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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ 再びテア ──真実を──
21/32

5. ティモ

 数え切れぬほどの木々の間を通り過ぎた風が、枝と葉を一斉に揺らし、自らに降り積もった陽光をふるい落とした。晩春から初夏となり、ついには夏に変わりゆく世界。

 菜園の手入れを終えたわたしは、部屋でエプロンを付け替えてふたたび外に出ようと食材部屋から外に繋がる扉を開いたところで、吹き込んできた風に目を細め、次いで背後で聞こえた足音に驚いて振り返った。


「ああ、テア」


 ひんやりとした品の良さと清らかさを感じさせる綺麗な声。それを辿った先には、閉めたばかりだった台所に繋がるほうの扉が開いていて、黒ローブ姿の魔法使いが立っていた。


「ここにいたんだね」

「カイさま……」

「うん。どこかに行くところだった……?」

 

 首を傾げた拍子に青みがかった黒髪が揺れる。

 自然に出来上がったものではない──計算され尽くした、名匠がその生命をかけて掘り出したかのような、精巧で完璧な美貌。そこにはめ込まれた青緑の瞳が、唯一彼が人為によって創り出されたものではないと証明している目が、わたしをじっと見つめていた。


「どこに……?」

「森に、ですよ。少し散歩をしようと思って」


 わたしは内心どきりしながら答えた。彼が朝食の後に階下におりてくるのは珍しく、わたしを探していた様子なのはさらに珍しかった。でも。


「最近、いつもきみはいないね。館にも、この付近にも……」


 どこか物思わしげな表情。わたしは目を見張った。最近。

 彼はいつから探していたのだろうか。


「昼食と夕食の支度時には帰ってくるけれど……朝食のあと、ひと通りの仕事を終えてから、きみはどこかに行ってしまう。境界の外には出ていないようだけれど」

「申し訳ありません、カイさま、気が付かなくて。何かご用がおありだったんですね」

「ううん……そういうわけではないんだ」


 コツコツと規則正しい足音が近付いてきて、しらじらとした手のひらがわたしの片手首にそっと巻き付いた。どこにもいかないでと、引き止めるみたいに。


「ただ、最近館を動き回る気配を感じられなくて、窓を開けても歌声が聞こえなくて、少しさびしかっただけだよ……」


 あの雨上がりの日からこのかたはまた少し変わったように思う。カイさまはわたしの腕を引いて、甘えるようにわたしの頭に頬を寄せた。体がずれたために外につながる扉がキィと閉まる。


「きみがすこやかに過ごしているのなら、ぼくは何も不満なんてない。きみがそうしたいと思ったことを止めたくはないし、どこに行くのも何をするのも、きみが望むのならば止める気はない」


 けれどわたしの手首をつかむ彼の手はかせのようだった。わたしがどこにも行かないようにと繋ぐかせ。

 カイさまも同じことを感じたのか、きれいな指が悲しげに離れていく。


「そう、思っているつもりなんだけれどね……」


 少しだけ揺れた清水のような声。


「あまりに平和で、おだやかな、思い通りの日々が続くから、ぼくは少し調子に乗っているのかもしれない。もしくは、この前のあのくだらない文に毒されているのかな」

「え……?」

「ううん……なんでもない。引き止めてごめん。きみの顔が見られて満足したから、もう大丈夫だよ、テア。……さあ、邪魔なんかしないから、行っておいで」

「あ……行くって」


 わたしはカイさまの胸のあたりを見たままぽかんと聞いた。


「どこに」

「忘れてしまったの?」


 ふたたび首がかしげられ、彼の髪のひと房がわたしの金褐色の頭と触れ合う気配がした。


「森に行くんだってきみは言ったよ。気をつけて、ね。ぼくは仕事に戻るから」


 それだけ言ってカイさまはわたしの髪に口付け、一歩ぶん下がってから背を向けた。はっと我に返ったわたしは黒いローブが台所と食材部屋を隔てる扉の向こうに消える前に、慌ててろくに考えもせずに言った。


「カイさまのお願いでしたら、いつでも歌って差し上げますからね」


 答えが返ってくる前に扉は閉まり、わたしは薄暗い食材部屋でひとりになっていたが、それでもわたしにはカイさまが表情を和らげ「ありがとう」と唇を動かしたのがわかった気がした。






