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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ 再びテア ──真実を──
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12. 約束

「奥さん……?」


 わたしはカイさまと逆方向に首を倒した。逆だけれど、向き合っている今は鏡写しのように同じ方向に。小川のせせらぎのように彼は問うた。


「ちがうの? 奥さんにお給料を払うのも、まあ、きみが望むのならいいけれど……。ぼくのものはすべてきみのものだよ」

「わたしが、奥さんになったら?」

「ううん、もとよりそうだよ。きみが望んで、ぼくが手に入れられるものならば、なんでもその手に渡そう」


 優しい瞳。愛しげで、わたしをとろかすようで、どこか奥深くに悲しみや諦めのような暗い何かが沈んでいる。


「服でも石でも花の種でも、禁じられた知識でも誰かの命でもいい。国や大陸や世界でも……新しいナベとかシャベルでもね」


 ぼくはずっとそうしたかったんだとカイさまは言った。きみが望んでくれるなら。


「……それに対してわたしが支払うべき対価はなんでしょう」

「きみがきみでいてくれればいい」

「わたしが……奥さんにならなくても?」

「それでも、きみはそばにいてくれるのでしょう?」


 静かな声だった。わたしはシチューを嚥下しながら眉を下げた。ほんのり甘い味付けにしたはずのそれが苦く感じる。


「どうしてそんなふうに望みを呑み込んでしまわれるんです」

「望みを言ってくれないのはきみだよ」


 平行線の会話。わたしたちはお互いに口をつぐみ……。わたしは彼が台所で口にしていたセリフを思い出した。……ぼくの望みをひとつ叶える気なら、きみの望みもひとつ言ってほしい……。


「なら、毎日同じ数ずつ、お互いに望みを言い合いましょう」


 それなら、あなたは不公平だと言わないでしょう?

 カイさまは二、三度まばたいた。


「……いくつ?」

「じゃあ……とりあえずひとつずつ」

「なら、きみの番だね。ぼくはもう叶えてもらったから」


 わたしは首を横に振った。


「今からですよ、カイさま。何かおっしゃってみてください」


 考えるような素振りをして、彼は答えた。それなら……。


「きみを解雇したい」

「え?」

「給料の話。もちろん今月の分までは払うよ。でも……両者の間をお金が繋ぐ関係はむなしいから」

「でも、そうしたらわたしは何をしたらいいのでしょう」

「好きに過ごせばいいよ」


 さっき余計なことを聞いたからだろうか。彼は妻になってほしいとは口にしなかった。それになんとなく胸がツキンと痛む。


「……わたしは働かなくても生きていけるような身分ではありません」

「ここでは生きていけるよ、テア」


 思わずはっと目を見開いた。


「ずっとここにいらっしゃる気なのですか」

「いけない……?」


 この森の館。あの日、気を失っている間にカイさまが連れてきてくれた場所。最初から何もかも整えられていて、不自由なく過ごすことができていたこの館。わたしは今まで疑問を抱かなかった自分に衝撃を受けた。ここはなに。

 カイさまは美しい目で、わたしの内心の問いを見透かしたように説明してくれた。


「ここは以前からそのために少しずつ整えていたんだよ。長く打ち捨てられていた館を整え、行商鳥の頭の中身を書き換えて、仕事の客になりそうな人間にも目星を付けてね」


 少しずつ少しずつ……ずっと“ここ”にいるために……まるで何もかもがわかっていたみたいに。以前から。


「……いつから」

「学園に入る前後から、かな。あのころいくつか特許を取ったりして、魔法の能力にも金銭的にも色々できるようになってきていたから。まあ、最初はただの思いつきだったのだけど……。ああ、でもそんな館があちこちにいくつかあるから、ここが嫌ならそう言ってもかまわないんだよ、テア」


 わたしはゾクリと震えそうになった身体を必死に抑えた。


「どうして」

「きみとふたりきりになりたかったから」


 淀みのない、清らかすぎるほどの声。


「これまでのこと、どこまでわかっていらしたのですか」

「さあ……だいたい全部わかっていたつもりだったけれど……それは驕りというものだろうね。ひとの行動や心理を完全にわかっているなんて思い込むものではないから。この前のヘレーネの手紙にも少し……驚かされたし」

