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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ 再びテア ──真実を──
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15. 壊れた鳥かご

 カイさまは以前、わたしに魔の鎖は似合わないと言った。醜悪だからと。ならばわたしにいかなる魔法もかかっていることはないだろう。彼はそういうひとだ。


 ──なのに、それを確かめさせてほしいというティモの要求を拒否した。


 それは「ぼくにテアへの魔法の許可を求めるのは筋違い」で「テアの選択にぼくが口をだすことはない」という意味なのか、それとも……。

 魔法師カイ、とティモが呼ぶ。わたしよりも彼の心理をわかっているのか、遮光メガネの向こうで「だろうな」という顔をしながらも。


「調べさせていただけないと疑いを晴らすことはできませんが」

「べつに疑い程度、どれだけ付きまとおうと気にしないよ」

「一応の検査だけです」

「…………」


 無言のまま、ぐっとわたしの腰に置かれた手の先に力が入る。彫りつけられたような人形の微笑はそのままだったが……思い切ってわたしは口を挟み、カイさまに問うた。


「わたしが調べて欲しいと頼めばいいのですか」

 

 次の瞬間、わたしは向けられた瞳に初めて見る感情が浮かぶのを見て、どうしてかを考える前に自分の発言を後悔した。

 彼が唇だけでわたしの名を呼ぶ。答えに怯える瞳で。


「そうしたいの、テア?」


 彼はわたしの身体の中に影響する魔法を恐れていた。魔法使いたちが焦がれる魔を醜悪と、わたしをきれいと心から信じて言ってのけ、魔によってきれいなものが壊れるのをなにより案じるひと。わたしは首を振った。ゆっくりと安心させるように、横に。


「いいえ」

「オイ」


 ティモが思わずといったように地の声を漏らしたが、わたしは気に留めもしなかった。カイさまの不安がほっと解けるのを感じたから。きみはいつも優しいね、と彼は言った。

 それから対岸の魔法使いに視線を戻して。


「テアが望まないのだから……諦めてくれる?」

「ですが」

「──もうおやめなさいませ」


 ふたたび平行線をたどりかけたふたりの魔法使いの会話を止めたのは、凛とした女性の声だった。


「いくら説得しようとカイさまは首を縦に振りはしないでしょう。カイさまがテアさんに傀儡魔法をかけていないかを調べたいのなら……」

「っカイさまはわたしに悪い魔法をかけたりなさいません」


 驚いたことに、わたしに魔法がかかっていないか確認しに来たはずの令嬢は、わたしの言葉にあっさりうなずいた。


「わかっています。もともとカイさまはあなたが魔で穢れることを何より嫌いますから。しばらくご様子を拝見して確信を持ちました。カイさまは変わっていらっしゃいませんし、テアさんもテアさんのままです」


 その確信のせいなのか、どうしたことかヘレーネさまからは先ほどの頼りなげな雰囲気が消えていた。しかも、だからといって学園でささやかれた“氷人形”の名称に当てはまるというわけでもなく……、今の彼女には鮮やかに咲き誇る大輪の花の雰囲気があった。


 薄氷の花弁を幾重にも重ねて生命の輝きで飾った麗しき花。


 そんなヘレーネさまに特に感銘を受けた様子もなく、カイさまはどこか物憂げに聞いた。


「この茶番はパウルの復讐かなにか? それとも一応きみと許嫁関係にあるぼくをに対する嫌がらせなのかな」


 彼の発した言葉にぎょっとしたのはわたしだけだった。

 ティモは無表情だったし、ヘレーネさまは慣れてでもいるかのように冷ややかにカイさまに向き直っただけだったから。


「堕ちていないと安心したそばからその発想。本当に相変わらずですのね。誰もがあなたと同じくらい性根が腐っていると思わないでくださいませ」

「言うね……おびえていたくせに」

「あなたが嫉妬でキレてらしたからです。身の危険ですもの」

「ふぅん、もう黙っていてくれるきみではないわけだ」


 なるほどねと、クスリと落とされた、人形のものではない心地よさげな笑み。いたずらな悪魔にも似て。


「じゃあ、パウルはお人好しをやめたのかな。ぼくがテアを操って自分のものにしようとしている、なんて発想が出るあたり……ぼくと大差ないように思えるけど?」

「バカなことおっしゃらないでくださいませな」


 ヘレーネさまは明らかにムッとした。


「パウルさまだって、そんなことはないと証明するためにおっしゃっているだけでしょう。あのかたはひとを疑うためより、ひとを信じるために行動するかたですわ」

「まあね、わかっているよ……」

「そうでしょうとも。悪いのはなにもかも禁術にまであっさり手を出しそうなあなたの性根です」


 気を許し合った同士にしか出せない雰囲気の中で進む会話。見たことのない表情でお互いに親しげに会話をするふたりに混乱するより、いっそあっけにとられてわたしは聞き入っていた。

 けれど、ふいにヘレーネさまは表情を真剣なものにして。


「パウルさまはあなたに謝りたいと言っておられましたわ」

「……謝る? あいつが、ぼくに?」

「ええ。信頼を裏切って悪かったと。それから『なにもかもやり直すことはできるだろう』とも」

「……ふぅん……」


 カイさまは足もとを流れゆく川に目を向けた。続く「お体には傷が残って、療養中にため込んだ仕事でここにも来られないほどお忙しいのに」というヘレーネさまのつぶやきを聞いているのかいないのか。

