海賊襲来2
「逃げろ。人里まで走れ」
矢五郎爺と若手の連携で、近くの砂浜に船を乗り上げたはいいものの、海賊は大勢だ。追いかけて来て、船を上陸させた。数十人はいただろう。
(これだけは意地でも渡さないわ。最後まで逃げてやる)
私はそう決意し、砂浜を走った。
「橙乃」
私は、船を降りて走って来た時文様に手を摑まれた。
「いっしょに逃げよう。父と母も連れて行くぞ」
「旦那様は?」
「ここだ。さ、お前、しっかりするんだ」
「ええ」
見ると船の裏から、奥様を連れて紀貫之様が出て来た。
錯乱しかけていた奥様は、意外と落ち着いている。
「走れ」
紀貫之様の声で私ら家人はわずかの手荷物だけで、海岸を覆う森へと入った。
森の中に入ると、家人らはばらばらになって、姿が分からない。
森の中は薄暗い。森の深くへ入っては、むしろ危ない。
前へ進むにしても、どこへ向かっていいのか。
混乱した私の肩を時文様がぐいっと引っ張って、己のほうに向かせた。そして、動揺する私を落ち着かせるように、力強く言った。
「橙乃、お前は父と母を連れて、人里を目指すんだ。俺がここで食い止める。村は煙が出るところにある、煙が上がっているところ、匂いがあるところを探すんだ」
「時文様は?」
「俺と是則が、ここで海賊を足止めする。その間に、お前は近くの村へ逃げ込むんだ。父と母を任せたぞ」
「駄目です、時文様が逃げてください」
私は反射的に言った。
「旦那様たちは、娘さんを失って悲嘆にくれている。時文様は長男。時文様まで失えば、旦那さまや奥様はどうなるか・・」
海賊に捕らわれたら、十中八九殺される。時文様が男でも捕まれば、命はない。証人を残さぬために、海賊は皆殺しをするのだ。
紀貫之様の悲嘆を思えば、私が時文様を残して行けるわけがない。
「いいから、行け」
「嫌です。私が代わりに犠牲になりますから、時文様が旦那様たちを連れて逃げてください」
「お前が大事だ。父も母も大事だが、お前も大事なんだ。海賊になど渡せない。俺がここで何とかするから、行け」
「どうして、私などが大事なのですか。私のほうより、時文様のほうが大事です」
「あのなあ、お前、確かにこの世は身分制度だが、俺はお前に守られようなんて考えてない」
「私が大事?」
「そうだ、お前が大事だ、俺はお前が大事なんだ、だから守る」
「なぜ・・・?」
それでもまだ分からない私に対して、時文様は大きな手が私の頬を包み、ぶっきらぼうにそう言った。
「大事なものを大事にしてどこが悪い」
「私?私のことが?」
「ああ」
「私・・・」
相変わらずぶっきらぼうだったけど、己の体を呈して守ろうとしてくれる気持ちに、熱いものを感じて、私は自然と涙が出た。
時文様の手を熱く感じながら、私は何か返事をしようとしたけど、怖い顔の男たちが近づいていて、途中途絶えた。
「いいか、走って逃げろ」
時文様は私の肩を抱いて、紀貫之様のいるほうに向かせた。
「あ、海賊が」
だが、一歩遅かった。海賊は走って周囲まで来ていて、私らは取り囲まれていた。
「旦那様、こんな時に何ですが、婆様と私、どっちが大事ですか?」
「本当にこんな時に、何を言っているお前」
「死ぬ前に教えてください」
(本当にこんな時に、何を言うのですか、奥様)
でも、大事な旦那様が、自分か婆様かどっちかっって大事なこと。
「答えてください」
「それはだな」
(もしも聞けないまま終わったら、死んでも気になって死ねないかも。ああ、でもこんな時に、ややこしい話止めて)
何を言ってるのですか、奥様。
海賊はじりじりと間合いを詰めて来る。
(もう、駄目だ)
そう思った時、矢が放たれた。
ひゅうっともう一本。
見ると、松林の向こうから、立派な鎧を着た武士たちが手に武器を持って走って来ていた。
「官軍だ。この一帯の警護をしている兵士たちだ。鏑矢が聞いたな」
奥様に食らいつかれんばかりだった紀貫之様はほっと顔を緩めた。
そう言えば、私達をユーターンさせた新国司が別れる時、「旅が滞りなく進むように各所に連絡した」と言っていた。
これは、官軍がすぐ駆けつける手配をした、ということだった。
この手配があったおかげで、つまり、新国司が各役所の官吏、阿波の官軍に連絡してくれたおかげで、海岸線にはどこでも官軍が出兵していて、沿岸に常に官軍がいつでも駆けつける体制が出来ていた。
鏑矢で、そのうちに官軍の一つ、近くを通っていた官軍が気づいた。
こうして、私達は助かった。