「手紙……って」


 単語にどきりと胸が鳴って、わたしは自らの罪を思い出した。これもカイさまに打ち明けなくてはならないことだ。

 でも、今話題に出された“手紙”はおそらくそれではない。裏付けるようにカイさまは「たいしたことではないよ」と安心させるように言った。


「一度、ぼくが探るのに飛ばしていた鳥を惑わせてヘレーネが手紙をくくりつけて返してきたんだよ。あまりにもくだらなくて……燃やしてしまったけれど」


 思い出したのは目の前で燃え上がった、彼によく似合う青い炎。晩春の日、雨上がりの、どこか様子のおかしかったカイさま。そう、言われてみればあれも便箋だった。あれが。


「ヘレーネさまはなんて?」

「くだらないことだよ。きみがもとよりぼくを愛しているとか、きみがパウルとヘレーネの恋模様を知っていたとか。あんな戯れ言を言い出すなんてまったく予想していなかった」

「それは……」


 少なくとも、ヘレーネさまの中では戯れ言ではなく事実だと思っていたのだろう。そして、わたしにとってもそれはおおむね本当のことだった。でも。


「……お信じになったんですか?」

「まさか」


 カイさまはいまだに信じる気がないようだった。前者でさえも。わたしがカイさまを想うことなんてあるはずがないと考えている目。わたしは「お慕いしています」と言ったのに。


 ──想いを返されることをもとより諦め、信じず、それよって自分を保っているようなひと。


 あるいは、それでわたしを守っているつもりなのかもしれない。


「信じられるわけがない、ありえないと思ったよ。だって……あのとき、きみはとても傷ついていただろう?」


 あのとき。禁忌の森で。

 お互いの名を呼び合う男女、風、カイさまの怒り……。

 あの怒りは。


「きみはパウルを恨んではいないの? きみから引き離そうと仕組んだのはぼくだけれど……あいつはきみを裏切ったのに」


 わたしは首を横に振った。ほほえみすら浮かべることができた。わたしが傷ついた理由も、カイさまがあんなに怒った理由も、わたしたちがそれぞれ勘違いしていたことを知ったから。


「わたしが傷ついたのはカイさまにお辛い思いをさせてしまったからです。わたしは本当にずっとパウルさまとヘレーネさまのお気持ちに気付いていて、でもカイさまに言い出せなくて……何もしなかったことでカイさまの衝撃と傷を大きなものにしてしまった思ったんです」


 そんなふうに言って、やはりほほえむことなどできないのだと気付いて口を閉じる。パウルさまは大怪我をした。なら、このひとは誤解で友人を傷つけてしまったと後悔なさるんじゃないだろうか。

 けれど、カイさまの美しい顔は他者に完全に無情で無関心で、目の前のわたしにしか関心がないようだった。ただひとりにしか。


「なら、手紙に書かれていたことは全部本当のこと?」

「少なくとも、おっしゃったふたつのことは本当のことです」

「そう……」


 とても愛おしげなのに、やはりわたしの想いなんて信じていない綺麗な瞳。どれだけ言葉を注いでも残らず流れていってしまう小川にも似て。

 わたしは思わず言った。

 

「王都か……少なくともご領地に、帰りませんか」

「ぼくと、ここにいるのはいや?」

「そういうわけでは、ないのですが」


 このままここにいてはいけないような気がした。このひとにはパウルさまやヘレーネさまや、ご家族でもいい、誰かと会う必要が、接する必要があるのではないかと感じた。わたしも。


 ──このひとが狂っていてもいい。それは本当だけど。


 ふたりきりでただ閉じた世界にいるのは間違っているように思った。そうじゃなきゃ、このひとの……カイさまのこの瞳はずっと変わらないままなのではないかと思ったのだ。


「テア……」


 カイさまはわたしの顔をじっと見つめ、使い終わったナイフとフォークを皿の上に置いた。かすかな音も立てず。


「いいよ。それがきみの今日の望みなのならね」


 ごちそうさま、と彼はほほえみに似た表情を浮かべて言った。

 ……わたしはそれで、自分が料理の最後のひとくちを飲み込んだにも関わらず、ナイフとフォークを握ったままだったことにようやく気が付いのだった。

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