十二日
十二日。
思い起こせば、時文様はいつも私のそばにいた。屋敷で顔を合わせぬ日はなかったし、出会わなくても、いたずらしにやって来た。
(あれは、もしかして時文様の好意だったかもしれない)
今更だけど、気づいたら、あれもこれもと思い出されて、顔が赤くなって来る。
いや、でも誤解ということもある。好きでもそういう好きではないのだ。幼馴染への友情。信頼感。もしくは、単なる子分とか、家来への思いかもしれないし。
紀貫之様も我が子とはいえ、見誤ることだってある。
(そうそう、考えすぎよ。あまり考えちゃ悪いわ。相手はあの時文様よ。偉そうにするけど、和歌は下手で、それを気にしている時文様なんだから)
よそ見している場合じゃない。
私は今、大事な御本を運搬している最中だ。この任務に集中しないと。
「何かお前が心ここにあらずなのが、気になるのだが」
そうは言っても時文様は俺から離れるなと言って、常に私の前は後ろにいる。
「な、何もありませんけど?なぜ、そんなことを聞くの?」
「いや、ずっとそわそわしている気がする」
「何もないわ」
「それにお前の胸、分厚くなっている気がする」
「ぶ、分厚くって何ですか。胸は分厚くと言うのはおかしい、い、いや、どこ見てるのですか」
私は言いかけてはっと見た。和歌集を胸に入れているので、確かに胸が分厚くなっているのだ。
(やばい、バレてる?)
「ど、どこ見てんのよ、時文様は」
恥ずかしさというより、バレないために私は叫んだ。
「い、いや、俺は決して変な目で見ているわけではなく」
「変な目で見てなければ何ですか」
「いや、あの、違う。そういう意味で見てたのはなく、いや、でも、見たらダメだということもないだろ、そういう目で見てないと言えば嘘になる。俺だって男だ。見ることもある」
「わーん、堂々と言わないでください。やっぱり、見てたんですか」
「う、見たら悪いのか。正直に言ったまで。黙って見てたら、それはそれで怒るくせに」
「開き直った」
「そんなに拒絶されるとは思わなかった」
私は秘密がバレないために必死で言ったのだが、時文様は案外本気で怒ってしまわれた。
「え・・・そりゃ、見られたら嫌だもの」
「いや、だから。そりゃ悪かったが、俺は決してやましい気持ちで見ていたのではなく、お前を旅の危険から守りたい気持ちで見てただけで、見たいと思って見ていたわけではなくて、いやだが、見たくないわけではなく、いや、決して見ようとして、見ていたのではなく、でも男だから・・ああ、もうそっちはどうでもいい。俺は心配しているんだ。お前の身を」
「でも、私は家臣ですから、私が上の方々をお守りするべき立場です。時文様も私のことなど気にしないでください。時文様も、私がお守りしますから」
「お前なあ・・・か弱い女子が、男を守ることなど出来るわけないだろ。それに、女に守られる男なんて、男じゃないだろ」
時文様は機嫌を悪くし、ぷいっとそっぽを向いた。
「俺が言いたいのはだな。船旅は危険が多いから、滅多なことはするなということだ。俺に言えば何でも言えばいい。俺がお前を守ってやるから」
「守るって、どうして・・・私が家来だから?」
「家来なんて、家来と思ったことはない。お前のうちの人間だろ。大事なうちの娘だ。母もお前を娘同然と思っている。俺も大事な家の者をほったらかしになんて出来ない。お前も他人行にしなくていい。お前と俺との仲だろ、水臭いでないか」
私は時文様が本気で心配してくれていることに気づいて、胸がじーんと熱くなった。
旅が人をそうさせるのか、旅で人間が表れるのか。
危険な旅をしていて、人の優しさに触れるのは嬉しいことだ。
「なんだか、急にしっかりされて来ましたね」
いたずらっ子だった時文様が、急に大人びて男らしくなったのを感じて、私は幼少の頃を知る友として、感心せずにいられなかった。
「もともと、お前が気づかなかっただけ。俺だって、都に返ったら成人の儀式をして大人の仲間入り、出仕もするんだ」
「都に帰るのが楽しみですね」
「俺は嫌だ。家門だの、学派だのに挨拶巡りしなきゃならないし、俺は都に帰ったら、大学寮に入らないといけない」
「時文様の苦手な漢文や漢詩を勉強しなきゃいけないからですね」
「そうそう」
「また下手な漢詩作って、不興を買ったり」
「そうそう・・・お前、それ、止めてくれ」
「下手と言われるも、時文様、気にしてますもんね」
「そうそう、俺は本当に気にしてるんだ。止めろ」
(悔しいけど認めよう。悪ガキの延長線上にいるいたずらっ子以外、違う姿があるって認めることを)
私は洟垂れ小僧の時から知っている分、時が経った年月の重みを感じた。それで、良い意味で私は時文様を見る目が変わった。
もう成人する年齢だし、あっても当然と言えば当然。
(男として女を守る思考とか、家の一員と思ってくれるところとかは、成長して良くなったところだな)
今までいたずらされたけど、その分は差し引いてもあまりある、思いやりを感じる。
私は今なら、時文様に信頼感を持てる。不思議だが、旅のせいかもしれない。