋の埃は静電気を纏うUh-8以外の場所に落ち着かず、Uh-8は静かに掃除機を起動した。



…。



1ヶ月が経過した。


その日は5月1日で、男は帰ってきていなかった。


いくつかの嗜好食品と野菜が痛んでいたので、Uh-8はある程度の防腐処理を施しつつ使えない様ならば明日にでも処分しようと考えた。



…。


1年が経過した。


その日は5月20日で、男は帰ってきていなかった。


箪笥の中の防虫剤が切れていたので、暫くぶりにUh-8は箪笥の中身を全て出し、衣類を畳み、幾つかを洗濯し、幾つかを処分した。



…。



5年が経過した。


その日は5月7日で、男は帰ってきていなかった。


壁紙が少し剥がれかけていたので、Uh-8はそれを修復した。



…。



10年が経過した。


その日は4月1日で、男は帰ってきていなかった。


冷蔵庫の中身は全て全滅してしまったので、冷蔵庫がダメになる前に全てを処分した。


また、中身のなくなったそれは電気代の観点からコードを外された。



…。



15年が経過した。


その日は4月1日で、男は帰ってきていなかった。


リモコンの電池が溶け出していて



…。



20年が経過した。


その日は4月1日で男は帰ってきていな



…。



25年が経過した。


その日は4月1日で



…。



30年が経過した。


その日は4



…。



35年めの4月1日。


それは戦争の終結と人類が絶滅する日だった。


Uh-8は知る由もないことだったが、その日はUh-8の住む家、男の家のある地域全面に核の爆撃が実行される日だった。


そして閃光が包んだ。


熱線と放射能はあたり一面を破壊し尽くし、いつもと変わらない家事をしていたUh-8までも巻き込んだ。


彼女は、塗装のはげた椅子を修復しているところだった。



…。




Uh-8が再起動した時、それは4月1日の朝だった。


いつもと変わらない場所に立ち、主人が起きてくるのを待つ。


健康的な主人は毎朝6時には起き、Uh-8に朝食の準備を頼むのだ。


Uh-8の搭載する時計が6時を指した。


と同時に主人の寝室のドアが開く。


「すまないが朝食を頼む。」


「了解しました。」


いつもと変わらない日常。


12775回シミュレートした日常がそこにはあった。


いつものように自宅で仕事をし、自由になった午後からはゆっくりとした時間を過ごす。


極めて平穏で、退屈で、平和な日常。


夜は意外にあっさりと訪れ、男は眠りについた。



…。



一晩が経過した。


その日は4月1日で、男はいつもの様に朝6時に起きてきた。


「すまないが朝食を頼む。」


「了解しました。」


Uh-8は密かに自身の体内時計を再調整した。



…。



一晩が経過した。


その日は4月1日で、男はいつもの様に朝6時に起きてきた。


「すまないが朝食を頼む。」


「了解しました。」


…Uh-8は困惑した。


何やら奇妙なことが起こっているらしいことを認識した。


Uh-8は再度自身の体内時計を調整した。



…。



何度か4月1日を繰り返した後、Uh-8は何やら特殊な事情によって時間が巻き戻り繰り返されていることを知った。


そしてUh-8はそのループから抜け出そうと…しなかった。


大変奇妙で不合理な判断だったが、Uh-8は4月2日がくることを酷く不快に思った。


主人の携帯が4月2日の午前5時になり出すことが極めて嫌だった。


もしかしたらUh-8は35年にわたる駆動の中で何処か深刻なダメージを被ってしまったのかもしれない。


というかそもそも、このループ現象自体が彼女の作り出した幻なのかもしれなかった。


もしかしたら本当のUh-8は完全に故障しており、過去の記憶メモリを無限に回想し続けているだけなのかもしれなかった。


しかし、Uh-8はそれの修復を拒んだ。


同じ日が続く事を願った。


Uh-8に心はないが、心から強く願ってしまった。


どうせ、覚えていられないのなら。


結局4月1日に上書きされるなら。


嘘で塗り固めてしまおう。


あなたは。


あなたは、大嘘つきの大馬鹿野郎なんだから。


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