二十六日。海賊
二十六日。
私たちは海賊と出会うのを避けるため、夜に出航したのだが、夜が明けた時、とうとう海賊と出会った。
「俺から離れるな、橙乃」
時文様は私の手を取った。
朝になって、明るい海の上を航行している時、気づいた。帆がついた船が三つ四つ浮かんでいて、私たちの後をついて来た。よく見ると、人相の悪い男たちが乗っていている。
「海賊だ」
忌々し気に言う紀貫之様。やっぱりと言うか、落胆された様子でもあった。今まで見たことがないほど表情は険しかった。
私は男たちの一人に藤原純友を見た気がした。
髪はざんばらで背後にくくり、麻の粗末な衣服を着て、手にモリや槍を持っていて、鋭い目、強欲そうな顔をしていている。
(やっぱり、あの男が・・・)
藤原純友はやると言ったらやる。盗ると決めたら必ず盗る男だ。なぜなのか知らないが、私はそう思った。
(海賊が多く出没すると言う近辺になるまで待って、出て来たのだ。今まで虎視眈々と狙っていた。土佐の出航から二十数日。よくぞつい来たものだ)
はっきりと確認したわけではない。男はその後、覆面をして顔を隠してしまった。けど、あいつが純友だ。私は強くそう感じた。
「逃げるのだ」
紀貫之様が声を荒げた。
(これだけは守らねば)
私は胸の御本を押さえた。
「矢五郎爺、どうする?」
「大丈夫だ、私らのほうが先を行っている。こちらには若い衆の漕ぎ手がいます。必死で漕いで、引き離します」
船は猛スピードで進んだのだが、その時、前からも海賊の船が出て来た。
「ああっ先回りしていたんだ」
私たちは前を塞がれて蛇行し、そうこうしているうちに後ろの海賊船が私たちの船に追いついてしまった。
「うわあ、海賊が」
海賊はモリみたいなものに紐をつけたものを船のヘリにかけて、私たちの船に乗り込んで来た。
船の漕ぎ手の若者たちは、必死で船を漕ぎ、海賊船から逃げようとする。
「船頭、漕ぎ手たちよ、何とか皆の命を助けるんだ。家人らは、荷は捨てろ」
「でも、御本は?」
「私の本より、皆の命のほうが大切だ」
私が聞いたら、紀貫之様はそう断固として答え、私は二の句が継げなくなってしまった。
海賊たちはぴたっとくっついて、私たちの船を止まらせようとする
紀貫之様は皆に船室に入るように命じ、奥様を連れて自らも後退した。
男たちは剣を持ち、海賊たちと戦いになった。
「大変じゃ、和歌集が散逸する」
婆様はそう言って、手入れされて年季の入った美しい唐櫃から包みにくるんだ本を取り出し、胸に仕舞い込んだ。
「この醍醐天皇じきじきに申し渡された新御饌和歌集だけは、わしが守らねば」
(はい?じゃあ、これ何?)
私は自分の胸を押さえ、必死で考えた。
(出す時に表紙は確認したけど、他にも本があった。では、盗難防止のため、本物と偽物があったのだ)
紀貫之様の荷は婆様が守っていたことに、私は気づいた。
紀貫之様は荷を捨てろと言っても、婆様は守る気だったのだ
さすが、婆様だと言わざるを得ない。私より先を読み、ちゃんと盗難防止をしていたのだ。
「橙乃、お前のも捨てたら行かんぞ」
「私のも?」
どういうことだろう?
婆様に見抜かれていたことを驚いたが、今はそれどころではない。
「あのな、橙乃、それはだな」
婆様は私に何か言いかけたが、ぐいっと私は時文様に引っ張られた。
「橙乃。婆様といっしょに、隠れていろ」
万が一のため、護身用に持っていた剣を時文様は抜いた。ぎらりとする刀身を餅構え、海賊たちの前に出る。
「時文様こそ、逃げて。隠れてください」
「お前は隠れていろって」
「私は家来の身だから、主人を守るのが役目です。時文様も私が仕える主人です。私は時文様の前に出て、海賊から守ります」
私は無我夢中で時文様の体にすがりついた。
だが、時文様は私の肩をつかんで船室があるほうへ引き戻した。
「俺が戦う。お前は船の後尾へ行ってなさい」
「でも」
「いいから、父と母を頼む」
和歌が下手で、指摘されては泣く弱虫の時文様だから、私が海賊から守ってやらねばと思ったのだが、その時の時文様は緊迫した中でも確固たる信念があり、戦いに向かう気迫もあった。
(時文様・・・!)
戦いになると男でもひるむものだが、いたずらっ子だったものが爆発した感じで、男らしくなっていた。
そんな力強い、頼り甲斐がある時文様を見たのは初めてだった。
(本当に、本当に私を守ってくれている)
悪ガキだったから口先だけと思ったけど、いざとなってもひるまない。本当の芯から強いものがあった。
言っているそばから、乗り込んでくる海賊を剣で切りつける。
私は見てもいられない。時文様が仲間がやられそうになっている。
怖ろしい光景だ。
船の上では悲鳴や剣戟音が続き、船はぐらぐら揺れた。
「矢五郎爺、このままでは持たない。どうする」
「仕方ねえ、陸につけるぞ。お客様を逃がすのが第一だ」
矢五郎爺は船首を回転させると、一直線に陸に向かって船を進めた。
海賊に襲われた船はどうなるか。荷物を盗られて、人は殺される。
襲われて、追いつかれた私たちは、陸に逃げるしかなかった。
ぴゆうう。
船員の若者が、鏑矢を放った。
陸での援護を請う合図だった。
私ら家人はそれが何を意味するのか考える暇なく、陸に上陸した。