6. 無知
物知らず、とティモに言われたわたしは、わけがわからないながらも、それが事実であることを直感したためにむっとした。
「どういう意味?」
「いやなんつーか……いつもアンタが知らない前提でペラペラしゃべってるオレもどうかと思うがよ、本気で魔法学の基礎まで知らねえ使用人ってありえんのか? アンタ本当に魔法師に仕えてんのかよ」
「…………なにかおかしいの?」
「おかしい」
対岸のティモの口調は思いのほか真剣だった。
「べつに数十人単位の使用人がいるんなら、魔法についてまるで知らねえヤツがいても……まあ、納得できる。魔法関係に近付かないところだけ担当してりゃいんだからな。でも、アンタは魔法師の身の回りの世話して暮らしてるんだろ? そういう使用人は普通、多少なりとも一般人より魔法に詳しいもんだ」
「どうして」
「魔法を扱う人のそばにいるんだから、自衛のためと、無駄な失敗をしないようにだ。やたらと怪我をされたり物を壊されたりするとたまらないから、主人の魔法師のほうも魔法の最低限の知識くらいは使用人の頭に入れさせる」
なのにアンタは何も知らない。そう続けるティモの声には、かすかではあるが、わたしたちの間で流れる川よりも遥かに冷たく、固い、確かな不審と緊張があった。先ほどの簡単に切れていたのがウソのようにに生真面目な顔で考え込む。
声量も抑えたものになったが、なんとか川音にかき消されることなく対岸まで届いた。風がわたしたちの周囲を通り抜けて、わたしの前髪を揺らしていく。
「故意に伏せられているのか? そうしねえといけない理由か、そうしてえ理由があるのか。……アンタ何モンなんだよ」
「わたし?」
「ああ。だっておかしいだろ。こんな辺境にここの国出身じゃねえ、ここの言葉の読み書きもできねえ使用人を雇ってる力の強い魔法師。近くに医者もいねえってのに、使用人は信じられねえくらい何も知らねえ。魔法師が変わりモンなのかもしれねえが、だとしてもアンタ自身に何らかの理由か原因があると考えるのが自然だろ」
わたしはよたよたと腕を登ろうとしているネズミを手の中にそっと閉じ込めた。
「……ティモだって外国で初対面の相手に自国語で話しかける変わり者じゃない」
「オレはそもそも他国語はなんもしゃべれねえんだよ。──混ぜっ返すな。答えろ。アンタは何モンだ?」
「ただの使用人よ」
「ただの?」
魔法省所属の魔法師の遮光メガネの奥には警戒があった。
「ここの魔法師との関係は」
「あるじと使用人」
「それだけか?」
「……それだけよ」
「なんでアンタの雇い主はアンタに何も学ばせない」
「知らないわ」
「なんであんたを雇った」
「……知らない」
「アンタの雇い主の出身国は?」
「言わない」
「なんでこんなとこに住んでいる?」
「言わない」
「いつから住んでるんだ」
「言わないわ」
「は、まだあるじサマのことはダメなわけか」
大した忠誠心だな、とティモが野生の獣に似た笑みを見せる。喉元に食らいつくことをためらわぬ表情。白い歯がわたしたちを隔てる川と同じように陽光にちらりと光った。
「ならアンタのことを聞くか。アンタはなぜこの国にいる?」
わたしは盲目のネズミのぬくもりを感じて、できる限り心を落ち着かせながら、ティモをにらみつけた。高圧的に接せられると反抗してしまうのがわたしの悪いクセだったから。
「ひとに何かを聞きたいのなら自分から話したらどう?」
「…………さっき話したじゃねえか」
「どんな人を捜していて、見つけてどうするのか教えて」
わたしたちは川を挟んでにらみ合った。出会う人のほとんどをたじろがせることができるのだろうと思う、遮光メガネ越しの底光りするような鋭い視線がわたしに突き刺さる。
けれどわたしは、にらみ返していれば結局ティモが根負けしてくれるのを、長いとは言えない付き合いの中でもすでにわかってきていた。
「………………くそっ」
案の定、やがてティモはわたしからわずかに目をそらした。深すぎる緑の髪を嵐にあった葉のように両手でかき乱す。
「だぁ、もう、気の強えヤツ……! わぁったよ、言えばいいんだろ言えば」
わたしはほほえみ、ティモはおもしろくなさそうに片脚の上にもう片方の足を乗せて頬杖をついた。どう話そうかというしばしの逡巡。結局ティモはふたたび最初から話し出した。
「オレは魔法省の命令を受け、ひとりの魔法師を捜している。とある事故で行方不明になっちまった、生死不明の、生きていたとしてもどこに飛んだか分からねえ魔法師だ」
聞き覚えのある単語たちにわたしは息を呑んだ。
「それ、新聞に乗ってた……?」
カイさま、と唇だけで言ったのに、視力の良いティモは読み取ってうなずいた。
「ああ、新聞にも載ってたな。読んでんのか。ならまあ隠してもしょうがねえ。そう、オレが捜してんのは宮廷魔法師カイだ」