 魔法使いの領域と人の領域との境界の川は、はじめて見た春の終わりよりのときよりも眩ばゆく変わった太陽に見下され、金剛石でも隠し持っているかのようにきらぎらと輝いていた。


「だーかーら、違えよ!」


 陽光は、空と森を映す川を挟んでそれぞれ手頃な石に座っているふたりにも等しく降り注ぐ。出会ってから一ヶ月近く、すっかり見慣れた遮光メガネを着けた狩人姿の青年が、対岸で不機嫌そうに片手でぐしゃぐしゃと自分の髪をかき回した。


「何度も言わせんな。オレは道に迷ってるわけでも探検してるわけでもなければヒマでもねえ」

「なら、なにしてるの? ティモっていつもここに来るじゃない。魔法省所属って言ってた気がするけど……あ……クビになった、とか? 失業中なの?」


 がんばって川を渡ってきた盲目のネズミのルネを膝に乗せ、不思議とあまり濡れていない体をそれでもエプロンで拭いてあげながら、うっかり失礼なことを言ったわたしは、相手の堪忍袋の緒がプツリと切れる幻聴を聞いた。


「違えっつの! 仕事中だよ! オレはこれでも真面目に生きてんだよ!」


 わたしは大声にびくりと震えたルネを安心させるように抱き上げて、その後に延々と続いた罵詈雑言を聞き流した。息継ぎなしでわめいていたティモが限界を迎えたときが狙い目で、わたしは息を切らす青年に「ごめんなさい。でもどならないでよ」と言ってから、相手が再び口を開く前にもうひとこと分突っ込んだ。


「……じゃ、ここでわたしからあるじのことを聞き出そうとしてる、というか、日々雑談してるのも仕事なのね?」

「………………」


 ここで逆上したり言い訳することなく「あ、やべえ」という顔で黙り込むことろが、この青年の良いところである。わたしはしばらく考えたあと、今なら素直に教えてくれる気がして、これまで何度聞いても答えてもらえなかった質問をそっと口にした。


「なんの仕事をしてるの?」

「……………………人捜し」


 遮光メガネ越しでも相変わらず表情と感情の変化がわかりやすいティモは、案の定むっつりした顔でそっぽを向いたままぼそっと答えてくれた。答えながら、わたしにの意のままにされているとでも感じたのか、あるいはキレてしまったことに対してか、やや落ち込んでいる。


「ひとさがし?」

「ああ。“百目の鼠”は魔の気配を辿ることができるから、ルネを使ってすげえかすかな気配を頼りに人を捜してたんだよ」


 チゥとわたしの腕の中で「呼んだ?」というようにルネが鳴いたが、川にさえぎられてティモの耳には届かなかったらしく、ネズミの飼い主は苦虫を噛み潰したような顔で話を続けている。


「なのにここの強い魔法の気配にソイツが反応して……しかもアンタの気配を気に入っちまったのか、見ての通りになつきやがって最早もとの人捜しをやる気もねえ……」

「気配って?」


 聞いてばかりのせいかティモは明らかに舌打ちしかけたが、一度話し出したら最後まで話し切ってくれるらしかった。


「ルネは魔力を感じ取るが、力ある魔法師に馴染んだ人間の気配もわずかだが判別して追うことができるんだよ」

「へえ……魔法使いと一緒にいると分かるものなの?」


 移り香のようなものだろうか。しかし自分の服などをかいでみても少しもわからない。


「人間には無理な芸当だが、ルネには分かるみてえだな」

「へええ、すごいのね」


 うなずきながら指先でネズミの背を撫でれば、嬉しげな「チュ」という声が返ってくる。わたしはもう一度「すごいわ」とルネにささやいた。

 対岸では、自分自身のことでない上に得意分野に話が移ったため、単純なティモがやや機嫌を良くしていた。遮光メガネの位置を指で直して、「そもそも魔力を辿る動植物の特性としては……」などと最近お決まりの講義めいたことを始める。


 その種類、能力、人との関わりの歴史……。


 わたしは感心して聞き入っていたが、きりの良いところまで話し終えたティモはふとこちらをまじまじと見て、いきなり失礼なことを言いだした。


「なあ、アンタ……モノを知らなすぎじゃねえか?」

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