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魔法使いと鳥かごの花  作者: 水月 裏々
○ テア ──なにひとつ知らず──
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2. 出会い

 わたしはカイさまのお姉さまを直接は存じ上げない。

 生まれたときには、四人のお兄さまとひとりのお姉さまがいたカイさまは、わたしに出会うまでにその半数以上を亡くされた。


 お兄さま方のうちひとりは事故で、ひとりは戦争で。

 ひとつ年上のお姉さまは、流行り病で。


 だから最初から、わたしが知っているのは侯爵家の第三子で三男で末っ子のカイさまだけだった。外に子供を出すことを──また失うことを──恐れた侯爵夫人によって、屋敷の庭より先に行くことを許されず、とうに王立学園の寮に入っていた歳の離れたお兄さまたちの顔も忘れてしまった、孤独な目をしたお人形みたいな男の子。

 昔々、きょうだいたちに囲まれ、お姉さまに手を引かれて、ケラケラ笑っていたという幼子なんて、わたしには想像することも難しい。




 父が侯爵さまのお屋敷で雇われることになり、家族みんなでそのご領地に引っ越しをしたのは、わたしが十歳になったばかりのころだ。侯爵家の庭師用のコテージは赤い屋根の二階建てで、わたしも両親もひと目で気に入ったことをよく覚えている。

 お転婆だったわたしは、ひまさえあれば外に出て、父の部下である数十人の庭師見習いたちに混ざって手伝いをしたり、ひとりでこっそりと探検ごっこをしたりしていた。


 いくつもの噴水、連なった小さく美しい人工の滝、清らかな泉。

 秘密めいた数々の木戸、つながる数多くの庭園、菜園に果樹園。

 蝶がいてハチがいて鳥がいて、世界は鮮やかでにぎやかだった。


 だからわたしは孤独ではなかったわけだが、両親や大人たちから見れば、わたしはいつもひとりだった。村の学校に通ってはいたが、村のなまりで話せないわたしはしょせん「よそもの」で、だから「気取ってる」のだと考えられていて、友だちもできやしなかったから。


 でも、その程度でしょげかえる必要がどこにあっただろう。

 外は、世界は、庭園は、あまりにまばゆく輝いていた。


 十歳のわたしはよく、背の高い生け垣に囲まれてあまり周囲から見えない、人の来にくい場所にある古い噴水の縁に腰掛けて歌を歌った。べつにうまいわけではなかったが、歌うと庭園に放たれている珍しい魔法仕掛けの蝶や小鳥が寄ってきて、舞ったり、肩や手にとまって一緒に歌うようにさえずったりしてくれた。

 わたしはのんきで無邪気で、幸せだった。

 それだから、ひそやかでひんやりとしていてきれいで、きらきら光っているのにどこかもの悲しい……森の清流のような小さな男の子に出会ったとき、わたしは本当に衝撃を受けたのだ。




 その日、世界は初夏を迎えていた。

 空は青く、木々は初々しい若葉の色で、陽光によって噴水の水はキラキラと光って砕け散り、わたしは相変わらず歌っていた。

 庭園もまた青かった。特別に輸入されたという青いルピナス、空の色を吸い取ったようなデルフィニウム、魔法をかけられた女王みたいな天色のシャクヤク。終わりかけのライラックに、咲き誇る紺碧のクレマチス……。どこかからかセキチクの香りもして。


 ──ふいに、なにかの気配を感じた。


 噴水の縁に座ると地面に届かなくなる足をぱたぱた振りながら、村で聞いた太陽とミツバチの歌を口ずさんでいたわたしは、どきりとして歌を止めた。周りにいた蝶や鳥が一斉に離れていく。

 声をかけられたわけでも、足音がしたわけでもなかった。その子は気がつくとそこにいて、飛んでいってしまった生き物たちのほうに少し視線をやってから、大きな目でわたしをとらえた。


 深く濃くなりすぎる前の青葉からぽろりとこぼれたしずくを、そのまま固めたような色の瞳だった。


 その瞬間、鳥の声も風の音も絶え、噴水の水すら止まったように思った。世界のすべてが静止したような永遠そのものの一瞬。その間に、彼の何かがわたしの心に焼きついた気がした。