「どんなかた? お話したことはあるの?」
「オレが話しかけられるような人じゃねえよ。オレの上司とは親しいみてえだったけど……どんなって言われてもな」
表現方法に迷ったのか言葉の選択に困ったのか、ティモは斜め上を見て「あー」と悩む。
「なんつーか、すげえ精度の魔法を織る人。パフォーマンスに使われるような華やかな魅せるための魔法と言うより、正確無比で無駄がない実用的な魔法を使う。王宮庭園に離す魔法仕掛けの生き物なんかを作ってたが、他の魔法師が作ったのと比べると動きの差が歴然だった。疑似脳とかを作るのが上手いんだろうな。魔法師カイっていうのは特級の中でも魔力量が群を抜いてるんだけどよ、それで力押しにならねえ、必要最低限のみで力を操っているところが本当にすげえ。年下だってことが信じられねえよ。尊敬してる」
魔法関連のこととなると普段以上に早口で饒舌になるのがティモだった。しかし、カイさまのことを語る際に、あの清らかで美しい容姿のことと人形じみた外向きの雰囲気のことを抜かして、魔法師としての力量のみを語るひとを初めてだ。それに対する驚きと、連ねられた言葉に対するある種の感動はもちろんある。
でも何よりもまずわたしが引っかかったのは──。
「年下って……ティモっていくつなの」
「二十三。魔法師カイは十九だったと思う」
「うそ」
「って思うだろ。でも本当に十九なんだぜ。ありえねえ」
ティモは完全にわたしの驚愕の理由について勘違いしてくれていたが、もちろんわたしが驚いたのは少年にも見えるティモがカイさまどころか、わたしよりも年上だったという事実である。
「ほんとに?」
「おう。数十年ぶりに最年少特級取得記録更新した魔法師だ。だから国も真面目に捜してる」
「冗談でしょ」
「あのな、冗談で働かされてたまるかよ」
「二十三?」
「…………うるせぇよ! そっちのこと言ってたかよ!」
短気なティモがまたキレた。
「そうだよオレは二十三だ! 見えねえってセリフは聞き飽きてる。つーかアンタ、んなこと聞きてえわけじゃねえだろ!?」
「そ、そうね。ごめんなさい」
「おう」
真面目に謝れば怒りを収めるところもティモの良いところのひとつだろう。わたしたちは話を続けることにした。
「で、そのカイさまを見つけたらどうするの?」
「どんな状態だろうと連れ帰る。それが役目だ」
「見つからなかったら……?」
「いなけりゃいねえって報告して終わり。でもいねえことを証明するほうが難しいな。オレは探知魔法が周りの奴らと比べりゃ得意だから相棒にルネを貰って捜索係に選出されたんだが、何も手がかりなんて得られねえ。ルネも……こいつには魔法師カイと消えた使用人のほう、そう、新聞にも載ってたろ、そっちの気配を辿らせてたんだが、そのありさまさ。もうヤル気が全くねえ」
使用人……アンタじゃねえんだろ、という言葉に、わたしは「ええ」としれっとうなずく。ティモに顎で指されたネズミはいつの間にか手の中でくうくう眠っていた。
「でも使用人の気配は辿れたって、どうして? 魔力を持つ魔法使いのほうがこの子には辿りやすいんじゃないの?」
「魔法師カイの魔力の欠片はどこにもねえよ。オレは何度もあちこちで広範囲に探知魔法を使ったが、一度も引っかからなかった」
悔しげな口調。
「事故の影響か、他に理由があるのか、わかんねえけど。……で、もう仕方ねえからあきらめて帰るかと思ったとき、上司がなんか手紙の切れっ端を手に入れて送って来たんだよ」
「切れっ端って」
「それでもまだ良い言い方だぜ。まともに言うなら……燃えカスだな。行方不明のはずの使用人が両親に送ってきたようなんだが、その両親はさっさと手紙を暖炉で燃やしちまった。何とか残って魔法省が手に入れられたのは、字すら残らぬ燃えカスの切れっ端だけ。しかもその燃えカスは」
ティモは一瞬嫌なことを思い出したという顔になった。
「ルネに気配を覚えさせたときに、ついでとばかりにビリビリバラバラに破かれて、気付いたときにはすでに土にかえりってやがっててよ。……おかげで探知魔法は使い損ねたし、ルネもまともに覚えて辿ってるのか怪しいもんだったところに、ここを見つけて以来動く気がねえ。これからどうしろってんだ」
下っ端はこれだからつらいんだと愚痴るティモは確かに気の毒だったが、もう少しネズミのルネを信用してあげるべきだろう。
──なら、ティモたちが来たのはわたしのせいなのね。
わたしは百の目を閉じて幸せそうに眠るルネを見下ろして、ティモにばれないように、こっそり落ち込んだ。わたしたちはその後もう少し楽しい話もしたのだが……落ち込みは、夕方にティモたちが帰って、わたしも夕食の準備のために緋と金の色に見下される森の中を館へと戻っていってからも、ひっそりと続いたのだった。




