二十七日
二十七日。
(なんだったんだろ、昨日の宴会)
私は国司の館の一室で寝ていて、朝、目を覚ました時、一番にそう思った。
(海賊、海賊言うけど、あの藤原純友が海賊みたいだった)
違和感が残る日だったが、次の日はやっと土佐から出発できることになって家人一同、喜んだ。
「室津から阿波の水門まで、海賊が出るので気を付けてくださいね」
宴会漬けの日々から解き放たれ、心の温かい新国司やその身内、家来たちに見送られて、私達は船に乗り込んだ。
「阿波の国の役所には、連絡をしておきました。土佐から離れても、無事に船旅が進みますよう、申しつけております。道中のご安全を。わずかばかりですが、餞別をお受け取りください」
「ありがとうございます」
国司の館で新国司様は引き出物をくれ、私たちはまた豪華な宝物をもらった。紀貫之様はまた丁寧に感謝をした。
「この浦もこの辺は海賊が出ますのでな、油断なさらぬよう」
(また、海賊)
海賊の話ばかり。海には海賊しか出ないのだろうかと、私も心配に思い出した。
「この辺はまだいいが、宿毛のほうでは海賊の根城が出来ているらしい」
「あすこから、こっちへ来ているんですね。嫌だな」
船に乗り込んだ家人たちも、しきりに海賊のことを心配している。
(私が京の町を下って土佐に来た時は十歳足らずだ。船旅のことも周囲のことも怖いと思わなかった)
日ノ本は帝の統治する国とは言え、地方は目の届かない場所もある。(朝廷での陰謀も聞いたし、この辺で、役人が賊のように、横暴を働くこともあるのも聞いている)
国司として任期を務めた紀貫之様の金品。
古今和歌集の写本。
五年の任期の間に新たに編纂された和歌集。まだ世に発表されてない秘密の「新撰和歌集」
(これらのものが全部、海賊たちの的に?)
まさか、海賊討伐をしに来た藤原純友が海賊となって、このあたりを荒らし回ているとは思わなかった。そんなことは、誰も気づいてなかった。
だが、私には何かしらの野生の勘というものが働いていたかもしれない。
そう思った私はこっそりと夜、誰にも見つからぬようにして荷の中から、新作の新撰和歌集である御本を胸に仕舞い込んだ。
(これで万一、荷が狙われたとしても、大丈夫。まさか、海賊も新作の和歌集が若い下っ端の侍女が胸に仕舞い込んでいるとは、誰も思わないよね)
紀貫之様に警告しておこう。くれぐれも用心をせねば。
そう思って一歩を足を進めようと思ったけど、私は動けなくなってしまった。
紀貫之様は若い奥様との娘がいたが、土佐に来てから失くしてしまったのだ。
船に乗る時にいた子が、船に乗る時にはいない。いざ帰るとなった時、ご夫婦は気づいてしまい、悲嘆にくれた。
都へと思うを ものの悲しきは
帰らぬ人のあればなりけり
あるものと 忘れつつなお亡き人を
いづらと問うぞ 悲しかりける
紀貫之様や奥様は船で、亡くなった娘の和歌を詠んだ。
船に乗った家人や老女たちにも同調して、悲しみが広がった。
(だめ、今、恐怖や不安を与えることは、言えない)
宴会も終わったけれど、いよいよ土佐を出るとなった時に、紀貫之様と奥様は激しくお嘆きあそばされた。
(御本が海賊に奪われないよう、私が注意しよう。私の母は早くに死に、父も病気で死んだし、紀貫之様と綾子様が私の父母代わりだ。世話になった人に、恩を返さねば)
これだけでは返せない恩があるが、今はせめてこれを守ろう。私は秘かに胸の中で決意をした。
「橙乃は船旅は辛くないか?」
紀貫之様は、私が港で海を見て何かを考えているのを見て、船酔いでもしたかと心配して、声をかけてくれた。
「い、いいえ。最近なにかと、人間の世界が嫌になって」
私はやはり、余計なことは言えなかった。
「対立とか、お互い傷つけあうことばかりで、人の大切なものを平気で奪う人もいて、世の中は不安でいっぱいです。今までは田舎でのんびり自由でしたけど、都に戻れば多くの人がいて、せめぎ合うことも多いのでないかと」
「せめぎ合いか・・・確かに、京の都に帰るのは私も不安だ」
「旦那様も?」
「ああ。私も内裏で多くの陰謀を見て来た」
紀貫之様は和歌の人というだけではない。官吏としても働いて来たので、内裏などで色々と見て来ている。
紀貫之様は、年老いた目で、遠い目して言った。
「私が、醍醐天皇となる方から歌の編集を任されて、内裏にいた時も、勢力の移り変わりが激しかった。とても賢くて有名な菅原道真がいたが、権力者藤原時平によって謀反の罪を着せられ、大宰府へ流されてしまった。菅原道真はその後すぐ死に、権力を得た時平もすぐに死んだ」
「菅原道真。その名前は私も聞いたことがあります」
「私が若い頃の、右大臣だ」
大宰府に流されて恨み、時平は病死したのは有名な話だ。その後、醍醐天皇の子供も次々早逝し、道真の呪いと言われた。今でもまだ怨念は消えておらず、各地を祟っていると言われている。
「私が内裏に上がりたての頃も事件があった。藤原氏の基経という男が天皇と対立して事件を起こした。私はまだ二十歳の頃でまだ内裏にようやく上がれた身であり、無力な官吏で、呆然と見ることしかなかった。その後、歌会で私の歌が認められ、それを見た醍醐天皇が和歌を編纂する仕事に抜擢してくれたが、権力闘争の激しい内裏だ。私は主流の藤原氏でもないし、ことはもう成り行きに任せて、人と争わず、なるようになろうと思った。朝廷は相変わらず、藤原氏の世だったが、そうしたら、私は順調に官職を上がり、子宝にも恵まれた。一人は失ってしまったが、・・・そして、この土佐の国司に赴任した」
紀貫之様は御年を召されてから出世をしたが、なるようになって、ここまで来たなら大したものだ。
私はその深い考えに、感動を受けた。
「都では政変が多い。だが、都から遠く離れたこの地では、乱も政変も、権力闘争の余波も及ばぬ。私らは気にせず、のんびりと行こう」
「はい」
旦那様はちょっと変な人だけど、心から人を愛し、心配してくれる人である。だから私も信頼している。
これが本当に長旅になるとは思ってもいなかったが、最初はこうして紀貫之様も気楽な気構えでいたのは、私と同じだった。