 綺麗な青緑の瞳の中に川──ここにあれば光に満ちたままでいられると知りながらも永遠に留まることをしない水の流れ──を映して。彼はひそやかに言った。


「ばかなやつだね……」


 それがすべてだった。伯爵に対する彼の感想のすべて。

 次にカイさまが顔を上げて言い出したのはべつのことだった。


「なら、告白するよ。……今ここで禁術の探知魔法を使われるのは困る」


 彼はわたしを抱いていないほうの腕を伸ばした。ふわりと魔法の黒蝶が舞って、その真白い指先に止まる。

 あらためて不審げにそれを観察したティモが「それは」と愕然とした声をもらすのにいちべつをくれて。


「パウルの懸念はまあ……徹頭徹尾間違っているというほどひどくはなかったよ。ぼくは確かに禁を犯した。きみにはわかるね、魔法師ティモ。これは魔を運ぶものだ。それも禁じられた魔法を」


 白い肌に不吉に置かれた黒々とした六本の脚、月も星も見えぬ夜で染め抜いた闇色の翅……魔法じかけの蝶々。カイさまが立入禁止の実験室でつくっていらしたもの。


「ぼくが傀儡魔法をかけようとしていたのは、ここでテアと密会していた魔法師だよ。つまりきみだね、ティモ・ラース……。柵を通る“百目の鼠”の気配がしたから、ずっといるのは知っていた」


 これを使えば離れたところにいる魔法師を操ることも容易だっただろうに……と、使う時期を逸したことをやや残念がるようにつぶやくカイさま。

 反応できたのはヘレーネさまだけだった。


「なぜ。わたくしにもパウルさまにも使わなかったのに」

「きみたちはさほど問題ではない」


 カイさまはおっくうそうに笑みを形作った。けだるげな笑み。


「きみたちにテアの意思の輝きを曇らせることはできないだろうから。でも、本物の魔法師なんてものは論外だ」


 悲しさも寂しさも怒りも恐怖も何もない虚無の笑みだった。


「魔界の水に浸された者がテアを歪ませたらどうしてくれる」

「……なぜ」


 青ざめたティモが聞いた。魔王と対峙した古の勇者のごとく。


「なぜ今おっしゃったのですか」

「円満解決で終わりそうだったから。パウルに感化されたような形で帰るなんて冗談ではないよ……。ちょうどいいから、テアに知っていてもらおうと思ったんだ。ぼくがどんなに愚かで面倒で危険な人間か……」


 テアは本気でぼくのそばにいてくれると言っているようだから、とカイさまはわたしを見ないまま口にする。

 早めに本当のところを見せて失望してもらわないと──ぼくを愛するなんてあり得るべきではないと、理解しておいてもらわないといけない、とでもいうかのように。


「ぼくは罪人として帰る気はないから、きみたちがその気なら操り人形にするでも、記憶を消すでもしてあげる。そのためにこの蝶は取っておいたんだ」


 言葉を無くして蒼白な顔で立ちつくすヘレーネさまとティモを見て、その顔が見たかったんだと綺麗な声で言うカイさま。その顔を見せたかったんだと。わたしを見ないまま。


 沈黙をものともしない風だけがわたしたちの髪を揺らして。



「──カイさま」



 わたしは背伸びをしてカイさまの頬に片手を伸ばした。カイさまは頑なにこちらを見なったが、かまわず言った。不思議と少しも怖くなかった。


「今日の望みです。その蝶は壊してください」


 パキパキ……とカイさまの指先に止まっていた黒蝶に細かいひびが入ってゆき、パリン、と万もの透明な欠片になって砕ける。


「それから、こちらはただのお願いですけれど……悪いことはしないでください」


 パキィンと硝子の割れるような高く美しい音。シャラシャラとガラスの城が砂のごとく崩壊していくような響き。

 わたしには何も見えなかったが、視界の端のティモの顔の動きで、こちらと対岸とを隔てる柵が壊れたことを知った。


「あと……」


 降り注ぐ陽光が強くなった気がして。勇気も覚悟も羞恥も必要なく、その言葉が当たり前のように口からこぼれた。


「愛しています」


 蝶が消えたあとも同じ角度に上がったままだったカイさまの腕が落ちた。腰に回っていた腕も。力を失って。


「カイさま」


 もう片方の手も伸ばせば、熟した果実が食べられるため自ら落ちるように、殉教者が神のために斧の前に自ら首を差しだすように、彼はくずおれるように身をかがめた。背伸びはもはや必要なく、なめらかな頬が両手に触れる。


 ──カイさまの目は開いていた。


 彼の青緑の瞳は闇すら入る余地がないほどに無垢に、透明に澄み切って、深すぎる瞳の奥まで見えるようだった。ぽっかりと、底の底までさらけ出されているような。


 世界のすべてが静止したような永遠そのものの一瞬。


 出会った遠き日のごとく、わたしは彼がいつも心の最奥に用心深く隠している、なによりもきれいなものを見ていた。


 彼の本質、愛、欲していたもの──……。


 それらをすべて結晶させたように、彼の瞳にはわたしだけが映り、彼を覗き込むわたしを見つめ返していた。彼の瞳の中のわたしはカイさまの持つ清廉さをまとって、ほんとうにきれいで、カイさまそのものだった。


 ──愛しています。


 伝えた言葉が、じんわりと彼の中に染み込んでいくのさえも見える気がして。胸がいっぱいになった。聴こえぬほどかすかなかすれ声がわたしを呼ぶ。


「……テア」

「そばにいます。カイさま、あなたのそばに……」


 許すとか、許さないとか、狂気とか魔力とか性格とか、なにもかもどうでもいいから。それがあなただというのなら構わないから。でも、それ以上はうまく言葉にできず……。


 わたしは彼の唇にそっと自らの唇を触れさせた────

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