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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ テア ──なにひとつ知らず──
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4. 少女たち

 十二歳のわたしは、学校帰りに庭園ではじめてその少女を見たとき、一枚の肖像画のことを思った。

 弟君と同じ青みをおびた黒髪と白い肌にばら色の頬。瞳はカイさまとは違う青玉のような色合い。花弁に似た紅唇には木漏れ陽のような楽しげで優しげな微笑みがあった。長ずれば間違いなく国一番の美女とうたわれたであろう、カイさまの亡きお姉さまの肖像画。

 かの令嬢の肖像画を思い浮かべたのは、目の前の少女がそれに似ていたという理由からではない。侯爵の従弟の末娘であるという八歳の少女は侯爵家の令嬢とは正反対だった。

 ほんのり赤みがかった薄い色の髪に氷色の瞳。色の抜け落ちたような青白い肌とやせ細った体、微笑みなど知らないかのような唇……。季節は冬で、彼女は雪野原の静寂の中から突如現れ出でた氷の精に見えた。ひとりぼっちで、いまにも陽光に溶けて消えてしまいそうな哀れな精霊。


「どうしたんです?」


 少しためらったあと、わたしは彼女に声をかけた。

 このころのわたしは「カイさまの遊び相手」以外に、もっと細々とした側仕えらしい仕事もするようになっていたのだが、この日の午後は休みであったため、時間や役目を気にすることなく声をかけることができた。

 それでも、少しだけためらったのは……侯爵の従弟──クシ伯爵とよばれていた──とその奥さまとご子息と三人のご令嬢の滞在中は「あまり近付かないでほしい」とカイさまに言われていたためだ。

 たぶん、そう、賢いカイさまはわたしとの身分の違いというものを、決して超えるべきではない身分の隔たりというものを、本心ではよく理解されていて、そう口にしたのだろう。彼は本当に賢い少年だから。わたしの振る舞い次第では彼の迷惑となり、恥をかかせることになる。だから。

 ──でも、やはり今普段着のわたしが彼女に話しかけたところで、カイさまに何かご迷惑をかけるということはないはずだ。


「どうしたんです、お嬢さま。そんなところであんまり薄着でいるとおカゼをめしますよ」

「……」

「お嬢さま?」

「…………」


 無言のまま、彼女はわたしを見た。瞳は近寄って改めて目にすると思っていたよりも温かみのある色で、青々とした空にかざしたときの氷の色だった。綺麗だけど……透きとおっていて、生きていない。

 わたしはお屋敷の子供部屋付女中に聞いたこの少女についてのうわさ話を思い出した。


『あの子は伯爵さまが外国に旅行にいってらしたときに、そこの女に産ませたって子なんですって。その人が亡くなったから引き取ったって聞いたけど……かわいそうに、ずいぶんご家族にいじめられてるらしいよ』


 味方を誰ひとりもたないお嬢さま。喪失と悲哀の海に沈むお屋敷で皆から愛されていながら孤独なカイさまとはまったく正反対の、でもやはりひどく悲しい少女。今にも端からほろほろと崩れて、消えてしまいそうな女の子。

 わたしは外套を脱いで彼女に着せかけた。彼女にはずいぶんと大きかったが、気にせずしゃがんで首もとまできっちりボタンを留めていく。そうしながらしゃべった。それが必要だと思ったから。

 

「お屋敷の中はお嫌いですか、お嬢さま? わたしもです。鳥がいなくなったあとの鳥かごの中にいるような気になるって、わたしのあるじも言っているんですよ」

「……」

「ふふ、謎かけみたいな言葉ですよね。わたしにはいつも何となくしかわからないんですけれど、そう言うとあるじはいつも『そのほうが嬉しいかもしれないな』と笑って、お勉強の成果を見せてくださるんです」

「…………」

「最近は魔法専門の先生をつけていただいたからか、魔法がずいぶん上達されて、色々と不思議な術を見せてくださって……」

「…………まほう」

「そう、魔法です。昔からずっと魔法使いって何かうさんくさいと思っていたんですけれど──だって皆そう言いますものね──最近は考えを改めました。室内に虹をかけたり、天井に星々をまいたり、魔法使いというのは人を笑顔にする、とても素敵なものだと思います」


 わたしは少女の目を見上げた。相変わらず生気は薄かったが、彼女の目はわたしを見ていたからだ。


「そういえば今朝、南の庭にスノードロップが咲いたんですよ。漂白の魔法をかけたみたいに綺麗なスノードロップです。魔法の蝶々も見に来ていると思うんですけれど……一緒に見に行ってくださいませんか?」


