二十三日
二十三日。日和佐に着く。
もんもんとしながら私らは、何とかそれでも次の目的地まで進んだ。
私は胸に隠した和歌集が、奥様は船旅が、紀貫之様ははやく都に帰ることが、家人らは旅がどうなるのか、帰りがいつになるのか、それぞれの思いが交錯し、混乱したまま船は海風に乗って進み、とうとう阿波の国の半ばまでは、着いたのだった。
「あの、橙乃」
「何ですか?」
「いや、何でもない」
こんな時に何だけど、時文様は私に何かを言いかけようとしている。
人知れぬ 思ひのみこそ わびしけれ 我が嘆きをば 我のみぞ聞く
(また旦那様、私のことを)
人知れぬ思いを時文様が私に持っている。それを今、時文様は言おうとしたのだろうか。
(いったい、何を?)
死ぬ前に言い残したいことは、いろいろあるだろう。隠したお菓子のこととか、へそくりとか。時文様にもあるかもしれない。
(違う。紀貫之様がだてや酔狂で、恋の歌など詠むわけないもの)
つまりは時文様は私のことを好きだろうかと状況から判断とか、分析するとか、というのは、私だけが考えていることで、本当は紀貫之様も時文様も隠しようがなく、隠しているわけでもなく・・・つまり、時文様は私のことを好きだ、というわけだ。
長年の幼馴染の勘で。そう思うと、頬が熱くなった。
だが、今は到底そのような余裕はない。海賊襲来のために、必死で警戒しなければならなくて、船の漕ぎ手も家人も皆が、周りを警戒していた。
時文様ももうそれっきり、違う方向を見ていた。
南街道を抜ける最後の大きな関門まで辿り着いたわけだが、荒波と地形から、ここが一番海賊が横行している場所だと言う。
「このあたりは海賊が出る、昨日も出たらしい」
船乗りたちも口々に、海賊のことを言い出した。
私はあの怖ろしい目つきをした男たちの集団をまた思い出した。
「海賊が追いかけて来ているとの情報もある」
そんな話も紀貫之様が言った。
(海賊が本当に出るかもしれない)
今まで気配だけ、勘違いかと思っていたものが急に近くに感じるようになった。
「婆様あ、海賊が出たらどうしたらいいですか」
「この婆に任せておけ。婆が退治してくれよう」
「婆様に海賊なんて、退治できるわけないじゃないですかあ」
家人らはそれは不安がった。
「南無阿弥陀仏」
奥様は言うまでもない。ひたすら念仏を口にしている。
「海賊に襲われずに船旅が続けられるよう、私らも神に祈りを捧げよう」
紀貫之様も近くの神社で祈祷すると言い出す。
(これは本当に、海賊が出るのだわ)
冷静な紀貫之様までもが祈りを捧げるとは。
二十四日は晴れというのに、神社がある海岸に止まって、ひたすら読経で日が暮れた。いよいよ、差し迫って来た感じだ。
(本当に、海賊が出たらどうしよう)
すぐそこらへんに海賊がいるのが、疑う余地がなくなった。