 何か。銀の留め具のついた上品な靴や、金糸の刺繍のほどこされた瑠璃色の上着とか半ズボンとか、そんなものではなく。

 いちばん上等の天使の彫像が動き出したかのような白い美貌や、くせのない青みがかった黒髪とか、そんなものでもなく。

 大人びた表情をすることに慣れきってしまっていた小さな彼が、心の最奥に用心深く隠して守っていた、いちばんきれいな、なにか。

 同じことを感じたのだろうか。八歳の男の子は戸惑った……というよりほとんど狼狽したような顔をした。他人相手に──家族相手にすらも──滅多にこんな表情を見せない子だということを知ったのは、後のことである。


「どうしたの?」


 わたしは聞いた。この少年に問うのならば、誰、とか、どこからきたの、より、それが一番適切な気がしたから。

 それに、彼が誰かはなんとなくわかっていた。こんなに仕立ての良い服を着ている子を見たのははじめてだったし、侯爵夫人が溺愛しているという末のご子息のうわさくらい、わたしの耳にも入っていたから。きれいで品が良くて、つくりものみたいなお坊ちゃま。


 ──確かに綺麗だけど……でもこの子、つくりものには見えないな。


 少年は問いかけなど聞こえなかったように、わたしを食い入るように見つめていた。目を閉じた瞬間にわたしは消えるものと信じているように、まばたきひとつせずに。しかし、やがて愛らしい唇が開き、答えは返ってきた。


「ぼく、姉うえをさがしていたんだ」

「あねうえ?」

「そう。きょねん、病気にかかって天にメされたんだ。にばんめの兄うえも、よんばんめの兄うえも同じで、それで母うえはよく悲しそうにしておられるの。だから」

「でも、天に召されたひとにはもう二度と……」


 わたしは言いよどんだ。引っ越す前に住んでいた町で「天に召され」てしまった人たちを思い出す。パン屋の親方のお母さん、薬屋のご隠居さん、となりのハンス坊や。目をそらす。みんな、もう二度と。


「知っているよ」


 はっとして視線を戻すと、少年はいつの間にかすぐそばにいた。手をほんの少し延ばせば届く距離。彼はひどく真面目な顔をしてわたしを見上げていた。


「知っているよ、失われたイノチは二度と戻らないんだ。だからハンゴンジュツはキンキで、フカノウで、ゆるされない。ぼくは知ってる。わかってるんだ。でも、おねえさんは女神さまでしょう?」

「女神さま?」


 わたしはきょとんとした。女神。


「わたしが?」

「うん、ひと目でわかったよ。だから本当のことを言ったんだ。子守や他の誰かに見つかったのなら、ぼくは『散歩をしていたんだ』と言ったよ」


 発想や声音は一見確かに子供らしいのに、少年の目は大人みたいだった。現実と空想とは違うものだと知ってしまっている目。ものうげにほほえんで、流れ行く小川のように少年は続けた。


「ぜんぶ知ってる。それでもぼくは、姉うえを生き返らせる方法をさがしてた。姉うえがいなくなってしまって、みんな変わってしまったって誰もが言う」

「……どんなふうに?」

「ハイイロに。だから母うえも父うえも、ぼくを愛しているって言いながら、もうぼくのことを本当には見る気がない。たぶん見えないんだ。ぼくじゃ、足りない。ねえ、女神さまなら、どうにかできる?」


 わたしは途方に暮れた。わたしの世界には色彩も音も香りも光も満ち溢れていたが、小さな彼の世界はそうではなかったから。どうしていいか、わからなかった。

 わからなかったけれど、胸が詰まって、涙があふれた。

 ごめんなさい、とわたしは言った。


「女神さまじゃないの」


 失望するのだろうと思った。こらえきれず「ごめんなさい」ともう一度言った。ごめんなさい、でも、言わないわけにはいかなかったの。

 男の子は目を見開いた。うつむいて考え込み、けれど再び顔を上げたときに浮かんでいたのは失望ではなかった。生真面目な表情で、まっすぐな目だった。

 そして彼はわたしに手を差し出して、契約みたいに言ったのだ。


「──なら、ぼくと来て。一緒に遊んでよ」

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