 わずかな沈黙のあと少女は小さくうなずき、わたしは彼女を連れて歩き出した。差し出した手を握ってもらうことはできなかったけれど、長い外套の裾がかすかに地面をすっていく音が後ろからソロソロとついてくる彼女そのものみたいで、嬉しくて胸があたたかかった。


 スノードロップをか細い指でちょんとつついて、パタパタと飛んできた宝石のような蝶に目を大きく見開いた少女。


 ……彼女は名を美しき女神と同じく、ヘレーネといった。


 わたしと彼女は日に日に──まさにひっそりと緩やかに春が冬を溶かしてゆくように──親しくなっていったが、それをカイさまが知ったのは実に二週間以上経ってからのことだった。それだけ、わたしたちは会う機会も話す機会も少なかったのだ。




 その日、わたしと彼女は白い水仙に囲まれた大きな木の根本に座っていた。わたしは村で聞いた春の歌を歌っていて、彼女はそのすぐそばで静かに小鳥の舞う空を見ていた。

 だから確実に、このことが起こったのは、声を出していたわたしの責任だったのである。


「おいお前」


 ひどく無遠慮な声と共にぐいと腕を掴まれるまで、わたしはその少年が近付いて来ていたことに気付かなかった。傍らの少女がびくりと身をすくませて固まる。その怯えようで、わたしは聞かずとも少年の正体がわかった。


「いい声だな。村の娘か? 最近しょっちゅうヘレーネがいなくなると思ったら、お前みたいなやつといたとはな。ふん……まあ、器量も悪くない」


 少年はわたしと同い年かやや年上のようで、異母妹(ヘレーネ)と同じ赤みがかった髪に、どちらかといえば整った容姿をしていたが、意地悪な目つきをして、口もとに浮かんだ笑みはとても嫌な感じのものだった。


「来いよ。妹どもはカイに夢中でつまらんし、おれひとりヘレーネで遊ぶのにも飽きてきたところだ。お前でも遊んでやるよ。光栄に思え」


 わたしはちらりとかたわらの少女を見た。震えている……。

 それだけで、これからどんな目に合わされるかわかろうというものだ。わたしは顔を上げ、はっきりと言った。


「遊んで()()()()てもいいですけど。ヘレーネさまはご気分がすぐれないようですから、お部屋にお戻りいただいても構いませんか?」


 生意気な口を聞いた代償に、わたしはこの初対面の少年に嫌というほど殴られた。おかげで岩陰で縮こまる小さな少女に少年の関心が向くことはなくなったが、少女が逃げることは結局できなそうだった。

 抵抗するすべも知らない「卑しい村娘」を思う存分殴りつけた少年は、わたしを無理矢理立たせて品定めするように上から下まで眺め回して、悪意に満ちた笑みを浮かべた。


「いいか? お前はこれから、おれに命令されたことはなんでもやるんだ。返事はみんなと同じように『はい、伯爵の坊ちゃま』だぞ。次に生意気な口を聞いたらムチでぶってやるからな」

 

 疲れ切っていたわたしは言われた通りに返事をして、少年の数々の残酷な遊びに付き合うことになったのだが……そのときのことは、できればもう二度と思い出したくない。

 とにかく、一時間も経つころには、わたしは連れ回され、歌わされ続け、殴られて、傷だらけで今にも倒れそうな状態になっていた。それでもわたしが考えていたのはかたわらの小さな少女を守ることで、その子が無傷でいることこそ、わたしがひとりで屈辱に耐えられる理由だった。

 けれど、とうとう……悪魔のような少年が乗馬用のムチを持ってきて、それを面白半分にわたしにあてようとした瞬間、彼女が自身の異母兄の関心を引くような真似をしてしまった。

 彼女は「やめて」と叫び、わたしを突き飛ばしてムチから守り、全身を恐怖に震わせながら異母兄の前に立ちふさがった。少年は当然怒り狂った。


「なんのつもりだへレーネ! 下賤の女から生まれた穀潰しの分際で生意気なっ!」


 少年は小さな異母妹をムチで叩き、わたしのこともまた叩いた。この無意味で残虐な折檻が終わったのは、時間などの自然の力によってではなく、超常的な魔法の力によってであった。

 そうでなければ、わたしたちは日暮れまで暴力を振るわれ続けていたであろう。


「──何をしているのかな」


 不可思議な風を操って年上の少年の動きを止めたカイさまは、わたし以外の相手にいつもしているように、つくりものめいた上品な笑みを浮かべながら、落ち着き払って聞いた。

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